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婚約破棄されたので聖女の仕事も辞めさせていただきます~転生した私の月光紋を、あの人だけが見ていました~

作者: uta
掲載日:2026/07/07

「セレスティア。お前との婚約を破棄する。聖女の資格もない偽物めが」


聖女認定式の、神殿の中央。

大勢の貴族と神官が見守る中、王太子ロイドの指が、まっすぐ私に突きつけられた。


(ああ、来たな。と、私は他人事のように思った。)


セレスティア・フォンティーヌ。この国唯一の『真正の聖女』。

――というのは表向きの肩書きで、その中身は、過労で命を落とした元・現代日本のブラック企業勤め、佐倉澪です。


(残業代も出ないのに国を守るとか、控えめに言って過労死案件では? ……あ、もう一回死んでるわ、私。)


「……あら。ずいぶんと、大勢の前でおっしゃるのですね」


「とぼけるな。真の聖女ならば、肌に月光紋が浮かぶという。だが、お前にはそれが見えぬ。偽物の証拠だ」


ロイドが言う『紋様』とは、私の肌に――月光の下でだけ浮かぶ、淡い『月光紋』のこと。

古の聖女の証。

そして、心から想い合う相手にしか見えない、という厄介な仕様つき。


両親にも、婚約者だったこの人にも、ずっと見えなかった。


「月光紋、ですか。ふふ。……ええ、見えないでしょうね。あなたには」


(見えないのは、当たり前ですよ。あなたは一度も、私を見ていなかったんですから。)


「ロイド様……私、私には本物の力がありますわ。どうか、どうか信じてくださいませ……」


ロイドの隣で、栗色の巻き髪の令嬢が涙ぐんでみせる。

ミレーヌ・ラフェット男爵令嬢。『新しい聖女』を名乗る、演技だけは一流の女。


(涙の演技、一流ですこと。前世の先輩にもいましたよ。成果は横取り、責任は他人任せ、泣けば許されると思ってる人。)


「見たか、セレスティア。ミレーヌこそが真の聖女だ。彼女の力が、この国を支えている」


(国境の結界を毎晩張り直してるの、私なんですけどね。まあ、いいです。もう。)


感謝もされず。休日も返上で。ひとりで、黙々と。

前世も今世も、社畜街道まっしぐら。


――でも。


「……そうですか。わかりました」


「なんだ、その態度は。言い訳のひとつもせんのか」


「いいえ、何も。ただ――ひとつだけ、よろしいでしょうか」


「なんだ、言ってみろ」


私は、静かに頭上の聖女の宝冠を外した。

ざわ、と場が揺れる。ロイドが一瞬、たじろいだのがわかった。


そっと、床に置く。

こつん、と冷たい音がした。


「では、聖女の仕事も辞めさせていただきます。今日限りで」


「……なに?」


「お返しします。もう、私には必要のないものですから」


「お、おい、待て。宝冠を床に置くとは、どういうつもりだ」


「退職の意思表示です。喚きも、取り乱しもいたしません。……ただ、静かに去るだけ」


「そ、そうよ! さっさとお行きなさい! ここには、私がいるのだから!」


ミレーヌが勝ち誇ったように叫ぶ。


「ええ、どうぞ。あとは、おふたりで頑張ってくださいね」


喚かない。取り乱さない。

涙も見せない。


だって私は、知っているから。

『引き継ぎゼロで人が辞めた会社が、どうなるか』を。


嫌というほど、知っているから。


「セレスティア……! おい、待て、どういうつもりだと聞いている!」


背後でロイドの声がした。

でも、もう振り返らなかった。


(さようなら。私の、静かな退職劇の始まりです。)


───────────


神殿を出て、私が最初に向かったのは――冒険者ギルドだった。


(家に帰る、という選択肢はなかった。両親も、私を『聖女』としてしか見ていなかったから。)


ステータス隠蔽スキル『偽装』を発動。

『鑑定』も『結界』も、月色の髪すら、平凡な色に塗り替える。


受付に立ったのは、赤毛の三つ編みを揺らす、そばかすの快活な受付嬢だった。


「はいはーい、登録ね! お名前は?」


「……ミオ、です」


「ミオちゃんね! 職種は?」


「治癒術師で」


「おっ、治癒持ちは引く手あまた! いいねぇ! これからよろしくね、ミオちゃん!」


リィナ、と彼女は名乗った。

しがらみも、身分も、聖女の肩書きも関係なく。

私を、ただの『新人冒険者ミオ』として、からっと笑って迎えてくれた。


(……変な感じ。誰も、私に何かを期待してこない。肩書きも、しがらみも、ない。)


