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プロローグ



『──緊急警報発令。創秘エリアおよびセントレア東エリア、創紀Gエリアの職員は、防塵マスクと防塵スーツを素早く装着の後、待避を開始してください』



 そのアナウンスに、大きな施設を歩いていた幾多の白衣の人影が堰を切ったように走り始めた。

 誰もが皆、その目に困惑と焦燥を浮かべて。


 そして、骨の芯まで響く振動が体を貫いた。

 何かが大きな足を踏み出したような、不気味な揺れ。


 施設の道のガラス越しに見えていた巨大な研究設備が、降りてきた防火扉のようなシャッターに次々と阻まれ見えなくなる。


 そして、赤くなり警報を知らせるランプが回転を始めた。

 どの灯りも、映すのは宇宙服のような防塵スーツに身を包んだ逃げ惑う人々だ。

 誰もが我先に扉へと向かうせいで逆に逃げるのが遅くなっているのにも気がつかず、ただただ叫び声をあげて前の人を押している。



 ──ズンッ──



 そして、二度目の大きな振動。

 何かが破砕する音が遠くで聞こえた。


『繰り返します。緊急警報発令、創秘エリア及びセントレア東エリア、創紀Gエリアの職員は、防塵マスクと防塵スーツを素早く装着──』


 ──ブツッ。


 声の後ろで建家の軋む音とがした直後、突如としてアナウンスが途切れた。

 通信をしていた機器が壊れたのか。

 何らかの要因で電波自体が遮断されたのか。

 それとも──通信室とメインエリアのある中央管理塔が、破壊されたのか。



 いっそう激しくなる人の波を嘲笑うかのように、逃げ道のシャッターが降りていく。

 中央管理塔が機能しなくなり、操作が途切れたときの非常手段が自動で作動したのだろう。


 そうしなければ、ここで研究されていた物が。

 中のものを出れないようにしなければ、研究されていた者が。

 全て明るみに出てしまうのだ。


「だ、出してくれ! 俺は大丈夫なんだ!」


「頼むから、ここから……」


「出せよ! 出せよぉ! こんなところにいたら、死んじまう!」


 重厚なシャッターは、開くどころか緩む様子さえ見せない。

 それでも、叩く拳から血を出して助けを求める。


「出せ、出せぇええ!」


「俺には、家と家族がいるんだよ……いつも遅く帰る俺を、待っててくれる家族が!」


「俺だけでも逃げさせろよぉ!」


「頼む、一瞬開くだけ──」


 叫んでいた男達の内の一人が、違和感に気がつく。

 どうして、俺の隣で叫んでいた奴の声がさっきからしない?

 どうして、俺の腹から尖ったものが四本も生えている?

 どうして──俺は、無理矢理引き擦られるようにシャッターから離れているんだ?


「かふっ……」


 握り込むようにして腹の肉を捕みながら四本の尖った何かが抜けていく。

 その反動でシャッターから引き剥がされているのだと気がついたときには、ほんの少し前まで隣で叫んでいた奴……もはや、全身から血を流しうめき続けるただの異形の怪物となった彼が首筋に噛みついていた。

 防塵スーツを食い破るその顎力に驚くまもなくそのまま引き摺られ続け、緑の靄に入り……己の全身が変化していく激痛を感じた瞬間、自我は消えた。



 緑の靄の向こうに、人が……人……ヒト……?

