28 正体
その少女は窓から差し込む日の光の中立っていた。
カツカツと硬質な音を立てて床が鳴る。
(遅くなってしまった……)
レイドは自身の屋敷の門を開けると足早に庭を通り過ぎた。
以前は美しかった庭も今は手入れされずに草がおおい繁り、鬱蒼としている。しかしそんなこともレイドの目には入らなかった。
妻であるローラの薬の時間が迫っているのだ。
4時間ごときっかりに鎮痛剤を飲ませる。そうしないと妻は痛みに悶え苦しみ、酷い時は自らの肌に爪を立てて自傷してしまうことすらあった。
(今日の取り引きは、手間取ってしまったな)
シズク草の取り引きだ。
いつも『彼ら』とは第1の塔の内部で落ち合う。塔の外には見張りの兵がいるものの、中に入ってしまえばノータッチだ。出入りの記録は残ってしまうものの、危険が少なくのどかな第1の塔に散策に入る人間はそう珍しくはない。『試練』目的ではない人間は入場料を取られてしまうがその程度だ。
(『彼ら』がどうやって塔の内部に入っているかは知らないが……)
正攻法ではないのだろう。なにせ悪名高き『保護研究会』の幹部である。
噂では彼らはこっそりと試練の塔に入るルートを知っているとのことだ。それは彼らがまだその悪名を轟かす前、『試練の塔』がまだ教会の管轄ではなく『精霊の住処』と呼ばれていた頃、保護研究会の代表がハナコ・タナカであり、その名の通り精霊の住処の保護と研究を人々の役に立てるために行っていた頃に確保したルートだと言われている。
先祖がハナコ・タナカと懇意であったらしいレイドでも知っているのはその噂程度でそれがどのようなルートなのかは知らない。そもそもこのような噂や以前の保護研究会がどのような存在だったのかを知っている人間すらまれだろう。レイドとて家に残る歴代の当主の記録を読まなければ知らなかった。
ふと、廊下にかけられた絵画のうちの一枚が視界にひっかかった。
それは数代前のナサニエル当主と幼いハナコ・タナカが笑顔で描かれている絵だ。
(髪の色こそは違ったが……)
今日の取引の場にいた金髪の少女。彼女はこの絵画のハナコ・タナカにそっくりだった。
長いハニーブロンドの髪を彼女は編み込みにして流していたが、おさげにすればきっとなおさらうり二つだったことだろう。
特に取引に口出しをすることなくただ黙って見ていただけだったが、あのような裏取引の場には似つかわしくない少女だった。レイドと目が合った彼女はまるで花のように笑ったのだ。
「……………」
手に持っていたトランクを握りしめる。その中には今日の成果であるシズク草が入っていた。これをすぐに鎮痛剤として使うことはできない。まずはよく乾燥させて粉末にしなくてはならない。すでに粉末状にしてあるものは書斎の棚にしまってあった。
(彼女の笑み……)
まるで元気だった頃の妻、ローラの笑顔を彷彿とさせる微笑みだった。
レイドはしばし呵責に耐えるようにその場に佇んだ後、再び足早に歩き出した。
目指すは書斎だ。
そして勢いよく開いたドアのその先で、
「こんにちは、レイド・ナサニエル」
その少女は窓から差し込む日の光の中立っていた。
ハナコと先ほど見た少女にそっくりの姿で、しかしその口元にはまったく笑みは浮かんでいなかった。
「君は……」
まるで絵画から抜け出てきたかのようなその姿に戸惑うレイドに、彼女は静かにするように、とでも言うように人差し指を一本立てて見せると、手に持っていた上着をばさりと羽織る。
「…………っ!」
レイドは息を呑んだ。
教会騎士団であることを示すその白い軍服は、
「ではここで一つ自己紹介でも」
そこで彼女はやっと意地の悪い笑みを口元に浮かべてみせた。
「僕はミモザ。この国で最強の精霊騎士である……」
冬の湖面のように深い青色の瞳が、レイドのことを覗き込むようにして見る。
「『聖騎士』ですよ」
華奢なワンピースに軍服を羽織った少女は、おどけた仕草で、そう告げた。





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