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『買い物、ですか?』
「そう! 時間もありそうだし、シルフィンさんもクイグさんも服ボロボロだし……それにね、本意じゃないのは充分わかってるけど、シルフィンさんせっかくこの国に来たんだから、ちょっとくらい見て回ってもいいと思うの」
「どのみち船に乗るには乗船券と一緒に身分証明書も提示させられる事が多いそうですし、手続きなども進めておいた方が安心ですしね。やはり冒険者になるのが最も確実でしょうが、必要であれば私が薬師見習いとして後見人になりますからご安心ください」
おっとりとしたコーラルの言葉にアンジュとカイルが固まった。
話が飲み込めていないシルフィーリアとクイグの前で、二人は顔を見合わせる。
「え、船って身分開示要求されるの?」
「私それ知らない。そもそも転移門の使用許可しか調べてなかったし」
「乗船券買うのに身分証明が必要なのは知ってたけど、乗るのもいるの?」
「し、調べてみよう」
あわあわとする二人にコーラルはくすりと微笑む。
「二人でも知らない事はあるものですね」
「そりゃそうでしょ。まいったな、船に乗るのにそれがいるなんて知らなかったよ」
「私も患者さんからお聞きしたものでしたから。なんでも、この国は貿易が盛んな分船の出入りは厳重だとか。シルフィンさんの故郷に帰る船が客船ならばそこまで神経質ではないかもしれませんが、商船に乗せていただくとなるとおそらく必須になると思います」
「ああ……なるほど。そうだね、その可能性は考えてなかった」
納得した様子のカイルは、その後しょんぼりした顔になった。
「ごめんね、クイグさん」
「あ?」
「僕、クイグさんは自由なんだよって偉そうに言ったのに、身分証明必要になっちゃいそう。選択の幅、狭くなっちゃう」
本気でへこんだ様子のカイルに、クイグは大丈夫だと言おうとして少し考える。
真剣に考えてくれていたのはわかっている。簡単な慰めの言葉ではきっと気を遣わせたと思われるだろう、大人びすぎている性格ゆえに聡すぎるのだ。
だから、ちゃんと考えて答えなければ。そう考えてみた結果。
「……いや、むしろ冒険者になれたら幅が広がるんじゃないか?」
「え?」
「ちゃんと考えたが、そもそも俺は身分を持ってない。何しろ名無しだしな」
「え、クイグって名前なんじゃ」
「いや? これは構成員の呼び名でしかない。十人の精鋭に選ばれると空いている番号で呼ばれるだけだ。俺がいなくなったら他の誰かがまたクイグになる」
「……名前、ないの? あなたはあなたとして、見てもらえていなかったの?」
溢れんばかりの涙を湛えたアンジュがクイグの手を握った。伝わる微かな震えに。自分の言葉がどれだけアンジュへ衝撃を与えたのか思い知らされ、クイグは眉を下げる。
これまで自分が代えのきく存在である事に疑問はなかったが、こうして気遣われる事なのだと知らされるとこれまでの自分の世界がいかに狭かったのかを自覚せざるを得ない。
――こんな風に、泣かせたい訳じゃない。
「これまではそうだったかもしれないが、あんたらは違うんだろ?」
二ッと口の端を持ち上げれば、アンジュの目が大きくなる。その拍子に零れた涙が繋がれた手に降り注ぐ。温かな雫はただ皮膚を濡らすだけではなく、じわりと心にも沁みるようだ。
「俺は俺だ。そう気づかせてくれたのは姫さんで、生かしてくれたのは薬師で、実感させてくれたのがあんたら二人だ……ありがとな」
ポンっとかるくアンジュの頭に手をのせると、アンジュの顔が耳まで赤く染まる。
「……だ」
「ん?」
「たらしだー!」
突然わっと叫んだかと思うとアンジュはカイルに抱き着いた。
ぽかんとするクイグの前で、ぐりぐりとカイルの肩口に額を擦りつけながらアンジュは呻くように声をあげる。
「カイルー! この人たらしだー! 人たらしー!」
「あ、アンジュもそう思う? 女性にめちゃくちゃ好意持たれそうだよね」
「女性だけじゃない、あれはカイルもたらされるよ!」
「あっは、ごめん正直ちょっと思ってる」
アンジュの背をぽんぽんと軽く宥めながらカイルは苦笑した。
「いやもう、クイグさんの事知るほどにここで雇いたくなっちゃって」
「カイル、珍しいね?」
「だよねー、でも戦闘能力そこそこありそうだし、来客応対できそうだし、この話したら料理以外は出来るみたいな言葉返ってきちゃうし、欲しいなって」
「え、それほんとに欲しい人じゃん」
スンっと真顔になったアンジュに対し、カイルも真顔でだよねと返す。
そんな二人にどう反応したらいいのかわからないクイグを見ながら、シルフィーリアは少し寂しそうに微笑む。それに気づいたコーラルは、そっとシルフィーリアに話しかけた。
「どうしました? シルフィンさんもここで働きたいのですか?」
『あ、いえ、ただ純粋に……誰かに必要とされるのが、羨ましいなと。村に戻ってもまだまだ未熟者ですから、クイグさんのように望まれている訳ではなくて。家族ももう、おりませんから』
「ふむ……」
しょんぼりと俯くシルフィーリアに対し、コーラルは少し考え込み、口を開いた。
「もし本当に帰る必要がないのであれば、私の弟子になりますか?」
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