3.出会った少年
ふいに目の前の木々からガサっと音がした。と同時に、生き物の息遣いが感じ取れた。一瞬猫かと思ったが、すぐにその考えを振り払った。目の前に隠れている生き物からは殺気が漂ってくる。まさか、魔物なのか・・・・・・?
逃げようとスカイに乗ろうとした時、いきなりけたたましい鳴き声が響いた。悲鳴のような甲高い鳴き声。ビクリと体が二回ほど震える。ただならぬ気配を察知しているのはスカイも同じなはずだが、彼は目の前の隠れた生き物に襲いかかろうと足をまげた。生き物・・・・・・すなわち敵に。
「ダメだってば!逃げよう!」
何度も叫ぶのに従おうとしない。こんなの初めてだ。彼をここに置いて帰ることもできない。仕方がないので泣きそうになるがグッとこらえて、あたしはスカイの前に飛び出した。
「そこにいるのは誰?出てきなさい!」
護身用短剣の切っ先を相手に向け、基本の攻撃技の態勢をする。
・・・・・・が、短剣はあっけなく敵にはじかれてしまった。
パニックに陥ったあたしは冷静な判断力を失い、敵に背中を向けて走ろうとした。背中を見せたら必ず襲われるのは百も承知だ。だが、振り返る前に前方から敵が猛スピードであたしに襲いかかってきたのである!
無様に地面に倒れたあたしに、焼けつくような痛みが襲う。ペガサスのひずめに引っかかれたのだと理解するまでに、数秒を要した。
気づくと、自分の体の上に何かデカい生き物が乗っかっているのが見えた。スカイよりも小柄なそれは木漏れ日に当たり銀に輝いている。そいつに押しつぶされ窒息死するかと思ったが、彼はすぐにあたしから降りた。
急いで体を起こし、今度こそ確実に相手を倒そうとした所で、ハッと目を見張った。スカイも同じように驚いたのか、目を少し見開いたまま固まってしまった。
目の前にいたのは、なんとペガサスだったのだ。それも銀の毛並みの。スカイと瓜二つ。いや、スカイには兄弟はいないはず。
ということは、目の前のこいつは何者なのか?銀の毛並みは魔法界でスカイだけじゃなかったのか?
いろいろな疑問が頭に浮かぶ中、一番強く感じたことは「なんて美しいんだろう」だった。毛並みがきれいに整えられているからおそらく、誰かに飼われているのだろう。ペガサスにしては小さいが、見事にしなやかな筋肉がついた体だ。もしかしたら、誰よりも速く飛べてしまうのかもしれない。
しばらくその場でポカンとしていると、遠くの方から声が聞こえてきた。
「おーい、アース!」
人の声!?そもそもこの森に人がいるとは到底思えない。人が住める環境じゃないし、まず気味が悪くて住めないだろう。
では、あたしみたいに探索しに来たのか?なら納得できる。
不審な奴だったらどうしよう。とにかく隠れる場所はないかとさがすが、あたしが隠れられそうな場所はなかった。
仕方がない。素直に待っていようか。
「アース、お前こんな所にいたのか!・・・・・・あ、あれ、お前誰?」
いきなり目の前に男性のアップの顔がうつる。急なことだったので、心臓は今にも口から飛び出しそうなほどバクバクしていた。
「な、誰?って・・・・・・に、人間です。」
恐る恐る声の主を見る。年は少し上だろうか、中等部かもしれない。身長はあたしとほとんど変わらないが、彼の醸し出す一風変わった雰囲気は、大人の男性を彷彿とさせる。
肌は透けるように白く、漆黒の瞳はまるで好奇心旺盛な子供のように、くるりと輝いている。サラリと流れる髪は、どんな黒よりも深い色だった。薄手の白いジャケットを羽織っており、長ズボンをはいて腰にはなぜか長剣が備えられていた。
第一印象は「病弱」だった。決してイケメンと言えないが、端正な顔立ちで雰囲気も表情も大人っぽい。どことなく声や仕草、瞳などにあどけない子供っぽさが残っている。
「知っているよ。俺も人間!」
男性は穏やかに言った。途端に華やかな笑顔を見せる。
「ごめんごめん、森の中で料理に使う材料をさがしていたらいきなりアース・・・・・・こいつのことね、がどこかへ行っちまってさぁ。」
こいつ、と謎のペガサスを叩く彼は、悪びれる様子もなくにこにこしている。
その態度にカチンときてしまった。
「あんたね、謝っているわりには、全然反省していないでしょ。その、アースだっけ?はどういうことをしたかわかってるの?」
「ああ、わかっているさ。アースは人間が苦手なんだ。俺以外の人間を見るとすぐに攻撃しちまう。」
「攻撃ってねぇ。ここは森の中なんだよ?わかってんの、魔法が使えない状況で攻撃されたら殺されちゃうじゃん。」
激しい怒りに身を任せ、大声で言う。初対面の人に怒りを覚えるなんてめったにないことだ。相手がどんなに気の障るような発言をしたとしても、ここまで怒らないと思う。彼とはなぜか、すぐに親しくなれそうな気がした。
すると彼は、あたしをまじまじと見つめてから少し考えるように首を傾げた。
沈黙が続く。大声の後の沈黙。静かすぎて遠くの小川のせせらぎまで聞こえる。
さすがに気まずすぎるので、口を開こうとした時。
「んー、でも君って、魔法使えないよね?」
「は・・・・・・?」
お前、正気?
