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29 毒

「なぜ……」

「それはあなたが一番良くご存知では?」

 呆然とつぶやくレイドに、聖騎士である少女はそう言うとゆっくりと歩み寄った。

「ヘマをしましたね」

 近づくとますます華奢で小さい少女だ。一見レイドが突き飛ばせば簡単に揺らいでしまいそうでいて、しかしそれは敵わないということが本能的にわかる。

 レイドでは少女には敵わない。

 今は穏やかに話しているが、もしもレイドがほんの少しでも敵愾心を起こせば彼女はレイドのことを武力を持って制圧するのだろう。

 彼女はその気になればレイドのことをあっさりと殺せてしまう。

 それがわかる。

 背中に冷たい汗をかきながら、レイドは思わず反射で武器に変えそうになった自らの守護精霊、小鳥の姿をした半身に動かないようにと目線を送った。半身だけあってレイドの緊張を察しているのだろう。守護精霊の小鳥はみじろぎひとつせずにじっと肩にとまったままだ。

 そんなレイド達の姿を見て、彼女は安心させるように微笑んだ。

「そう警戒しないでください。上の人間は何十年とこの地域を治めてきたあなたのことを評価しています。正直なところ、ほんのちょっとの不正であれば見逃されたでしょう」

 それはつまり今回の件は見逃されなかったという意味だ。

 けれどレイドはこの場から逃げ出すことはしなかった。

(とうとうこの時がきた……)

 頭の片隅ではいつもわかっていた。こんなことがいつまでも続けられるわけがない。いずれきっとバレると。

 しかし都合の良いことを信じたがる欲望が、それを見ないふりさせていた。

 意外なことに、レイドはこの後に及んで安堵していた。もっと焦ってあがくかと思えばそんなことはなく、もうこんなことは終わりにできるという気持ちの方が大きかった。

 国から遣わされた断罪人が、罪人であるレイドに尋ねる。

「聡明な貴方が、なぜ、このようなあからさまな真似を?」

「妻が、病気なんだ」

 我ながらズレた回答だと思いつつも、レイドは思いの丈をぶちまけるように話し出した。

「薬が必要だ。そのための金も。もう屋敷のものはほとんど売り払った」

「そのようで」

 ミモザが周囲を見渡す。元々書架と執務机、ちょっとした調度品を置いた棚しかない殺風景な書斎だったが、今はその本棚や棚の中身すらろくに残ってはいなかった。

 金になりそうなものはすべて売ったからだ。

 おそらく彼女が開けたのだろう。元々は隠すために置かれていた蔵書すらも売り払い、剥き出しになった隠し金庫は開かれ、彼女の手にはレイドの不正の証拠である帳簿が握られていた。

「シズク草だ」

「ええ」

 すべてを知っているといった様子で彼女は頷く。

「塔の内部に生える貴重な薬草だ」

「……大金を積んで裏取引で手に入れていたのですね」

「妻はもう手遅れなんだ」

 喰い気味に訴えつつもレイドはうつむき床を見る。ろくに手入れもされていない汚い床だ。

「医者にも見放されて、……助かる見込みが少ないから薬を回される優先順位も低い。だが、薬があれば、痛みがおさまって少し楽になる。楽になるんだ! 薬を飲んだ日には会話をすることだって……っ!」

「事情はわかっています」

 レイドの心情に同意しつつも、しかし彼女は明確に首を横に振った。

「しかし、それとこれとは別です」

「……わかっている」

 レイドの声はみっともなく震える。

「もう……、もはやなんでもいい。妻を助けられないのであれば、殺してくれて構わない」

「殺しませんよ、労力と人材の無駄です」

 彼女は呆れたようにそう告げた後、ふっと口元を許すようにほころばすと、レイドにぐいと顔を近づけ、

「僕は悪い人ですから。貴方の行為を裁く立場にはありません」

「どういう意味だ」

「貴方、僕の話に乗る気はありますか?」

 まるでとっておきの秘密を教えるようにその耳元へと囁いた。

「なにを……っ」

 レイドは思わずその吐息のかかった耳を押さえて後退る。反射で彼女のことを睨むが、彼女は余裕の表情で微笑んでいるだけだった。

 しかしその目は笑ってはいない。

 まるで冬の湖面のように冷えて冷静な瞳が、こちらを見透かすように見つめていた。

「貴方にある『仕事』をお願いしたい」

 冷徹にも聞こえるような声で朗々と、彼女は口にした。

「仕事? わたしは……」

「ここまで罪を犯しておいて『死にました、はい終わり』、だなんて都合の良いことが許されるとは思わないことです。貴方には貴方の犯した罪を背負う義務がある」

「………」

 ぐうの音も出ないとはまさにこのことだろう。レイドは背後を確認しようとして、自身が入ってきた扉がいつの間にか閉じられていることに気がついた。

 この場にいるのは彼女だけではないのだ。いや、そもそもこの屋敷にこうして堂々と足を踏み入れている時点で気がつくべきだった。

(ルークか……)

 レイドのことを物言いたげに、けれど結局は反抗も協力も選べなかった長男の顔が思い浮かぶ。

 我が息子ながら情けないことだが、こんな『ふがいない』自分の血を引いているのだからそれも致し方のない話なのだろうとレイドは力なくうなだれた。

 どちらにしろ、逃げ出せるような話ではない。今のレイドに何かを選ぶ権利などは存在しないのだ。

 妻のために領民に犠牲を強いた。

 その罪は彼女の言う通り、死んでも許されることはないだろう。

「……なにをすればいい」

 これから彼女の提案することも償いには足りないことは明白だが、それでも行わないよりはマシだろう。レイドが諦めたと察したのか、彼女はふふっ、と吐息を漏らすように笑った。

