5月12日 (土) (2)
青篠駅から電車を乗り継ぐこと約一時間。
僕達は目的地であるデスティニーランドにたどり着いた。
チケットを割引券を使って購入し、正面ゲートから中に入っていく。
「はわ~、テレビでしか見たことないですけど実際に来てみると本当に広いですね」
ゲートを抜けてすぐに美咲さんは感嘆の声を上げた。
休日ということもあってか、広場にも人の姿が多く見られる。
「今でも増築されたりしているみたいだからね。何か乗ってみたいのとかある?」
言ってアトラクションのパンフレットを渡す。
ハッ……!
僕はその瞬間、背筋に悪寒が走るのを感じた。
美咲さんにアトラクションを選ばせることにこの上なく嫌な予感を覚える。
「亮君、どうかしましたか?」
「ううん、なんでもないよ。乗りたいものは決まった?」
美咲さんの選んだアトラクションには乗りたくないなどと口が裂けても言えず、僕はこの予感と向き合う覚悟を決めた。
そう覚悟とはどんな過酷な絶望をも吹き飛ばすものだ────
「う゛わわわわぁぁぁぁぁっっっ!!」
「きゃああああああっ!!」
地上80メートルの高さに達したジェットコースターが一気に急降下する。
「うわあっうわあああああっっ!!」
その後も減速することを知らないコースターは、上下左右縦横無尽にレールの上を走り抜けていった────
「はぁ……はぁ……」
吹き飛ばされたのは僕の覚悟の方だった。
「フフッ、楽しかったですね!」
一発目からギリギリの僕とは裏腹に美咲さんはとびっきりの笑顔。
「そ、そう……だね……ハハ、ハ……」
「次はあれに乗ってみましょう!!」
「……うん」
その後もずっと美咲さんのターン。
今にも天国への階段を上って行きそうな僕をよそに、
「きゃあああああっ! サイコーですぅっ!!」
美咲さんはのテンションは最高に「ハイ」になっていた。
「はぁ……はぁ……」
「次はあれに乗ってみましょう! その次はあれでっ!!」
おかしいな、以前にもこんなことがあった気が……
「さあっ、行きますよ! 亮君!」
僕は美咲さんの新たな扉をこじ開けてしまったみたいだ。
こんなにも美咲さんの100%の笑顔が見れることは僕にとって最大の幸福である。
けれどもそれを見るためには絶叫マシーンにり続けなければならない。
それが僕にっとては最大の不幸だった。
まさしく天国と地獄。
この空間にファンタジーアトラクションなどがが入り込む余地はなく、その後も絶叫マシーンのオンパレードは続いていった────
「んーーっ! 楽しかったですね」
「ハハ……満足してもらえたようで……良かった……よ……」
何度か生死を分ける川を渡る幻覚を見たが、何とか乗り切ることが出来た。
「少し疲れてるみたいですけど大丈夫ですか?」
「ちょっと休憩させてもらえると……ありがたいかな……」
「じゃあ一端、休憩にしましょうか。一通り乗り終えましたし」
絶叫系だけはね……
自分が生きていることに感謝し、近くにあったベンチに腰掛ける。
「今日は本当に楽しいです!」
「そんなにはしゃいでる美咲さんを見るのって何か新鮮だよ」
美咲さんは普段から明るいが行動自体はおとなしめだ。
「亮君と二人でいると楽しくてつい……あ、でも風間さんや真田さんといる時も、 もちろん楽しいですからね」
美咲さんの言いたいことは僕にもなんとなく分かっていた。
友也や竜二といるときはもちろん楽しい。
いつまでも皆でああやって遊んでいたいと思えるほどに……
しかし今、美咲さんと二人でいる時の感覚はそれとは少し違っていた。
楽しいのももちろんあるが、それ以上に心に安らぎを覚えるものがあった。
「せっかく来たんだし、今日はいっぱい楽しまないとね」
「はい、それでですね。私から一つお願いがあるのですが」
「何?」
それは美咲さんからの初めてのお願い。
「その……『さん』付けで呼ぶのを止めてもらいたいんです」
「さん」付けで呼ぶのを止める、ということは……
「『ちゃん』付けで呼べってことかな? それは僕もちょっと恥ずかしいよ」
「それはそれでいいかもしれませんけど、今のはそういう意味じゃありませんよ!」
「ごめん、冗談だって」
つまり美咲さんが言っているのは自分の名前を呼び捨てろ、ということだ。
男の友也や竜二はともかく、これが異性となると少し照れてしまう。
「え~と、み、みさき……さん」
「最後に小っちゃい声で『さん』って聞こえました」
照れる僕を美咲さんは真剣な眼差しで見てくる。
よほど『さん』付けが嫌らしい。
恥ずかしい、だけどこれは美咲さんの初めてのお願いだ。
今日くらい美咲さんの我がままを聞いてあげたい……
えーい、ままよ!
