悪魔
夕お姉ちゃんと朱音姉さんは、今考えてみれば類似点がかなり多かったと思う。
まず、嘘を吐くのが好きだった。
益体のない嘘をついてぼくをからかうのが、とても好きだった。
それでもぼくは、彼女のことならなんでも信じてしまうのだけれど。
しゃべり方だって似ていたし、何より―――
「いつも笑っていたよな」
そうだ。彼女はいつも笑っていた。
ぼくはそんな彼女の笑みが大好きだった。
あの笑みが見れるのなら何もいらない、と素直に思った。
「だからかな。姉さん」
だからぼくは自ら殺してしまった夕お姉ちゃんの思い出から姉さんを作り出してしまったのか。
わからない。
わからないことばかりだ。
そもそも、姉さんは本当に夕お姉ちゃんなのか?
金村医師は何を根拠に姉さんを夕お姉ちゃんと断言したのか。
わからない。
本当にわからないことばかりだ。
姉さんは言った。
死ねるときに死ねないというのは、本当に不幸なことなのよ、と。
あの子を殺せば、その願いは叶うのだろうか?
わからない。
すべてがわからないことに満ちている。
だが―――
「いまは、そんなことを考えている場合じゃないだろう」
そうだ。
ぼくは為すべきことを為さなければならない。
『緊急事態! 緊急事態! ワシントン各地にてクリーチャーズが多数出現! 戦闘のできるものは直ちに出撃せよ! 非戦闘員は―――』
やかましい館内放送がペンタゴンにて響き渡る。
人たちは慌しくあちこちと動き回っている。
死神くんと姉さんがこっちに転移したのを合図にアイリが集めておいた星の抗体の覚醒者たちを能力でワシントン中に転移させているのだ。
その対応に追われてペンタゴンの連中はみんな大忙しというわけだ。
だが、そんな忙しい中にあってもみんなぼくのことなんて見向きもしない。
というか、ぼくの周囲だけまったくと言って良いほどに人が近寄ろうとしない。
「やあ、意外と早かったじゃないか。ガール。いや、本当はボーイなんだね。春青柳くん」
炎人とでも形容できそうな人物がそこにいた。
髪は燃え上がるような―――ていうか、実際燃えているためオレンジ色の明かりが目に痛い。
顔は整っていて、相変わらず長身だ。
体だって燃えあがっているが、決して丸裸というわけではなく、炎をまるで衣服のように纏っているため、安心できる感じになっている(炎といっても熱も煙もないため、スプリンクラーは一切働かない)。
そう、彼は姿こそ変わり果てているが、正真正銘、ミカエル・ブラックその人だ。
ぼくはあのとき、人気のない部屋を見つけてそこに催眠状態のミカエルさんと一緒に入り、『処理』を済ませたのだった。
基本的にぼくが執行者であるようなので、星の抗体を強く念じることにより呼び出すことができるのだ。
ちなみに、ぼくは祝詞を一切、口にすることなく呼ぶことができた。
代理権者と執行者の決定的な違いは多分そういうことなのだろう。
だが、それでもあのポエムは―――いや、やめておこう。
姉さんの名誉のためにも、そして、なにより、ぼくのためにも、そっとしておくのは必要なことなのだ。
それはさておき、ミカエルさんの能力によって周囲の人たちは、ぼく達を一切認識できないようだった。
ミカエルさんの周囲をクリオネのような半透明体のセミ・オートマがふわふわと遊泳するかのように飛んでいる。
恐らくは、ここには何もない、と周囲の人間に誤認識させているのだろうと推測した。
ぼくは気を取り直し、ミカエルさんに話し掛ける。
「いままで騙すような真似をして済みませんでした。改めて自己紹介を。ぼくは、榊蒼太。この騒動の元凶です。でも、そんなことはどうでもいいでしょう?」
ミカエルさんは、やれやれ、と肩を竦めて答える。
「確かに、そんなことはどうでもいいな。それより、私の妹は―――アイリは無事なのか?」
「やっほ、ミカエル」
「――――――!」
ニクソン氏と共にアイリ達がいきなり転移してきたため、かなりぼくはびっくりする羽目になった。
それと同時にぼくたちを避けるように慌しく動き回っていた人たちが一瞬にして消え去った。