 ……喰ラエ……アレハ……エサ………



 そのまま、目の前の白いエサに、己の爪を突きこんだ。

 その爪が、ついさっき己の体を貫いたものと酷似していることにすら気がつかないまま。





◆ ◆ ◆


 比較的最初の方に、施設の敷地から抜け出せた幸運な者達が数人いた。

 それぞれの出口の前で、"助かった"という僅かな喜びと、これからに対する絶望が彼らからは滲み出ている。


 己のしていたことが、おおよそ道徳に沿ったものではないことくらい誰もが把握している。

 それでも、まだ。

 一つの出口でありメインエリアに続くこの大門から抜け出せた自分達は、まだ希望がある。


 そう思いながら振り返り、二度目の絶望をした。

 自分達のいた、ドーム七つ分ほどの敷地の中心。

 その中でも一番の高さの塔が、中腰の巨大な人形のバケモノによって穴を開けられていた。

 無造作に振り抜いた拳が偶然塔を貫通したような、違和感しかない情景だ。


 そのままどこかへ向かおうとしたバケモノは、突き刺さったままで動かない右腕を煩わしそうに見る。

 そして、なんの感慨もなく……その腕を千切り、体をゆっくりと立ち上がらせる。



 コォオオオオ──……



 空洞音と遠雷の混ざったような声がバケモノから漏れた。

 その一哭きで、根本から千切れていた右腕が再生する。

 そして、再び体を丸めた。

 今度は、踞るように。



 コォオオオオ──……



 そして、二度目の哭き声と共に……突如として背中が膨らみ、破裂した。

 バケモノの赤黒い体液と背中を構成していた肉が吹き飛び、広範囲に撒き散らされる。

 その背中からは、巨大で歪な翼が生えていた。


 その翼に唐突に光の筋がはしり、弾ける。

 そして、直後にはバケモノを中心に敷地の殆どが爆発して吹き飛んだ。


 いま吹き飛んだ施設は、研究施設がぎっしりと詰まっている所だった。

 その施設は、あのバケモノの元になる物が幾つもあった。

 爆風に乗って、不気味な緑色の靄が広がる。

 バケモノの体表の傷という傷から、靄が漏れ出た。


 爆風に驚いて必死に逃げる鳥が。

 泣くのを止めていた虫が。

 施設の周りの木々が。


 腐食し、変質し、体を肥大化させて暴走を始める。

 そして、その怒濤は、助かったと思い込んでいた男達をあっさりと轢き潰した。





 ────これが、世界の破壊(ワールドエンド)の始まり。


 日本のある地で弾けた悪意が、世界に広がった瞬間である。

 



 

◆ ◆ ◆



 バケモノが現れた数分後。

 中央管理塔が機能を停止したと同時に、陸軍本部に連絡が来ていた。


「上原准将、緊急です。場所は東京湾岸。コード93Gです」


「……ついに起きたか。状況は?」


「予測値最大のアイヴァンスが中央管理塔にとりついています。フェーズⅤです。また、アビスウイルスは空中飛散と海水への侵食を進めています」


「対策はどこまで生きている」


「元々施設についていた予備対策は全滅、施設周辺の対策は光粒子バリアが有効に働ています。アイヴァンスはフェーズⅡまでが光粒子バリアに届いていますが、現状危険という報告は受けていません」


 上原准将と呼ばれた男は悔しげに顔をしかめた。

 施した対策の数は50を軽く越える。

 それほど施して、一つしか有効と言われていないのだ。


「……ウイルスの拡散は」


「空気拡散は、予想距離より五キロほど広いですがそれ以上の範囲では影響は現在見られません。どちらかというと、海水への侵食が深刻です。濃度が高いまま施設から垂れ流し状態で現在も拡散を続けています。予想では……遅くとも一年以内に、太平洋からインド洋にかけての海域はウイルスで染まるかと」


「了解した。初期動作が肝心だ、なんとしてでもアイヴァンスの侵攻は抑えろ。それと、情報のまとめと会見場を至急用意しろ」


「はっ!」


 既にまとめは用意していた優秀な部下を見送り、資料を読む。

 会見は、日本だけではなく世界に発信するものだ。

 情報の精査。開示する情報の選択。そして、指令。

 どれもが己の肩に掛かっているのだ。


 アビスウイルスによって、生物としての存在を変えられたアイヴァンスという名のバケモノ達。

 ウイルスには光粒子が有効だということ。

 それから、拡散の早さと影響。

 これらを開示しなければならない。


 しばらく資料をめくる音が響いたあと、上原はその顔を歪ませた。

 確認された被害のうち、アビスウイルスによる物でもなく、アイヴァンスによる物でもない二つの被害届。


 曰く──、


 ──子供達が半狂乱状態で逃げ回るなか、突如として保育所が燃え上がった。

 ──逃げ惑う人達で溢れた大橋が突然切断され、ずれ落ちた。

 


 予想されていたことではあった。

 アビスウイルスが見せる、生物の変換。


 それによって、"人ならざる者"が生まれたということ。

 己に突然宿った力が、何なのかすらわからないまま振るう者たちが世界に産み出された瞬間でもあった。 



 会見の会場に向けて、上原は歩きだした。

 その顔に、中身こそ読めない焦燥を湛えて。






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