5月11日(金)
カッカッカッ……と先生が軽快な音を立てながら黒板にチョークを走らせて行く。
ふと、周りを見ると竜二は相変わらず爆睡中、友也は机の下でマンガを読み、白河さんは真面目に黒板を板書していた。
そう、今は授業中。
そしてこの光景も普段となんら変わりないものだ。
普段と違うことと言えば僕をはじめ、ほとんどの生徒が今日は真面目に授業に集中しているということ。
普段ならば週末の授業はダレてしまうものだが、今日に限っては一部のものを除き皆、真面目に授業を聞いていた。
その理由とは……
授業の終了を告げるチャイムが校内に鳴り響く。
「えー、来週からはテスト週間に入る。今日やったところはテストに出るから、しっかりと復讐しておくように。以上」
そう今月末には中間テストが控えていたのだ。
普段、家で勉強していない分、テスト前の授業だけでも真面目に受けておこうという浅はかな考えだった。
「ふああぁぁ、やっと終わったか」
竜二が大きな口を開けながら目を覚ます。
「いつも寝てるけど、竜二は平気なの?」
「何がだよ?」
「再来週からの中間テストだよ」
「テスト……何だそれ、美味いのか?」
どうやら竜二の辞書からは「テスト」という言葉が抜け落ちてしまっているようだ。
「竜二も少しは勉強しておいた方がいいと思うけど……」
無駄だと知りながらも苦言を呈す。
「へっ、テストなんかじゃ俺様の秘めたるポテンシャルは測れねぇぜ」
さすが学校での八割を寝て過ごしている男は言うことからして違う。
「でも成績は出るからね」
「うぐっ……」
竜二の成績表は毎年、体育以外がほぼ2で埋まっていた。
「中間も期末も赤点じゃさすがにヤバいだろ?」
途中、友也が会話に加わってくる。
どうやら友也の中では竜二の赤点は決定事項らしい。
「そう言うお前はどうなんだよ」
「自慢じゃないが赤点だけは取ったことないぜ」
自称『ミスター平均点』の友也がニヤリと笑う。
確かに自慢にはならない……
「勉強も毎日少しずつすればそんなに辛くありませんよ」
更に白河さんも会話に加わってきた。
「それが出来たら苦労しねぇよ。亮、いっそのこと俺と脳ミソとっかえてくれ」
竜二が普段から何を考えているが少し興味があったが、
「丁重にお断りするよ」
僕はやんわりと拒否した。
「勉強なぞせずとも俺様には秘策があるんだよ」
自信ありげに竜二は取り出した鉛筆に数字を書き出す。
「何やってるのさ?」
「これは勉強の神様が祭ってあるどこぞの神社に行ったときに買ってきた鉛筆だ。この通りに答えを書けば……」
竜二は鉛筆をコロコロと転がし、上を向いた数字をこれ見よがしに見せつけてくる。
「でもウチのテストって選択だけのマークシート形式じゃないよね……」
「ベキッ!」っと音を立て鉛筆が折れる音がした。
「うおおおおおぉぉぉ! 意味ねぇじゃねぇかーー!」
竜二の絶叫が教室中にこだまする。
「よし、じゃあ皆で勉強会をしよう!」
「勉強会だと?」
「そう勉強会だ」
「勉強なんて俺様御免だぜっ!」
せっかくの友也の提案を即答で拒否る竜二。
「まあそう言わずに。分からないところは、私も教えてあげますから」
「嫌だったら嫌だいっ!!」
ついには子供のように駄々をこね始めてしまう。
これでよくこの学校の入学試験に受かったものだと今さらに思った。
「だけど赤点ばっかとってると、夏休みが補習でつぶれるぞ」
「はっ……!?」
友也の言葉に竜二の動きが止まる。
「そ、そうだよ。夏休みは、皆で海に行く約束でしょ!?」
これに便乗し、一気に竜二の懐柔にかかった。
「く……だが勉強……」
だがもうひと押し足りないようだ。
「白河、ちょっと」
「はい、なんですか?」
それを見かねた友也が白河さんに何事か耳打ちしている。
「わ、わかりました。ちょっとかわいそうですけど、これも真田さんのためです」
「スー、ハー」と白河さんは深呼吸をして息を整えた。
「ちょっと、白河さんになにを吹き込んだのさ?」
「まぁ、見てろって」
友也は面白そうにくすくすと笑っていた。
「真田さん!」
「何だよ?」
「ちゃんと勉強をしないと…………『トラサルディー』に連れて行ってあげませんよ」
「……………………」
ガラガラと白く固まった竜二が崩れ去る音が聞こえる……様な気がした。