「全員、上空八十キロメートルのフライトにご招待しちゃいました」
そう言って、てへぺろ☆ してみせるアイリ。
それに、うわぁ、とドン引きしたような表情を浮かべる香月、リーシャちゃん、シルバさんだった。
どうやら、一緒についてきたのはこの三人だけらしい。
「アイリ、なのか?」
妖精さんの姿に成り果ててしまったアイリに恐る恐る誰何するミカエルさんは感極まった様子だった。
そんなミカエルさんにアイリはにっこり笑って、
「そうだよ、ミカエル。ミカエルは、イケメンになったじゃん。よかったね」
茶化すようにそう言った。
「よかった! 君が無事で本当によかった!」
「まあ、厳密に言えば、決して無事ではないけどね………」
安心した様子のミカエルさんにアイリは苦笑いで答える。
二人とも感動の再会ができて何よりだろう。だが―――
「敵襲だよ! みんな準備をしっかりね!」
香月がその場の全員に注意喚起する。
各々、それに応えるかのように表情を引き締めていく。
『クリーチャーを数体確認。これより、戦闘に入ります。善良なる国民の皆様は速やかなる戦闘領域からの離脱を推奨します。セーフティ解除―――』
それらは、極めて機械的な―――それでいて、非常に流暢な―――アナウスを流しながらやってきた。
ライオンが二匹に狼が三匹、ハイエナが五匹に犀が1匹の計十一匹の動物達。
だが、それらはどれも明らかにぼくの知っている動物達とは違っていた。それぞれの個体が思い思いのアレンジを加えられている。体のあちこち―――足の筋肉などはそのままに―――をサイボーグされた動物達。
ライオン達は両肩に機銃が取り付けられ、狼達は横腹にブレードを取り付けられ、ハイエナ達は爪を強化され、犀はほぼ全身をサイボーグ化されているため、それだけで脅威といえた。
『戦闘開始』
突撃してくる動物たち。
それを見て、アイリは深く溜息を吐き、
「まったく、どれだけ雑魚が来たところで相手になるわけないのにねえ。ニクソン―――」
「待って、アイリちゃんは蒼太を送ってあげる準備をして。あれは、あたし達が片付けるから」
ニクソン氏に命じ何かをしようとしたところを香月に止められた。
それにアイリはにっこり笑い、アイアイサ~、と言ってぼくの所へやってきた。
「それじゃあ、あたしと手を繋いで場所をイメージしてね。でも、まだ余裕っぽいから殲滅線を見ててもいいよ」
とアイリは、ぼくの手をがっちり掴むとそう言うのだった。
「あれをやるから、シルバさんは援護を! リーシャは突破してきたやつをお願い! あと、アイリちゃんのお兄さんはセミ・オートマみたいだけど何の性質か分からない奴を戦術に組み込むのは危険だから下がってて」
香月の指示に了解と三人の声が重なる。
まずは、RPGを作り出し犀に向けて発射する香月。
響き渡る轟音。
耳が痛い。
ていうか、こんなところでそんな強火力なものをぶっ飛ばしたら味方にも被害が―――
と思ったが、杞憂だったようだ。
シルバさんの念動力で爆風はすべて敵側の方に包み込むように集中しているようなので建物にも被害が出ている様子はない。
現に壁は無傷だ。
だが、爆炎で動物たちの安否が確認できない。
爆炎が収まる。
と、三匹生き残っていた。
ハイエナが二匹と狼が一匹だ。
三匹とも満身創痍だったが、それでも、その凶悪な殺意だけは衰えが見られない。
それを確認したリーシャちゃんが奴らに向かって走り出す。
まずは、狼の首の辺りを凶悪な牙で噛み付くとそのまま振り上げて地面に叩きつけた。
それで、狼はノックアウト。
続いて、正面から襲い掛かってきた一匹のハイエナを爪で撃退する。
片割れのハイエナも狼に続きノックアウト。
その際に生じた隙を片割れのハイエナは見逃さなかった。
リーシャちゃんの横っ腹にハイエナの鋭い爪が突き刺さるかと思われたその時だった。
リーシャちゃんの姿が消えたのだ。
アイリが転移させたのか? と思いアイリの横顔を盗み見るが彼女はなんだか呆けたような顔をしていた。
どうやら、アイリの仕業ではないようだ。
では、リーシャちゃんはどこに行ったのか?
