婚約破棄されたので聖女の仕事も辞めさせていただきます~転生した私の月光紋を、あの人だけが見ていました~
「セレスティア。お前との婚約を破棄する。聖女の資格もない偽物めが」
聖女認定式の、神殿の中央。
大勢の貴族と神官が見守る中、王太子ロイドの指が、まっすぐ私に突きつけられた。
(ああ、来たな。と、私は他人事のように思った。)
セレスティア・フォンティーヌ。この国唯一の『真正の聖女』。
――というのは表向きの肩書きで、その中身は、過労で命を落とした元・現代日本のブラック企業勤め、佐倉澪です。
(残業代も出ないのに国を守るとか、控えめに言って過労死案件では? ……あ、もう一回死んでるわ、私。)
「……あら。ずいぶんと、大勢の前でおっしゃるのですね」
「とぼけるな。真の聖女ならば、肌に月光紋が浮かぶという。だが、お前にはそれが見えぬ。偽物の証拠だ」
ロイドが言う『紋様』とは、私の肌に――月光の下でだけ浮かぶ、淡い『月光紋』のこと。
古の聖女の証。
そして、心から想い合う相手にしか見えない、という厄介な仕様つき。
両親にも、婚約者だったこの人にも、ずっと見えなかった。
「月光紋、ですか。ふふ。……ええ、見えないでしょうね。あなたには」
(見えないのは、当たり前ですよ。あなたは一度も、私を見ていなかったんですから。)
「ロイド様……私、私には本物の力がありますわ。どうか、どうか信じてくださいませ……」
ロイドの隣で、栗色の巻き髪の令嬢が涙ぐんでみせる。
ミレーヌ・ラフェット男爵令嬢。『新しい聖女』を名乗る、演技だけは一流の女。
(涙の演技、一流ですこと。前世の先輩にもいましたよ。成果は横取り、責任は他人任せ、泣けば許されると思ってる人。)
「見たか、セレスティア。ミレーヌこそが真の聖女だ。彼女の力が、この国を支えている」
(国境の結界を毎晩張り直してるの、私なんですけどね。まあ、いいです。もう。)
感謝もされず。休日も返上で。ひとりで、黙々と。
前世も今世も、社畜街道まっしぐら。
――でも。
「……そうですか。わかりました」
「なんだ、その態度は。言い訳のひとつもせんのか」
「いいえ、何も。ただ――ひとつだけ、よろしいでしょうか」
「なんだ、言ってみろ」
私は、静かに頭上の聖女の宝冠を外した。
ざわ、と場が揺れる。ロイドが一瞬、たじろいだのがわかった。
そっと、床に置く。
こつん、と冷たい音がした。
「では、聖女の仕事も辞めさせていただきます。今日限りで」
「……なに?」
「お返しします。もう、私には必要のないものですから」
「お、おい、待て。宝冠を床に置くとは、どういうつもりだ」
「退職の意思表示です。喚きも、取り乱しもいたしません。……ただ、静かに去るだけ」
「そ、そうよ! さっさとお行きなさい! ここには、私がいるのだから!」
ミレーヌが勝ち誇ったように叫ぶ。
「ええ、どうぞ。あとは、おふたりで頑張ってくださいね」
喚かない。取り乱さない。
涙も見せない。
だって私は、知っているから。
『引き継ぎゼロで人が辞めた会社が、どうなるか』を。
嫌というほど、知っているから。
「セレスティア……! おい、待て、どういうつもりだと聞いている!」
背後でロイドの声がした。
でも、もう振り返らなかった。
(さようなら。私の、静かな退職劇の始まりです。)
───────────
神殿を出て、私が最初に向かったのは――冒険者ギルドだった。
(家に帰る、という選択肢はなかった。両親も、私を『聖女』としてしか見ていなかったから。)
ステータス隠蔽スキル『偽装』を発動。
『鑑定』も『結界』も、月色の髪すら、平凡な色に塗り替える。
受付に立ったのは、赤毛の三つ編みを揺らす、そばかすの快活な受付嬢だった。
「はいはーい、登録ね! お名前は?」
「……ミオ、です」
「ミオちゃんね! 職種は?」