それから数日。

私は依頼をこなし、傷を癒し、報酬を受け取った。

自分の意志で選んだ仕事。自分の名前で受け取る、対価。


生まれて初めて――前世を含めて初めて、『働くって、こういうことか』と思った。


ただ、悪い癖はそう簡単に抜けない。

気づけば深夜まで薬草の調合をしていた私に、リィナが本気で怒った。


「ちょっと! あんた働きすぎ! もう深夜よ、今日はもう上がりなさい!」


「え……でも、まだ薬草の調合が」


「でもじゃない! 無理しないの! 倒れたらどうすんの、もう!」


――無理、しないで。


その一言に、なぜか胸の奥がつまった。

前世で、誰も言ってくれなかった言葉。


(あ。私、こういうのが欲しかったのかもしれない。)


「……ん? なんか、目、うるうるしてない?」


「いえ。……なんでも、ないです。ありがとう、リィナ」


そんな時だった。

ギルドの隅に、ひときわ大きな影が現れたのは。


黒銀の髪。鋭い金の瞳。額に走る、竜の鱗のような紋様。

見上げるほどの長身の偉丈夫が、そこに立っていて――


「お、噂をすれば。将軍サマ、また来てますよ〜」


リィナがにやにやと、私の脇をつついた。


「え、誰ですか、あの人。すごく……大きいですね」


「Sランク冒険者、竜人の将軍。通称『氷の竜将』グレイ様。強面で無口で、みーんな怖がってるんだけどねぇ」


リィナが、くすっと笑う。


「あの人ねぇ、ミオちゃんが来てから、やたらギルドに顔出すのよね。ふふっ」


───────────


『氷の竜将』グレイ。

その名を聞けば、歴戦の冒険者ですら顔をこわばらせるという。


戦場では冷徹に敵を殲滅し、感情ひとつ見せない。

――そう、聞いていた。


だから、私はその光景をしばらく理解できなかった。


ギルドの隅。

長身の竜将が、直立不動で硬直している。

その足元では、一匹の子猫が、全身の毛を逆立てて「シャーッ!」と威嚇していた。


(……え?)


(汗、かいてる。動けなくされてる。氷の竜将、猫に……敗北中?)


思わず、噴き出しそうになった。

近づいて、子猫をそっと抱き上げる。


「よしよし。大丈夫だよ。ほら、おいで」


猫はころりと、私の腕の中で丸くなった。

グレイが、ようやく息を吐く。金の瞳が、ちらりと私を見た。


「……助かった」


低い、地を這うような声。だけど、なぜか少しだけ、ばつが悪そうだった。


「いえ。猫、苦手なんですか?」


「……苦手では、ない。ただ、あれは……嫌われている」


(真顔で言うことですか、それ。)


「ふふ。そうですか」


それから、彼はよく私の前に現れるようになった。


甘い焼き菓子を、無言で机に置いていく。

私が夜遅くまで働いていると、いつの間にか肩に毛布がかかっている。


「あの、これ……いつも机に置いてある焼き菓子、グレイさんですよね」


「…………知らん」


「毛布も、いつの間にかかかっていて。……ありがとうございます」


「………………」


耳まで、真っ赤になって。ぷいっと視線を逸らす。


(……この人、なに? 氷の竜将が、聞いて呆れる。こんなに不器用な世話焼き、見たことがない。)


そして、ある満月の夜。

調合部屋の窓から差し込む月光の下で。

彼は、ぽつりと言った。


「……ミオ」


「はい?」


「お前、夜になると……肌が光るのを、知っているか」


――心臓が、止まるかと思った。


月光紋。

心から想い合う相手にしか、見えないはずのそれが。


(どうして。どうして、この人に……見えているの?)


