1.始まりと戦い
その日、誰かが願った。
――人間なんて、滅びてしまえば良いのに。
きっと、誰もが一度は持った事があるだろう、そんなありきたりな願い。しかし神様は、そんなたわいのない願いをうっかり聞き入れてしまった。
神様はその願い叶えるために地球へと舞い降りた。
西暦2020年。
そうして、人類の滅亡が始まった――……
* * *
狭い空間。そこにある座席に、一人の男が腰掛けている。一定のリズムで激しい振動がその空間に起こり、男の身体を衝撃が襲っていた。その振動は、男がフットペダルを踏むのと同期して起こっていた。
そして狭い空間の周囲には、しかし、遠くまで風景が――元は建築物であった瓦礫の散乱する、荒廃した大地が広がっていた。
――ここは、コクピットだ。
全周囲は強化ガラスで出来たマジックミラー。パイロットである男の顔は、フルフェイスヘルメットのシールドのような物で覆われていた。
男はそれら越しに、周囲の風景を肉眼で見ていた。
視界の端には、男がフットペダルを踏み込むたびに、巨大な、金属の手足が映り込む。地上8メートルからの視点。男が駆るこの乗り物は、自動車でも飛行機でもない――人型の兵器だ。
その機体の外観は、左右非対称であった。全身は銀系色で統一されているものの、右半身の装備が異様に巨大。対して左半身の装備は、その背面肩部に装着された、細身の刀一本だけだった。
大地を駆ける機体。そのセンサ類の集約された頭部では緑の単眼が煌々と輝き、大地に軌跡を描き出していた。
「こちらシルバー。まもなく接敵予想ポイント」
大型のマスクで覆われた男の口から、呼吸音が溢れた。
『こちら管制室です。今回は単独任務ですから、無茶はせず、目的を達成したらすぐに帰投行動へ移ってくださいね』
「了解した」
男が深く、フットペダルを踏み込んだ。先よりも激しい衝撃がコクピットと、その中の男を襲う。一瞬でブラックアウトを引き起こしそうになる彼の意識を、耐Gスーツが繋ぎ止める。スーツに流れる水の圧で下半身を締め付け、現世に留まらせる。
男の髪が衝撃で揺れた。彼のコードネームにふさわしいような、銀色の髪が揺れ、シールドの向こうの、彼の瞳が露になる。彼の瞳は、ただ行く先だけをまっすぐに見ていた。
シールドは、強化ガラス越しに見える周囲の景色に、様々な情報を付与していた。彼の視界には、現在地の座標や方角、機体の状態、自身のバイタルサイン等が映し出されていた。ただのシールドではなく、それは拡張現実(AR)機能の付与されたウェアラブル端末――グラスビュアなのだ。
と、そのグラスビュア内に赤いカーソルが産まれる。男の視線がそちらへ向けられると、カーソル内の景色――その一部が拡大表示された。そこには、赤黒い、しかしノイズが走りその全容は掴めない何かがあった。それこそが――敵。
「敵影確認。これより戦闘に入る」
『こちらでも確認しました。戦闘の開始を許可します』
男の操縦桿を握る手に力が入った。それに呼応して、機体の両手がギリギリと金属音を鳴らし、その右腕に装着されていた装置が作動した。
上腕に固定されていた装置が迫り出し、下腕から手首に掛けてを覆い隠す。巨大なそれは、一言で表すなら――杭打ち機、だった。ただし、そこには杭は存在せず、側面にカートリッジが取り付けてあった。
巨大な右腕を左手で支えるように構え、一直線に大地を掛ける。機体はさらに加速を続けながら、荒廃した大地を駆ける。地面は機体の踏み込む力に耐えられず、亀裂を走らせながら陥没していく。
あっという間に数百、数千という距離を駆け、グラスビュアによって拡大されていた敵に、ガラス越しに目視できるまで接近していた。
「敵を目視で確認。グリード型、10メートル級、数は1と断定」
男の視線の先に蠢く敵は、異形そのものだった。
その存在には、目がなかった。鼻がなかった。口がなかった。耳がなかった。髪もない。そもそも顔が、頭がなかった。胴体もなく、足もない。唯一、腕だけがある。
――腕。腕。腕。腕。腕。腕。腕。腕。腕。腕。腕。腕。腕。腕。腕。
それは、人間のものに酷似した、腕の塊だった。互いが互いの腕を掴むようにして団子状態となって組み上がった、物体とも生物とも言い難い存在。高さにすれば10メートル――男の駆る機体とほぼ同等の大きさをもつその存在は、自身の腕を掴むのと同じように地面を掴み、男の駆る機体の方へと轟音を立てながら転がってきていた。
機体が駆ける際に起きる地鳴りを感じ取って、こちらの存在を感じ取った……のかどうかは不明だが、ただ一つ間違いない事があった。それは、その存在が敵意を持ってこちらへと迫ってきている、という事だった。