「治癒術師で」
「おっ、治癒持ちは引く手あまた! いいねぇ! これからよろしくね、ミオちゃん!」
リィナ、と彼女は名乗った。
しがらみも、身分も、聖女の肩書きも関係なく。
私を、ただの『新人冒険者ミオ』として、からっと笑って迎えてくれた。
(……変な感じ。誰も、私に何かを期待してこない。肩書きも、しがらみも、ない。)
それから数日。
私は依頼をこなし、傷を癒し、報酬を受け取った。
自分の意志で選んだ仕事。自分の名前で受け取る、対価。
生まれて初めて――前世を含めて初めて、『働くって、こういうことか』と思った。
ただ、悪い癖はそう簡単に抜けない。
気づけば深夜まで薬草の調合をしていた私に、リィナが本気で怒った。
「ちょっと! あんた働きすぎ! もう深夜よ、今日はもう上がりなさい!」
「え……でも、まだ薬草の調合が」
「でもじゃない! 無理しないの! 倒れたらどうすんの、もう!」
――無理、しないで。
その一言に、なぜか胸の奥がつまった。
前世で、誰も言ってくれなかった言葉。
(あ。私、こういうのが欲しかったのかもしれない。)
「……ん? なんか、目、うるうるしてない?」
「いえ。……なんでも、ないです。ありがとう、リィナ」
そんな時だった。
ギルドの隅に、ひときわ大きな影が現れたのは。
黒銀の髪。鋭い金の瞳。額に走る、竜の鱗のような紋様。
見上げるほどの長身の偉丈夫が、そこに立っていて――
「お、噂をすれば。将軍サマ、また来てますよ〜」
リィナがにやにやと、私の脇をつついた。
「え、誰ですか、あの人。すごく……大きいですね」
「Sランク冒険者、竜人の将軍。通称『氷の竜将』グレイ様。強面で無口で、みーんな怖がってるんだけどねぇ」
リィナが、くすっと笑う。
「あの人ねぇ、ミオちゃんが来てから、やたらギルドに顔出すのよね。ふふっ」
───────────
『氷の竜将』グレイ。
その名を聞けば、歴戦の冒険者ですら顔をこわばらせるという。
戦場では冷徹に敵を殲滅し、感情ひとつ見せない。
――そう、聞いていた。
だから、私はその光景をしばらく理解できなかった。
ギルドの隅。
長身の竜将が、直立不動で硬直している。
その足元では、一匹の子猫が、全身の毛を逆立てて「シャーッ!」と威嚇していた。
(……え?)
(汗、かいてる。動けなくされてる。氷の竜将、猫に……敗北中?)
思わず、噴き出しそうになった。
近づいて、子猫をそっと抱き上げる。
「よしよし。大丈夫だよ。ほら、おいで」
猫はころりと、私の腕の中で丸くなった。
グレイが、ようやく息を吐く。金の瞳が、ちらりと私を見た。
「……助かった」
低い、地を這うような声。だけど、なぜか少しだけ、ばつが悪そうだった。
「いえ。猫、苦手なんですか?」
「……苦手では、ない。ただ、あれは……嫌われている」
(真顔で言うことですか、それ。)
「ふふ。そうですか」
それから、彼はよく私の前に現れるようになった。
甘い焼き菓子を、無言で机に置いていく。
私が夜遅くまで働いていると、いつの間にか肩に毛布がかかっている。
「あの、これ……いつも机に置いてある焼き菓子、グレイさんですよね」
「…………知らん」
「毛布も、いつの間にかかかっていて。……ありがとうございます」
「………………」
耳まで、真っ赤になって。ぷいっと視線を逸らす。
(……この人、なに? 氷の竜将が、聞いて呆れる。こんなに不器用な世話焼き、見たことがない。)
そして、ある満月の夜。
調合部屋の窓から差し込む月光の下で。
彼は、ぽつりと言った。
「……ミオ」
「はい?」
「お前、夜になると……肌が光るのを、知っているか」
――心臓が、止まるかと思った。
月光紋。
心から想い合う相手にしか、見えないはずのそれが。
(どうして。どうして、この人に……見えているの?)
