5.黒猫との対話
話が長くなってしまった。
ついに卒業式の前日。最後の登校日。あの校舎で授業を受けたり、友達としゃべったりするのは、今日で最後。何だか寂しいな、あの校舎結構気に入っていたのに。
窓から見える景色はいつもと少し違う。銀の月が山の端の方で輝いている。まだ朝日がのぼっていない朝だ。
なぜこんなに早起きなのかというと、猫が心配だったからだ。昨日はナーミンに猫を預けたまま様子も見れずに寝てしまった。明日卒業式なのに、怪我が治っていないどころか意識も戻っていなかったら元も子もない。もう一度猫さがしをしなくてはならない羽目になる。
制服姿のまま顔を洗って髪を整えて走って寝室を出る。左右にのびる廊下の右の突き当たりに赤い円柱型であたしの身長の二倍はあるチューブがあった。
これは、<階移動>という魔法道具で、中に入って行きたい階を叫ぶと三秒で連れて行ってくれる便利な物。普通の民家では階段でのぼりおりするが、城やショッピングモールなど縦に長い建物だと<階移動>が必要になる。ただ、移動はいたって上下に動くだけなので、広い敷地では<転移>を使うといいが・・・・・・。
<転移>は<階移動>と比べて道具自体は小さい石で、移動範囲が広い。極めて珍しい石なので値段も高く、滅多なことでは使えない物。十キロメートル以内なら一瞬で移動可能だ。あたしも緊急用に一つ持たされているだけで、人生で二度くらいしか使ったことはない。
・・・・・・というような欠点があるのだ。それに魔法道具は魔力の弱い者が使用するのであって、<転移>は移動魔法の代わりだ。その代わり、移動魔法は移動できる距離も狭く、体力や魔力を大幅に消耗してしまう。
「一階!一階へ、はやくっ!」
そんなに連呼しなくても移動する時間は三秒と決まっているので、実際には意味がない。<階移動>は急かされて腹を立てたかのように、ウィーンと唸った後、ぴったり三秒で一階へついた。
猫が安置されている部屋は、北部屋の一階。階段の下の小部屋だ。
赤いチューブから抜け出すとダッシュで部屋へ向かう。
勢いよくドアを開けると、中にはナーミンが正座をして黒い毛玉のような黒猫と遊んでいた。
「おはよう、ナーミン!」
「お、おはようございますセイナ様。随分早起きをなされたのですね。」
「とにかく猫が心配で・・・・・・。」
爪とぎ用の木につまずきながら駆け寄って黒猫を覗き見る。
「あ、歩き回っているじゃん!大丈夫なの!?」
「ええ。驚異の回復力ですね。」
ナーミンは冷静に淡々と述べるが、あたしは驚いてしばらく声が出せなかった。
昨日の大怪我はなかったかのように綺麗さっぱり傷跡がなくなっていた。完全に傷がふさがるのは、いくらなんでも最低で五日後だろうと予想していたのに。傷口はふさがっても痛々しい傷跡は残ってしまうだろうと予想していたのに。
ライトはこの猫は回復力がはやいと言っていた。それはあたしも認めるが、予想をはるかに上回る結果にただただ感心するしかない。
脇腹の傷の方はなくなっているどころか、黒い毛が生えている。衰弱しきって虫の息だった彼女は、たったの半日で歩けるまで回復してしまったのだ。
「ど、どうして・・・・・・。」
「医者がおっしゃっていましたよ。昨日はなかなか意識が戻らず一時は危篤状態だったそうで。ですが、驚異の回復力と医者の技術のお陰でここまで、持ちなおしたようです。失った血は戻りませんでしたがね。いやあ、医者の扱う魔法道具と、この子の回復力は見事ですね。」
危篤状態から持ちなおす。まさに奇跡だ。
「医者の技術と魔法道具に感謝だね。」
「わたくし達が使う普通の<治癒>とは格が違いますもの。医者だけが手にできるのですよ。」
医者だけが扱える魔法道具、<即効治癒>。高度な技術と専門知識が必要なため、一般人は使用禁止であった。
あたし達が使うことの許されているのはただの<治癒>である。
「この子が魔法を使ったのかもですね!」
にこにこと笑顔で冗談を放つナーミンはとても、いつもの彼女には見えない。
「珍しいね、ナーミンが冗談言うなんて。」
