死者の声を聴く僕は、何度も蘇生された聖女を永遠の地獄から救う
僕が初めて死者と話したのは、母が亡くなったときだった。
僕は貧しい平民の家で生まれたが、女手一つで僕を育ててくれた母は優しく、いつも僕のことを気にかけていてくれた。しかし、過労がたたって、僕が15歳になった頃に母は亡くなった。
母の死に直面したそのとき、僕に「残想感知」というスキルが顕現した。それは遺骸や遺品に残った死者の記憶や感情を読み取り、対話さえ可能にする力だった。
簡素な葬儀で、母の遺骸を火葬に付す直前に、僕はその「残想感知」スキルを使用し、亡くなった母の記憶と、記憶に伴う感情に触れた。
中には、早逝した父を理不尽に恨んだり、勤めていた食堂の主人に不満を覚えたりと、醜い感情もあった。しかし、そうした人々への感謝と、何よりも一貫した僕への愛情が常に母の記憶の根底にあった。
赤ん坊の僕を抱く腕。幼い僕と手を繋いで歩く日々。貧乏に文句を言うようになった僕を、苦笑しながら見つめる眼差し。
そんな情景が、温かな幸福感と愛情とともに僕の中へ流れ込んできた。
僕が「母さん、今までありがとう」と伝えると、母の想念は、「カナタ、しっかり生きて、必ず幸せになるのよ。お母さんみたいに良い人を見つけなさい」と、いたずらっぽい、しかし優しい微笑みを浮かべた。僕は頷き、頬に涙が流れ出ていることに気づいた。僕はそのときになってようやく、自分がどれほど母に愛され、どれほど母を愛していたのかを思い知った。僕の成長をもっと見ていてほしかったと思った。
葬儀を担当した神官が、そんなふうに僕が死者の母と話をしていたことに気づいた。
「何を話されていたのですか?」
「母に最期の別れを伝えました」
神官が尋ねてきたので、不審に思われないよう、そう答えた。
「お母様は何と仰っていましたか?」
「え?」
「間違っていたら申し訳ないのですが、あなたは一方的に別れを告げるのではなく、お母様と対話していたのではないですか?」
僕はどう答えるべきか迷ったが、正直に答えることにした。
「……はい、そうです。……母は僕に、必ず幸せになりなさいと言っていました」
「なるほど」
「死者と対話するだなんて、頭がおかしいとは思わないのですか?」
「まったく思いませんね。私は聖女を始め、女神が人々に与える驚くべき秘蹟を数多く見ているのですよ。死者と対話できるスキルや魔法があっても何の不思議にも思いません」
そう言って神官は笑った。
「お母様と対話された上で、これが最期の確認になりますが、蘇生はしなくて良いのですね?」
僕は迷うことなく頷いた。
「母にはもっと長く生きてほしかったですが……『蘇生』して無理矢理やり直さなければならないほど、つまらない人生ではありませんでした。むしろ精一杯生きて、充実したとても幸せな人生でした。蘇生によって母の生を汚したくはないです。……もちろん蘇生の費用なんて工面できませんし」
僕はそう言って神官に笑った。笑いながら、涙がとめどなく流れるのを止めることはできなかった。
「わかりました。では、お母様の魂はしっかりと天に送り届けましょう」
胸の奥には悲しみが澱のように溜まっていたが、もう母を引き止めたいとは思わなかった。僕は母の願いに応え、幸せな人生を送って、恩返しをしようと心に決めた。
そしてその母の葬儀の翌日に、僕は「聖教会帰魂院」——通称「蘇生屋」に呼び出され、雇われることになった。
※
僕が転生した異世界では、死者の「蘇生」が当たり前のように行われていた。
「当たり前」とは言うものの、それは蘇生の高額な費用が支払える王侯貴族や富裕な商人にとってであって、僕のような平民にとっては簡単に手の届くものではない。中には大きな借金をしてでも蘇生を依頼してくる平民もいるにはいるのだが、そうして死者を呼び戻した先で、本当に幸福な人生を送れたのだろうかと、僕はいつも思ってしまう。
「蘇生が高額なのは、金持ちから搾り取るためだけではない。死を安くしてしまわないためだ。それに、蘇生で納められた金は救護院や施療院に回る。一人を無理に呼び戻す金で、多くの生者が救われることもある」
