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5月9日 (水) (2)・後

「……れ……のれ……おのれ……」

 ふと、皆の歓喜に交じる不穏な声が聞こえた。

 マウンド側から聞こえるその声の主は投手の橘君。

 俯いたまま、何事かを呟いていたその時、

「おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれぇぇっ!!」

 突然、そう叫んでグローブを地面に叩きつけた。

「お、おい、橘……落ち着けって……」

 見かねた捕手がなだめに入るが

「うるさいっ! 僕が打たれるはずがないんだ!! そうだ速さが足りない……もっとだ、もっともっと……誰にも打てないくらい速く投げてやるよっ!!」

 聞く耳を持たなかった。


「何だありゃ。橘の野郎、ついに頭がイカれちまったのか?」

「プライドが高そうだからな。格下だと思ってた俺達に打たれて相当頭に血が上ってるんだろ」

「普段から俺様達を見下すからこんなことになるんだ。ザマァだぜ」

 なだめに入った捕手も心配そうな顔をしながら定位置に戻り、再び試合が再開された。


「は……?」

 鬼のような形相で放たれた橘君の投球に打者が素っ頓狂な声を上げる。

 打者が気付いた時にはすでにボールはミットに収まっていた。

 投げられた球は、速さのみを追求したであろう剛速球。

 その球筋は先ほどまで華麗な投球をしていた橘君のものとは思えないほどに荒々しいものだった。

 ストライクゾーンにさえ入ればそれでいいという、コントロールもへったくれもない球。

 まるで竜二が投げているかのように錯覚するほどだ。


 その剛速球に三連続で打者が打ち取られ5回を迎える。

「へっ、面白くなってきたじゃねぇか」

 勝負を楽しむ竜二とは正反対に僕の中にはわずかな不安が生まれていた。

 試合はもう終盤だ。

 ここからは1つのミスが敗北に繋がってしまう。

 そんなプレッシャーが沸々と僕の足元から上ってくる。


 進展がないまま5回も終わり、2対2の同点。

 さらに次の6回をお互い点が入らないまま迎えた最終回。

「しまった!」

 僅かな気の乱れからか、僕はただのフライを取りこぼし、さらに1点をA組に許してしまった。


「皆ごめん……」

 チェンジになりベンチに戻った僕は真っ先に頭を下げた。

「一々謝るな。どのみちここで点数をとれなきゃA組には勝てないんだ」

 謝る僕を慰めるわけでもなく友也はそう言い放つ。

 そうだ……友也の言うとおり、今は落ち込んでいる場合ではない。

 2対3で迎えた僕達の最後の攻撃。

 今考えるべきは、どうやってA組から点を奪い取るかだ。

「丁度いいことに次の打順は竜二からだ。さっきの勢いで逆転サヨナラしてやろうぜ」

 そう言って友也は僕に拳を突き出してきた。

「うん!」

 僕もそれに答えるように拳をつき合わせる。


 三度、竜二が打席に入っていった。

「オラァ!!」

 バットに当たったボールは大きな弧を描き飛んでいくが、球の勢いを返しきれなかった打球はセンターフライに終わってしまう。

「クソッタレが!」

 苦虫を噛み潰したように竜二が悔しがる。


 橘君のキレのある変化球の次は、球の重さに苦しむことになった。

 ただ当てに行くだけのスイングでは、ボールに力負けしてしまう。

「やべっ、やっちまったか!!」

 そう声を上げた友也。

 スイングに思い切りが足りず、力負けしたボールはゴロゴロと三塁線を転がっていく。


「うわっ!」

 しかし球を捕球しようとした三塁手の手前でボールがあらぬ方向にバウンドした。

 イレギュラーバウンドというやつだ。


「ふぅ、あぶねぇあぶねぇ」

 何とかセーフになった友也が安堵の声を漏らす。

「よっしゃ、友也のヤツが塁に出たぜ!」

 まずは同点のランナーが出たことを喜ぶ。

