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41 ステラ

 鈴の音を転がすような歌声が響いていた。

 人気のない森の奥深く。木々が生い茂り日の光すら差し込まない薄暗闇の中で、地面に点々と落ちる液体がある。

 血だ。

 近くからは歌だけではなく、逃げ回る獣の足音や悲鳴も響いていた。しかしそれはすぐに聞こえなくなり、歌だけが途切れず響き続ける。

 じゃり、と地面を踏む音とともに真っ赤なパンプスが暗闇から現れた。その上には赤を基調としてところどころに差し色の黒を使ったフリルのついたワンピースドレスに抜けるような白い肌、美しく編み込みをされたハニーブロンドの豊かな髪にサファイアの瞳。

 ステラだ。

 彼女は明るい笑みとともにまた一匹、逃げようとした野良精霊を氷の破片で貫いて仕留めた。

「ごひゃくごじゅういち~」

 桃色の唇が歌うように数を唱える。

「ごひゃくごじゅうに~」

 また一匹、彼女の足下に野良精霊が倒れ伏した。

 一見にこやかに笑い機嫌が良さそうに見えるが、彼女のサファイアの瞳に映る感情は、怒りだ。

 思い出すのは数日前、ステラがまだ拘置所に拘留されていた時のことである。


 その夜、暗闇の中でうずくまるようにしてステラは泣いていた。あてがわれていた拘置所の一室に同室者はいない。守護精霊であるティアラですら小さな檻に入れられて隣室に収監されている状態だ。手の届かない高い場所に一カ所だけ開いた小さな窓からは、細く月明かりが差し込みステラのことだけを映し出していた。

 何度目かの裁判が終わり、ステラに科せられる刑はすでに確定している。それでもステラが刑務所ではなく拘置所に置かれ続けている理由は簡単だ。

 刑務所は矯正施設である。罪を犯した人が罪に服し、更生を目指す場所という側面のある施設だ。つまり、更生する必要のない受刑者は刑務所に行く必要がない。

 ステラはもう二度と生きて外に出ることはないのだ。

 今回起こした事件に対し、ステラには懲役刑が科せられた。しかしそれだけでは終わらず、服役後は修道院で一生を過ごすことが決まってしまったのだ。

 それはステラの能力、『恋の妙薬を生成する能力』が危険視されたからである。

 例えステラが更生したとして、この能力は野放しにするには危険すぎると判断され、ステラは辺境の修道院に行くことが決定した。

 そのため、ステラの能力の防止のためにも『恋の妙薬に影響される異性の存在しない』女性だけの修道院に最初から収容するのが良いだろうという異例の判断がされたのだ。

 どうせもう外には出ないのだ。ならば罪を償うのも修道院で行い、その生活に一日でも早く順応した方が良いと。

 それは判決を下した裁判官にしてみれば温情と言ってもよい措置だっただろう。

 そしてステラにその決定を伝えた修道女も「とても良いところよ」と穏やかに言った。

「最初は不便に感じるかもしれない。けれど毎日畑を耕して洗濯をして掃除をして、とても穏やかに過ごすことができる。本だって豊富にあるし、たまには門越しではあるけれど行商人を招いてちょっとした物を買うことだってできるのよ」

 にこにこと彼女はそれがさも素晴らしいことかのように告げると

「あなたの部屋を用意して待っているわ、ステラ」

 そんな恐ろしい言葉を残して立ち去ってしまった。

 ステラは泣きじゃくる。

(どうしてわたしがこんな目に……っ!)

 ステラにとっては冗談ではない。毎日畑を耕して、洗濯をして、掃除をして、それだけで一日が終わる。そんな退屈な毎日など王都に行く前に散々過ごしてきた。その上これから向かう場所では買い物の自由すらないと言う。

(服だって……)

 ちらり、と自らの格好を見る。簡素な無地のシャツとズボン。かろうじてネックレスについていた黄色い魔導石だけは髪をまとめるリボンにくくりつけて持ち込めたが、それだけだ。取り上げられそうになるのをステラの母親がせめて「髪を結うリボンだけは」と頼み込んだため危険な物が仕込まれていないことを刑務官が確認してから許可されたのだ。 今からこんな状態ではどうせ修道院でもステラに『ふさわしい格好』などさせてもらえないに違いない。

「レオンハルト様……」

 かさかさに乾いた唇が、これまで何度も唱えてきた名前を呪文のように口にする。

「レオンハルトさまぁ……っ」

 なのにどうして彼は来てくれないのだろう。

 こんなにステラが呼んでいるのに。

(あなたのために……っ!)