「……隠さなくていい。俺は、綺麗だと思っている。それだけだ」
偽装スキルでも、隠せなかった。
いや――偽装で隠せるものと、そうでないものが、あるのだとしたら。
凍りつく私を、金の瞳がまっすぐ見つめていた。
───────────
――一方、その頃。王都は静かに、崩れ始めていた。
国境の結界が、薄れていく。
セレスティアが毎晩手ずから張り直していたそれを、もう誰も維持できない。
浄化の泉は濁り。
抑え込まれていた魔物たちが、じわじわと国境を越え始めた。
「ミレーヌ! 結界を! 早く結界を張り直せ! 魔物が国境を越えてくるぞ!」
王太子ロイドが、青ざめて叫ぶ。
だが、聖水の瓶を握りしめた偽聖女は、ただ震えるばかりだった。
「そ、そんな……私、結界の張り方なんて、知らな……」
「なんだと? 貴様、聖女だろう! 力があると、あれほど言っていたではないか!」
「だ、だって……聖水を配るだけで、いつも結界は保たれていたのよ! 私は何もしなくても、勝手に……!」
「勝手に……? では、今まで結界を維持していたのは、誰だ……」
遠く冒険者ギルドで、その報せを聞いた私は、内心そう呟いた。
(張れるわけ、ないのよね。あなたにできたのは、涙の演技だけなんですから。)
ミレーヌにできたのは、聖水を配るパフォーマンスだけ。
セレスティアという土台があったからこそ、彼女の嘘は成立していた。
その土台が、自分で歩いて出て行った今――
(破滅のカウントダウンは、私が宝冠を置いたあの瞬間から、もう始まっていたんですよ。)
「セレスティアを捜せ! 各地の神殿に使者を! 真の聖女を、なんとしても連れ戻すのだ!」
だが、月光紋を持つ者など、現れるはずもない。
古の聖女の証は、この世にただひとり――偽装スキルで身を隠した、私だけのものだったから。
(遅い。何もかも、遅すぎる。引き継ぎゼロで人を追い出すと、こうなるんです。前世で、何度も見た光景。)
私は、静かに窓の外を見た。
次の満月が、近づいていた。
そして――スタンピードが、王都に迫っていた。
───────────
スタンピードが王都に迫る、その夜。
冒険者ギルドに、緊急の救援要請が舞い込んだ。
「た、大変よミオちゃん! 魔物の大群が国境を突破したって! 王都まで、あと数刻しかないって!」
ギルドが騒然とする中。
私は、静かに立ち上がった。
「……行きます」
「ミオちゃん!? 危ないよ、あんた治癒術師でしょ!?」
リィナが叫ぶ。でも私は、もう決めていた。
(王家のためじゃない。あの傲慢な王太子のためでも、断じてない。)
(――守ると、自分で決めた人たちのために。)
隣に、大きな影が並んだ。グレイだった。
「俺も行く」
「グレイ……」
「お前ひとりで、行かせるものか。……隣にいる。それだけだ」
「……ありがとう。では――行きましょう」
満月が、煌々と夜空に懸かっていた。
前線。押し寄せる魔物の群れ。
私は、深く息を吸い――偽装スキルを、解いた。
月色の髪が、月光にきらめく。
菫色の瞳が、静かに開く。
そして、肌に――淡い月光紋が、全開に浮かび上がった。
「――聖なる盟約に基づき」
両手を天へ掲げる。
「我が名において、大結界を展開する」
光が、爆発した。
夜空を裂くように、巨大な結界が王都全体を包み込む。
押し寄せた魔物が、光の壁に触れて次々と浄化されていく。
満月の下、月光の紋様をまとった――真の聖女の姿が、そこにあった。
「せ、セレスティア……!? その髪、その瞳、それに……肌の紋様は……!」
駆けつけたロイドが、私を見て絶句する。
その隣で、
「う、嘘……本物の、月光紋……?」
腰を抜かしたミレーヌが、へたり込んでいた。
「やはり……やはりお前が、本物の聖女だったのか! 戻ってくれ! 僕が悪かった! 国には、お前が必要なんだ!」
私は、ゆっくりと振り返った。
静かに、微笑んで。
「……私の紋様」
月光紋を、そっと指でなぞる。
「な、なんだ……」
「あなたには、一度も見えませんでしたよね」
「っ……」
ロイドの顔が、凍りついた。
「――最初から、答えは出ていたんです。あなたが、一度も私を『見て』こなかった。その事実そのものが」
───────────