 だが次は僕の打順だ。

 ヘタにゴロを打てばそのまま二塁、一塁とダブルプレーで試合が終わってしまう可能性も十分にある。

 変われるものなら誰かに変わってもらいたいほどのプレッシャーが僕の背中にのし掛かっていた。


「よーし亮、決めちまえ!!」

 バンッと竜二に背中を叩かれ、活を入れられる。

 ここで終わってしまうかもしれないと言うのに僕の事を信頼してくれるセリフがとても嬉しかった。

 僕だって皆の期待に応えたくないわけではない。

 最初からあきらめるのはとっくの昔に卒業したのだ。

 僕が打席に立つと同時に友也の盗塁を警戒しろと捕手が橘君に指示を出す。

 それに返事をすることはなかったものの、当然のことながら橘君も友也を警戒しているだろう。

 これでは、先ほど未遂に終わったバント作戦は使えない。

 けれどもそんなものを今さら使うつもりはなかった。

 一つ深呼吸をし、集中力を高める。


「あれー、まだ男子終わってないじゃん」

「本当だ」

 その時、体育館での試合を終えたであろう、女子達が次々にグラウンドに出て来るのが見えた。

 いつの間にか、僕らの後ろは女子の観客で埋まっている。

「B組負けてるよ」

「せっかくだから、応援くらいしてあげよっか」

「ちょっと男子! もっと頑張りなさい!!」

 B組の女子達が激を飛ばしてくれる。

「亮君! 頑張ってくださーい!」

 その中にはよく聞き覚えのある声も交じっていた。

 応援してくれるのは嬉しいのだが、大勢に見られているという感覚のせいで、更にプレッシャーが高まってしまう。

「落ち着け僕……集中だ集中……」

 自分に言い聞かせるように、何度も小さく呟いた。

 緊張に震えていた足を鎮め、再び橘君を見据える。

「ふぅ、よし。来いっ!」

 気合を入れて臨んだ一投目

 バッドを振る暇もなく、あっという間にボールがミットに収まった。

 おそらく友也よりも速いであろう剛速球。

 けれど、想像以上ではない。


 僕には、まだ一つだけ考えがあった。

 橘君は速さを意識し過ぎているあまりにさっきからストレートしか投げていない。

 真っ直ぐしか来ないとわかっている以上、ボールに当てることだけはそう難しいことではない。

 問題はタイミングだ。

 球のスピードに合わせて、バッドを振る速さを調節する。

 僅かにバッドを振り遅れ、ボールは後ろのベンチへと飛んでいった。

 よしっ、これなら……


 そしてツーストライクに追い込まれたここが、僕の勝負の境目だ。

 ずっと橘君の投球を観察していて偶然だが一つだけ気付いたことがあった。

 本人の癖なのか、橘君は打者を追い込むと次の球は必ず外角やや高めに投げるのだ。

 それは冷静さを失っている今も変わっていない。

 これを確信したのはつい先ほどの事だが、そうと分かってしまえばこっちのものだ。

 タイミングはもう大体掴んだ。

 後はボールの勢いに負けないように思い切りバッドを振りぬくだけ……

 バッドに当たってさえしまえばあの球の勢いだ、ホームランも夢ではない。

 そう考え、全身全霊をかけた三投目。


 予想通り球は、ストライクゾーン中心から、外角高めに放られた。

 今だっ!!

 タイミングを見計らい、ボールが来るであろう位置に全身の力を込めてバットを 振りぬこうとした刹那……

「ッ……!!」

 頭の中に激痛が走った──


 焼けつくような痛みの中、僕の脳裏にはフラッシュバックのように、とある映像が映しだされる。

 それは、おそらくこの直後の事を描いたであろう光景。

 このまま全力でバットを振り切った僕が、三振に打ち取られている光景だ。

 このまま振ったら僕達は負ける……

 確信に近い予感が僕の中に生まれていた。


 ストレート……いや、違うっ!!

 何が現実で何が幻だったのかは、わからない。

 ただ……

 下に8、いや10センチ。フォークボールだっ!!

