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りく也30才 ユアン30才(1)


 受付係のピーター・スミスは辟易していた。

 今日は朝から外来が大繁盛。しかし野外コンサート会場で将棋倒しの事故があり、運び込まれた大勢の重態患者にドクター達は手一杯で、外来は必然的に後回しにされていた。あまりの待たされ様に、患者が受け付けにクレームをつけにきて、スミスは電話とその応対に追われて休む暇もない。その上、もう一人の担当メイスンが、事故渋滞に巻き込まれて大遅刻と来ては、患者への対応も横柄になる。それがまたクレームとなって、つまり悪循環の渦の中に、彼ははまりこんでいるわけだった。

「やっと、ランチだ」

 今回の医学生の中で一番使えないヤツ――スミスがそうレッテルをつけた医学生のロバートが、処置の済んだカルテをボックスに放り込んだ。この学生ときたら、ここのローテーションに入って二週間が過ぎようとしているのに、未だに血やら肉やらでグシャグシャの患者が運び込まれる度、トイレに直行する。医学部での成績は上位の実習生らしいが飲み込みが遅く、マニュアル通りにしか動けない。その上、トロさと言ったら、今日のこの忙しさは、彼が外来担当だからでは――スミスはそう思わずにいられなかった。

 自分がランチも休憩も未だ現状であるのに、スタッフやレジデントの後ろばかりついてまわるしか能の無い学生が、自分よりも先に、ランチを取るだなどと、どう考えても納得がいかない。

「ランチだと?!」

 ロバートに向き直ってスミスが今しも怒鳴りそうになった時、

「すみません、ここにリクヤ・ナカハラはいますか?」

と背後より声がかけられた。

 振り返ると、二人の東洋人と長身の白人が立っている。

「リクヤ・ナカハラ…、ナカハラ、ああ、リック?」

 スミスが聞き返す。

「ええ、今日は出勤していますか?」

 一番背の低い東洋人が答えた。声をかけたのも彼らしい。

「リックは…」

 今日はスミスの視界に、リクヤ・ナカハラは入って来なかった。へらへらとしているが学生の中で技術的にはまあまあマシな彼は、ここでは重宝に使われている。出勤しているとしたら救急搬送の患者を担当しているのだろう。

「出勤してる。患者をICUに運んで行きましたよ」

 言葉が詰まったスミスの代わりに、ロバートが答えた。

「会いたいので、呼んでもらえますか?」

「あなたは?」

「兄です」

 スミスとロバートは思わず顔を見合わせた。その東洋人はどう見てもリックより年上に見えなかったし、彼に兄弟がいるなど初耳だ。

「伝えるけど、ご覧の通り今日は大忙しだから、リックもなかなか手が空かないと思うけど?」

 今度はスミスが答えた。リックの兄と名乗った東洋人は、まず後ろに立つもう一人の東洋人を、それから隣に立つ金髪の白人を見た。二人が時間差で頷くのを確認して答える。

「待ちます」

 スミスはドクター専用の休憩室で待てばいいと教えたが、三人はそれを断って、一旦、その場を離れて行った。

 およそここには不相応な彼らを、患者もスタッフも一瞬振り返る。特に背の高い白人は俳優ばりの容姿で、歩くたびに見事な金髪が光を放った。幾人かの女性が黄色い声をかけるところをみると、俳優なのかも知れない。あのリックの兄だって、不思議と目を引く美しさがある。人に見られることに慣れている風なので、ビジネスマンではないだろう。もう一人の東洋人はこの二人に比べてまるで地味だが、逆にそれで残った。

「何者かな、あの三人」

 ロバートは彼らの後ろ姿を見送りながら呟いた。その彼を二番処置室で呼ぶ声がした。

「あああ、ランチがぁ…」

 ロバートは額に手を当てて、大げさに天井を仰ぎ見る。もう一度呼ばれて、大きく息を吐いた後、二番処置室に走った。結局、彼のランチはお預けとなったわけで、スミスは「ざまあみろ」と胸の内で舌を出した。