「そうですか?この子のお陰ですよ。動物には人を癒したり笑顔にさせたりしてくれる効果があるじゃないですか!わたくしも何だかワクワクした気持ちで。ほら、わたくしにはパートナーの猫など飼える家ではありませんでしたから。」
「そうだね~。」
「セイナ様のパートナーになれるなんて、この子も光栄ですね・・・・・・。っと、もう名前は決められたのですか?」
「名前?」
全然考えてなかった。怪我の状態の方が心配で名前なんて、頭になかったから。
「ええ?まだ決めてないのですか?では、決まりましたらわたくしに報告していただけますか?」
「もちろん。」
「ありがとうございます!部屋の掃除は先ほどいたしましたから、登校するまで猫との時間をお楽しみくださいね。」
「はーい。掃除、ありがとう!」
すっかりナーミンになついている黒猫は、まるで黒い毛玉のように彼女に体当たりしては転がっている。彼女が部屋を出ていってしまうと、しばらくドアを眺めていたがふいにこちらを振り返り小走りで近寄ってきて、「ニャーオ。」と鳴いた。
かわいい!あまりのかわいさに内心で身悶えていると、もう一度鳴いた。
今まで猫は苦手でじっくり観察したことがなかったが、こうしてみると、猫はとてもおもしろい顔立ちをしている。一度、ピーンと張ったヒゲを引っ張ってみたいものだ。
やはりどうしてだかこの子だけは苦手じゃないようで、触ることもできる。
「そうだ!名前、どうしようか?おまえは、何て名前なの?」
猫はあたしの問いかけが聞こえなかったかのように鳴く。
ぼんやりと名前を考えていたら、手に何かを握っているのに気づいた。星形のペンダント。銀の星の中に水色の星がある。
「これ、おまえが握らせたの?」
彼女は「ニャーオ。」と鳴いて自分の首をあたしに見せた。
「首に付けろってこと?わかった。待ってて、リボンを持ってくるね!」
あたしは急いで立ち上がり、ソフィが使用している裁縫箱を拝見させてもらって、こっそり青のリボンを取った。そばに「青のリボン、もらうね」と書いた紙を置いて。昔、「姫様、リースを作ろうと思ったら失敗してしまったので、この青いリボンもらってくださいな。」と言っていたのを思い出したのだ。
部屋に戻り、床に落ちていたペンダントを拾う。ペンダントの鎖の部分を引き抜いて、代わりにリボンを通した。そのまま猫の首に緩く巻きつけ、後ろでリボン結びをした。
とても似合っている。星形の飾りがついた首輪の完成だ。
もともとこの子が持っていたペンダントだったのだろう。それとも、拾ったのか?そういえば、この星の形、どこかで見たことがある・・・・・・。そっか、スカイの首輪と同じだ。角の削れ具合も、光を浴びて光る素材も、大きさも形も色も全部同じ。
すると、その時だった。
『わたしの名前はルリラ。』
鈴のような軽やかで澄みわたった声。その言葉は垂れた雫が水の中に落ちた瞬間のように、静かだけど一瞬の余韻を残して記憶から消えた。
「ルリラ・・・・・・。」
無意識のうちにつぶやく。
「ルリラ、ルリラ、いい名前かも。我ながらいい名前をつけるセンスはあるわね~。」
何度も口にして確かめながらよし、とうなずいた。
「おまえはルリラ!ルリラ、こっちへおいで!」
彼女は四たび鳴くと、あたしの腕の中に飛びこんできた。
「偉い!一応名前を呼ぶと来てくれるんだ。案外、躾けは難しくないかも。ご主人様の言葉が少しだけど理解できるようだしね~。
よおし、じゃあ今度は一周ぐるりと回ってみて!あ、そっちはダメだよ、餌置き場を荒らさないで!」
と、夢中になって躾けをしているうちに、朝ご飯の時間になってしまった。
「セイナ、腕時計は持った?」
「持ったよー。」
「お弁当と水筒は持った?」
「持ったってば~。」
「髪型はしっかりしてる?制服は乱れていない?」
「うん。」
「肝心のルリラを忘れないでね?」
「んもう、しつこいなぁ。忘れてないよ。」
今日はいよいよ卒業式。
卒業式はまず初めにテストを行い、その後卒業生全員が儀式をやる。で、最後にテストの結果が学校の掲示板に貼りだされるの!