 彼と結ばれるために、ステラは人生を繰り返したというのに。

「レオンハルト様……っ!!」

「彼なら来ないよ?」

 ステラの悲痛な叫びはそんな軽い言葉に遮られた。その突然現れた少年の声にステラはぎょっとして視線を向ける。

「彼はね、今幸せの絶頂にいるようだよ」

 一体どこから入り込んだのか、そこには美しい少年が立っていた。

 さらさらと流れる水色の髪に透き通るような水色の瞳。彼は微笑むと一枚の紙を差し出した。

 それは新聞の記事だ。

 そこに書かれた文字にステラは目の色を変えるとその記事を彼から奪いとった。

 その様子に少年は笑みを深める。

「彼ねぇ、結婚するそうだよ。きみの妹さんと」

「……うそ」

「嘘に見えるかい?」

 呆然と『聖騎士、結婚』の文字が躍る記事から顔をあげたステラに、彼は微笑みかけた。

「ねぇきみ、きみはあの御前試合を途中で退席したから知らないだろうね。けれどボクはことの顛末をすべて見ていた。よければ教えてあげようか?」

「あなた……、誰?」

 その質問に少年は慈悲深く、美しく微笑んで両手を広げてみせた。

「ボクはエオ、保護研究会の五角形のうちの一角だよ」

 月明かりだけが二人を照らしていた。


「ごひゃくごじゅうさん、ごひゃくごじゅうよん……」

 そして現在、次々と野良精霊をステラは刺し貫き、地面に血の跡が広がる。

 ステラはすべてを知ったのだ。あの妹は自分から本当に何もかもを奪ったのだと。

「ごひゃくごじゅうご」

 その言葉とともに最後の一匹をステラは切り捨てる。

 桃色の唇がつり上がり、美しい笑みを形作った。

 それはぞっとするような、鬼気迫る笑みだ。

「ねぇ、エオくん! 555匹の精霊を狩ったよ! これでいいの?」

 しかし振り向いた先では一転してかわいらしい笑顔へと変わると弾むような声で尋ねた。

「うんうん、上手だね、ステラ。後はきみが祈りを捧げるだけだよ」

 その視線の先でエオはこれまたにっこりと笑って告げた。

「そうね、わかったわ!」

 うなずくとステラはエオに背を向け、両手を合わせて目を閉じた。

 あの日エオは絶望するステラに解決策も授けてくれたのだ。

「奪い返そう」と。

「そのために、新たな能力を手に入れるといい。実を言うときみの妹さんにもボクはこの方法を教えたんだよ」

 驚くステラに彼はささやいた。

「555匹の精霊を生け贄に捧げて祈れば、新たな強い力を授かることができる。その証拠にきみの妹さんはその新たな力できみに勝っただろう?」

 地面にはステラが狩り取った555匹の野良精霊の遺体が散乱している。血にまみれた両手を合わせて、

「どうか、わたしにミモザからすべてを奪い返す力を」

 ステラは祈りを捧げた。


 その姿を渋面で見つめる男がいた。彼は年老いた男だった。白髪が大量に交じった灰色の髪を一つにまとめ、ローブを身にまとっている。

 ロランだ。

 彼はその小さな水色の瞳を疑うように細めると、

「エオ、あれは……」

「もちろん、嘘だよ」

 同じように、けれどロランとは違い笑顔で彼女の後ろ姿を眺めるエオはあっさりと答えた。それにロランの表情はますます苦虫を飲み込んだようにゆがむ。

「まったく、二人とも思い込みの激しい姉妹で助かるよ」

「『ぷらしーぼ』とやらか」

「うん、プラシーボだよ」

 ふふ、とエオは悪びれずに笑う。

「しかし、これは……」

 血まみれの遺体の山を嫌そうに見てロランは言いよどんだ。

「しかたがないよ、ミモザと同じ方法をステラは絶対に受け入れないもん」

 けろりとエオは言う。

「人間は自分の都合の良いことを信じたがる生き物だからねぇ。薬を飲むだけで良くなるよと言われたら信じたくなるだろう? それと同じことだよ。やりたくない方法よりも本人の望む方法のほうが信じたいと思えるものさ」

「顔面に赤い染料をぬりたくるよりも獣狩りのほうがいいと?」

「彼女にとってはそうなんだろうね」

「それは……、なんと言おうか……」

 ロランは言いよどむ。

「残酷だよねぇ」

 しかしその言葉をエオは躊躇なく口にした。

「二人とも目的は同じなのに、信じるものがまるで違うね」

 エオは水色の瞳を酷薄にすぅと細めた。

「まぁ、ボクにはどっちも関係ないけどね?」

 二人の目線の先で、ステラの歓声があがった。

 どうやら彼女もまた、新しい力を手に入れたようだった。

次回から少し番外編を挟んでから、第2章に入ります。

あともう少しで書籍も発売になります。

どうぞよろしくお願いいたします。

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