「リック」

 ICUフロアでエレベーターを待っていたりく也の隣に、同じE.R.ローテーションの医学生ジェフリー・ジョーンズが並んだ。寄り道組で同い年と言うこともあって二人は仲が良い。遅刻魔のジェフリーはローテーション初日に大遅刻して顰蹙ひんしゅくを買い、看護師達に「リック以外は最低」と一括りにされていたが、仕事に慣れて持ち前の判断力の良さが発揮されると、その評価も良い方に上がって来ている。

「どうしたんだ、それ?」

 りく也が白衣ではなく濃紺のスクラブを着ているのを見て、ジェフリーが聞いた。

「食中りの患者に吐かれたのさ」

 肩を竦めて答える。エレベーターのドアが開いたが一杯で、二人は一台見送った。今日は休憩を取る間もないほど忙しい一日なので、ちょっとした休憩代わりだ。

「ハイ、リック。今日は何時上がり?」

 ICUのナースがりく也の元に歩み寄った。ポッテリした唇がマリリン・モンローに似て色っぽい。

「七時。君は?」 

「私は六時半。待ってるから今夜どう?」

「いいよ」

「じゃ、また後で」

 彼女は媚びたウインクをりく也に送り、ICUの中に入って行った。

 ジェフリーが横目でりく也を見た。

「相変わらず、お盛んだな、Dr.ナカハラ?」

 含みある目は笑んでいる。りく也のモテ様はマクレインでは有名だった。来るものは拒まず、仕事で病院に泊まる日以外、独り寝はあるまいと言われているくらいだ。

「思いっきり疲れて眠りたいんだよ。疲れすぎて、自分で抜く気も起こらないし」

「うわぁ~、リックは女を性欲処理の道具としてしか見てないって、ナース達が噂してたぞ?」

「お互いさまさ」

「今に大やけどするぜ」

「だから相手を選んでる。お手軽で後腐れなくって、遊びを遊びと割り切れる相手。『相性』が良いに越したことはないけど、そこそこ気持ち良くしてもらえばいいし」

「その割には噂になってるんだな?」

「時には間違うこともある」

「じゃあ、商売女にすりゃいいじゃないか?」

「変な病気を移されても困るしな」

 しれっと答えるりく也に、あきれたようにジェフリーは息を吐いた。次のエレベーターが来て、今度は空いていたので乗り込む。

「サイテー。こんな男だって知らずにきゃあきゃあ言う彼女達が、気の毒になってきたよ」

「どうとでも」

 りく也は不敵に笑った。ますますジェフリーはあきれて、りく也の脇を拳骨で小突いた。

 エレベーターが一階のE.R.に着いた。降りた二人の学生に正規スタッフのドクターが、次に診る患者の指示を出して走り去って行く。病棟の様子は数時間前とほとんど同じに見えた。相変わらず待合室には外来患者が溢れるほどだ。