驚きと怒りで顔を真っ赤にさせる。「水国の姫はまともに魔法が使えないダメダメ姫」とのことを知っていて相手は発言しているのだろうが、さすがにハッキリとそれを口にするのはサユリかカナエくらいだ。
口を開けずにいると、彼は何を勘違いしたのか信じられないようなことを言う。
「いやいや違うよ?森の中ではもちろん魔法は使えないけどさ・・・・・・君、普段の生活で使う魔法と言えば空を飛ぶことくらいだよね~?ってこと。」
お前、馬鹿か?
わざわざ省略された文章を、もう一度、それも相手をズタズタに傷つけるまで細かく説明し直す必要があるのか?
まさかこいつ、あたしが怒っているってことわかってないんじゃ・・・・・・?
まあいい。いざとなったら、スカイに命令しこいつを殺してもらおう。
などと物騒なことを思っていたが、相手がこちらの返答を待っているみたいなので言い返してみた。
「あーあー、いいのかな、あんた?あたしが水国の姫だと知っててわざとその大口を叩いているんでしょう?姫って身分に嫉妬しているわけ?本当にい・い・の・か・なぁ?あたしは姫だからその気になれば、あんたを牢屋に入れることだってできるんだよ?
まあ魔法が使えないのは事実だけどさ。あたしを怒らせた罰は重いよ~。」
思いっきり低い声ですごんでみせると、彼は心底驚いたような表情を浮かべた。
「え、君水国の姫なの?知らなかったぁ~。」
は!?まずはそこから!?
「あ、あんたそれ本気で言ってるの?あたしのこと知らないの?」
驚いた。魔法界でこれくらいの年になっても、五つの国の王族の顔を知らないというのは、非常識すぎるからだ。それ以前に、国民は一年に一回は必ず「祭り」の場などで王族と会うはずなのだが。
まあ、それに関しては一点の怒りも感じないが。逆に知らないでいてくれた方が、こちらとしてもありがたいものだ。
嘘をついているのか、と本気で疑うが、彼のキラキラしたした瞳はとても嘘をついているようには思えない。
「知らないよ~。けど君が魔法使えないことに関しては、当たってたよね。」
妙に間延びした声は、森の中の張り詰めた空気をどんどん溶かしていくようで何とも不思議だ。
「え・・・・・・ええっと、怒らせたかい?」
「今さらぁああーーーー!?」
あたしを怒らせたことに今さら気づいたこいつは、誰もを魅了するほどの美しい満面の笑みを浮かべ、素直に頭をさげる。
「ごめん、君のことを知らなかったのは謝るよ。」
「あの、あのですねー。」
あたしはそこに関してのことはいっさい怒ってないってば。
「あたしのことを知らなかったのは怒ってないよ。」
相手はいきなりきょとんとする。
「じゃ、何で怒っているんだい?」
「・・・・・・気づいてない?」
・・・・・・殺してやろうか。
あたしはつかつかと今まで黙ってこのの成り行きを見守っていたスカイに歩み寄り、小声で命令した。
「こいつを殺しなさい。」
半分本気、半分冗談のつもりだったがスカイは目にもとまらぬ速さで奴に飛びかかった。
「ぎゃあー、やめてくれーっ!」
半ば涙交じりで叫ぶ奴に、「いい気味」とニタリと笑ってしまう。
だが次の瞬間。
奴はスカイ以上の速さで攻撃を避けると、後ろに回り込んだ。ターゲットを見失ったスカイは一瞬きょろきょろする。その隙に、奴はスカイのしっぽを引っ張った。
今度はスカイが怒る番だ。しっぽを引っ張られるのが嫌だったらしく、低いうなり声をあげて逃げる奴を追いかける。
「わああはは、ごめんってばー!許してくれよ、お姫様~~!」
ペガサスに追いかけられる人間・・・・・・。実に滑稽だ。奴は器用にスカイの攻撃を避け、余裕の表情を見せて走っている。
アースもあたしもしばらく唖然としていたが、ふいに強烈な笑いがこみあげてきたので、一人でくすくすと笑ってしまった。
いつの間にか追いかけっこをやめた二人も、こちらへ寄ってきている。
「あ~、あはは!あんたって面白いんだね。スカイの攻撃を余裕で避けるなんてすごいよ、すごい。いや、ってか本当にあたしが怒っている理由わからない?」
「・・・・・・俺がバカにしたこと?」
少しの間があってから答えた彼の目は、面白そうにキラキラと輝いていた。悪気があって馬鹿にしたわけではなさそうだ。