服装は制服に黒のマントを羽織るだけ。髪型もいつも通り横で二つにしばる。
卒業式にはあたしのママも、もちろん木国や土国の王様、王妃様も出席なさるの。
いつもは地味なママだけど、今はすっごくオシャレでどこのママより輝いていると思う。長い長い髪はみつあみにして、頭の周りでまとめ、王の称号である王冠をかぶっている。水国は代々女王制度なので、王冠をかぶるのは女性だけと決められているの。ドレスだって華美ではないけど一流の生地で作られた物なんだから。
あたしの手の中にいるルリラも綺麗にブラッシングされて、黒の毛並みはムラがなくすっきりしている。首についている星形の首輪も、光っていた。すると、ママが思い出したように言った。
「あら、それ。ルリラの首に付いているやつ。スカイの首輪と同じじゃない。あーあ、さてはおばあちゃんの部屋をあさったでしょう?おばあちゃん、亡くなる前にスカイにあげようってんで、一生懸命そのペンダントを作っていたのを覚えているわ。四個くらいあったかしら。」
「え!おばあちゃん、スカイの首輪と同じの四つも作ってたの!?」
「そうよ。」
「へええ。でもあたしはおばあちゃんの部屋なんか入ってないもん。これはルリラが持っていたんだよ。リボンはソフィのをもらったけど。」
「すごいものね。おばあちゃんが作ったのと同じ物をルリラが持っていたなんて。それともルリラが勝手におばあちゃんの部屋をあさったのかしら?」
「ママ、それは無理だよ。城内を歩き回っていたら誰か気づくはずでしょ?」
「わっかんないよ~?」
ママは嬉しそうに、笑顔でルリラへと手を伸ばす。完全にデレデレだ。ルリラも甘えることができて嬉しいのか、しきりに鳴いてはママの手をなめる。
「もーう、もうすぐテストなのに緊張感がないんだから!」
あたしが頬を膨らますと、ママとソフィとナーミンが笑った。
「セイナ。テストは全力で頑張るのよ。わたくしのことは気にせず、思いっきりあなたとルリラの力を発揮してきなさい。昨日まで必死に、躾けと練習をしてきたんですもの。自信を持ってね。」
「わかってる。ママは儀式と結果発表の時だけ出席するんでしょ?楽しみにしててね。」
「行ってらっしゃい。」
「行ってきまーす!」
「セイナ様、頑張ってね~!」
ママとソフィとナーミンが声援を送りながら庭まで来て、手を振ってくれた。
うん、絶対に大丈夫!だって今日のラッキーからは黒と水色だもん!
門兵達の盛大な見送りを受けてあたしは、ホウキで空高く舞い上がった。
風でマントがはためく。初等部の制服を着るのは最後。このリュックを背負うのも最後。ほとんどが最後なことばっかりですごく寂しい。あの厳しくて熱血のリー先生ともお別れだ。
「セイナちゃーん!おっはよーう。」
凍えそうな寒さに負けず、暖かく柔らかな声。案の定、猛スピードであたしに追いつき、隣で並走していたのはサユリだった。
「おはよう。」
「ね、ね、セイナちゃんが捕まえた猫は?」
「待ってよー、ここで見せたら猫ごと地面へ落っこちちゃうでしょ~。」
「ええー。落ちないわよ、セイナちゃんは不器用だから落ちるかもしれないけどね。」
「ううむ。あたしがホウキ乗りの天才だということを忘れていないかな?」
「よく言うよ。あなたはほかの魔法ができないから、ホウキさばきを磨くしかないんでしょう?」
おっしゃる通り。何でもズケズケとものを言うサユリは嫌いじゃないよ。
昨日、最後の授業でサユリとカナエと一緒に帰った時、猫の話題になった。お互いに捕まえた、または購入した猫のことを一切語らず、明日紹介し合おうってことになったのだ。もちろん、躾け方法もシークレット。明日までは楽しみにしていよう!とのこと。
サユリが一番楽しみにしていたようで、はやくあたしとカナエの猫を見たくてうずうずしている。
「学校についたらな。」
いつの間にかサユリの隣に出現したカナエが首をすくめて言う。二人の猫はたぶん背負ってあるリュックの中で大人しくしているのだろう。
あたしもテストが楽しみになってきた!
学校の正門から中に入ると、既にほとんどの生徒は校庭に集合していた。今年はなぜか集合場所が校庭なのだ。
周りは閑散としていた。多分、重大な卒業テストの邪魔にならないよう、国民達は気を使って家にいるのだろう。
まだ集合時間には余裕があったので三人で雲梯の上に寝そべって空を見上げていた。今にも雨が降り出しそうな空模様だ。
「もしさ、テストをする場所が外だったとして。雨が降ったらどうするんだろーね?」
カナエの質問にサユリが答えた。
「やると思うわ。テストを延期なんて、あってはならないことだもの。」
「あ、雨のにおいがする。」
鼻の良いあたしが素早く雨のにおいを感知した。
「え!?セイナ、どこで雨が降っているかわかるか?」
「うん。金国のあたりかな。あの雲はゆっくり動いているから、ここまで来るのに時間はかかるけど、テストをやっている最中かもね、どしゃ降りになるの。」
「雷の音もするわ。」
「大地が悲鳴をあげているよ。土砂崩れがあったのかもな。」
サユリは耳が良く、カナエは土国の姫なので大地のことならどんな些細なことでも感じ取ることができる。
「あーっと、そうだわ!猫の紹介をしましょうよ!」
すっかり忘れていた。
「じゃあ、せーので見せるよ。」
リュックに手をのばして取り出す準備をする。柔らかい感触のルリラは眠っていた。
「せーの!」
バッ!