「……隠さなくていい。俺は、綺麗だと思っている。それだけだ」


偽装スキルでも、隠せなかった。

いや――偽装で隠せるものと、そうでないものが、あるのだとしたら。


凍りつく私を、金の瞳がまっすぐ見つめていた。


───────────


――一方、その頃。王都は静かに、崩れ始めていた。


国境の結界が、薄れていく。

セレスティアが毎晩手ずから張り直していたそれを、もう誰も維持できない。


浄化の泉は濁り。

抑え込まれていた魔物たちが、じわじわと国境を越え始めた。


「ミレーヌ! 結界を! 早く結界を張り直せ! 魔物が国境を越えてくるぞ!」


王太子ロイドが、青ざめて叫ぶ。

だが、聖水の瓶を握りしめた偽聖女は、ただ震えるばかりだった。


「そ、そんな……私、結界の張り方なんて、知らな……」


「なんだと? 貴様、聖女だろう! 力があると、あれほど言っていたではないか!」


「だ、だって……聖水を配るだけで、いつも結界は保たれていたのよ! 私は何もしなくても、勝手に……!」


「勝手に……? では、今まで結界を維持していたのは、誰だ……」


遠く冒険者ギルドで、その報せを聞いた私は、内心そう呟いた。


(張れるわけ、ないのよね。あなたにできたのは、涙の演技だけなんですから。)


ミレーヌにできたのは、聖水を配るパフォーマンスだけ。

セレスティアという土台があったからこそ、彼女の嘘は成立していた。

その土台が、自分で歩いて出て行った今――


(破滅のカウントダウンは、私が宝冠を置いたあの瞬間から、もう始まっていたんですよ。)


「セレスティアを捜せ! 各地の神殿に使者を! 真の聖女を、なんとしても連れ戻すのだ!」


だが、月光紋を持つ者など、現れるはずもない。

古の聖女の証は、この世にただひとり――偽装スキルで身を隠した、私だけのものだったから。


(遅い。何もかも、遅すぎる。引き継ぎゼロで人を追い出すと、こうなるんです。前世で、何度も見た光景。)


私は、静かに窓の外を見た。

次の満月が、近づいていた。


そして――スタンピードが、王都に迫っていた。


───────────


スタンピードが王都に迫る、その夜。

冒険者ギルドに、緊急の救援要請が舞い込んだ。


「た、大変よミオちゃん! 魔物の大群が国境を突破したって! 王都まで、あと数刻しかないって!」


ギルドが騒然とする中。

私は、静かに立ち上がった。


「……行きます」


「ミオちゃん!? 危ないよ、あんた治癒術師でしょ!?」


リィナが叫ぶ。でも私は、もう決めていた。


(王家のためじゃない。あの傲慢な王太子のためでも、断じてない。)


(――守ると、自分で決めた人たちのために。)


