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小さくて可愛い文芸部の知的な先輩を、膝の上に乗せたら毎日座ってくるようになった  作者: ゆめいげつ
第一章 椅子から恋人

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第66話 先輩の、帰り道

 どれだけ良い夢でもいつかは覚めるものだと、押し寄せる現実がそう言っていた。

 あれだけ熱を帯びていた思考は、バスを降りた瞬間一気に流され消し飛んでいく。

 

 ――どしゃぶりの雨、リターンズ。


「この雨の中を傘無しで帰ろうとしてたんですか?」

「だ、だって……」


 小さな折り畳み傘の中に、俺と柚子先輩が二人。

 なるべく身を小さくして、傘を低くして、これでもかとくっついて、歩いている。

 さっきまでの時間良かったとか、柚子先輩の手は柔らかかったなとか、バスの運転手さん気づいてないよなとか、そんな余計な思考は生き残るにはいらない、捨てた。

 

 この雨の中、柚子先輩を無事に家へ送り届けることだけを考えるんだ。


「……翔くんに、迷惑かけたくないし」


 可愛い。

 はい可愛い。

 こんな時でも柚子先輩は可愛い。

 前を見ることに必死でその顔を見れないのがとても残念だ。


「迷惑だなんて思ってませんよ」


 えっちら、おっちら。

 どしゃぶりで見えにくい帰り道を、歩幅をそろえて外灯頼りに歩いていく。


「俺、もっと柚子先輩の力になりたいんで」


 なんの変哲も無い住宅街もこんな大雨だと途端にゲームのダンジョンみたいな難易度に跳ね上がっていた。

 夜、大雨、知らない土地。

 柚子先輩がいなければ同じ街でもきっとここには来なかったんだろうな。


「むしろもっとかけてくださいよ」


 柚子先輩のおかげで、俺の世界は広がった。

 一つしか知らなくて、それが閉ざされて、塞ぎこんでいた俺に柚子先輩は新しい世界を教えてくれる。


「迷惑でも、なんでも」


 こんな大雨の時に、いやこんな大雨だから言えたのかもしれない。

 普段と違う非日常、大雨の夜、来週まで会えないと思っていた柚子先輩と一緒に歩く金曜日の帰り道。

 浮かれているのは、間違いなくて。

 それ以上に、嬉しくて、楽しくて。


「か、翔くん……」


 だから。


「なんですか?」


 そう、だから。


「ぼ、ボクの家……通り過ぎてるよ?」


 こういうミスもする。


「……すみませんでした!」


 グルリと向きを変えて方向転換。

 恥ずかしい、めちゃくちゃ恥ずかしい。

 一人でそれっぽいこと語っておいて家を見逃していたとかなにしてんだ俺。

 穴があったら入りたい。近くにある穴は水が溢れてゴポゴポいってる側溝ぐらい。

 普通に死ぬやつだ。


「翔くんも抜けてるところあるんだね」

「……俺をなんだと思ってるんですか」


 ちょっと今、柚子先輩の顔見れない。

 普通に、普通の、真っ当な恥ずかしさ。


「ぼ、ボクの……」

「えっ?」


 流石の俺でも意識外の呟きまでは聞き取れなかった。


「え、あ……ぼ、ボクの家そこ!」


 と、慌てた感じに指を差した柚子先輩。

 その先、どしゃぶりを超えてあったのは普通の、二階建てのどこにでもある一軒家だ。

 普通の家でも、柚子先輩の家ってだけで特別な感じがする。

 おお、表札に『湊』って書いてある……!


「……翔くん?」

「す、すみません!」


 表札に見惚れていた俺は足が止まっていることに気づかなかった。

 小さな門、門で良いのかな……門でいいや。

 人が二人ぐらい通れそうな門を開けると、また人が二人ぐらい通れそうな階段が右に伸びている。

 それを十段ぐらい上がると今度は左へ直角に曲がり、また十段ぐらいあがった先は柚子先輩の家の……玄関だ。

 階段の下は多分、車庫だろう友達の家がそんな感じだったし。

 うん、普通って言ったけど、普通に良い家。


「……到着です」

「……うん。ありがとね翔くん」

「いえいえ。いつでも送りますから言ってください!」

「い、いつでも?」


 あ、ヤバっ、つい本心が出てしまった。

 違うんです柚子先輩、これは言葉のあやみたいなもので……。


「じゃ、じゃあ、またお願い……」

「…………良いんですか!? いえ、任せてください!」

「う、うん……ありがと」


 良いって!

 ちゃんと道、覚えておこう。


「そ、それじゃあね……」

「は、はい。また……」


 そして別れ。

 ミッションコンプリート。

 達成感がある筈なのに、何故か寂しい。

 いやいや甘えるな俺。

 次に会えるのが来週だからって、流石にこれ以上一緒にはいられない。

 バスの時間もあるだろうし、この雨だ。さっさと帰らないと。

 

 なんて女々しいことを考えながら階段を降りていく。

 門を開け、住宅街の道を歩き出した時だった。


「……翔くん!」


 どしゃぶりの中から、俺を呼ぶ声がした。

 道を横切って水たまりを避け、反対側から見上げてみると、雨の向こうで柚子先輩が手を振ってくれていた。


「本当に、本当にありがとう! ……う、嬉しかったよ!」


 確かに、はっきりと、聞こえたんだ。

 それだけで、胸の中が満たされていく気がして。


「お、俺の方こそ! ありがとうございました!」


 なんて、俺も嬉しくなって手を振っていたから。


「気をつけて――」


 だから、気づかなかった。


 ――ビシャァッ!!


「え?」

「か、翔くん……!?」


 思考は冷たさで停止して。

 向こうから柚子先輩の声がして。

 車が前を横切っていったのが見えて。

 水たまりの水が撥ねて俺に飛んできて。


「…………マジで?」


 俺の体は、ずぶ濡れになった。

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