「わかってるじゃん、じゃあ許してあげるよ。光栄に思いなさいよね、お姫様に許してもらえるなんて滅多にないんだから!」
「やったー。」
無邪気に喜ぶ彼の姿に、吹き出してしまう。と、ある疑問が頭に浮かんできた。こいつはあたしのことを知らなかった。ではなぜ、初対面なのにあたしが魔法を使えないことを知っていたのだろうか。その上、先ほどのスカイと同じくらいの足の速さや、敏捷力はとても人間技とは思えない。
まあ、いいか。なぜかそれを今質問してしまうのはいけない気がする。
「あ!」
彼はふいに、あたしの顔を見つめた。
それにつられてあたしは頬が赤くなっていくのがわかった。心臓のもっと奥、胸がとくとくと小さくはねる。普段から男性慣れしていない証拠だ。
赤面しているのを隠すように地面へ視線をやった。
そんなあたしなどお構いなしに彼は続ける。
「俺の名前、言ってなかったよな。俺は、ライト。百十歳だけど、中等部へは通ってないんだ。学校が死ぬほど嫌いでさ。そうそう、森の奥で暮らしているんだけど。もしあれだったら来なよ、俺ん家に!」
「!?」
森の奥で暮らしている・・・・・・!?
どう考えても正気の沙汰ではない。薄気味悪い森にいるだけでも虫唾が走るのに、ここで生活する?とうてい理解できない。
「家に行くのは遠慮しとく。ここで暮らしているの?」
「うん。」
「不便じゃないの?」
「うん!」
「あんた・・・・・・じゃなくてライトさんは、魔法は使えるの?」
「使えないことはないけど魔力が弱いから、基本的には使わないよ。その代わり、俺の剣裁きを見たらあまりのすごさに卒倒しちゃうけどね。」
呆れた。初めて会った時から普通の人間ではないとうすうすは感じていたものの、ここまでの変わりようとなればさすがにぐうの音もでない。
すると再びライトさんがこちらの返答を待っているみたいににこっと笑った。
「あ、ああ。びっくりしちゃった。いくら何でも森で暮らしている人なんて聞いたことないからさ。」
「うーんと普通だよ。魔物がいればこの素敵な剣で倒してやるから!」
彼は腰についている長剣をポンと叩く。そういうことか。こいつの謎が少し解けたようで嬉しい。頬の筋肉が思わず緩んでしまう。
「・・・・・・あーっと。あたしの名前はセイナ。水国の姫で百歳。明後日に卒業式があってさ。お題がめちゃくちゃなの。・・・・・・って、ああああああーーーーーーーー!」
「な、何!?」
お題と言った瞬間、頭の中に雷が落ちたかのような衝撃が走った。
「やっばー。猫さがししなきゃいけないんだった。」
すっかり忘れていた。あわてて空を見あげる。空の色に変わりはないが、日没まであと数刻もないだろう。暗闇で森の中にいたらいくらライトさんがいたとしても、危険すぎる。そもそもこの森の名前は「暗闇の森」なのだ。暗闇が危険なのは重々承知している。しかも、こいつの家に泊まらなくてはならない羽目になるかもしれない。あまりに帰りが遅かったら、城から捜索隊が出てしまう可能性もある。
けど、猫を見つけず帰るわけにはいかないよ。
「猫さがし?」
物思いにふけっていたあたしは、興味津々の声で我に返った。
「ああ、そう。卒業のお題が『猫をさがして躾けろ』なの。それも三日で。卒業式は明後日だから今日を入れて、あと二日しかないの。けど日没までいたら心配した城の者から捜索隊が出てしまう。猫を連れずに帰るなんてもってのほか。
お願いライトさん。一緒に猫をさがして?」
本当はいけないことだが、彼に頼めば日没前になんとか見つけられそうな気がする。出会ってからまだ少ししかたっていないというのに、あたしは彼に信頼を寄せていた。
「いいよ。アースも一緒に連れて行くけど。」
「ありがとう!あ、そーだ。アースはどこで買ったの?兄弟とかはいるの?」
「買った?こいつは野生だよ。ここの森で見つけたんだ。なあんかのんきそうに草を食べてて、悩みなんてなさそうだったから家に連れて帰ったよ。兄弟はいないんじゃないかな?一応アースにも確認しておいたよ。」
「か、確認!?・・・・・・へえ。珍しい毛並みだね?」
「うん。よく言われる。」
