番外編 レオンハルトとオルタンシア 出会い
番外編その2です。
タイトル通り、レオンハルトとオルタンシアの出会いのエピソードです。
オルタンシアの視界を炎が埋め尽くした。
それは物資の輸送をしている時のことだった。近隣の教会へと運ぶため、オルタンシアは同僚や部下と共に森の中を移動していた。
(もっと効率的に行えばいいものを……)
オルタンシアはため息をつく。
今の教皇は悪い人間ではない。しかし老齢のためか頭が固く、考え方が古いのだ。おまけに保守的な傾向があるため新しい提案がますます通りにくかった。
(私が上の地位についたらまずは道の整備から始めて行くだろうに)
田舎の教会へと至るルートは大きな街道からはそれることもある。主要な街道以外は老朽化が進んでいたり、そもそもが獣道のような物も多い。問題なのはその道が地元住民のよく使用する道であることが多いという事実だ。一体どれほどの人間がこの道を使用し、野良精霊の餌食になっているのかなど考えたくもない。
(森に囲まれた居住地を守る柵や壁も貧弱な物が多い。辺境まで行くと確かに手が回らないのも仕方がないが、この辺りはまだ王都に近いというのに……)
橋に差しかかり、オルタンシアはその手すりへと触れた。木で出来た橋はささくれだち、試しに足を乗せるとギィギィと怪しい音を立てる。
オルタンシアは眉をひそめた。
「荷馬車は一台ずつ、少ない人数で少しずつ渡らせましょう。落ちては大変だ」
「心配のしすぎじゃないか?」
同僚が軽い調子で言うのに、オルタンシアは内心では舌打ちをしながらも表面上では柔らかく微笑んだ。
「すみません、どうにも私は心配性で。お付き合いいただけると助かります」
「ははは」
面白がるように笑いながらも反抗する気はないのか、彼はオルタンシアが指示した通りに動いた。オルタンシアはすべての荷馬車と人が渡り終えるのを確認してから、自身も慎重に橋を渡った。
今にも崩れそうな音を立てながらも橋はなんとか耐え切った。しかし何度もこのくらいの重量の荷馬車が行き来すれば近いうちに底が抜けることだろう。
「行きましょう」
皆の無事を確かめて道を進むと、少し開けた場所に出た。これまでもちらほらと見かけたが、道幅が広がったおかげかオルタンシア達以外の通行人と合流する。
「邪魔にならないよう隅に……」
避けましょう、と指示を出そうとした瞬間、前方から悲鳴が上がった。
「な……っ!?」
「精霊だ! 野良精霊が襲ってくるぞ!!」
警告をしながら駆けてくる男に、その場にいた人間は出来る限りの荷物を持って逃げ始める。
「オルタンシアっ、俺たちも逃げるぞ!」
「けれど物資が……」
「言ってる場合か!」
オルタンシアは歯噛みした。
この物資で一体どれだけの人間が助かることだろう。どれだけのことが出来たはずだったか。
人の通る道や街には通常『精霊避け』と呼ばれる魔導具が設置されている。正直なところ虫よけのような代物なので入ってくる野良精霊もそこそこいるが、その確率はそれがあるだけで格段に下がる代物だ。
この道にはおそらくその魔導具は設置されていない。
その上ろくな柵もないのだ。柵を飛び越えられない種類の野良精霊でもこれでは入りたい放題だろう。
(これは起こるべくして起きたアクシデントだ)
よくあることと言ってしまえばよくあることだ。だから皆冷静に避難できるのだ。しかしその『よくあること』をよくあることのまま放置することを是とするべきではない。
(私に、立場があれば……)
貴族であったならと何度思ったことだろう。あるいは金があれば。しかしそんな夢想に意味はない。
「…………っ!」
オルタンシアは息を呑んだ。
人々の荷馬車や荷物を踏みつけ押し除けて、その野良精霊は現れた。鹿の姿をしたその精霊は巨大だ。荷馬車と同じくらいの体躯があるように見える。
