残り香
女視点です
そっと家のドアを開け、閉める音。
それが閉まるのを確認し、たっぷり十秒程経つのを待ってからゆっくり身体を起こした。
私を起こさないように気遣ってるのはわかるけど、隣に開いたベッドのスペースが、やけに広く、寂しく感じる。
まるでその場所から、サラサラと音をたてて幸せが逃げていくような錯覚を起こす。
「…起こされるより、一言も言われないで行かれる方がイヤなのよ、バカ…」
決して窓際には行かない。
今なら、下に彼の姿が見えるけど。
でも、見に行かない。
これは、私の意地。
バイクの音がして、遠ざかる。
今日は日曜日。
憂鬱で、私の大嫌いな…第三日曜日。
「ハァ……」
溜息をついて立ち上がる。
私は今、恋をしている。
滅多に人を好きにならない私の、二度目の恋。
でも、私と彼が結ばれることはない。
なぜか。
私のしている恋は、世間一般で【不倫】と呼ばれるモノだからだ。
私が二度目に好きになった人は。
結婚をして、奥さんと子供がいる人だった。
別に好きになったことを後悔はしていないけども。
第三日曜日が大嫌いになった。
単身赴任で私のいる町に越してきた彼。
私の一目ぼれだった。
別に顔がいいわけでも、好みというわけでもない。
というか、好みなんて持ってないし。
でも、なぜか好きになってしまった。
その優しげな笑顔に胸が高鳴って。
ふと香る彼の匂いに酔って。
抱きしめてくれた彼の腕の強さに頭が痺れて。
彼の手の暖かさに救われた。
だから。
彼が妻と娘に会う第三日曜日が私は大嫌いだ。
あちらが来るらしく、朝早くに彼は私の家を出る。
そして、私は一人になる。
だけど、家庭を壊すことは望まない。
彼が時々話す家族の話が好きだから。
その、話している時のほころんだ顔は、頭を撫でたくなるほどに可愛くて愛しい。
だけど、ねぇ。
覚えてる?
今日はね。
私の誕生日なんだよ。
いつも通り帰るのはわかってたけど。
ちょっとは期待してたんだ。
一緒にいられるんじゃないかって。
悲しいよ、寂しいよ。
いつもより、第三日曜日を憎らしく感じる。
私はゼリー飲料を飲みながら、またベッドに倒れこんだ。
早く【今日】という日が終わるように。
祈って、目を閉じた。
いつの間にか眠っていたらしい。
携帯の音で目を覚ました。
目を覚ましても、まだ【今日】だった。
ただ、早朝から午後に時計の数字が変わっていた。
電話の相手は………大好きな人からだった。
今は家族といるはずなのに。
慌てて電話に出る。
「も、もしもし?」
『もしもし?』
「どうしたの?」
『いや…今日、その、一緒にいられなくてごめんな』
「え…」
『誕生日だろ、お前の』
覚えててくれた。
それだけでこんなにも幸せな気分になってしまう。
「…うん。だけど、仕方ないでしょ?」
『明日、どこか食事に出かけよう。一日遅れになるけど祝いたい……いいか?』
「ええ、嬉しいわ」
声が浮かれるけど、気にしない。
だって、嬉しいのだ。
仕方ない。
電話を切ってからも、つい無意識に鼻歌を歌ってしまう。
【今日】は相変わらず嫌いだけど、大嫌いから嫌いくらいまでにはレベルを上げた気がする。
そう思った。
なのに。
いつもより浮かれながら洗濯、洗い物、そして就寝の準備をしていた時。
「メール…?」
見ると、彼からで。
内容は短かったが、浮かれていた私を奈落の底へ引き摺り下ろすには充分だった。
『すまない
今日、二人が泊まるらしい
娘と妻は休みで、三日間ほど泊まるので、明日の約束は果たせない
この埋め合わせはまた今度する』
携帯をベッドの上に投げ、ついでに身体も投げ出す。
「ハァ……」
期待していた分、落ち込みが激しい。
やっぱり、第三日曜日なんて大嫌いだ。
もう何もやる気が起きない。
まぁ、もう寝るだけだったからいいか。
そう思って目を閉じる。
今度こそ【今日】が終わればいいと。
願いながら。