僕は照れを捨て去り、思い切ってはっきりと彼女の名前を呼んだ。
「みさきっ!!」
「はい!」
僕の声に負けないくらい大きな返事を美咲は返す。
今日一番、いや僕達が出会ってからと言っていいくらいに美咲の顔には笑みが浮かんでいた。
そんな無垢な笑顔を見ていると、いちいち照れている僕の方がバカらしく思えてきた。
「あ……」
「グゥ~」と一段落したところで僕のお腹が鳴った。
「フフフ、そろそろお昼にしますか?」
「そうしようか」
「実は私、今日はお弁当を作って来たんです!」
ジャーンとお披露目する様に美咲が二段重ねの弁当箱を持っていたバッグの中から取り出す。
少し歩いた先に、広めの芝生があったので、僕達はそこでお弁当を食べることにした。
用意周到な美咲は律儀に下に引くシートも持って来ていてくれた。
シートに座ってお弁当の蓋を開けると、一段目にはおにぎりが、二段目には卵焼きや唐揚げなどの定番のおかずが入っている。
「いただきます」
おにぎりを一つ取って食べてみる。
たかがおにぎり、だがされどおにぎり、絶妙な塩加減の米と程よい酸味の梅、そしてまだパリパリとしている海苔。
これらの神器が合わさったおにぎりは腹ペコの僕にとって至高の一品に感じられた。
「うん! すごく、美味しいよ」
「ありがとうございます。早起きして作ったかいがありました」
他にもおにぎりの具は昆布、鮭、梅なと色々な種類があり、僕は夢中になって食べていく。
ふと、前を見ると箸に摘まれた卵焼きがあった。
まさかこれは……
「はい、亮君。あーんです!」
予想は的中。
「い、いいよ、自分で食べるから……」
「デートでは、これくらい普通ですよ。ほら」
美咲の視線の先には他のカップルが芝生の上で膝枕をしていた。
「というわけで、はい、あ~~ん!」
このままだと永遠にやっていそうなので僕は顔を赤らめながらも渋々口を開ける。
「あーん」
口の中に卵焼きが入ってくる。
味は相変わらず文句なしだ。
「フフッ、可愛い顔してますよ、亮君」
「か、からかわないでよ」
色めき立つ僕をからかうように美咲はどこか妖艶な笑みを浮かべていた。
今日は主導権を握られっぱなしだと思いながらも、美咲に逆らうことが出来ず、 からかわれるままにお弁当を食べていった────
「今日は本当に天気がいいですね」
美咲の言うとおり空は雲一つない晴天。
まさしく絶好のお出掛け日和だった。
「うん、風も気持ちいしね」
自由気ままに吹く風をその身に受け、僕は芝生の上にゴロリと寝ころんだ。
「亮君」
「ん?」
美咲は正座したまま自分の膝をポンポン叩いている。
「膝枕です」
さっきの「あーん」よりも数倍恥ずかしい注文が舞い込んできた。
「さあさあ遠慮しないでください」
今日の美咲はやけに積極的だ。
これではまるで本当のカップルみたいだと思ってしまう。
照れを捨て去ると先ほど決めたことに加え、美咲の優しさを無下にするわけにもいかず僕はぎこちない動きで膝に後頭部を運ぶ。
スカート越しに感じる少しプニプニした感触、頭を乗せるためにあるのではないかと思うほどの特有の柔らかさが、とても心地よかった。
これぞ男の夢の一つ……
ひそかに拳を握り、僕は己の幸せを噛みしめる。
「寝心地はどうですか?」
「う、うん。すごく気持ち良いよ……」
「それは良かったです」
美咲は上からずっと僕の顔を至近距離で覗きこんできた。
無防備に顔が近づけられる度に胸の鼓動が高鳴っていく。
このままでは心臓を吐き出してしまいそうだったので僕は何気ない仕草で目を閉じた。
昨晩は今日のことで頭がいっぱいであまり寝付けなったため、膝枕の気持ち良さも相まって少しウトウトしてしまう。
それにまだポカポカと暖かい春の陽気、今の僕にとっては絶好の昼寝日和でもあった。
そして────
「────……ッ!!」
次に僕が意識を取り戻したのは、それから二時間ほど経過した時だった。
目の前には僕を膝枕したまま、器用に座りながら寝ている美咲の寝顔。
「美咲、美咲!」
自分の体を起こしてから声を掛ける。
「う、うん……と……あ、亮君。おはようございます……」
「ごめんね寝ちゃって、起こしてくれればよかったのに」
「あまりにも可愛い寝顔だったのでつい……」
「このままじゃあ時間がもったいないよ、休憩も十分したことだし行こうか」
せっかく遊びに来たのに、貴重な時間を無駄にしてしまった。
ちょっとした罪悪感を覚えながらも、僕は急いで歩き出そうとする。
「ちょ、ちょっと待ってください」
しかし、そんな僕を美咲が呼び止めた。
「どうしたの?」
「あ、足がしびれちゃって」
二時間も正座していた上に、重い頭をずっと膝に乗せていた。
これでは足がしびれてしまうのも当然か。
「大丈夫?」
腕を差し出し、美咲を引っ張り上げる。
「……まだちょっとしびれてますから、このまま亮君が引っ張ってください」
