第122話 先輩の、どーめー
私服になってお洒落にお化粧までした柚子先輩が可愛くて可愛すぎる。
俺はこの可愛さを世界に発信するべきなんじゃないだろうか。柚子先輩の可愛さに世界が、いや宇宙が気づくべきだと思う。
でもこの可愛さを独り占めしたいと思うわけで。
「……やっぱり、抱きしめても良いですか?」
「だ、駄目っ!」
やっぱり駄目だったけど、両手で大きく×マークを作る柚子先輩が可愛い。
お化粧してても顔が真っ赤になって今日も喜怒哀楽がハッキリしているのが、柚子先輩のいいところだ。
「もう、翔くんは本当に、もう、もう……」
満更でも無さそうな柚子先輩が指をいじいじ。
もう全ての動作が可愛い、いるだけで可愛い、可愛いの擬人化だ。
「すみません、本当に本当に可愛くて……」
「か、翔くんも、その……カッコいい……よ?」
「ゆ、柚子先輩っ!」
「わわぁっー!?」
結局嬉しくなって抱きしめてしまったけど、これは俺じゃなくて柚子先輩が悪いと思う。
背の低い柚子先輩は華奢で小さくて柔らかい。それにいい匂いがする。香水だろうか、なんていうかいつも膝の上に乗ってる時とは違う匂いだ。
「か、かかか翔くぅん……」
「あ、すみません! つい……」
「もぉ……」
俺の胸の中で柚子先輩がプルプルと震えだしたので離れると、横にあった木製の椅子にペタンと座ってしまった。
それを見下ろす形になっているので、耳まで真っ赤なのが一目でわかる。
本人に言ったら怒りそうだけど、子供みたいに頬を膨らませていてすごく可愛い。
「でも早いですね? まだ約束の時間まで結構ありますよ?」
という訳で話題を変えることにした。
ちょうど近くに小さな時計塔があるので時間を見ても、まだ待ち合わせまで三十分以上ある。
俺も人のこと言えないけど、家が近い柚子先輩はもっとゆっくりでもいいのに。
「だって、ボクもはやく翔くんに会いたかったし……」
「……柚子せんぱ」
「も、もう駄目だからねっ!?」
「……すみません」
嬉しくなってまた抱きしめようとしたけど先手を打たれてしまった。
かしこい。
流石学年一の成績を誇る柚子先輩だ。
「ま、まったく……翔くんはぼ、ボクに夢中なんだから……えへ、えへへへ……」
俺の恋人が世界一可愛い。
さらにお洒落な私服夏モードで可愛さ無限大だ。
「ど、どうします? そ、そろそろ、行きます?」
柚子先輩が可愛すぎて可愛いと褒め称える以外の選択肢が無くなってしまった。
こういう時、いつも柚子先輩となんの話をしてたっけ?
なんか急に緊張してきたな。
「え? あ、う、うん……ち、ちょっと早いけど、そそそ、そうだね……」
そんな俺の緊張が伝わったのか柚子先輩もモジモジしてしまった。
デートが始まる前からこれで大丈夫かって、一瞬だけ不安になる。
『あっ、こらユズちゃんっ!!』
でもそれは、遠くから聞こえてきた知らない女性の声によって掻き消された。
「えっ?」
「えっ?」
俺と柚子先輩は同時に声を方向を振り向く。だって柚子先輩の名前を呼んでたし。
知り合いかなって思って見ても、小走りで近づいてきたのは日傘を差した知らないおばさんだ。
そしてそんなおばさんよりも早くすごい勢いでリードのついた小犬が全力ダッシュで俺たちに走ってきていた。
『ワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンッ!』
「お、おぉ……?」
「わ、ワンちゃんだ……!」
俺たちの元にやってきたのは茶色い毛並みのミニチュアダックスフンド。
椅子に座る俺たちの間を悩むようにクルクルと高速で回転したあとに俺の方に近づいてきて足からよじ登ろうとしてくる。
それを見て柚子先輩は瞳をキラキラと輝かせていてすごく可愛い。
『ハッハッハッハッハッハッハッハッ!』
「おぉ、おおお、よしよし元気だな、元気すぎるなお前」
「……いいなぁ」
そのダックスフンドを落ち着かせようとするけど元気いっぱいだった。
手を伸ばすとその手を舐めてくる、めっちゃ舐めてくる、すごい勢いで舐めてきてくる。
それを柚子先輩が羨ましそうに見ていた。
「ハァ……ハァ……ごめんなさいね、こ、この子ったら、ポールにリードをつけようと、したら、ハァ……ハァ……か、勝手に……」
「大丈夫ですよ。ていうか、大丈夫ですか?」
おそらく飼い主であろうおばさんが息を切らしながら頭を下げてきた。
俺や柚子先輩はなんともないけど、おばさんの方がなんていうかヤバそうだ。
その間もダックスフンドは俺の手をベロベロと舐めまくっている。
「へ、平気よ本当、に……フゥ……ごめんないね。もうユズちゃん駄目でしょ!!」
「えっ!?」
「ゆず、ちゃん……?」
おばさんが俺の手を舐めているダックスフンドに怒った。
でも俺たちが驚いたのはその声の大きさじゃなくて。
「あ、急にごめんね? この子の名前、ユズちゃんって言うの」
『クゥン……』
怒られたダックスフンドのユズちゃんがシュンとして俺の手を舐めている。
「ゆ、ユズちゃんって言うんですか……可愛い名前ですね」
「か、翔くんっ!?」
「そうでしょそうでしょ? 世界一可愛い子なのよ!」
『ワンワンッ!』
愛犬を褒められて上機嫌になったおばさんと、おばさんが上機嫌になったのを察してまたベロベロと俺の手を舐めるユズちゃん。
「それにしてもユズちゃん、そんなにお兄さんの手をベロベロと舐めて……すごくお兄さんのことが好きみたい」
「あはは、可愛いんで大丈夫ですよ」
「こーらユズちゃん。お兄さんが好きなのはわかったけど、そんなにペロペロしてお兄さんとお姉さんを邪魔しちゃ駄目でしょ? わかった? んー、良い子ねぇユズちゃんはぁ……」
『ハッハッハッ!』
俺の手を舐めまくるユズちゃんをおばさんが抱きかかえる。
おばさんの腕の中でユズちゃんは元気良く暴れていた。
「本当にごめんなさいね? あ、お詫びにもならないと思うんだけどこのウェットティッシュあげるわね。そこにトイレもあるから手洗いの後にでも使ってね?」
「あ、ご丁寧にありがとうございます」
「じゃあごめんね? もうユズちゃん駄目じゃないの……そんなにお兄さんのことが好きだったの? んー? ねえユズちゃん……」
新品のウェットティッシュを俺にくれたおばさんが、抱きかかえたユズちゃんに話しかけながら去っていく。
「いやあ、驚きました、ね……」
「…………ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
視線を隣に向けると、柚子ちゃ……柚子先輩がさっきよりも真っ赤になって爆発しそうなぐらい顔を膨らませながら涙目で俺を睨んでいた。
「す、すみません! 違うんです! 俺じゃなくてユズちゃんが!!」
「ぅぅぅぅぅ! ぅぅうぅぅうううううううっ!!」
ポカポカポカッ!
両手を使って俺の胸元を柚子先輩が何度も何度も叩いてくる。
全然痛くないけど、その代わりに罪悪感がとんでもなかった。
あの可愛いダックスフンドの名前が違っていたら、おばさんがユズちゃんって連呼しなければ、こんなことにはならなかったのに。
そう思いながら俺は柚子先輩の気が済むまで可愛いポカポカを受け入れていた。