「そ、そんな……嘘よ、嘘に決まってるわ……! 私が、私が聖女なのに……!」
ミレーヌが、地面にへたり込んだまま、かぶりを振る。
だが、もう誰も彼女の言葉を信じなかった。
結界を張れなかった聖女。浄化ひとつできなかった聖女。
真の聖女が月光の紋様をまとって現れた今、その嘘は、白日の下にすべて晒された。
「ミレーヌ・ラフェット。貴様、聖女を騙り、この国を欺いたな……! 衛兵、この女を捕らえよ!」
手のひらを返したロイドに詰め寄られ、偽聖女は公開の場で断罪される。
「ロ、ロイド様!? 待って、待ってくださいませ、私は……ううっ、うぅ……!」
涙の演技も、もう誰の心も動かさなかった。
(あなたも、被害者だったのかもしれませんね。『力があるふり』を、続けなきゃいけない重圧に、追い詰められて。)
(でも――だからって、与え続けた人を踏みつけていい理由には、ならない。)
私は、そっと隣を見上げた。
グレイが、静かに私を見下ろしている。
この人にだけは、ずっと見えていた。
想い合う者にしか見えない、月光の証。
(あなたが私に惹かれたのは、紋を見たからじゃない。)
(誰にも感謝されず、黙々と働く私を――ずっと、見ていてくれたから。)
(紋は、その想いの、結果にすぎなかった。)
「セレスティア。頼む、戻ってきてくれ。この国には、お前が――お前だけが……」
ロイドの縋る声を、私はやわらかく、しかしはっきりと遮った。
「いいえ」
「な……」
グレイの大きな手が、そっと私の背に添えられる。
「……この者の居場所は、もう決まっている」
その温もりに、私は初めて心から安堵して、笑った。
「私の居場所は、もうここです」
風が吹いた。
月光紋が、静かに、けれど誇らしげに輝いていた。
(前世も今世も、ずっと走り続けてきた。感謝もされず、休みもなく。)
(でも――もう、いいですよね。)
(ここからは、自分のために。私の選んだ人と、選んだ場所で。)
「王家は、真の聖女を失いました。結界を維持したければ――どうぞ、私に頭を下げてくださいね」
(さあ、ここからは――あなたたちが、頑張る番です。)
───────────
竜人領の、静かな朝。
私は、窓辺で温かい茶を飲みながら、のんびりと外を眺めていた。
残業のない朝。
誰にも急かされない時間。
(……贅沢だなあ。これが、普通の幸せってやつか。)
あれから、私はグレイと共に竜人領へ移り、新しい結界の研究をしながら暮らしている。
国家のためではなく、この土地と、ここに住む人々のために。
自分の意志で、自分のペースで。
リィナも、時々遊びに来る。
私がセレスティアだったと知っても、彼女はからっと笑い飛ばしただけだった。
「なーんだ、ミオはミオでしょ! セレスティアだろうがなんだろうが、何も変わんないじゃん!」
「……そう言ってくれる人がいる。それだけで、もう充分です」
そこへ、竜人族の使いがやってきた。
「ミオ様。また、王家から手紙が届いております」
「……また?」
受け取った封筒には、几帳面な字でこう書かれていた。
『どうか、結界維持のご協力を。国民一同、心より、お願い申し上げます――』
そして末尾には、ご丁寧に。
『先日の非礼、王太子ロイド、伏してお詫び申し上げます(土下座)』
(……毎週、届くんだよなあ、これ。返事は、まあ、気が向いたら。)
私は、くすりと笑って手紙を机に置いた。
そのとき、背後から大きな手が伸びて、そっと私の肩に毛布をかけた。
グレイだ。
「……冷える」
「ありがとう。……ねえ、グレイ」
振り返ると、金の瞳が、少しだけ揺れていた。
耳が、うっすら赤い。
「……セレスティア。いや、ミオ」
彼は、ぎこちなく、けれど真剣に、私の手を取った。
「その、だな。俺は……お前と、ずっと。一生、その……」
言葉に詰まる氷の竜将。
壊滅的に不器用な、彼らしい求婚だった。
「……一緒に、いてほしい。ここで。俺と」
私は、そっと微笑んで。
月光紋の浮かぶ手を、彼の手に重ねた。
「はい。よろこんで」
窓の外では、また新しい一日が始まっていた。
残業のない、穏やかな日々が――これからも、ずっと。
(前世の私に、教えてあげたいな。)
(ちゃんと辞めて、よかったよ、って。)