「蘇生屋」の僕の上司マティアスの言葉だ。高額な費用を取ることは必ずしも最善の方法ではないかもしれないが、聖教会にとっても、苦肉の方法なのだろう。
「カナタ、おまえは生者と死者を『つなぐ』重要な役割を担うんだ」
マティアスは新人の僕にそう告げた。
僕の「残想感知」スキルで死者と対話し、その結果を生者に伝え、本当に蘇生を行うべきかを問うのが「魂話士」としての僕の役割だ。
マティアスは蘇生の原則について、僕に説明した。
「損壊が激しい遺体ほど成功率は落ちる。高齢者ならなおさらだ。時間が経てば魂の欠損も進む。たとえ蘇生できても、性格や記憶の一部が変質することもある」
手紙でも読むかのように「原則」を誦んじた上で、マティアスは続けた。
「特に金持ち連中は蘇生が当たり前のように考えているのだが、その『原則』があるため、帰魂院は蘇生を勧めない。どうしても蘇生を行うのであれば判断は死後直ちに行い、いかなるリスクも蘇生を決断する遺族が負わなければならない」
そしてマティアスはまっすぐ僕を見た。
「それが今までのやり方だ。だがな、人の生死を、遺族とはいえ、他人に委ねるのは間違っていると思うのだ。そうは思わないか?」
僕はマティアスの意図を推察した。
「死者との対話が可能であるならば、遺族よりも本人の意思を優先するということですか?」
満足そうにマティアスが頷いた。
「そうだ。今後、蘇生の判断に、『本人の意思』を確認する手続きを取るようにしたいのだ」
前世の記憶はそこまではっきりとは覚えていないのだが、「ニホン」と呼ばれる国で、おそらく葬儀関連の仕事をしていたように思う。
死者を送る「葬儀」とは真逆の「蘇生屋」だが、「死者と向き合う」という点では共通しており、僕にとって天職なのかもしれなかった。
前世の記憶は曖昧なのだが、ただ一人、優しい笑顔をした女性の面影だけは、なぜか今も胸の底に残っている。その女性が僕にとって憧れだったのか、恋だったのか、それすら霧のように曖昧ではあるのだが。
※
「蘇生屋」は朝から騒々しかった。
その日、運ばれてきたのは聖女カナデの遺骸だった。
僕の母の葬儀を取り仕切ってくれた神官が言っていた、様々な「秘蹟」を扱う唯一無二の聖女が、死んだのだ。
聖女の死だけでも、「蘇生屋」は騒然としていたのに、そこに王太子まで訪ねてきており、聖教会の職員たちは浮き足だってしまっていた。
マティアスは「また来たか」とため息をついていた。
「聖女は今日中に蘇生させろ。費用はいくらでも出す」
アルヴィンは横柄にそう言い放った。
そこにマティアスが応対をした。
「申し訳ございませんが、今回は『蘇生』の新しい正式な手続きを踏んでいただく必要がございます。たとえ王太子殿下といえども、例外にはできません」
アルヴィンは右眉を吊り上げ、露骨に不満を示した。
「どういうつもりだ? 今までも何度も蘇生させてきたではないか。今さら、たかが神官が俺に逆らうつもりか?」
「帰魂院の新しい規定で、今後の蘇生は、死者本人の意思確認を経たうえで行うことになりました」
それを聞いて、アルヴィンは鼻で笑った。
「死人にどう意思を確認するというのだ? カナデは遺書も何も残しておらんぞ」
「死人と対話するスキルを使用いたします」
アルヴィンが苛立たしげにまた表情を歪めた。
「その煩わしい手続きは即刻廃止しろ。
俺は王太子で、聖女カナデは俺の婚約者だ。あれをどう扱うかは俺が決めることだ。そもそも人が生き返ることができるのに何の文句があるというのだ? それに聖女がいなくなれば王国にとっても聖教会にとっても大損害だ。聖教会も大金を得て、誰にとっても良いではないか」
「お言葉ですが殿下、聖教会は王政府からは独立した権限を持ちます。『蘇生』に関しては特に独立性が高いことはご認識いただいているかと思います。これは譲れません。どうしてもというなら法務卿を通して、訴えてください。その手続きのほうがよほど時間を要するので、お勧めはいたしませんが」