答えは眼前にあった。
少女がいた。銀色の髪とブラウンの瞳の十代前半ぐらいだと推測されるその少女は普通の少女が持ち得ないものを三つ持っていた。
一つが狼のぴんと立った耳。
一つは少女のお尻から生えた狼の尻尾。
一つは鋭く伸びた爪だ。
変身。
彼女の能力によって変身した姿なのだとぼくは一人で納得する。
全裸なのを恥らう様子もなくリーシャちゃんは鋭い爪でハイエナの首から腹に掛けてを切り裂いた。
これで、三匹ともノックアウトされた。
すぐさまリーシャちゃんは元の姿に戻った。
ペンタゴンの広い廊下で彼女の巨体は結構な存在感がある。
さっきの姿をみていると尚更だ。
ずっとあの少女の姿でいた方がいろいろ便利だろうに、と思ったが以前能力の行使は疲れるから嫌だ、と言っていたのを思い出す。
やっぱり、こっちのほうが楽らしい。
難儀なことだ。
戦闘が終わったところで、ぼくは目を瞑り集中する。
イメージするのは、ぼくが思い出すことのできる最古の光景。
あの子と一緒に生活した日々の記憶。
場所を捉えた。
アイリが目敏く察知した様子で言う。
「よし、イメージできたみたいだね。それじゃあ、みんなで―――」
「だめじゃないか、そうちゃん。あの子の所へはきみ一人で行ってもらわないと」
気づけば、アイリの背後にシアンが立っていた。
その手が、アイリの胸の辺りを―――
「アイリィィィ!!」
その場に香月とミカエルさんの絶叫が響き渡る。
アイリが泣きそうな目でぼくを見ている。
彼女の胸の辺りには、シアンの抜き手が突き刺さっていた。
可憐な唇から血が吐き出される。
そして、引き抜かれる凶手。
世界が赤く染まった。
「勝手に逃げてんじゃねえ! 『興隆』」
死神くんが遅れてその場に現れて大鎌の一閃をシアンに放つ。
それをひらりと避けるシアン。
その場に崩れ落ちそうになるアイリをぼくはお姫様抱っこして、すこし離れた場所まで移動しそっと床に降ろす。
床に血が広がる。
死の海が出来上がろうとしていた。
命の終焉を告げる死の海が。
正直、ぼくにはどうすることもできない。
ぼくにできるのは―――
「ねえ、そうた、あたし、いっしょに、行けなく、なっちゃった。でも、ニクソンは、まだ、消えてないから―――」
そこで、アイリは吐血してしまう。
「無理にしゃべっちゃ駄目だ。落ち着いて」
アイリは首を振って続ける。
「いいの。しゃべらせて。そうた一人なら、送って、あげられる。ねえ、そうた、お願いが、あるの」
「なんだい」
「嘘でも、良いから、好きって言って―――」
ぼくは、彼女の言葉を遮って唇を奪った。
いつかのお返しに舌をねじ込ませる。
セカンド・キスも鉄の味だった。
ゆっくりと唇を離す。
「好きだよ、アイリ」
アイリは花のような笑顔を浮かべて言った。
「えへへ、ありが、とう。ばい、ばい、そうた」
視界が一瞬にして、切り替わる。
転移したのだ。
彼女の最期の力で。
ぼくは、為すべきことを為さなければならない。
目の前の人物に目を向ける。
「逢いたかったよ! そうちゃん!」
ぼくのターゲットにして、実の妹の虹村碧がそこにいた。