『御武運を』
男が操縦桿を操作したのに呼応して、杭のない杭打ち機が稼働し、カートリッジからの装填音を響かせた。事前に収集した情報通り、敵が1体だけであった事を確認した男は、一撃必殺にて勝負を決めんと敵へと迫り始めていた。
互いにその進行速度は、巨体に比例するかのように凄まじいものだった。数百メートル、あるいは一キロ以上という距離が、瞬きをする間に縮まっていく。
それゆえに、交錯もまた一瞬だ。
――男が、吠えた。
機体が呼応するかのようにいっそう強く、踏み込みを掛ける。辺り一帯が陥没する程の衝撃が地面へと叩き付けられる。と同時に、敵へと、その巨大な右腕が叩き付けられる。
同時に敵から伸びてくる、無数の、腕。腕。腕。それが機体のあちこちへと絡み付かんとする。一度掴まれたならば、その細身の腕からは考えられない程の握力にて、装甲を握りつぶしながらその塊の内へと引きずり込まれる。そして機体は、パーツの一つから、パイロットまでもを圧壊させられるだろう。
――しかし、その一瞬を制したのは男。
男は敵との接触と同時に、操縦桿の引き金を引いていた。機体の右腕に取り付けられた装置が機動する。甲高い音が周囲へ響く。右腕の装置全体に、緑色のラインが浮かび上がる。それはコクピット内に座る男――そのスーツも同様だった。
機体の単眼が、一層に煌々と、緑の輝きを放った。
そして、
――音が、消えた。
ただ、光だけが周囲を襲った。杭打ち機の射出口から激しい閃光が発せられた。そして一瞬遅れて、音と衝撃、爆煙が男を襲った。
耳鳴りの中視界を覆い隠していた爆煙が徐々に晴れていく。同時に、空からいくつもの肉片と血が、雨のごとく降り注いだ。晴れたそこにあったのは、銀の装甲を赤の斑に染めた機体と、下弦の月の如く、体積の半分以上を欠損した敵の姿だった。
機体が突き出した右腕の周囲は、装置から発される熱で、景色が歪んでいた。稼働音が鳴り、装置から空になった薬莢が排出され、地響きを立てた。
ぐらりと、敵が沈み込むかのように崩れた。敵がバラバラと、腕の塊から散乱する腕へと成る。そんな敵の、背後の地面には、無数の穴が刻まれていた。装置から射出されたのは、無数の弾丸だ。装置は――零距離射撃用のショットガンだったのだ。
とはいえ、その巨大さにより、人間が普通に用いるショットガンとは全くの別物と言っても良い程に構造も違えば、あの化け物に効果的に打撃を与えられるよう、特化した改良が加えられたものでもあるが。
「……グリード・1、討伐完了」
『障害の排除を確認しました。周囲の状況を確認しながら、任務を遂行してください』
男が息を吐きながら、操縦桿を引く。それに合わせて、機体もまた腕を引き戻した。同時に、下腕に装着されていたショットガンも上腕へと収納されていく。
と、その時。機体から赤色が徐々に消え、元の銀の輝きを取り戻し始める。男の視界では、当たりに散らばった肉片や血、そして敵の本体たる無数の腕が、赤い煙となり、空に溶けるように、消えていっていた。
男はそれを少しだけ見てから、機体を動かし、目的地付近へと機体を歩ませ、停止させていた。
機械の腕を伸ばし、崩れた建物の一つを壊し除ける。そして、両腕を地中へと腕を差し込み、引き抜いた。軋みを上げながら機体が引き上げたそれは、箱だった。正確には、周囲を強固なシェルターで覆われた地下室だった。
「目標を確保。これより帰投する」
『すぐに回収班を向かわせます。合流ポイントへ移動してください。確保、お疲れさまでした』
通信が途切れ、機体は金属の箱を脇に抱き、歩き始める。その頃には返り血は全て赤い煙と成って消え、元の、銀系色で統一された機体の美しさを取り戻していた。
敵もまた完全に消え去り、後に残されていたのは、戦闘で引き起こされた破壊のみだった。
「必ず、オレ達がテメェ等を……」
ぽつり、男の口から言葉が溢れた。
男の視線は遠方へと向けられていた。グラスビュアが反応し、視界に情報を書き加える。映し出されたのは、赤一色の世界。赤の一つ一つが、敵を示していた。その数は、千とも万ともつかなかった。
中でも特に赤の濃い場所――そこにはまるで、それが彼等の核であると言わんばかりに巨大な一つの赤色があった。
「今度こそ……オレ達がアレをぶっ潰して、貴方が守りたかったこの世界を守ってみせます――タノムさん……」
そう呟いた銀髪の男は、真っ黒な耐Gスーツの上から『義』の文字が刻まれた真っ赤な羽織を纏っていた。
西暦2040年4月。絶望が始まってから、20年が経過し……そして未だ、絶望が終わらぬ年の事であった――……