アルヴィンは苦々しげにマティアスを睨んだ。
「……直ちに進めろ。その鬱陶しい手続きも、蘇生も今日中に終わらせるのだ。
おまえの顔は覚えたからな。覚悟しておけよ」
「では、『死者との対話に入らせていただきます」
マティアスは顔色一つ変えずに答えた。
マティアスに促され、僕は横たわる聖女カナデの遺骸に歩み寄った。
金の髪に、透き通るような白い肌。身体から生命が失われているにも関わらず、神秘的な美しさがその遺骸にはあった。
その白い指先に触れた瞬間、残想が僕の中に奔流のように流れ込んだ。
それは、ただの残想ではなかった。
僕はそのとき、自分が決して後戻りできない場所に踏み込んだのだと知った。
※
聖女の生前の記憶は苛烈だった。
辺境の貧しい家庭で生まれ、聖教会に見出され、聖女として迎えられた過去。厳しい修行時代。民衆の前で作られた微笑みを浮かべる聖女の誕生祭、そして王太子アルヴィンとの婚約。
度重なる災厄や戦争の最前線で、魔力が尽きるまで奇跡と加護を与え続け、何の支援もなく死んでいく苦しみが繰り返される。
何度目かの蘇生の後、消耗しきって座る聖女。そこに王太子アルヴィンが訪ねてくると、動悸が早まり、呼吸が浅くなる。
そしてアルヴィンが次の「救済」を指示する。それは新たな死の宣告でもあったのだが、聖女として、危機にある王国民を見殺しになどできるはずもなかった。たとえそれが、アルヴィンによって意図的に作られた危機であったとしても。
カナデが殉死し、蘇生し、復活祭が催されるたび、苦難を救った聖女として讃えられ、聖女を復活させた庇護者たる王太子が賞賛される。
蘇生を繰り返した肉体も、そして魂そのものも磨耗し切っていた。
「お願い。もう眠らせて……」
カナデの想念は、一言目にそう言った。
僕は何も声を返すことができなかった。
前世のあの女性の面影と重なった。前世でもあの人は遺体だったのではないか。前世でも彼女の魂と対話したことがあったのではないか、といううっすらとした記憶が浮かび上がる。
あのときも、他者のために自らをすり減らして亡くなっていたのではなかったか? 幾重もの生で、聖女として運命づけられた魂なのだ。
僕にはあまりに重い現実と、混濁した記憶の中で、僕自身の魂が硬直してしまったかのようだった。
※
僕は「残想感知」の結果をマティアスと、アルヴィンに伝えた。
聖女カナデとアルヴィンの間でしか知りえない情報もあったので、僕のスキルが真正のものであることを、アルヴィンも認めざるをえなかっただろう。
「聖女カナデは消耗し切っています。蘇生させるべき状態ではないと思います」
それが王太子の不機嫌を助長することになるとはわかっていたが、それでもカナデの苦しみを知ってしまった以上、蘇生に賛同することはとてもできなかった。
「おまえみたいな平民のガキが、知ったような口を聞くな。立場をわきまえろ!」
想定したとおり、アルヴィンは苛立ちを露わにして僕に怒鳴った。
「ご本人が蘇生を拒否している以上、我々は蘇生を進めることはできません」
マティアスが極めて事務的に、アルヴィンにそう伝えた。
※
帰魂院として、聖女カナデに永遠の休息を与えるべきと判断したものの、「聖女」という特別な立場ゆえ、葬送のためには大司教の承認が必要であった。
その承認を待つ間、僕は再びカナデとの対話を許された。最期の時を迎えるまでに少しでもカナデの魂を癒す試みをすべきだというマティアス判断だった。
僕は再び聖女カナデの白い指先に手を触れた。仕事のためとはいえ、そして相手が遺骸とはいえ、僕はカナデという女性の手に触れることに、後ろめたい、奇妙な喜びを感じ、それが何か恥じるべきことのように思えた。
カナデの想念が、生きているかのように人の姿で浮かび上がってくる。カナデは、聖女らしい優しい美しさを湛えた女性だった。
「あなた、以前お会いしたことがあるかしら?」
カナデの想念が言った。
「いえ、聖女様にお会いするのは初めてです。つまり……聖女様が生きている間にお会いしたことはございません」
