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22 ナサニエル兄弟

 ばたん、と扉の閉まる音がやけに大きく響いた。あれからルークとフィリップは真っ直ぐに屋敷へと帰ってきていた。がらんとしたエントランスはどこか空虚で寒々しい。この屋敷は一体いつからこんなに広くなってしまったのだろうとルークは若草色の瞳を伏せた。しかしすぐに気を取り直すと

「フィリップ」

 背後に黙ってついてきていた弟の名前を呼ぶ。そしてゆっくりと振り返ると弟はその小さな体を更に縮こまらせるように立っていた。

 その目は避けるようにそらされて合うことはない。

「なぜ、あんなことをした?」

 その態度にため息をつきたくなるのをなんとか堪えてルークは尋ねた。しかし弟は黙って立ち尽くすだけで身じろぎ一つしない。

「フィリップ!」

 強く名前を呼ぶとそこでやっとフィリップは体をびくりと揺らすという反応を示した。しかしうろうろと彷徨った視線は結局ルークに向かうことなく床へと落ちた。

 ルークは今度は堪えきれずにため息をついた。

「どうして答えないんだ」

 弟はいつもそうだ。肝心な場面で黙り込む。ふと、ルークは弟の笑った顔を見たのはいつが最後だっただろうかと思った。

 あれは確か遠い昔に思えるような春だ。春のバラが美しい時期に、母と一緒にバラ園へと行った。

 父は仕事で忙しく不在だったが、親子三人でのんびりと歩いた。フィリップは母と手を繋いでその目を輝かせて楽しそうにしていたものだ。

「母上に、顔向けできるのか……?」

 気づけばルークはそう呟いていた。その言葉にフィリップは弾かれたように顔を上げる。その仕草は火傷をした人間が飛び退くのに似て、上げられた顔は痛みに歪んでいた。

 若草色の瞳に、みるみるうちに涙が溜まる。

「だって……っ!」

「何をしている」

 突如響いた声に二人は動きを止めた。フィリップの上げた悲痛な声は続きを伝えることなくそのカツカツと近づいてくる足音にかき消される。

 黒に近い緑色の髪に切れ長な緑の瞳、眉間に深い溝を刻んだその長身の男は、名をレイド・ナサニエルと言う。

 二人の父親である。

 彼は二人の前で足を止めた。その見下ろすような視線の冷たさにルークはたじろぐのをぐっと堪えた。

「申し訳ありません、父上。フィリップが同じ年頃の子から物を取り上げようとしてしまったようで……」

「兄上……っ!」

 フィリップが焦ったように声を上げる。しかしすぐに父の視線に気づいて口を閉ざした。

 そのままバツが悪そうにうつむく。

「…………そうか」

 レイドはそんな息子の様子を無表情に見下ろすとそれだけをつぶやいた。そしてそのまま興味を失ったように目線を逸らして二人の間を通り過ぎる。

「………っ、父上!」

 思わずその背中に声を上げるルークに、その足は一度立ち止まった。しかし振り返ることはしない。

「フィリップ、お前は次男だ。この家を継ぐことはないとはいえ、誇り高きナサニエルの血を継いでいることをもう少し自覚して振る舞いなさい」

 それだけを淡々と告げると、レイドは再びカツカツと足音を鳴らして今度こそ立ち去ってしまった。

 その無関心な態度にルークは力無く目を伏せる。

 父は変わってしまった。昔はこうではなかった。確かに気難しく厳格な人ではあったが、もう少し目と目を合わせて話してくれる人だったというのに。

「………っ!」

「フィリップっ!?」

 視界の隅で弟の小さな拳が強く握りしめられるのが見えたと思った瞬間、フィリップは物も言わず駆け出して行ってしまった。その姿が階段を駆け上りあっという間に見えなくなり、おそらくは自室の扉が音を立てて閉じる音が響いてもルークはその場から動くことができなかった。

(一体いつから……)

 この家はこんなにも重苦しく、陰鬱な場所になってしまったのだろう。

 答えは明白だ。母が病に倒れた、その日からこの家は一変してしまったのだ。

「どうしたら……」

 あの頃に戻れるのだろう。

 ふと、ルークの若草色の瞳に窓から差し込む月明かりが映った。その金色のきらめきがバラ園で出会った少女の髪のきらめきと重なる。

『ミステリアスでしょう?』

 そうすました顔でうそぶく彼女の顔を思い出す。気づけばルークの足はふらふらとその月明かりに導かれるように扉の方へと歩き出していた。

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