52.一方その頃、レオンハルトは
レオンハルトはげんなりとしていた。
(ミモザめ……)
ひらひらと手を振りセドリックとともに立ち去った妻に内心で恨み言をこぼす。
(後で覚えていろ)
しかし内心はどうあれ、外見はにこにこと爽やかに微笑み応対をするレオンハルトの周りには人だかりができていた。
貴族の集まりに顔を出すといつもこうだ。聖騎士を引退すれば少しは落ち着くかと思っていたが、全くそんなことはなかった。ついでにミモザと結婚すれば『そういう話』もなくなるかと思っていたが、そんなこともなかった。
なぜ新婚ほやほやの相手に無神経に次の相手や愛人候補を勧めることができるのか。
レオンハルトにはその神経が理解できない。
(頭が痛い……)
引退したおかげでこういった場に顔を出さなくても良くなったのが唯一の救いである。しかし顔を出さなくて良くなった分、自身の耐性が下がっている気はする。
以前はこの程度では音を上げなかったが、今はもうだめだ。帰りたい。切実に。
「レオンハルト様」
その時、涼やかなの女性の声がした。レオンハルトはげんなりとしながらも笑顔でそちらを振り返る。そしてその人物を見てさらにうんざりとした。
「これは、キャロライン・レイス様……、でしたか」
「うふふ、どうぞキャロラインと呼んでくださって結構よ」
「では、『レイス殿』」
レオンハルトは有無を言わせぬ完璧な微笑でその名探偵に答えた。
「俺のことはどうぞ、ガードナーと」
「あらあら、ずいぶんとシャイなのですね、『レオンハルト様』」
彼女の美しい紫色の瞳が挑むようにレオンハルトのことを見つめた。ついでほぅ、と憂鬱そうに息をつく。
「しかしローラル卿の手前、先ほどはあのように申しましたが、今回の謎はなかなかに奥が深そうですわ」
「そうですか」
至極どうでもいいと思いつつ、笑顔でレオンハルトはうなずく。
それにキャロラインは面白そうに目を細めると、腕を組んで小首をかしげて見せた。その組んだ腕がその豊満な胸を押し上げてことさらその胸の大きさと形の良さが強調された。
会場にいる男性客の視線が突き刺さるように集まる。
彼女はそれを当然のものとして受け止めながら、レオンハルトへと一歩、距離を詰めた。
「レオンハルト様はどうでしょう。これまでの『出題』でなにか手がかりは掴めまして?」
「いいえ。大変申し訳ないが、俺はこのような込み入った話は不得手なもので。先ほどエイド殿にも申しましたがこの手の話は妻の方が得意でしてね」
「まぁ、奥様! お噂はかねがね聞いておりますわ! なんでも大変可愛らしい方だとか。ぜひお会いしたいですわ。どちらにいらっしゃるのかしら?」
「さぁ」
「さぁ?」
不躾にぐいぐいと距離を詰めてくるキャロラインに、レオンハルトは笑みは崩さぬまま、しかし氷のように冷たい視線を向ける。
「初対面の方に伝えるような行き先は知らないな」
「……まぁ」
レオンハルトのその言い様にキャロラインはそのアメジストの瞳を細めた。そして悲しげに目を伏せてみせる。
「酷いわ。そんな意地悪を言うなんて。わたしには奥様を紹介してくださらないの?」
そしてなじるように言う。その口調やしぐさ、どれをとってもとても可愛らしく、思わず慰めたくなるような風情があった。しかし彼女はすぐにその表情を切り替えると急にその口元にいたずらっぽい笑みを浮かべ、からかうようにレオンハルトの瞳をのぞき込んだ。
「それとも、わたしとは奥様には秘密のお話がしたいのかしら?」
組まれていた彼女の腕が解け、その指先が流れるようにレオンハルトの腕をなぞるように触れる。彼女の甘い香水の香りがレオンハルトの鼻先をくすぐった。
「秘密とは?」
「いやだわ。わかっているくせに」
「君を殺すという話か?」
「ええそうね、場所を……、は?」
その不穏な言葉に彼女はぎょっとして目を見開いた。レオンハルトはもう笑みを浮かべてはいなかった。鋭い視線が冷徹に彼女のことを射貫く。
「俺に妻がいると知りながらそのようなはしたない真似をする女性を紹介する? 妻に? 冗談だろう。彼女の目に触れる前に始末してしまいたい気分だ」
「ま、まぁ……、ご冗談がお上手なのね……」
誤魔化すようにキャロラインはなんとか微笑みを浮かべたが、レオンハルトは笑わなかった。ただ無表情に彼女のことを見下ろしている。
そして周囲にいた人々も笑わなかった。なぜなら先ほどから妻がいるにも関わらず、『そのような発言』をした人物は同じように冷たい視線と殺意高めな発言で撃退されていたのを目撃していたからだ。
以前の聖騎士レオンハルトならこのような無下な真似はしなかっただろう。しかし今の彼は無敵だ。
ニートだからである。
聖騎士という立場を捨てた今、彼の言動を縛るものは何もなかった。
やりとりを聞いていた人々は皆気まずげにそっと視線をそらした。レオンハルトと縁をつなぎたい人は下手な発言をして彼に嫌われるわけにもいかないし、キャロラインに対しても同様だ。故に皆気づかぬふりをするしかないという状況がその場には発生していた。
レオンハルトは手にもっていたグラスの中身を一息に飲み干すと、
「それで?」
と彼女に尋ねた。
「え?」
キャロラインは戸惑ったように聞き返す。それにレオンハルトは凍えるような冷たい視線を向けた。
「君はいつまでここにいるんだ?」
「え、ええと……」
ろくに返答を返せず目を泳がせる彼女に、レオンハルトはため息を一つつくと、
「ああ、すまない。そうだな、俺が立ち去るべきだ。ではこれで失礼するよ」
そう言ってさっさと会場を立ち去ってしまった。
その後ろ姿に声をかけられる強者はその場にはいなかった。





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