一斉に出す。
熟睡していたルリラはびっくりしたかのように目をまん丸くした。
「うっわーー!かわいい。」
サユリとカナエがあたしの猫を見て同時にハモる。
「あざ~っす。」
サユリの猫は、アメリカンショートヘア。フワフワの毛にサユリと同じで黄緑の瞳を持つ雄だ。飴玉のような大きな目と整った顔立ちはサユリと同じくらい美しい。彼は、三匹の中で一番小柄だった。
カナエの猫は、獰猛そうな大きいサバンナキャット。鋭い黒の眼光を持つ雄。見た目は獰猛そうなのに、何となくリッチな雰囲気を醸し出している。カナエの影響かも。
「二人は雄なんだ。」
「雄の方が狩猟能力も高いし頭もいいわ。名前はリューウというの。」
「わたしのはヤヅっていうんだよ。」
「何か、変わった名前だね~。」
「セイナちゃんは雌なんだね。名前は?」
「ルリラだよ。」
「うわ、セイナのもセンスないじゃん!」
「な、なんだとぉーー!」
「まあまあ。」
サユリが適当な感じで仲を取り持つ。
「あれ?その首輪、確かスカイも付けていたわよね?」
「え、うんそうだけど。よく覚えているね!」
「形が同じだなって思って。セイナちゃんが付けてあげたの?」
「うん。この子がもともと持っていたみたいだけど。」
あたし達がしゃべっている間に、ルリラ、リューウ、ヤヅの三匹はお互いに寄り添い合い、喉を鳴らしている。出会ってすぐに仲が良くなってしまったようだ。
「なあんか、仲良くやっているみたいだな。二人は野生なのか?」
「そうだよ。暗闇の森で拾ったの。」
「え、ええ!セイナちゃんも暗闇の森!?」
「ってことは、まさかサユリも?」
「二人とも、よく暗闇の森なんか行けるよな。」
ボソッとつぶやくカナエ。
「カナエは臆病だもんね。」
「んなことないさ!わたしは面倒だから母ちゃんの知り合いの猫をもらったんだけど。」
「ダメでしょ。」
「躾けはちゃんとできてるよ!ほら、ヤヅこっちへおいで。」
すると、ヤヅはくるりと振り返ってカナエに突進していった。あんな大きなサバンナキャットに抱きつかれたら小柄なサユリなど倒れてしまいそうだが、運動神経のいいカナエは一瞬で態勢をたてなおし、「よくやった!」と褒めている。
「実はね、わたし昨日捕まえたの。だから躾けの方には自信はないわ。それに子猫だし。」
カナエの猫を見てしょんぼりとしたサユリのもとに、リューウが近寄る。
「ありがとう、リューウ。慰めてくれているんだね。」
捕まえてから一日しかたっていないのに、ここまでなつく方がすごいと思うが。
「いやあ、二人ともすごいよ。あたしなんてダメダメだよ。ルリラも二匹と同じくらいの年の子猫なんだけどなぁ。」
がっくりと肩を落として言うと、いきなりルリラが高速で回る毛玉のようにあたしに突進してきた。無論、運動神経の悪いあたしは態勢をくずし、無様に尻もちをつく。
「いったぁー!」
ルリラは嬉しそうにあたしのお腹の上でぴょんぴょんはねながらニャオニャオと短く鳴く。
「あはは。あたしのこと慰めてくれているみたい・・・・・・。」
二人は三秒くらい沈黙した後、腹を抱えて大爆笑した。
だんだん時間が近づくにつれて増す緊張感をごまかすために三人で談笑していると、スピーカーから声が響いた。
「集合がかかったみたい。」
いよいよだ。
あたし達は自分の猫を連れて、走って校庭の真ん中へ走っていく。ほとんどの生徒はクラスごとに並んでおり、真面目で怖すぎるくらい恐ろしい顔つきで朝礼台を見上げていた。
この中にいる水国の民は三割ほど。木国の民も三割で、土国の民は二割。火国の民は一割で残りの一割は金国の民だった。
みんな色とりどりの髪色と目の色だったが、制服とマントは黒で統一されてあってより緊張感が増す。自分の右隣にいるたくさんの猫たちも皆、主人の緊張を感じ取ってか、じっと黙っていた。
ふいに一陣の風が吹き去り、朝礼台に校長先生が現れた。
白いヒゲをお腹のあたりまでのばした彼は、この国でも年のいった魔法使い。黒いローブで全身をすっぽり覆っていて手には木製の杖代わりのステッキを持っている。
細い目を最大限に開いた彼は最初の一言を紡ぎだした。
「皆さん、おはようございます。」
静かに、厳かに発せられた言葉は、これから始まるテストに緊張と不安を感じている皆の気持ちを、いっそう重くした。
「これから、卒業テストの説明を始めます。」
さあ、いよいよ始まりだ!
続く