第一章 四話 開戦の号令
──会議室には、重い雰囲気が立ち込めていた。
その理由の殆どは、目の前に配られた資料を読み動揺をしたからだ。
その内容は、旧東京の北側、外界とも呼ばれる光粒子バリアの外側に派遣した対アビス能力者部隊の全滅。
派遣したのが一部隊だったとはいえ、武装は完全に対人仕様だっただけにこの報は不吉とも言えた。
詳しい報告内容としては、アビス能力者らしき者達が突如陸軍基地を襲撃、その際出動した対アビス能力者部隊との連絡がつかないという物ではあったが。
「……どうするつもりだ、上原。確かこれはお前の提案だったな?」
「少々ですが、対アビス能力者部隊とアビス能力者の戦闘のデータはとれました。次回に生かせるかと」
「そうしてまた、人命を使い潰すつもりかね!」
上原、と呼ばれた男は目の前でヒステリックに叫ぶ大柄の上司に感情の消えた目を向ける。
それが余計に目の前の上司を煽る一端になっているのはわかっているが、顔の造形が無愛想なのだから仕方がない。
「大体君は、報告が遅いんじゃあないかね? 試験中の部隊とはいえ、いや試験中だからこそ最も注目して然るべき所だ。なのに、連絡が取れなくなってから四日経過してようやくとは!」
「……連絡ができない状況にあるだけなのか、何かしらトラブルで遅れているのか、それとも壊滅状況にあるのか。その判断がつくまでに時間がかかったものですから」
「当日中に確認はできた筈だろう!」
その声と共に資料が空を舞った。
何を言ってもこの上司が止まることはない。
それを知っているだけに、今はただ頭を下げるしか無かった。
「まあ、その辺にしたらどうだ、衣川中将。今そこについて追及することに意味は無いだろう」
「あまいです逢坂大将、それではこの男は……っ」
そこで衣川中将は勢いを納める。
会話を黙って聞いていた上司の無言の諌めに気がついたからだ。
大きな椅子に腰かけた上司は、ようやくゆっくりと言葉を発した。
「……とりあえず、この件は報告を受けとりはした。それで上原少将、これからどうする?」
「今回の反省点は見えています。なので、武器類の見直しは必要無いかと。部隊の再編、見直しを急務として既に開始しております。また、その再編した部隊のメンバーには直接私から実戦の指導をします」
「了解した。こちらからの要件も幾つかある、それは纏めて後で渡そう。行っていい」
「はっ、失礼します」
大きな扉を開けて会議室を後にする。
……五年前のあの日。
准将という立場にいた俺は、陸軍……国の裏の部分を担っていた。
正しく昇進したのなら、既に今と同じ少将の地位にいた筈だった。
准将という立場で裏に務めた俺は、表立って動けない代わりに司令官を任されていたのだ。
そして、あの日からは"裏"の中でも特にアビスウイルス関係の担当になった。
拡散、侵攻を進め続けるアビスウイルスとアイヴァンス。
もはや怪物と化した者たちは、事前にこうなったときへの予測や対策をあっさりと越えてきた。
俺は、綱渡りの戦線を己の目で判断し、その場で凌いで来た。
今回の事だってそうだ。
壊滅した対アビス能力者部隊のメンバーは、俺に怒っていた衣川中将の所から選出された人間だった。
アビス能力者の予想を、試算より高い数値に身体能力や異能を設定し、それに合わせて作られた武装だった。
事実、現場にいて戦闘を見ていた対アイヴァンス部隊はその武装が有効だった事を確認し報告にも上げている。
連絡が四日遅れたのも、現場で動けるのが対アイヴァンス部隊しかいなかったからだ。
対アビス能力者部隊を壊滅させたかもしれない相手に、専用部隊でないのにあからさまに動いて調査できなかった。
それでも、責任は俺に来る。
当時、准将という立場で少将やものによっては中将クラスの権限を持っていた俺は好かれていなかった。
だが、それでも俺がこの立場にいるのは、一重に責任の所在にできるからに他ならなかった。
「上原少将、報告が」
「聞こう」
「対アビス能力者部隊、予定メンバーの選別と収集が完了しました。予定通り三部隊分の人数です」
「了解した。直ちに向かう」
本音を言えば、今対アビス能力者部隊に掛けていられる時間というのは無い。
外国の要人に提出する対アビス能力者部隊の資料を書かなければならないし、毎日ある仕事も山積みだ。
立ち止まっている暇など、無い。
訓練用の棟にたどり着き、扉を開ける。
一般的な体育館の二倍ほどの広さの場所では、十四人が防護服を着ながら訓練をしていた。
組手の途中だったのだろうか、二人一組で組んでいた手を即座にほどいて俺の方を向く。
そして、俺を視界に捉えると、組手をやめて整列をした。
「君達が衣川中将と逢坂大将の所から選抜された対アビス能力者部隊のメンバーだな」
「はっ! 此度、対アビス能力者部隊の現場部隊長に任命されました、灰倉大尉です!」
先頭の部隊長が返答をする。
部隊長だからなのか、他のメンバーが若いのに対して少し老けて見える。
「灰倉以下、君達アビス能力者部隊に今から現地の説明等をさせてもらう。準備ができしだい、会議室に来てくれ」
「はっ!」
挨拶までを確認し、訓練棟から出る。
この部隊のメンバーが来るまでに終わらせられる簡単な書類を頭のなかでリストアップし、頭を切り替えた。
◆ ◆ ◆
敬礼をしながら、訓練棟を出ていく上原少将の背中を睨む。
アイツは前から嫌いだった。
丁度タイミングが合ったからなれた少将。
偶然、裏側の担当だったから出世できた若僧だ。
五年前の事件の当初だってそうだ。
衣川中将の部隊の到着を待てば良かったのに、陣頭指揮を執り始めた。
完全に修羅場と化している戦場には衣川中将の部隊を一切触れさせず、独占したのだ。
……だが、それももうすぐ終わらせる。
衣川中将が自分をここに選出してくださったからには、やり遂げてみせる。
アイツは知らないはずだ。
この三小隊の内、二小隊は俺の部下で構成されている。
カバー仕切れない不祥事が起これば。
衣川中将の部隊、という名で功績をあげれば。
……アイツは終わる。
◆ ◆ ◆
作戦第一段階、セントラルポール制圧作戦の準備を開始してから一週間が経った。
枯渇していた武器や食料は楓や百合の奮闘のお陰でなんとか間に合いはした。
この一週間の間に何度も作戦の見直しとシミュレーションをし、全員が作戦内容を頭に叩き込んである。
作戦を見直せば見直すほど燈榎の負担が増えていくのには、誰もが頭を抱え呻いた。
それも、楓たちが武器作成の合間を縫って練習をしたお陰でなんとか連絡系統も形になった。
拠点であるここの防備に関しては、俺と桐山で全体を見直し補修をしてある。
アイヴァンスによる襲撃がなくても、劣化によって走っていた亀裂はなかなかに多く、終わる頃には二人ともへとへとになっていた。
──そして、今は拠点で終結している。
夜になり赤雲が照らす中、燈榎達以外のメンバーは全員集まって俺の言葉を待っている。
言葉は少なくていい。
少しずつ、高まった緊張に手を触れて一言。
「作戦開始。目標、セントラルポール」
動き出したら止まれない。
その、最初の一歩への号令を、出した。