法皇
まず、動いたのは、白人少女を庇うニクソン氏だった。
自らの周囲に大量のナイフを出現させて、それを死神くんに向かって投擲する。
ひらりと避けながらも突撃する死神くん。
当然、ぼくも巻き込まれそうになったので、慌てて避ける。
ここで戦いを見物すると言った手前、生き残る最大限の努力は流石にしなければならないだろう。
難儀なことだ。
少し距離をとり、再び死神くんたちの方へと目を向ける。
ニクソン氏の懐まで間合いを詰めた死神くんが、大鎌の一閃を放つ。
だが、ニクソン氏は白人少女と共にその場から姿を消した。
「そういえば、名前を言ってなかったね、あたし」
声のする方へと目を向けるとビルの看板にちょこんと座る白人少女とそれを守護するように浮遊するニクソン氏の姿を確認する。
死神くんもそちらを一瞥し、
「その、セミ・オートマごと引き裂いたつもりだったんだがな。つうか、殺しあいに名乗りは不要だぜ? 何より意味がない」
そう嗤うように言った。
白人少女は相変わらず不敵な笑みを浮かべ、
「意味ならあるよ。自分を殺す相手の名前くらい知っておいたほうがいいでしょう? あたしは、アイリ・ブラック」
そう名乗った。
「殺す、殺すか。はは、ははは、はははは」
それに死神くんは今世紀最大のジョークでも聞いたとでもいうように笑い転げてから言った。
「このおれを殺すねえ。どうやらマジのようだが、本当にあんたにできるのかい? アイリ・ブラック」
その問いにアイリ・ブラックはいままで浮かべていた笑みをすっと引っ込めて、
「うん、できるよ。そのための時間は稼いだからね」
怖気が走るほどの冷酷さ秘めた声音でそう言った。
刹那、死神くんの体中から刀身が生えた。
まるで、アスファルトを突き破る雑草のように力強く萌出した。
その刀身を鮮やかな赤で染めて、その存在だけで殺意を現していた。
それだけでは終わらない。
まるで意思があるかのように死神くんの体中から刀身が這い出てきた。
そして、露わになるは長剣とも表現できそうな―――現在では滅多にお目にかかれない―――刃渡り70センチ程の剣だった。
それが、大量に―――最早、数をカウントするのもうんざりする程の大量の長剣が―――死神くんの体から飛び出す。
体中を痙攣させながら、死神くんはその場に崩れ落ちた。
血の海が出来上がる。
アイリ・ブラックは満足げにそれを眺めて、
「人類に数々の大きな犠牲を出したタイプ・タナトスくんは、超絶美少女アイリの前に滅び去ったのでした~。ぱちぱちぱち」
ビルの入り口に転移して再びにこやかに微笑んだのだった。
そして、ニクソン氏と共に消えるアイリ・ブラック。
「すごいでしょ? これが、あたしのCU能力でセミ・オートマの転移」
突如として背中に暖かくて柔らかい感触が襲う。お腹の辺りにも軽い圧迫感を覚える。見ると華奢な腕がぼくの胴体をしっかりとホールドしていた。
どうやら彼女は、ぼくの後ろに転移したようだ。
「本当に男の人なんだね。すごく細いけど、ちゃんとがっしりしてる。ねえ、自分の顔を鏡でちゃんと見たことある?」
ぼくの耳元でアイリ・ブラックは囁く。
「残念ながら、ぼくは自分の顔を鏡でまじまじと見つめるようなナルシストじゃないんだよ。それより、いいのかい? こんな不用心に後ろから抱き着いたりして。もし、ぼくが能力者だとしたら君は殺されちゃうかもしれないぜ?」
あんまり舐められるのも癪なので、すこし脅してやることにした。
ぼくの忠告………というか警告にアイリ・ブラックは、ふふ、と笑い、
「それは大丈夫。こうして触れている以上は、あたしはいつでもあなたを殺せるから。それも、あなたが行動を移すよりも早く、確実にね。上半身だけ別の場所に転移させて、ジ・エンド」
随分な余裕を見せながら、そんなことを言うのだった。
それから、彼女は手をゆっくりとした動作で腹部、胸、首筋と這うように伝わせて最後にぼくの頬に落ち着かせてから言った。
「あなたね、女の子がみんな嫉妬しちゃうぐらいの美少女顔だよ? 目元はぱっちりしてて、二重だし、顔とかすごく小さいし、鼻もすっとしてて、唇なんかすごくふっくらしてるし、すっごく可愛いくて綺麗。ねえ、あなた、あたしのものにならない?」
………他人の口からこんなことを言われるとなんというか悪寒が走るな。
ぼくとしては、その外見が嫌いだからこそ鏡を見たくないっていうのに。
他人のコンプレックスを刺激して、そんなに楽しいのだろうか?