「そうかしら。あなたの魂はとても懐かしい感じがするわ。……お名前を伺っても良いかしら?」
「カナタと言います」
「カナタ……。やっぱりどこか懐かしい名前のように思えるわ」
カナデは不思議そうに僕の名前を何度か唱えた。
「聖女様はひょっとしたら転生者ではございませんか?」
僕は思い切って尋ねた。
「ええ、そうよ」
あっさりとカナデは認めた。その答えを予期はしていたが、僕は少なからず驚いた。
「ひょっとしてあなたも?」
僕はカナデの想念に向かって頷いた。
「でしたら転生前の前世でお会いしたことがあるかもしれないわね」
「はい、僕もそんな気がします。ただ、そのときも、あなたは亡くなっていたのではないかと思います」
「カナタは前世の世界でも、この異世界でも死者とお話をする方なのね。ふふふ。
私は前世も良い思い出がないのよね。いわゆる『社蓄』というやつで、会社にいいようにこき使われて、過労死したの。今は死んでも蘇生させられて何度も働かせられるからもっと酷いわね」
カナデは悲しそうに苦笑いした。
「あなたの魂は、今も昔も消耗してしまっているように思います」
「ふふふ。そんなことを言うのはあなただけよ。女神の化身のような聖女が、『消耗』するなんて誰も考えないわ」
「僕ならカナデ様のことを理解できます」
「そうでしょうね。直接私の魂と話すことができるくらいなのですから。
あなたは私の魂を鎮めてくれるのかしら? 私はもう蘇生しなくて良いの?」
「はい、もう王太子殿下には、蘇生しない旨を伝えています」
「そう……ありがとう」
「どのみち、あなたの魂も肉体も、もう何度も蘇生に耐えられるとは思いません」
「そうね……。やっと永遠の眠りにつけるのね……。長かったわ」
その口ぶりとは裏腹に、僕はその想念から、寂しさを感じ取った。
「あの……差し出がましいかもしれませんが、この世に未練はないのですか? 失礼ながら魂の記憶を読ませていただいて……この世に良い思い出がないことは理解しているつもりなのですが……」
そう尋ねると、カナデの目から一筋の涙が流れた。
「あ……すみません……変なこと聞いてしまいましたね」
カナデは首を振る。
「……本当は未練があるのよ。……一度でもこの世が良いところだって思えるような、そんな思い出が欲しかった。世を恨んだまま永遠の眠りにつかないといけないなんてあんまりだわ」
僕もそのことについては同じ想いだった。多くの人々を助け、世界に加護を与えた聖女が、その世界のほうから何の見返りも得られないどころか、むしろ虐げられるだけなんてことが許されるだろうか?
「……あと一度くらいなら、蘇生しても身体は保つと思います。あの……僕も生きているカナデ様にお会いしたいです。僕に何ができるわけでもないですけれど……できることはして差し上げたいと思います。それから……」
僕には身体の状態を正しく把握することはできなかったが、このまま終わらせたくないという気持ちが強かった。
「カナデ様は、王太子であろうと誰であろうと、もう誰かの言いなりになる必要はないと思います」
その時、カナデはふっと優しい笑みを浮かべた。
「変なことを言うようだけれど、私、カナタが来てくれるのを、この異世界でずっと待っていた気がするわ。だから、今は少し幸せな気分になっているの」
それは僕も同じだった。カナデの魂に触れ、彼女が言ったように、僕もとても懐かしい気持ちになったのだ。
はっきりとは覚えていないのだが、この異世界で再び会う約束を、前世の最後にしていたような、そんな感覚があった。
「もし私がもう一度蘇生されて、それでも世界の価値みたいなものを見出すことができなければ、もうきっぱり生への未練は失くすわ。その時は……」
カナデはいたずらっぽい、妖しい笑みを浮かべた。
「あなたもこちらに来る?」
※
僕がマティアスに聖女カナデの心変わりを伝える前に、大司教グレゴールから直々に、葬送の承認の代わりに、蘇生を進めるよう指示が下りた。
王太子アルヴィンが王政府を通じて圧力をかけてきたのは明白だった。