「うあああぁぁぁぁっ!!」

 直感に従うままにバットを振りぬく────


 グラウンドに鳴り響く快音に僕は走ることを忘れて空高く飛んでいるボールを見上げていた。

 いや、僕だけではない、その場にいた全員が空を仰ぎ見ていたのだ。

 大きな弧を描いて飛んで行ったボールはフェンスの向こう側に消えていく。

 それが何を示すのか、この時の僕には理解出来なかった。


「ホームランッ!!!」


 一瞬の静寂の後、審判の判定の声が静寂を打ち破る。

 その言葉を聞いて僕は我に返った。

「うおおおおおおぉぉぉっっ、逆転サヨナラだぁぁぁっ!!!」

 誰かが言ったその言葉の後に、B組の全員が歓喜の声を上げる。


「嘘……だろ……僕が負けるなんて」

 橘君はまだ目の前のことが信じられないとばかりにバックグラウンドを見つめていた。

 僕がウイニングランを終えてホームに戻ると、そこにはチームメイトだけでなく応援してくれたクラスの皆が集まっていた。


「よっしゃあぁ! 今日のヒーローを胴上げだぁっ!」

「「おおおおおぉぉっ!」」

「う、うわぁっ!」

 竜二に抱え上げられ、皆に胴上げの祝福をされる。


 クラスの中心に立つことはちょっぴり恥ずかしかったが、皆の期待に応えることが出来たのが、今はとても嬉しかった。

 竜二と友也に助けられるばかりじゃない。

 僕にだってちゃんと二人を助けることの出来る力があるんだ。

 少し大げさな表現だが、成長している自分の力を実感できた貴重な時間だった。

 試合の結果は4対3で僕達B組の逆転勝利。

 こうして大波乱な体育の授業は幕を閉じていった────




 午前の授業も終わり、僕達は今日も屋上で昼食をとる。

「いやー、見たかあのA組のやつらの悔しそうな顔、爽快だぜっ!」

 体育の後も竜二はずっとご機嫌だった。

 さらに女子のバレーボールもA組に勝ったと美咲さんから聞いて、竜二のご機嫌は普段の二倍増しだ。


「それもこれも亮がホームランを打ったおかげだぜ、なぁ友也!?」

「あぁ、そうだな」

「僕だけの力じゃないよ、竜二も友也も凄かったじゃないか」

「そう謙遜すんなって。でもよ、よくホームランなんて打てたよな」

「あれは……偶然だよ」

 さっきは無我夢中で喜んでいたが、良く考えればあのホームランは直前に見た不思議な光景のおかげだったのだ。

「でも偶然の割には事前に投げてくる球が分かってたようにドンピシャなタイミングだったな。まさか、本当に投げてくる球が分かってたって訳じゃないよな?」

「何ぃ! そうなのか亮!?」

「まさか、そんなことあるわけないでしょ」

「何だ、てっきり亮には未来が見える力でもあるのかと思って期待しちまったぜ」

「はは、そんな事が出来たら、人生苦労しないよ」

 口ではそう否定したものの、未来が見える。

 確かに先ほどのアレはそう形容してもいいように思えた。

 もしかしたら僕にはすごい力でもあるのかと思い、もう一度未来を見通してみようと念じてみたが、先ほどの感覚はどこへやら、当然の様に何も起こらなかった。

 あれは夢だったのか、それとも幻覚だったのだろうか?

 今日は朝から不思議な体験の連続だと、僕は透き通る様に青い空を眺めていた────


 体育で体力を使い果たしたのか、午後の授業は皆、終始、眠たそうにしていた。

 竜二に至っては普段よりもさらに深い眠りに入っているようだ。

「起きて竜二。授業終わったよ」

 放課後になっても爆睡していた竜二を起こす。

「ん? ああ、ふぁーあ……っともうそんな時間か……」

 寝ぼけ眼を擦りながら竜二が顔を上げる。

「あり、友也の野郎はどうした?」

「バイトがあるからって先に帰りましたよ」

「僕達も帰ろう」

「ああ、ちょっと待ってくれ」

 帰り支度を終えた竜二、そして美咲さんと一緒に教室を後にする。

 この日は友也がバイトのため三人で帰宅することにした。


 家に到着し、夕食の支度をするために冷蔵庫の中を確認する。

 ここ数日は自宅で食事をすることが少なかったため、まだ食材はそれなりに残っていた。

 しかしそのせいで、期限が近い食材もいくつか見られた。

 このまま捨てるものもったいないため、今夜は余っている食材を使い切ってしまうことにする。

「明日、買い出しに行かないといけないな……」

 そうして僕の今日は終わっていった──────

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