「………嫌だ、断る。さっきから黙って聞いてりゃあ、なんだ? 可愛い? ふざけるな! そんなもん男に向かって吐いていいセリフじゃないぜ? じゃあ、もし仮に君が男から『君はすっごく男らしくてかっこいいね! 付き合ってよ!』とか言われたとしよう。どうだ? 殺したくなるだろう? それと一緒だ」
だから、ぼくはそう吐き捨てるように言った。
「せっかく褒めてるのに、そんなに怒んなくてもいいじゃん。ま、それはどうでもいいとして、おとなしくあたしのものになってた方がいろいろといいと思うよ? まず、あなたの置かれている状況だけど、我らが世界政府アメリカは始まりの亡国ニッポンでの唯一の生存者―――つまり、あなたのことだけど―――に現在のこの状況を作り出した‟重要参考人”としてその確保、それが不可能な場合は速やかに暗殺することを正式に決定しちゃいました。だからあなたはここで死ぬか、あたしたちに付いてくるか以外に選択肢がないのです。………ここだけの話だけど黙って付いてきた場合でも碌な目に遭わないと思うけどね。だけどあたしのものになっちゃえばそんな心配はありません。何故ってそりゃあ、あたしが全力であなたのことを守るから」
ぼくの首を指で撫でながらアイリ・ブラックはそう言った。
………なんというか猫にでもなった気分だ。
それにしても予想通り、とは言わないが、とんでもない事態になっている様子だった。
この状況を作り出した重要参考人? 全くもって身に覚えがないのだが。言いがかりも程々にして貰いたいものだ。
ていうかここで、一つの疑問が浮き上がってくる。
それを彼女に訊いてみることにする。
「なんで、ぼくが日本にいることが、アメリカの連中に把握できたんだ? 47都道府県を津々浦々監視なんて真似は流石にできないだろう?」
その問いに対し彼女は一瞬呆けたような表情を浮かべ、
「そんなこと出来る訳ないじゃん。ていうか、マジで身に覚えないの? ………あなたさ、この間インターネットしたでしょ? その時の通信をエシュロンが傍受してたんだよ。日本からインターネットの使用が確認されたときのペンタゴンの連中の慌てぶりったらなかったね。傑作だったよ、あれは。
まあ、ともかく、NSAとCIAを舐めちゃいかんってことだよ」
迂闊だったね、と憐みの視線をぼくに向け心底あきれたような口ぶりでそう言ったのだった。
ああ、本当に迂闊だった。
そもそも、エシュロンなんて都市伝説程度にしか考えてなかった。
本当に存在していたんだなぁ、エシュロン。
そんな感慨に打ち震えていると少し離れた場所から轟音が響き渡った。
それに遅れて爆風がぼくたちを巻き込もうと迫っていた。
そろそろ逃げないとマズそうだが、アイリ・ブラックがぼくに抱き着いているせいで逃げ出すことができない。まあ、ここで終わるとしても一切の未練はないので、別に構わないが。道ずれがいるだけ少しはマシなのかもしれない。
そして、爆風はぼくたちを巻き込ま―――なかった。
ニクソン氏が唐突にぼくたちの前に現れると爆風を―――さながら海を分かつモーゼの如く―――引き裂いて見せたのだった。
これで、ぼくたちの生存空間は確保された。
アイリ・ブラックはふう、と溜息を吐くと、
「そろそろここもやばそうだね。それじゃあ、帰ろうか」
おいで、とニクソン氏を呼び戻し言った。
「それを易々とさせると思うか?」
刹那、ニクソン氏は大鎌の一閃によって切り裂かれ消滅した。
「うそ、なんで? 絶対に仕留めたはずなのに」
アイリ・ブラックの声に驚愕の色が滲む。
ぼくの眼前には、それを成した人物―――連中からは、タイプ・タナトスなんて名前で呼ばれていたが―――即ち死神くんが、まったくの無傷で佇んでいた。
「油断したな、アイリ・ブラック。つうか、あれぐらいで、よくこのおれが殺せると思ったな。まあ、御蔭で気持ちよく不意打ちできたが。なあ、あのセミ・オートマを再構成するのにどれぐらい掛かるよ? どんだけ早い奴でも十分は掛かるよな」
完全な詰みだよ、と死神くんは冷徹に笑った。
「舐めるな! タイプ・タナトス!」
激昂し叫ぶアイリ・ブラック。その傍らには再びニクソン氏の姿があった。
「………随分と早いじゃないか」
「あたしが、あなた相手になにも対策を練らなかったと思った? 十分に想定済みの事態だよ、タイプ・タナトスくん。正直あたしはあなたと戦わなくても彼をどうにかしてしまえば、お仕事は終了なんだよね」
っち、と舌打ちをして死神くんはこちらに詰め寄る。
それを余裕の笑みを含んだ声音で迎え馬鹿にするようにアイリ・ブラックは言う。
「じゃあね、タイプ・タナトスくん。次に遭うときは全力をもって、殺してあげる」
「相変わらず詰めが甘いわね。蒼太」
突如として白い光が辺りを覆う。
それは儚く、どこか冷たい光だった。
あまりに神秘的な光景に目を奪われてしまう。
その光に包まれたニクソン氏は成す術もなく消滅した。
アイリ・ブラックはそれを成した存在を認めると驚愕に震えながら、
「タ、タイプ・ニルヴァーナ………」
それの名を呼ぶと、その場で昏倒した。
ぼくも彼女に倣いその存在を半ば放心した状態で眺めていた。
それは―――いや、彼女は、ぼくのよく知っている女性だった。
ぼくが初めて心を許した―――少なくとも彼女のためなら何を犠牲にしてもいいと思えるぐらいには―――女性が生前と変わらぬ微笑みをぼくに向けてくれていた。
「………朱音姉さん」
意を決して彼女の名を呼ぶ。そうしないと儚い幻のように消えてしまいそうだったから。
「ひさしぶりね。わたしの弟君」
そう言って姉さんは優しい笑みを浮かべたのだった。