「俺が悪かったっ!! 勉強でも何でもするからぁぁぁ……俺様も連れてってくれぇぇぇぇぇ!!」
次の瞬間には、血の涙を流しながら懇願する竜二の姿があった。
確かにこれが竜二にとって最も効果的な方法であるようだ。
エサで釣られる姿が、少し哀れで、可哀相な気もしたが、これも竜二のためと心を鬼にし、あえて助け舟は出さなかった。
そして放課後。
今は四人揃って僕と白河さんの住んでいるマンションの前にいた。
「じゃあ亮、ここで待ってるから用意が出来たら呼んでくれ」
「用意とか意味が分からないんだけど……」
「今からお前の家で勉強会を開く」
「だから?」
「ふっ、皆まで言わせるなよ。亮にだって人には言えない秘密の一つや二つあるだろ? 今日は突然の押し掛けだからそういうのを隠す時間が欲しいと思ってな」
サラッと友也が思春期の男の子の事情を代弁した。
「そ、そんなものないよ!」
……他人に見つかるようなところには、と心の中で付け加えておく。
「何だよ秘密って? 赤点の答案とかか?」
「たぶん竜二には一生関わりのないものだと思うよ」
この二人といると僕の方がおかしいのかと錯覚してしまう時がある。
ちょうどその時、「ボンッ!」という音とともに白河さんの顔が真っ赤に染まっていた。
「はわわわわわわわ、神谷君にもそんな秘密があったなんて……当然ですよね男の子ですから、でも私何も見てませんよ! 神谷君の部屋にはエクスタシーな物はなかったです。全部コンバーティッドでした!!」
「ちょっと落ち着いて白河さん!」
「はわわわわわわわ……」
暴走という名の妄想を続ける白河さん。
やはり自分が常識人であったことに安心しつつ、白河さんが真面目の仮面を被ったアレだと再認識する僕と友也であった。
「とにかく今すぐ入っても問題ないから!」
「そうか、なら遠慮なくお邪魔するぞ」
家に入った皆を部屋に案内する。
「ここで勉強するのか……」
「じゃないとお前だけトラサルディーに行けなくなるぞ」
「分あってるよ。俺様はやるぜ!!」
友也の作戦は功をなしているようだが、この気力がいつまで続くか、それが問題だ。
「じゃあ、始めましょうか」
こうして僕達の勉強会は始まった────
「だから、ここにこの公式を当てはめればいいんだよ」
「これで最後ですよ。頑張ってください」
「ぐぬぬ……」
竜二がうねり声ながら問題を解いてゆく。
結局は僕と白河さんの二人掛かりで勉強を教えることになった。
ちなみに当初竜二をいじりまくっていた友也は、今は静かに僕に貸した漫画を読んでいる。
「これでどうだぁっ!」
最後の気力を振り絞り竜二が問題を解き終える。
「はい、正解です! やりましたね」
「竜二もやれば出来るんだよね」
「へへへ、そんなに誉めんなよ照れるぜ」
竜二は山を登りきった登山家のように清々しい顔をしていた。
「ん、終わったか?」
「ヘッ、テメェが漫画を読んでいる間に俺様の頭脳はお前を越えちまったかもしれねぇな」
「いえ、まだ終わってませんよ。次は国語ですね」
「なん……だと……」
衝撃の事実を聞いた竜二の顔がだんだんと青ざめていく。
「後、物理もあるよ」
ついでなので全部言っておいた。
「うおおおおおぉぉぉ、もう嫌だああああぁぁぁ!!」
「もう止めてやれ、竜二のライフはとっくに0だ」
「真田さんも頑張ったことですし、一回休憩にしましょうか」
「そうだね。このままじゃ本当に竜二の頭が爆発しそうだよ」
というわけで僕達は休憩を取ることにした。
すると「ぐううぅぅぅ~」と豪快に竜二の腹の虫が鳴った。
「ああ、頭使ったら腹減ってきたぜ」
そう言ってドサッと後ろに倒れ込む。
「俺も腹が減ってきたな。コンビニで何か買ってきてやろうか?」
言って友也が立ち上がる。
「別に僕の家で食べていっても構わないよ」
「でも至れり尽くせりじゃ、亮に悪いだろ」
「今さら気にする仲でもないでしょ。このくらい」
「それもそうか。じゃあ何かご馳走にでもなるとするかな」
一瞬考えた友也も再びベッドの上に座った。
「うん。じゃあ早速何か作るよ」
「私も手伝います」
白河さんと二人、台所に立ち、何を作るか決める。
と言ってもこの人数分を手軽にできる料理ということで僕の中ではほぼ作るものが定まっていた。
必要な食材を取り出し準備を進める。