隣に、大きな影が並んだ。グレイだった。


「俺も行く」


「グレイ……」


「お前ひとりで、行かせるものか。……隣にいる。それだけだ」


「……ありがとう。では――行きましょう」


満月が、煌々と夜空に懸かっていた。


前線。押し寄せる魔物の群れ。

私は、深く息を吸い――偽装スキルを、解いた。


月色の髪が、月光にきらめく。

菫色の瞳が、静かに開く。

そして、肌に――淡い月光紋が、全開に浮かび上がった。


「――聖なる盟約に基づき」


両手を天へ掲げる。


「我が名において、大結界を展開する」


光が、爆発した。

夜空を裂くように、巨大な結界が王都全体を包み込む。

押し寄せた魔物が、光の壁に触れて次々と浄化されていく。


満月の下、月光の紋様をまとった――真の聖女の姿が、そこにあった。


「せ、セレスティア……!? その髪、その瞳、それに……肌の紋様は……!」


駆けつけたロイドが、私を見て絶句する。

その隣で、


「う、嘘……本物の、月光紋……?」


腰を抜かしたミレーヌが、へたり込んでいた。


「やはり……やはりお前が、本物の聖女だったのか! 戻ってくれ! 僕が悪かった! 国には、お前が必要なんだ!」


私は、ゆっくりと振り返った。

静かに、微笑んで。


「……私の紋様」


月光紋を、そっと指でなぞる。


「な、なんだ……」


「あなたには、一度も見えませんでしたよね」


「っ……」


ロイドの顔が、凍りついた。


「――最初から、答えは出ていたんです。あなたが、一度も私を『見て』こなかった。その事実そのものが」


───────────


「そ、そんな……嘘よ、嘘に決まってるわ……! 私が、私が聖女なのに……!」


ミレーヌが、地面にへたり込んだまま、かぶりを振る。

だが、もう誰も彼女の言葉を信じなかった。


結界を張れなかった聖女。浄化ひとつできなかった聖女。

真の聖女が月光の紋様をまとって現れた今、その嘘は、白日の下にすべて晒された。


「ミレーヌ・ラフェット。貴様、聖女を騙り、この国を欺いたな……! 衛兵、この女を捕らえよ!」


手のひらを返したロイドに詰め寄られ、偽聖女は公開の場で断罪される。


「ロ、ロイド様!? 待って、待ってくださいませ、私は……ううっ、うぅ……!」


涙の演技も、もう誰の心も動かさなかった。


(あなたも、被害者だったのかもしれませんね。『力があるふり』を、続けなきゃいけない重圧に、追い詰められて。)


(でも――だからって、与え続けた人を踏みつけていい理由には、ならない。)


私は、そっと隣を見上げた。

グレイが、静かに私を見下ろしている。


この人にだけは、ずっと見えていた。

想い合う者にしか見えない、月光の証。


(あなたが私に惹かれたのは、紋を見たからじゃない。)


(誰にも感謝されず、黙々と働く私を――ずっと、見ていてくれたから。)


(紋は、その想いの、結果にすぎなかった。)


「セレスティア。頼む、戻ってきてくれ。この国には、お前が――お前だけが……」


ロイドの縋る声を、私はやわらかく、しかしはっきりと遮った。


「いいえ」


「な……」


グレイの大きな手が、そっと私の背に添えられる。


「……この者の居場所は、もう決まっている」


その温もりに、私は初めて心から安堵して、笑った。


「私の居場所は、もうここです」


風が吹いた。

月光紋が、静かに、けれど誇らしげに輝いていた。


(前世も今世も、ずっと走り続けてきた。感謝もされず、休みもなく。)


(でも――もう、いいですよね。)


(ここからは、自分のために。私の選んだ人と、選んだ場所で。)


「王家は、真の聖女を失いました。結界を維持したければ――どうぞ、私に頭を下げてくださいね」


(さあ、ここからは――あなたたちが、頑張る番です。)


───────────


竜人領の、静かな朝。


私は、窓辺で温かい茶を飲みながら、のんびりと外を眺めていた。


残業のない朝。

誰にも急かされない時間。


(……贅沢だなあ。これが、普通の幸せってやつか。)


あれから、私はグレイと共に竜人領へ移り、新しい結界の研究をしながら暮らしている。

国家のためではなく、この土地と、ここに住む人々のために。

自分の意志で、自分のペースで。


リィナも、時々遊びに来る。

私がセレスティアだったと知っても、彼女はからっと笑い飛ばしただけだった。


「なーんだ、ミオはミオでしょ! セレスティアだろうがなんだろうが、何も変わんないじゃん!」


「……そう言ってくれる人がいる。それだけで、もう充分です」


そこへ、竜人族の使いがやってきた。


「ミオ様。また、王家から手紙が届いております」


「……また?」


受け取った封筒には、几帳面な字でこう書かれていた。


『どうか、結界維持のご協力を。国民一同、心より、お願い申し上げます――』


そして末尾には、ご丁寧に。


『先日の非礼、王太子ロイド、伏してお詫び申し上げます(土下座)』


(……毎週、届くんだよなあ、これ。返事は、まあ、気が向いたら。)


私は、くすりと笑って手紙を机に置いた。


そのとき、背後から大きな手が伸びて、そっと私の肩に毛布をかけた。

グレイだ。


「……冷える」


「ありがとう。……ねえ、グレイ」


振り返ると、金の瞳が、少しだけ揺れていた。

耳が、うっすら赤い。


「……セレスティア。いや、ミオ」


彼は、ぎこちなく、けれど真剣に、私の手を取った。


「その、だな。俺は……お前と、ずっと。一生、その……」


言葉に詰まる氷の竜将。

壊滅的に不器用な、彼らしい求婚だった。


「……一緒に、いてほしい。ここで。俺と」


私は、そっと微笑んで。

月光紋の浮かぶ手を、彼の手に重ねた。


「はい。よろこんで」


窓の外では、また新しい一日が始まっていた。

残業のない、穏やかな日々が――これからも、ずっと。


(前世の私に、教えてあげたいな。)


(ちゃんと辞めて、よかったよ、って。)

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