「うん。わかった」
繋いだ美咲の手は、とてもスベスベしていて、思っていたよりも小さかった。
その後も僕達は眠っていた二時間を取り戻すように、美咲のリクエストする乗り物……主に絶叫系にひたすら乗った。
本当はすごく怖いと評判のお化け屋敷とかも行ってみたかったけど、今は美咲が 喜んでいるから良しとしよう……
けれども、なぜだか僕の中には、お化け屋敷に行かなかったことをもの酷く後悔している自分が居た。
美咲が満足しきったころには、晴天の青空はすでに茜色の夕焼け染まっていた。
「じゃあ最後はあれですね」
美咲が指を差した先には、大きな観覧車。
「遊園地の締めと言ったらやっぱり観覧車ですよ」
最後まで絶叫系だと思っていた僕は胸をなでおろす。
今日が僕の命日になるようなことはないようで……本当によかった。
「じゃあ乗ろうか」
「はい!」
そうして僕達は観覧車に乗り込んだ。
観覧車が静かな音を立てて、ゆっくりと回り出す。
美咲は僕の向かいではなく隣に座っている。
すぐ隣に座っている美咲からはシャンプーのいい香り漂ってきた。
ドクンッ……ドクンッ……と心臓の鼓動が速くなってくるのを自分でも感じる。
密閉された空間に二人きりという状況に何を話せばいいのか分からなくなってきてしまった。
横にいる美咲は外の景色に夢中なようだ。
時が止まってしまったような空間とは裏腹に観覧車は僕達を載せる回り続けていく。
そしてゴンドラが頂上に差し掛かってきた頃。
「ほらっ亮君、見てください!」
ずっと外を見ていた美咲がこちらを振り向いて僕にそう言ってきた。
その声に促されるままに僕も後ろから外の景色を覗きこむ。
「うわぁ……」
窓の外では沈みかけていた夕陽が真っ赤な淡い光を放っていた。
その光に照らされた地上の世界が茜色に一色に染まっている。
なんとも神秘的な光景だった。
いつも見ているビル群の光景がこんなに美しく見えるとは、絵にも書けない美しさとはこういうことなのかもしれない。
「綺麗ですね」
「うん」
いつまで見ていても飽きない光景だった。
夢中になって外を眺めている美咲を横目で見る。
そこには穢れなく、そして静かに微笑んでいる顔があった。
その儚くも穢れない顔を見ていると胸の奥が締め付けられるような感じがした。
「亮君?」
僕の視線に気付いたのか、こちらを向いた美咲と視線が合う。
吸い込まれてしまいそうなほど透き通った瞳から僕は目が離せなかった。
美咲も僕の目をずっと見ている。
見つめあったまま、どれ程の時間が流れただろうか?
僕にはこの数分が、とても長く感じられた。
ふいに美咲が窓に手を掛けている僕の手に自らの手を重ねてきた。
心臓の鼓動が一段と速くなり、自分の顔に熱を帯びていくのがわかった。
それにともない美咲の頬も赤く染まっていく。
「亮君」
憂いを秘めた瞳で名前を呼ばれる。
「美咲」
僕の口からも彼女の名前がポツリとこぼれた。
ドクンッ……ドクンッ……
美咲さんにも聞こえているのではないかというほどの鼓動。
「美咲……」
「亮君……」
再びお互いの名前を呼びあう。
そして顔を向け合ったまま、美咲さんがゆっくりと目を閉じる。
僕は吸い込まれるようにゆっくりと顔を近づけていき…………
そっと、互いの唇を重ねた。
唇ごしに感じるのは水々しい感触とほのかな弾力。
他人の唇が触れていると目をつむっていてもわかった。
それは唇同士が触れ合うだけの優しいキス。
まだ名残しい気持ちを残しながらも、唇を離す。
照れたように笑っている美咲に、僕も精一杯の微笑みを返した。
僕にとって、かけがえねない思い出がまた一つ増えた瞬間だった────
観覧車を降りた後は、デスティニーランドを出て、帰路に就いた。
どちらからというわけでもなく自然に手をつなぎ、道を歩く。
「明日、二人に今日デスティニーランドに行ったことを話したらきっと羨ましがるよ」
「フフ、そうかもしれませんね」
そんな事を話をしているうちに、あっという間にお互いの部屋の前に辿り着いた。
「じゃあ、また明日ね」
「はい、おやすみなさい」
「……おやすみ」
そう言って、振り返り、僕が部屋に入ろうとした時……
何かに腕が引っ張られた。
「どうしたの?」
腕を引っ張っていたのは美咲だった
振り向いたときに見えた美咲は顔はとても紅潮していた。
ギュッと目をつむり、下唇を噛むその姿は、何かを思い切ろうとしているようにも見える。、
「……今日は亮君の部屋に……泊めてもらっていいですか? 今夜だけは亮君 と……ずっと一緒にいたいんです」
絞り出すように弱々しい口調でそう言った美咲は今にも消えてしまいそうなほどに儚く思えた。
そう思った時には僕は無意識のうちに美咲を抱きしめた。
今にも折れ曲がってしまいそうな花を、そっと支えるように……
「うん、いいよ」
「ありがとうございます」