 ラウンジで少し休憩を取ろうと思っていた二人の目論見は崩れ、通りかかる看護師達に追い立てられ、受付脇のカルテ・ボックスに向かった。

「あ、リック、お客が来てるぜ」

 指示された患者のカルテを探すりく也に、スミスが声をかけた。

「客?」

「兄貴だって言ってた」

 スミスの答えはりく也の予想外のものだった。

「さく也?」

 半信半疑で聞き返す。

「や、名前は聞いてない」

 りく也は辺りを見回す。クレームをつける外来患者に、家族、看護師にドクター、清掃員、警備員。

「どこ?!」

「外来待合室の方には行ったけど、二時間も前だか…、って、おい、リック?」

 りく也がカルテを持ったまま、言われた待合室の方へ走り出そうとした時、その方向より歩いて来る目立つ二人組が目に入った。

 背の高い金髪の白人と並んで歩く東洋人。その東洋人の顔を見るなり、りく也は叫んだ。

「さく也!」

 呼び声に東洋人は気づいてりく也を確認した。口元に笑みが浮かぶ。

 りく也の足が速くなった。自分へと見る見る近づいてくる彼に東洋人が、

「り…」

 何か言おうとするより早く、りく也の腕が伸びて抱きしめた。まるで映画かテレビ・ドラマのワン・シーンのように。

 その様子を受付でジェフリーとスミスが、呆気にとられているのが視界に入ったが無視する。

 兄の中原さく也とは三年と半年ぶりだった。

「りく、痛い」

 りく也の耳元でさく也が呟く。腕の力を緩めて、久しぶりの兄の顔を見た。懐かしい右目の下の小さなほくろを、彼だと確かめる意味合いで指でなぞった。りく也を見つめる彼の目が、フッと笑んだ。

「どうしたんだ?」

 さく也を離して尋ねた。

「ここでローテーションをしてるって、メールをもらったから顔を見にきた」

 「ちょっと通りかかった」程度の口ぶりで、彼は答えた。さく也はヴァイオリニストで、大西洋を挟んだ遠いウィーンのオーケストラに所属していると言うのに。起伏に乏しい物言いは以前と同じだが、目元口元にやわらかな印象を受ける。

「こいつ、誰?」

 りく也はさく也の隣に立つ背の高い金髪を見やる。彼はにっこりと笑って、さく也の肩に手を置いて抱き寄せた。りく也は持っていたカルテでその手を叩く。

 長身で金髪、ハリウッド・スターばりの容姿。初対面だが見覚えはある。

「なるほど、『黄金のグリフィン』か。さく也のストーカーの」

「ストーカー?!」

 英語で言ったりく也の言葉に、彼が大仰に反応したのを見ると、間違いなくユアン・グリフィス本人だろう。アメリカ人のピアニストがさく也を追い掛け回していると、以前、さく也の友人の曽和英介に聞いていた。兄と違ってクラシックには無知なりく也は、ユアン・グリフィスが半世紀に一人の逸材であろうと、関係なかった。

「ストーカーだろ? さく也を追いまわしてんだから」

「サ、サクヤ、君の弟は失礼なヤツだなっ!」

 白い首筋を真っ赤にしてユアンが怒ったが、りく也はおかまいなしで置き去りにし、さく也に目を戻した。

「元気そうだな?」

「りくも。ちゃんと医者になったんだ?」

 りく也の身なりを見て兄が言った。「まだそれ以前」とりく也が答えると微笑む。以前のさく也と比べて笑みの頻度は格段に増えた。母親に虐待を受けて育った彼は、人とのコミュニケーションや、感情の発露が下手だった。年の離れた恋人達は、さく也が何か言う前に察して先回りをしてしまうため喋る必要がなかったし、才能が勝負の世界にいるがゆえに、人とのコミュニケーションはヴァイオリンがしてくれたので、大人になっても「子供の頃と比べればマシ」と言う程度だった。ところが―――

「加納悦嗣はどうしてる? うまくやってるのか?」

 加納悦嗣に恋をして彼は少しずつ、確実に変わって行った。年齢も近い普通に社会人の加納悦嗣には、言葉で語らなければ伝わらないためだろう。

「一緒に来てる。ユアンがプログラムにダブル・ハンドを入れたいって言うから」

「弾くのか、そいつ?」

「せっかく僕が一緒に弾こうって言っているのに、自分の指はアマチュアだからってYESと言わない。サクヤとだったら素直に弾くくせに。結局、今回も調律だけさ」

 さく也のかわりにユアンが答えた。自分はさく也に聞いているのに、まったくうざいヤツだと言わんばかりに、りく也は彼を睨みつけた。さく也は答えを取られても気にする風ではなかった。

「ここに来ているのか?」

「外でタバコを吸ってる」

「じゃ、挨拶でもしておくか」

 と言って、手にしたカルテを思い出した。縫合室で肩の縫合を待っている患者のものだ。ちょうどりく也を呼ぶスタッフの声も聞こえた。

「これはすぐ終わるから」

「今日は空けてる。待ってるよ」

 りく也はさく也にmouth to mouthの軽いキスを贈ると、縫合室に足を向けた。


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