白河さんには野菜の下ごしらえをお願いし、僕は鍋を用意し準備の適度にカットされた野菜達を順に炒めていく。
「さてと、じゃあ俺達は勉強の続きをやるぞ」
「ぐぇ、さっき一段落ついたばっかりじゃねぇか」
「亮達が飯作ってくれてんだ。俺達だけゴロゴロしてる訳にはいかないだろ」
「ちぇっ……」
「トラサルディー……」
「ハイハイ、わかったよ。ったくお前って結構性格悪いよな……」
隣の部屋では竜二達がシャーペン片手に再び問題集を解き始めているようだ。
「これは私達も頑張って作らないといけませんね」
「そうだね」
本当に珍しく勉強を頑張っている竜二のために僕達も張り切って料理を作ることにした────
「はい、出来たよ」
「おっ、待ってました!」
「この匂いはカレーか」
「はい! 腕に寄りをかけて作りました!」
今日の夕食はベタだが手軽に出来るカレーを作った。
皿によそったご飯にカレーをかけてテーブルに持っていく。
「はい、竜二」
特盛にご飯をよそった皿を手渡す。
「おう! サンキュー」
「おかわりも沢山ありますからね」
「早く食おうぜ! 俺様もう待ちきれねぇ」
「そうだな。それじゃ……」
「「いただきます!」」
ちゃんといただきますをしてから皆で食卓を囲んだ。
「ウマい!」
「確かに、亮の腕も上がってきてるんじゃないか」
「白河さんが手伝ってくれたからだよ」
「いえいえ、私はたいしたことはしていませんよ」
相手が竜二達とはいえ、素直に自分の作ったものを美味しいと食べてくれるのは何だかとても嬉しかった。
腕によりをかけて作ったかいがあったというものだ。
「ふう食った食った。ごちそうさん」
「はい、お粗末さまです」
結局竜二は残っていたカレーもすべてを食べ尽くしてしまった。
相変わらずの食欲に僕は呆れをを通り越して感心してしまう。
「じゃあ竜二のお腹も満たされたことだし、勉強会の続きをしようか」
「今ならどんな問題でも解けそうな気がするぜっ」
「そりゃ頼もしいことで」
こうして勉強会が再開された。
「こいつでどうだ?」
「うん、正解だよ!」
「や、やっと終わったぜぇ……」
糸の切れた人形のように竜二がテーブルに突っ伏す。
「こんなに勉強したのは、入学受験の時以来だ」
「これで明後日はちゃんと楽しめるね」
「明後日か、想像しただけで腹が減ってきた……」
「今食ったばっかだろうが。相変わらず食い意地だけはスゴいな」
「ほっとけ」
友也の言葉に僕達もつい笑いがこぼれてしまう。
僕達と白河さんが出会ってからもうすぐ一週間が経つ。
今までは友也と竜二の三人で行動することがほとんどだった。
もちろんそれでも十分に楽しかったけれど、白河さんが加わってからはさらに充実した毎日を送れている気がすると思う。
いつまでもこの四人で今みたいバカをやっていられる毎日が続いて欲しい。
そう思う夜だった────
「さてと、俺達はそろそろお暇するか」
「んあ、もうこんな時間か」
賑やかな時間はあっという間に過ぎていき、時刻はもう10時を回っていた。
「そうだね。あまり遅くなると親御さんが心配するし」
「ああ。っと忘れるとこだった」
カバンを持って立ち上がろうとした友也が思い出したように動きを止めた。
「どうしたの?」
「せっかく白河とも仲良くなれたんだし、みんなで連絡先くらい交換しとこうと思ってな」
「あ、私もちょうど知りたいと思っていたところです」
「そう言えばまだ教えてなかったね。じゃあ赤外線で送るよ」
「わかりました」
それぞれが携帯を取り出し白河さんとの連絡先を交換していく。
「よっと、これで全員終わったな」
「はい! ありがとうございます」
「二人は明日の休みは予定とか入ってるの?」
明日は暇なのでとりあえず二人に予定を聞いてみた。
「悪いな、明日は午後から丸々バイトが入ってんだ」
「竜二は?」
「前楽園ホールでプロレスの試合を観てくるぜ」
「前に言ってたやつだっけ?」
「そうそう、斗場と猪狩のドリームマッチだ!」
「それじゃあ仕方ないね。楽しんできてよ」
「わりぃな、ちゃんと土産は買ってきてやっからよ」
「ありがとう」
「じゃあ日曜日、忘れるなよな」
「うん、バイバイ」
「暗いので気を付けてくださいね」
友也と竜二を玄関で見送る。
「亮」
「何?」
「頑張れよ……」
帰り際に友也が一言、そう耳打ちをして帰っていった。
頑張るって何を?
