50.ローラル図書館
そこには壮観な光景が広がっていた。
見渡す限りの本、本、本。上を見上げても高い天井の一体どこまで本棚が続いているのかと不安になるほどの高さだ。書架のところどころには細いはしごがかけられており、ある程度の高さまで行くと横移動をするためなのだろう。本棚の上に細い通路のような段差が設置され、そのまたさらに上に本棚が設置されるという塔のような構造になっていた。
「すげぇ……」
「いやぁ、噂に違わぬ蔵書数。目的の本を見つけるのに気が遠くなりそうだね」
隣に立つセドリックも思わずといったように感嘆の声をあげる。ーーと、その時、周囲をきょろきょろと見回す二人の目の前を小さい何かがちょろちょろと通り過ぎていった。
黒くて触覚の生えた例のアレである。
「……金持ちの家でも意外にでますよね-」
「レオンハルト殿は来なくて正解だったようだね!」
うんうん、とセドリックはうなずきながらそう言った。
ちなみにレオンハルトはパーティー会場に残留である。本当は一緒に来る予定だったのだが、抜け出す途中で他の招待客に話しかけられ一度目はその挨拶が終わるのを待ったもののそれが二度三度と続いたため、泣く泣くミモザとセドリックはレオンハルトを見捨ててきたのだ。
ちなみにこっそりフェードアウトしようとしているミモザのことを、レオンハルトは強烈な視線で睨んでいた。あれは恐ろしかった。正直しばらくレオンハルトとは再会したくない気分である。
ミモザはふと先ほどの発言が気になって、隣に立つセドリックのことを見上げた。
「あれ? セドリック様もレオン様の『苦手なもの』をご存じなのですね。意外に有名な話なのですか?」
「いや?」
セドリックは首をかしげながら応じた。
「有名ではないね。ただ教会騎士団の一部の人間や教皇聖下は知っているだろうし、王国騎士団でもフレイヤ殿などは知っているんじゃないか? わたしが知っているのは殿下から聞いたからさ」
「あー……、なるほど」
確かに業務中に出くわした場合は普通にばれるだろう。前回の第一の塔での巨大ゴ……、の件ではガブリエルも知っている様子だった。
「さて、ではわたしは個人的に調べたい物があってね、また後で合流しよう」
「ええ、そうですね」
ミモザとて、何も好奇心だけでミモザは『ローラル図書館』にきたわけではない。きちんともくろみがあって来たのである。
(ここで第三の塔に関する情報を集められれば……)
最悪、孫が見つけられずエイド老の協力が得られなくとも多少はアズレン王子に対する言い訳が立つのだ。
逃げ腰と言うなかれ。ミモザの第一の目的はあくまでもステラ探しであり、第三の塔の薬草栽培は押しつけられた仕事にすぎない。しかも『かなり無理難題の』という枕詞がつく。
研究者でも探偵でもないミモザとしては、薬草栽培の手がかりも孫探しも失敗を前提に動くのがベターである。
(とはいえ……)
ミモザはぐるりと本棚を見渡す。
確かにセドリックの言うように、目的の本を見つけるのは至難の業だ。ミモザの場合は一ヶ月この屋敷に滞在するため時間をかけて探せるにしても、途方のない作業に思える量だ。
しかし嘆いていても仕方がない。
(ひとまず一番下の棚から見ていくか)
そうして気合いを入れ、途中までは真剣にタイトルを一つ一つ確認していたミモザだが、早々に流し見になり、一段ごとどころか棚をざーと眺める方式になった。なにせ時間がかかりすぎるし真剣に見ていると目が疲れるのだ。
幸いなことに本はそれなりに法則性を持って並べられていた。図鑑や歴史書といったカテゴリーはもちろん、その内容に合わせてまとめられているらしい。つまりミモザは『試練の塔』に関する本棚を見つければいいわけである。
ゆっくりと歩きながらミモザは本棚を次々流し見ていく。
(果物図鑑、虫の図鑑、動物の図鑑……)
このあたりは図鑑系なのでカテゴリーがそもそも異なる。ミモザは足を早めた。
(国の歴史、宗教……)
試練の塔は女神とは切り離せない存在である。このあたりか、とミモザは歩く速度をゆるめ、そして、
「……ん?」
気になる文字に足を止めた。
「『ハナコ・タナカのルーツについて』……?」
『ハナコ・タナカ』つまり田中花子は今から百五十年ほど前に存在し、この世界にあらゆる日本の技術を輸入したと思われる異世界転生か転移をしてきたらしき人物である。
そしてエオ・タナカの祖先だ。
(ステラはエオと一緒に行動してるっぽいんだよな……)
思わずミモザはその本を手に取った。
(肖像画……)
そこには以前ナサニエル邸で見た物と同じ絵が描かれていた。
模写したものだろうか? その絵の部分だけ色もしっかりついている。そこには以前見た時と同じく、水色の髪をおさげにした少女がステラそっくりの美しいサファイアの瞳をこちらに向けていた。
(『ハナコ・タナカ、かつて『聖女』と呼ばれ、のちに『賢者』とも『魔女』とも呼ばれた少女』……)
出だしの文章を見てミモザは首をひねる。
『賢者』はなんとなくわかる。その日本の技術や知識を広め、この世界の技術を何年も進めたと謳われる人物だ。そして『魔女』というのもあの悪名高き保護研究会の創設者であることを考えると納得はいく。
「でも『聖女』……?」
思わず次のページをめくる。
『彼女の本名はエレノア。姓は不明であり、その子孫もたどることはできていない』
「いや、やっぱり本名違うんじゃん!」
思わず大声を出してからミモザは口をつぐむ。慌てて周囲を見渡すと、別の場所で本を検分していたセドリックが驚いたようにこちらを見ていた。
「あ、すみません、なんでもないです」
ミモザはぱたぱたと手を振ってみせる。彼は首をひねりながらも再び手にしていた本の方へと視線を戻してくれた。
ふぅ、とミモザは息をつく。
(いや、っていうか……)
日本にいた時に『田中花子』という名前はなかなかいないのでは、と疑っていたが、それ以前にこちらの世界での名前があった。
(『転生』のほうか……)
よく考えてみれば当たり前である。
(日本人に水色の髪も青い瞳もいないよな……)
絵画を見た時点で気づくべきだった。そりゃあ、こっちの世界での『本名』があってしかるべきである。
「なんで『田中花子』なんて名乗ってたんだ……」
不覚にも続きが気になりすぎてミモザは次のページ、その次のページもとその本に夢中になってしまった。