これが相手ではひとたまりもないとオルタンシアも観念して逃げようとしたところで、目の前を何かが横切った。
「……え?」
それは少年だった。藍色の豊かな髪が尾を引くようにオルタンシアの視界をさえぎり通り過ぎていく。
「あぶ……っ」
危ないから、と引き留めようと手を伸ばしかけて、
オルタンシアの視界を炎が埋め尽くした。
大きな悲鳴をあげて鹿の精霊は焼き尽くされる。最後の抵抗のように振り上げられた前足は、しかし振り落とされる前に少年の放った剣戟によって切り払われた。
(なんと……)
あっけないことか。大の大人が大勢悲鳴を上げて逃げ出すような怪物を、一人の少年があっさりと倒してしまった。
そこにはまるで何者も歯牙にもかけない、王者のごとく平然と立つ、絶対的な強者がいた。
野良精霊はもはや何も出来ず地面に崩れ落ちて燃え盛る炎の中に身を横たえている。
左目しか見えない黄金の瞳が、冷たい光を放ちながら冷静にその様子を見据えていた。
やがて燃え尽きるまで見届けると彼は何事もなかったかのようにきびすを返し、自らの荷物の元へと戻るとそれを担ぎ直す。
「き、君……っ」
思わずオルタンシアは声をかけていた。
金色の瞳がこちらを無言でちらりと見る。
「何か?」
「まずは、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「そうですか、それはなにより」
興味がなさそうにそのまま立ち去ろうとするのを「君の名前は?」と慌てて呼び止める。
彼は訝しげに眉を上げた。
「なぜ?」
「私はオルタンシアと申します。ぜひともお礼をしたいのです」
「不要です。俺はただ俺の仕事をしたまでですので」
「仕事?」
見ると少年が担いでいるのは材木のようだ。オルタンシアの視線に気づいたのか、彼は「材木運びの仕事です」と淡々と告げた。
「君、歳はいくつですか?」
「……11歳です」
思ったよりも幼いことに驚く。少年の身体はよく鍛えられていて長身だ。もう少し上の年齢に見えていた。
(成人していないということは、塔の攻略をしていないのか)
「精霊騎士になりなさい」
思わずオルタンシアはそう口走っていた。少年は訝しげに目を細める。
オルタンシアはごくりと唾を飲み込むと、その美しい黄金の瞳を魅入られたかのように見つめながら、また「精霊騎士になりなさい」と言った。
「君には才能がある。こんなところで材木運びの仕事などをする人間ではありません。成人したらすぐに試練の塔へと挑んで精霊騎士を目指しなさい」
少年の肩を掴む。それに彼はわずかにたじろぐような様子を見せたが、オルタンシアは構わなかった。
「精霊騎士になったら、教会騎士になるといい。君にふさわしい立場と仕事を私が用意しましょう」
「………考えておきます」
怪訝そうにしながらも、オルタンシアの本気は伝わったらしい。少年はそう言うとふぅ、と息を吐いた。
「俺はレオンハルトです。オルタンシア様、申し訳ありませんが仕事がありますので」
「ああ、これは失礼しました」
慌ててオルタンシアは手を離す。レオンハルトと名乗った少年は小さく会釈をするとそのまま何事もなかったかのように立ち去った。
長い藍色の髪が弧を描いてひるがえる。その動きが風を切るのと同時に、オルタンシアの中に巣食う諦めをも断ち切ったかのように彼には感じた。
冷たい金色の瞳を思い出す。
「まるで、流れ星のようだ……」
人々の願いを乗せて駆ける美しい流れ星だ。
そのきらめきはオルタンシアの胸を燃やし、いつまでもきらきらとした残像をその網膜へと焼き付けた。
いよいよ本日発売です。
どうぞよろしくお願いいたします。





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