78.恋とはどんなもの?
真っ白なワンピースが夜の闇に浮いている。
ハニーブロンドの髪も月光を跳ね返し、きらきらと周囲にその存在を知らしめていた。
(隠密行動には向かないな……)
髪の色を隠すようにミモザは上着のフードをかぶる。
服の色が白な時点でそれは気休め程度にしかならなかったが、少なくとも月の光を跳ね返すことはなくなったことに安心し、ミモザは雑木林の奥へとずんずん進んでいった。
「やぁやぁお嬢さん、ごきげんよう」
「ごきげんよう、カール様」
蔵の中へと入ると牢屋越しに彼は優雅に床に寝そべりながらミモザに手を振ってみせた。
閉じ込められているにしてはずいぶんとのんびりとした囚人である。
ミモザは周囲に人影がないのを確認してからその目の前へと腰を下ろした。
「突然ですが、僕になにか頼みたいことはありますか?」
「本当に突然だね。一体なぜ?」
「昼間慰めてくれたでしょう」
ずいぶんと無様な姿をさらしてしまった時のことを思い出す。正直あまり思い出したくはないが、しかしあの時の慰めの言葉は確かにミモザのことを救ってくれた。
「そのお礼です」
「それはまた律儀だね」
ミモザの提案に彼は首を傾けると、
「じゃあ俺とデートなんてどうかな?」
おどけたようにそう口にした。
それにミモザは首をかしげる。
「牢屋越しにですか? ちょっとつまらなそうですね」
「いや違うよ? 普通に外に出てからだよ。言わなくったってわかるだろ」
「でも物理的に今出れないですよね?」
「君が出してくれれば出れるけどね?」
二人はこてん、と同じ方向へと首をかしげた。
「ちょっとまだ素性が明確でない方を勝手に外に出すのはちょっと……」
「閉じ込められた哀れな美少年が可哀想じゃないのかい?」
「自分でそういうことを言う人もちょっと……」
エイドとカールの言い分のどちらが本当なのかはまだわからないのだ。いや、夢で『ゲームの展開』を知ってしまった今となってはカールの言うことの信憑性は高いのだろうけれど、しかしである。
(下手に解放して暴れられると困るんだよなー)
ミモザの望む展開にある程度の見当をつけてからでないと制御するのも難しい。
できれば解放するのはある程度『目途』が立ってからにしたいものである。
ミモザの言葉に彼は「疑り深いなぁ」とぼやきつつ、わずかに思案するように目を閉じた。そしてその目を再びすぐに開く。
「ではこれはどうかな?」
そう言うと彼は懐から何かを取り出してみせた。
それは古ぼけた絵だった。
ポストカードほどの大きさのそれは二つ折りにされていたのか真ん中部分に折り目がついている。
その絵に描かれている人物にミモザは息を呑んだ。
一人はエイドである。今よりももう少し若い彼が椅子の横に背筋を伸ばして立っている。
そしてその椅子に腰掛けている人物はブラウンの髪をした女性だった。落ち着いた色合いのドレスを身にまとい、そしてその胸元にはーー、
「魔導石……」
夢でも見た。そしてこの屋敷に招待された日に報酬としても見せられた巨大な魔導石がペンダントへと加工されて彼女の胸元で燦然と輝いていた。
「そう、この魔導石が欲しいんだ」
彼がその絵を差し出すのに、ミモザは軽く頭を下げてからそれを受け取った。
改めてまじまじと見る。ずいぶんと古い絵なのだろう。折り目がついていることもあり所々かすれている。特にエイドの娘の顔の部分はちょうど折り目と重なることもあってほとんどその顔の造作は読み取れなかった。
ただその巨大な魔導石のペンダントだけが美しくその姿が描かれている。
「見覚えがあるかい?」
「……ええ、今回の『孫探し』の報酬としてエイド様が提示されておりました」
「なるほど?」
その言葉に彼は皮肉げな笑みを浮かべる。
「その魔導石は母の物なんだ。なんでも魔導石の発掘現場の視察に同行させてもらったことが一度だけあったそうで、その時に発掘された思い出の品なんだよ。父親に贈ってもらったと母はそれはとても大切にしていた。実はエイドに自分が孫だと名乗り出た時に証拠として持っていったんだ。しかし俺はこの通りここに閉じ込められ、その母の形見も奪われてしまった」
カールのすみれ色の瞳が恐ろしいほどの暗い光を宿して輝く。
「どうかそれを取り戻してくれないか。とても大切な物なんだ」
「……なるほど」
ミモザはうなずく。
「お話はわかりました。しかしそれはすぐに取り戻せるものではなさそうですね」
「まぁそうだろうね」
「お時間をください。その他にも、もう少し簡単な頼みであれば請け負うことができますよ」
渡された絵を返しながらそう再び尋ねると、彼はその絵を大切そうに懐へとしまいながら笑った。
「さっき言ったじゃないか。デートをしてくれよ」
