塔
「なにかしら? わたしの弟君」
姉さんは尊大な笑みを浮かべてそう言った。
「それは、本当に姉さんの意思なのかい? ここにいる全員にしたってそうだ。元人間なら何か思うところがあるんじゃないのか?」
実のところ一番気になっていたのは、このことだった。
生前の姉さんは、少なくとも世界の終わりを望むような思想の持ち合わせはなかったはずだった。
他の連中にしたって自分が化け物になったからといっても、そこに収まっているのはちゃんとした人間の人格なのだ。特にアイリはついさっきまで、抵抗の意思を見せていた。
何かが、おかしいのだ。
「まあ、正直に言うとこれは、わたし自身の意思とは言い難いわね」
姉さんは少し寂しそうな笑みを浮かべ、
「わたしの思考は、かなり世界の意思に引っ張られている。その自覚はあるわ。他の人たちはちょっと違うかもしれないけれど、大方似たようなものだと思う」
そうよね? という視線を全員に向けた。
「そうだね、さっき身をもって経験したけど、これって本当にやばいと思う。あたしはあたしだと確かに認識できるし、記憶だってちゃんとしてる。だけど、こうなる前には、ちゃんとあったクリーチャーズに対しての憎しみなんかは綺麗になくなってる。不思議だね。あんなに憎いと思っていたのに今じゃ人間のほうが憎いと感じている。これを簡潔な言葉に表すなら―――
あたしはアイリ・ブラックであると同時にアイリ・ブラックではない、と言うことかな?」
アイリはそう言うと香月の豊満な胸に顔を埋め甘えるのだった。それに応えるようにアイリの華奢な身体をきゅう、と抱きしめる香月。
………かなりレズレズしい光景だった。
どこか蕩けた表情で香月は、
「正確に言うなら、あたし、黄香月はすでに死んでいて、ここにいる〈あたし〉はその記憶と人格をトレースした星の抗体なんだよ。アイリちゃんにしたってそう。繰り返し言うけど、あたしたちはすでに死んでいる。
だから、まったく別の存在だと考えてくれていいよ」
ぼくに向かってそう言った。
なるほど、いかに人間としての記憶や人格を備えていたとしても、その本質は星に害するものを打ち滅ぼす守護者ということか。
初めに香月と会った時に人間という言葉を用いていたことを思い出す。
自分が人間だという自覚があるのなら、人間なんて表現は―――恐らくだが―――用いないはずだ。
いま、その違和感が綺麗さっぱりなくなった。
そういえば、星と世界という言葉を使い分けているような気がするがどういうことなのだろうか?
星の抗体。
世界の加護。
その疑問を口にする。
それに答えをくれたのは、姉さんだった。
「星はその身体そのもので、世界は星の精神だと考えてくれればいいわ」
ふ~ん、だから〈星の意思〉じゃなくて、〈世界の意思〉という訳か。
姉さんは、自分の意思が世界の意思に引っ張られている、と言っていた。
ならば、姉さん自身の〈本当〉の望みはどうなのだろうか?
それを訊くために言葉を紡ぐ。
「じゃあさ、姉さんの本当の望みはなんだい? ぼくはそれに従って行動したいと思う。この世界の意思じゃなくて、姉さんのためだけに」
星の危機? 世界の意思? ぼくはそんなもののために行動を起こしたくない。
そんなものは筒みたいな帽子をかぶった笑わない死神さんにでも頼めばいいのだ。
ぼくは他でもない姉さんのために動きたい。姉さんのためだけに。
それが、ぼくの望みだ。
たったひとつのぼくの願い。
姉さんはぼくの瞳を覗き込み、
「わたしの本当の望みはね、わたしが本来あるかたちに戻りたい。ただ、それだけ。
でも、その願いはまだ叶わない。
何故だか分かる?」
本当に寂しそうな笑みを浮かべてぼくにそう訊いた。
ぼくは首を横に振り姉さんの問いに答える。
「わたしはね、この世界を本当の意味で救いを齎すまでは死ねない身体になってしまった。
比喩じゃなくてね、本当に死ねないのよ? まあ、あなたとの約束があるから自殺をして試したわけじゃないけれど。
この身体にどれほどの鉛弾を撃ち込まれてもすぐに再生する。
これって不幸なことだと思わない?
死ねる時に死ねないていうのは本当に不幸なことだわ。
だから、わたしは本来わたしが在るべき状態に戻りたい。
そのためには―――」
わかるでしょ? と泣き笑いの表情を浮かべ姉さんは言った。
そうか、姉さんに生きていて欲しいと思ったぼくの気持ちは彼女に言わせれば単なるエゴだったのかもしれない。
いま、思い出した。姉さんとぼくは本当の意味での似たもの同士だったということを。
だから、ぼくは言った。
「それが、姉さんの望みならぼくはそれに全力で応えたいと思う。死神くん、きみはぼくに付き合ってくれるかい?」
死神くんはシニカルな笑みを浮かべ、
「おれはおまえの能力なんだぜ、兄弟。おまえがそれを望むならおれはそれに全力で応えるだけさ」
そう言うのだった。
ぼくと死神くんの答えに姉さんは素敵な笑顔を湛え、ありがとう、と言うのだった。
その場で解散となったぼくたちはそれぞれの部屋を勝手に決めてそれぞれの時間を過ごした。
シャワーを浴びて、ブルージーンズとTシャツのラフな格好に着替えたぼくは微睡のなかにいた。
少しばかりぼくも疲れていたわけだ。
あと少しで眠りのなかに落ちていけそうだったそのとき、ドアをひっかく音が聞こえた。
なんの騒ぎかと思い玄関の方に行きドアを開けるとリーシャさんが座っていた。
「一緒に寝よーよ、おにいちゃん」
いま、幼女のような甘え切った声が聞こえた気がするのだが、気のせいだろうか?
「ねえ、てばぁ、おにいちゃん」
………ひょっとして、リーシャさんがしゃべっているのか?
ぼくがそう訊ねるとリーシャさんは、他に誰がいるの? と答えた。
「あの、失礼ですが、リーシャさんはいま、おいくつなんですか?」
「じゅういち」
どうやら、リーシャさんはリーシャちゃんだったようだ。
いままで無口だったのも単純に人見知りしていただけなのかもしれない。
ぼくは、リーシャちゃんと連れ立ってホテルのロビーのソファで眠ることにした。
その日の夜、ぼくは昔の夢を見た。