「誰に?」
「え、動物にだけど。」
あまりに当たり前のように言うので驚いてしまった。この魔法界で動物と会話できる者などいただろうか。動物と会話ができれば躾など一発ではないか。
ますますアースの謎が深まる。スカイと兄弟じゃないことは確実だったが。銀の毛並みが二匹いるということがどうしても理解できないのだ。だって、あれほど「珍しい」と大騒ぎになるほどなのに。
「ライトさんっていろいろと変わり者なんだね。アースともスカイとも会話ができるの?」
「できるよ。けど、動物の方は俺以外の人がいると警戒して口を開かないんだ。」
「会話できるって嘘にしか聞こえないんだけど?」
「え?セイナさんはできないの?ってか、魔法使いは皆会話できるんじゃないの?」
「へ?」
なんて非常識なのだろう。人生で一度も人と接したことはないんじゃないだろうか。
「できないよ。森の外に出たことはある?」
「う、ううん。・・・・・・さあ、さがしに行かない?」
ライトさんはその話題には触れてほしくないというようにそっぽを向いてしまった。心なしか、彼の表情も陰ってしまったような気がする。
「うん。」
「俺ね、猫がたくさんいる所知ってるんだよ!ついてきてっ!」
暗い雰囲気を振り払うように言った彼は、あの超高速スピードで走っていった。
森の中心部まで着くと、とんでもなく美しい場所に出た。そこだけ円形状になっている広場のような所には木が一本もなく、日の光が直接差し込んでいた。地面は何か特殊な石なのか、日の光を浴びて光の粒を生み出している。光の粒は、中心にある噴水にまで飛んでいくとシュッと消滅した。
大きな噴水の中の水は、とても透き通っていて、飲めそうだ。近くにあった小川の水質とはまるで違う。
魔法界でも一、二を争うような神秘的な広場だ。知られていないのがもったいない。
「すごいね。素敵。」
「ありがとう。俺が掃除したりしてるんだよな。ここに人が来たのは初めてかもなー。そうそう、猫が集まるってのはここなんだけど。」
「猫なんていないじゃん。」
確かに広い広場には猫おろか、生き物の気配すら感じない。一周ぐるりとまわってみるものの、発見することはできなかった。
「ごめん、いつもはあの噴水の周りに五、六匹はいるんだけど。」
困ったなぁ、というふうに頭をかいたライトさん。あたしもひどく落胆していると、それまで大人しくついてきていたアースとスカイがいきなり猛スピードでダッシュした。
二匹が向かったのは噴水の上。どうやら、噴水の上にある小さな皿のような物が気になるようだ。
「ライトさん。あの噴水の上に何かあるみたいだよ。」
彼も何かを悟ったのか駆け足で噴水の真下に近づく。と同時に、鉄のような異臭が鼻をついた。
「血のにおいがする!」
二人同時に叫ぶ。
スカイとアースは血のにおいに興奮しているのだろう。しきりに鼻をならしている。
「もしかして、いるのかも?」
「血のにおいがするってことは、怪我をしているかもよ。」
「とにかく、猫じゃなくても助けなきゃ!」
「わ、わかった!」
ライトさんは、あわててアースに飛び乗ると、遠慮なくアースの背中を踏みつけ、皿の上にある「物」を取る。
その瞬間だった!
ボタボタボタッ!
頭上から少量の重みがある液体が落ちてきた。雨かと思ったがそうではない。
おびただしい量の血液だった。
「きゃ、きゃああっ!」
強い血のにおいと真っ赤な鮮血に恐怖をおぼえ、思わず後ずさる。さがりすぎてぶつかってしまったアースの毛色も真っ赤に染まっていた。
「ちょ、どうしてくれるのよ!」
大声で言ったが、ライトさんは反応しない。皿の上の「物」を見て固まってしまったようだ。
「んもう、仕方ないんだから。」
そうつぶやき、一気にスカイに飛び乗ると、ライトさんと同じような格好で皿を覗き見た。
視界にうつったものを見てあたしは絶句する。
「来ちゃダメだ!」
一瞬遅く我に返ったライトさんがあたしの目を手で塞ぐが・・・・・・。
しっかりと見てしまった。
残酷でグロすぎる場面を。
皿の上にいたのは、脇腹に大きな切り傷を負って、血の池に体が半分埋まってしまっているほど出血した・・・・・・、
黒猫だった。
続く