「またそれですか」
呆れるミモザに彼は笑う。
「君もなかなかうなずいてくれないね。昼間話していた相手に操を立てているのかい?」
続けられた言葉にミモザの表情が凍った。彼は横たえていたその身を起こすとミモザの頬へと手を伸ばす。
「可哀想に」
そして同情するように目を細めた。
「誰だか知らないがそのお相手は君のことをないがしろに扱ったんだろう? そんな人間のことはもう忘れて、俺にしときなよ」
彼のすみれ色の瞳が色を増してミモザのことを見つめる。
「君はもう十分頑張った。だからもういいんだ。俺なら君のことをもっと大切に扱う。決して泣かせたりなんかしない」
彼の細い指先がミモザの頬へと触れた。その温かな感触になぜだかミモザは泣きそうになる。
(こんなに……)
こんなに優しくされたことが今までどれほどあっただろうか。
傷ついたら慰めてくれて、努力をしたらそれを認めてくれる。
そんなことをしてくれた人は、今までレオンハルトくらいのものだった。
しかしそのレオンハルトはもういないのだ。
すべてを忘れたかのようにミモザのことを冷たい目で見つめるだけ。
ぽつり、とミモザの頬に暖かい物が伝った。それが涙だと気づくよりも早く、目の前のすみれ色が優しく微笑む。
「もう耐えなくていい。頑張らなくて良いんだ。どんなことからでも必ず俺が君を守るよ」
(『守る』……?)
しかし続けられた言葉にミモザの涙は止まった。
その海のように深い青色の瞳を大きく見開く。
(違う……)
この人はレオンハルトとは違う。
ミモザの好きな人はミモザの醜い部分やどうしようもなく情けない部分を決してけなさない人だ。
それでいてくじけそうになるミモザのことを叱咤して前へ前へと進ませてくれる人だった。
……たまに少し監禁してこようとするがそこも含めて油断のできない人だ。
こんな風にただ甘やかすような言葉を言う人ではない。
(それに……)
ミモザがかつてレオンハルトとの関係をどうするかに悩んだ時、友人のジーンに『すべての周囲の事情を排除してミモザはどうしたいのか』と聞かれた時。
ミモザは『守られたい』とは思わなかった。
『守りたい』と思ったのだ。
自分が、この手で。大切な人の人生やその気持ちを守りたいと思った。
たとえそれをその本人が望んでいなかったとしても。その都合を無視して。
ミモザは唇の端にわずかに笑みを浮かべる。そのことにすみれ色の瞳が驚きの色を浮かべた。
しかしそれに気づかなかったように彼女は首をかしげて考え込む仕草をしてみせる。
「うーん、ちょっと遠慮します」
「……。おっと、何が敗因かな?」
「そうですね、簡単に言うと僕はあなたにちっとも魅力を感じない」
「あっはっは! 辛辣だなー」
「もうちょっと魅力的に誘ってくれませんかね」
「いや今の結構せいいっぱいだよ。わりといい線いってると思うよ普通に」
彼は乗り出していた身体を元の位置へと戻すと、表情と口調では笑いつつもわずかに悔しげな色をその瞳ににじませて尋ねた。
「逆になんて言われたら魅力感じるの?」
ミモザはちょっと考える。
「とりあえず僕が裏で殺人を犯してても味方して欲しいかな」
「ハードル高いなー。殺す予定あるの?」
「今のところはないです」
『絶対』と言い切れないのはレオンハルトとキャサリンに腹が立ちすぎてちょっとついうっかりが発生してしまい兼ねない心情だからである。
ミモザは進展していない現状にちょっとうんざりしつつ「恋ってなんですかねー」と投げやりにつぶやいた。
「わかんないけど、犯罪の隠蔽はちょっと愛を感じるよねー」
「感じますか、愛」
「他の誰かを犠牲にしても相手に味方をしたいのは愛じゃない?」
「そうですか」
「そうだよー」
それに乗っかるように軽い口調でカールも返しつつ、
「で、それ言ってくれたのは誰なの?」
と興味深げに疑問を差し挟む。
「……、さぁ、誰だったでしょうね」
それにミモザは言葉を濁した。
もしかしたらそんな人間はもうこの世にいないのかも知れない。
こうなるともう、今までのすべてはミモザの都合の良い幻想のようにも思えてくる。
とはいえ幻想ではないのは確かなので、すべてをうやむやに誤魔化して逃げるわけにもいかないのが悩ましいところだ。
(そろそろ向き合わないといけないよなぁ……)
「じゃあそろそろ僕はこれで」
「また遊びに来なよ。俺はいつでも歓迎するよ」
立ち上がるミモザに彼はウインクをしてみせる。
「今の相手が嫌になったらいつでも俺のところに来なよ」
「…………それでは」
ミモザはその言葉にはコメントを返さずそそくさとその場を後にした。





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