考えても分からないので聞き流すことにする。
「白河さんももう帰る?」
「いえ、食器の片付けを手伝ってから戻ります」
「そこまで気を遣ってくれなくてもいいのに」
「作ってから後片付けまでがお料理ですから」
「白河さんは本当に料理が好きなんだね」
「はいっ、大好きです!」
その言葉に少しドキリとしてしまった。
僕に言っているのではないとわかっていても、こう笑顔で言われると脳内変換されてしまう。
余計な煩悩は追い払って、僕達は二人は並んで食器洗いをしていく。
その間、特に会話は無く、ただ水の流れる音だけが聞こえていた。
「神谷君?」
「な、何?」
「さっきからボーッとしてますけど大丈夫ですか?」
「う、うん。平気だよ……」
「ならいいんですけど」
さっきの「大好き」の下りからだろうか?
僕は妙に隣にいる白河さんの事を意識してしまっていた。
四人でいる時は何ともないのに……
よくよく考えてみれば女の子と一つ屋根の下、健全な男子にとっては非常に嬉しい状況である。
しかもこれが可愛いときた。
理性ではなく男としての本能が奥底の欲求を掻き立てる。
ふと友也が帰りぎわに言った言葉が頭をよぎった。
友也、僕は何を頑張ればいいの!?
白河さんの髪が揺れるたびに女の子特有の甘い香りが鼻孔をくすぐる。
一度意識をしてしまうともう手遅れだ。
思考がそれ一色に染められていき、他には何も考えられなくなってしまった。
「神谷君!」
「はいっ!?」
「やっぱり様子がおかしいですよ?」
「い、いや……その……」
緊張して視線が泳ぐ。
これでは誰がどう見てもただの挙動不審者だった。
「し、白河さんは、明日……予定とかある?」
「明日ですか? 特にはないですよ」
場を誤魔化すために、とりあえず言ってはみたもののこの後のセリフが続かない。
その時、僕のポケットから一枚の紙切れが落ちたのが見えた。
棚からぼたもちとはこのことか、僕は直感的にこの間を潜り抜けるアイデアをひらめいた。
「よかったらさ、これ一緒に行かない?」
ポケットから落ちた紙切れ。
それは昨日の福引で当たった遊園地の割引券をだったのだ。
「デスティニーランド、ですか?」
「そ、そう。せっかく当たったんだし、行かないと勿体ないかなと思って……ハハ……」
ど、どうだ……?
緊張の一瞬。
もし嫌だと断られたら、ショックで当分は立ち直れないだろうなと思った。
「はいっ、せっかくですから行きましょう!」
しかし僕の不安とは裏腹に白河さんは即答で了承してくれた。
「ほ、本当に……?」
「嘘ついてどうするんですか」
一安心し、僕はホッと息を撫で下ろす
「でも神谷君から誘ってくれるなんて嬉しいです!」
「そ、そう……」
面と向かって言われ照れてしまう。
その後、明日の朝8時に待ち合わせという約束をして、白河さんは帰っていった。
何も考えずに白河さんをデスティニーランドに誘っちゃったけどどうしよう……
やっぱり誘ったのは僕なんだしちゃんと楽しませないとダメだよね……
よ、よし、明日は頑張るぞ!!
明日のことを頭の中で何度もシミュレートしながら僕の眠れぬ夜が始まり、今日という日が終わっていった──────




