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作者: shiro


「母さん……うん、うん。大丈夫だから。もう切る」

くしゃ、と最後のタバコを押し付けて、電話を切った。


「……何やってんだろ」


ベランダから見上げる、いつもと変わらない夜空。吐ききった息は白く昇って、すぅ、と吸い込まれていく。

毎日変わらないこの空のように、明日も変わらずやってくるだろう朝が脳裏を過って即座に打ち消した時――足元に小さな塊が見えた。


「……?」


拾い上げてみると、それは石のようだった。ただ、石にしては不自然に丸い。磨かれたようにツルッとした球体で、自分の掌くらいの大きさがあるのにどうも軽く思えた。石の重さなんて、あんまり記憶にはなかったが。


「……さすがに危ないか」


投げ捨てようと振り上げた腕を下ろす。明日出勤する時、近所の河原に捨ててこよう。適当に玄関に放って、床についた。













「……はい。はい、では明日、伺いますので。いえとんでもないですよ、こちらこそとても楽しみです!」

最大限の明るい声を飛ばして受話器を置く。

くそ、覚えてろよ。そっちのせいで二度手間じゃないか……胸の内で悪態をつきながら。


今日は結局残業だ。そういえば朝は寝坊したし、この取引先のせいで昼休憩も返上したようなもんだし、あの石ころも捨てるの忘れたし……もう今日はビールを買って帰ろう。発泡酒じゃなくて。




そう決意してから約1時間後。

俺は大事な缶ビールたちを思いきり放り出して後ずさっていた。


「、!?……!??」



驚きすぎて声も出ない。

ぱち、と電気をつけた我が家の玄関には――


小さな、何か、がいた。



「……?」

「……、」







丸い目でこちらを見つめている、それ。

お互い一歩も動かないまま見つめ合う。


……1、2、3。


「だれ……?」


それ、が、静かに呟いた。

喋った!?いやここ俺の家だし。俺の家だよな?混乱しながらも返事を考えるあたりは冷静なのかパニックなのか。


「……ここの家主…だけど……お前が誰……」


そう問うと、その小さな生き物は不思議そうに自分の両手を見つめてから、そっと首を傾げた。


「……わかんない」


わかんないってなんだ。こっちが聞いてるのに。

それ、はおよそ10cmほどの小さな人間で、とりあえず一番良く知っている人間、つまり自分と違うのは――カゲロウのような、透けた羽が生えていた。











我ながら人間の適応力というのはすごいものだな、と思う。

その後俺は酒が入ったせいもあってか、すんなりとその生物と話し込み、打ち解け、そいつが行く先を決めるまで家に置いてやる約束をしていた。


「そっか、お前あの石から出てきたのか」

「うん」

「何も食べなくていいのか?」

「うん、ごはんはいらない気がする」

「水は?」

「お水は飲みたい気がする」

「気がする、って。はは。水道、適当に使っていいからな」

「うん!ありがとう」


なんやかんやと話しながら笑いながら、どんどん夜が更けていく。

こんなに気兼ねなく会話をしたのはいつぶりだろうか。

別にこいつがどこの誰だっていいや。結局夢、かもしれないし。そんなことを考えながら、すっかり気を抜いていられる自分に気がつく。


「……ふわぁ」

「眠いのか?そういや、もうこんな時間だしな」


クローゼットに眠っていたタオルハンカチをいくつか空き箱に詰めて、リビングにおいてやった。


「よし。ここ、お前の巣な」

「巣」

「おう。お前の部屋みたいな感じ。好きに使え」

「いいの!?ありがとう!」


ものすごく嬉しそうにタオルに潜り込んでいく様子を見て、思わず笑った。

「よく眠れよー。おやすみ」








それからしばらく、不思議な共同生活が続いた。

昼行性でも夜行性でもないらしいそいつは、朝起きていて俺を見送る時もあれば、夜中まで起きて延々と空を見上げている時もあって、ただ静かに生命活動を続けているようだった。