「金儲けですよ。この事業で街の人々に割りの良い仕事を与えて、ついでに儲けた資金で彼らから奪った金をなんらかの形で還元してあげてください。――もっとも、今更還元したところで一番お金が必要だった時期を通り過ぎてしまってすでに手遅れな方々も大勢いらっしゃるでしょうけれど」

「………」

「一度過ぎてしまった時間は戻りませんからね」

「……理解している。国は具体的にはわたしに何をやらせたいんだ……っ!」

 レイドが税金を上げたせいで借金をかかえて首が回らなくなってしまった者、子どもの教育に金を掛けられなかった者、その他にも犠牲はたくさんいることだろう。

 彼女の言葉はまるで毒のいばらだ。これまで見て見ぬ振りをしてきたレイドの罪を眼前につきつける。

 自業自得だとわかっていてもそれに耐えきれず、レイドは声を荒げた。しかし少女は大の大人の怒鳴り声にも顔色一つ変えず、余裕の表情を崩さないまま、

「薬草の栽培をお願いしたいのです」

 とぺろりと告げた。

「……は?」

 てっきりもっと後ろ暗い処理でもやらされるものと考えていたレイドはその言葉にぽかんと口を開けて固まる。そんな彼に彼女はおかしそうに目を細めた。

「シズク草。それを塔の内部ではなくこの土地で栽培してほしいのです」

「そんなことは……」

 あまりにも『真っ当』な事業だ。そんなものを罪人であるレイドにわざわざ振る理由が分からず戸惑う。

「貴方には薬草の種や一部研究のための品が回されることになる」

 しかし続けられた言葉にレイドはやっとその発言の意図を悟って、はっと彼女の顔を見返した。彼女はいたずらが成功した子どものようににやりと笑う。

「少しくらいちょろまかしたところでバレないでしょう」

「それは……」

 そこでレイドは気づいた。彼女はこれまでの会話で一度もレイドに『罪を償え』とは口にしていなかったことに。

 彼女はレイドに『罪を背負え』と言ったのだ。それはつまりーー

「今回のスキャンダルは国にとっても非常に都合が悪いのです。各々の領は貴族の物とはいえ、国のルールを破った貴族がいるというのは国の管理が行き届いていないことの証明ですから」

 彼女は歌でも歌うように軽やかに告げる。

「ましてやここは第一の塔に隣接した土地。貴方のことを廃して、後釜を誰にするかで揉めるのは必至です。そのような面倒事を王太子殿下は望んでおられませんし、教会としても厄介な貴族が試練の塔の隣に居座られると困るのです。つまり貴方がこの地からいなくなるのは誰にとってもメリットになりません。ですから、『今回の事件は存在しなかった』、それで片付けようということになりました」

 それは嘘だ。

 そう言いかけてレイドは口を押さえた。彼女の発言のすべてが嘘だとは言わない。しかしそれなりの観光地であるこの土地を国が有効活用しようと思えばそれなりの使い道があることだろう。わざわざ手間をかけてレイドを残しておく必要などない。

 おそらくだが、目の前の少女、ミモザが掛け合ってくれたのだ。

 それが何故なのかはわからない。しかし目の前に立つ彼女の態度が、今こうしてレイドに温情を授けていることが、なによりもその根拠であった。

「いいですか? あなたは善人ぶって、この罪が露見しないように一生人々を騙し続けなくてはなりません」

 呆然と口を押さえてたたずむレイドの前で、少女は滔々と続ける。

「ただ、これを実現するために貴方には覚悟していただかねばならないことがあります」

「それは一体……」

「これは途方もない話です」

 その口元から笑みを消すと、青い瞳がひたりとレイドのことを見る。

「シズク草やその資料などの支援は致します。しかしこの事業は基本的に貴方が主導で行うという形になります。つまり身銭を切ってもらう必要がある。そして労働力も貴方自身の手で確保してもらいたい。……そうですね、人を集めるために税金をちょろまかしたことは言わずに奥様の事情を悲劇的に説明して頭を下げて回るなんてどうでしょう? そして屋敷にある金目のものを更に全て売り払ってなんとか事業として立ち上げてください。場合によっては借金をしてもらうことになるかも知れません。もちろん、街の住人から税金を巻き上げるのは『なし』です」

 彼女の言葉が毒のようだと思った自身の感性をレイドは褒めたくなった。

 さきほどまでの彼女の言葉はまるでレイドの身を切り刻み、傷口をじくじくと膿ませるような毒だった。

「死に物狂いでこの事業を成功させ続けてください。そうでなければシズク草の供給はなくなりますし、彼らから奪った金を還元するという行為すら貴方は行うことはできない」

 今は、まるで甘美な媚薬のようにその言葉はレイドのことを酩酊させる。

 簡単なことではない。しかしそれは確かに希望の道だった。八方塞がりでうずくまっていたレイドに垂らされた救済のよすがだ。

「ありがとうございます……」

 気づけば熱い水滴がレイドの頬を濡らしていた。

「その程度で済むのなら、いくらでも」

 人を害してまで欲しかったものなのだ。

 自身が血反吐を吐いて済むのならば、そんなものは安いものだった。

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