「今日はお月様がいるね」


星や月が好きらしく、日々冷え込みが強くなるこの季節でも、そいつは寒がりもせずにベランダにいる時がある。


「うー、ビールが寒い季節になってきた」

「寒いの?」

「寒いよ……ホント結局お前、なんなんだろな」

「うーん?わかんない……わかんないけど、きっといつか、仲間に会うと思う。そんな気がするんだ」

そうしてそれは夜空を見上げて笑った。思いを馳せる笑顔は希望に満ちていて、小さな目には星が映って余計にキラキラして見えた。

「そっか。早く会えるといいな」


こいつの未来と、いつか終わる共同生活。

少しだけ、自分が何かの狭間にいるような感覚がした。






「……ねぇ、」


初めてそいつから「外に出たい」と打診をされたのは、それから数日後のことだった。


「急にどうした?出る必要ないだろ」

「なんか……出たい気がする……」

「……」

「……」

「……ダメ」

「どうして?」

「危ないと思う。お前弱そうだし、喰われそう。そしたら仲間なんか会えなくなるぞ」

「そっか……」



理解したかと思いきや、そいつの諦めの悪さも中々のもので、それから毎日のように俺は「外に出たい」攻撃を受ける羽目になる。



「ねぇ、今日も、かいしゃって所に行くんでしょ」

「おう」

「連れてって」

「え、無理」

「どうして?」

「忙しいからお前の面倒見てる暇ねーもん。大体朝の電車でお前潰れるよ」

「でんしゃ」

「混んでるの。ギュウギュウなの。潰されながら俺らは電車に運んでもらうの。会社まで」

「でも、行きたい」

「ダメだって。死にたいの?俺、外でまで守ってやれねぇよ。死にたいならどうぞ」

「死にたくない……」

「だろ」


仕方がないから、不安そうになったそいつの頭をそっと撫でてやった。


「家、つまんなくてごめんな」

「ううん、ううん、つまんなくない、ごめんじゃない、ごめんじゃないよ」


一生懸命首を振る小さな頭をもう一度撫でて、笑いかけた。


「お前は優しいな。今度、何かおみやげ買ってきてやるから待っててな」






そんなふうに初めは宥めていた俺も、少しずつその諦めの悪さにイライラが増してきていた。


「ねぇ、お散歩っていうの、したい」


そんなものどこで覚えたんだ。全く手を変え品を変え……テレビを教えるのはやめた方が良かったか、などと考えながら、即座にどう断ろうか頭を働かせた。


「外はダメだよ」

「でも、一緒なら」

「わかんねーじゃん。俺、守れるとは限んないってば」

「でも、お月様も見たいし」

「こっから見えるだろ」

「そうだけど……」

「しかも散歩ったってどこにだよ。月なら今だって見えるのに」

「どこ……わかんないけど…」

「じゃ言うなよ」

「……」

「何?不満なの?この家」

「ううん、ううん、違うよ、」

「ならいーだろ」

「うん……」




そして、ついに。




「外は危ないんだって言っただろ!」


俺が帰ってきた瞬間、ちょっとだけ、と呟いて脇をすり抜けて玄関から出ようとしたそれ。

反射的に出した俺の足にぶつかって、ぺしゃりと尻もちをついた。


「何してんの?外行くわけ?こんだけでダメージ受けてるのに?」

「ごめんなさい、ちょっとだけ、その、」

「いいよ。死にたいなら、ここが不満なら、さっさと出ていけ」

「ちがう、違うよ、ごめんなさい、違うから」

「何が違うんだ?死ぬかもしれないってのに、俺の言うことより、お前は外への興味が大事ってことだ。そうだろ」

「……」

「ほらみろ。やっぱりな。そういうことだろ」

「ううん、ごめんなさい、ううん」





それきり、それが外に出たいと言うことはなくなった。いつもベランダの窓から空を眺めるだけになった。窓を開けなくなったから、いつの間にか俺のタバコの量はかなり減っていた。


「今日はまんまるのお月様がいる」

「そうだな」

「昨日よりよく見えるね」

「晴れてるからな」

「お月様、すき?」

「どうだろ。考えたことねぇわ」

「…………ねぇ、あそぼ」

「んー?何して?」

「わかんない」

「なんだよ…俺明日も会社だよ……早く寝たいよ」

「あそぼう」

「何度言わせんだよ」

「あそびたい」

「わかったよ。じゃあ明日、な。明日ならいいから」



そうして迎えた次の日の朝。

俺は思い切り寝坊して、ギリギリ遅刻せずに着いた会社のデスクで既に疲れていた。


……やべ。玄関の鍵閉めたっけ?急いでたから覚えてない。まぁいいか。


その日も相変わらず録画再生みたいな日々で、笑顔を貼り付けて挨拶をし、テンションを上げて電話をかけ、無表情で残業をした。クタクタになって乗り込んだ帰りの電車で、タッチの差で席を取られた時、いよいよ心の中で舌打ちをしながら今日はシャワーも浴びずに即寝てやる、と心に決めた。

そんな帰り道。


……あ。


家の玄関前に立ってようやく思い出した。結局鍵はどうだったんだ。

そう考えながらそっとドアノブを回すと、静かな音を立てて扉が開いた。ちくしょう、やっぱりか。

空き巣とか入られてねぇよな、てかあれは無事か?


「おーい、帰ったぞー」


暗い部屋からは、なんの応答もなかった。


「おーい……?」


慎重に電気をつける。

何の変哲もない、自分の家のリビング。静かで、いつもと変わらない見慣れた風景。

ただひとつを除いては。


「……どういうことだ」


ここしばらくの生活ですっかり見慣れていた、それの「巣」がなかった。

跡形もなく消えていた。

なんとなく捨てられずに巣の側に置いていた、卵のように割れた石の欠片も。

そしてもちろん、“それ”も。


カレンダーの日付は変わらない。時計も間違いなく今日という日、あるべき時刻。それでもまるで全てが巻き戻ったように、“それ”にまつわるものだけが全て巻き戻ったように、痕跡が完全に消えていた。


「おい、」




どれだけ探してみても、ずっと締め切っていた窓を開けてみても、また、変わらない夜空が黙ってそこにあるだけだった。


























それ、の性別は●ューピーちゃん的な。


自分を大切にしてねっていう話です。

カゲロウじゃないですよ。主人公に。

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