「結局、政治の前に、個人の生死の尊厳は無いに等しいということか」
マティアスが苦々しげに言った。
「あの……マティアスさん、聖女様がもう一度だけ蘇生してもよいと仰っています」
「何?」
マティアスが僕を睨んだ。
「この世に少しだけ未練があるそうで……」
「そうか……それなら結果的によかったか……」
マティアスは納得がいっている様子ではなかったが、本人の気が変わった以上、反発する気も起きなかったようだった。
大司教の号令により、帰魂院では直ちに蘇生の儀式が行われることになった。
大聖堂の地下礼拝堂にある祭壇に聖女カナデの遺骸が置かれ、十人程度の上級司祭がその祭壇を囲んだ。
それぞれの司祭が長い長い詠唱を行うこと数時間、ついに儀式が完了すると、遺骸が大きな光に包まれた。
光がカナデの身体を修復し、浮遊していたカナデの魂を再びその身体に固定し、蘇生は成功した。
聖女カナデは祭壇の上で目を覚まし、手足を小さく動かして、身体の調子を確認しているようだった。
やがてカナデは起き上がった。
生きた姿の聖女カナデは、遺骸のときとは比較にならないほどの神々しい美しさで、僕を圧倒した。
「カナタ!」
カナデが僕の名を呼んだ。
帰魂院の神官たちが一斉に僕を振り返る。
僕はおずおずと前に出た。
「カナデ様、よくお戻りになりました」
僕が声をかけると、カナデは満面の笑みを浮かべた。
「ようやく、生きて会えたわね、カナタ」
僕は気恥ずかしくなり、小さく微笑み返した。
※
聖女カナデとの時間をゆっくり持つことは叶わず、すぐに王太子アルヴィンが迎えに来た。
蘇生したカナデを満足そうに眺め、「相変わらず女神のような美しさだ」と呟いた。
傍にいたマティアスと僕の姿を認めると、勝ち誇ったように言った。
「貴様ら処分は追って沙汰するので楽しみに待っているんだな」
マティアスも僕も何も言わず、ただアルヴィンに向かって礼をした。僕たちは何も間違ったことをしたつもりはなかった。もし僕たちが罰せられるのであれば、この世界の方が間違っていると胸を張って言うだろう。
「では行くぞ、カナデよ」
アルヴィンはカナデの手を取ろうとしたが、カナデは無視して歩き始めた。
「一人で歩けますわ。今回の蘇生はとても上手くいったみたいです」
「カナデ様……」
僕はまたカナデがアルヴィンの言いなりになって不幸な結果に終わることを危惧していた。僕が見たカナデの恐怖の根源はこの男だったのだ。
「カナタ、私は大丈夫よ。この世界で唯一無二の聖女がただの人に負けるわけがないでしょう? みくびらないでちょうだい」
そう言うと、カナデは僕の手をそっと握った。
「あなたと会えて良かったわ、カナタ。これで何とか折り合いをつけられる気がする」
カナデはそう言って僕に微笑みかけ、やがて手を離した。
そして、神々しさを湛えた聖女カナデは「蘇生屋」を去り、王太子アルヴィンが続いた。
その様子は確かに、女神と、それに従うただの人にしか見えなかった。
※
聖女カナデが蘇生したその日の夜に、聖女の復活祭が行われることになった。
僕はこれまで母の仕事の手伝いで忙しく、復活祭に参加したことがなかったのだが、復活祭は過去に何度も催され、マティアスによると、通例では、前の生での聖女カナデの功績が読み上げられ、讃えられた上で、今生の聖女に解決されるべき問題が発表される場でもあるようだった。
王城前広場に、大勢の観衆が集まった。
前列には、大司教ら聖教会の幹部に加え、国王や宰相ら、王政府の幹部たちも列席しているようだった。聖女といえば、国王にも比肩する存在なのだ。
僕たち「蘇生屋」のメンバーは、カナデに何かあった時にすぐに対応できるよう、王城側に待機し、そこから復活祭の様子を窺うことになっていた。
やがて、観衆が大きな歓声を上げた。
聖女カナデが王城側から姿を現したのだ。その婚約者であり、聖教会と王政府の橋渡しの象徴でもある王太子アルヴィンが続いて登場した。
「聖女カナデが、再び王国のために蘇った!」
アルヴィンがそう宣言すると、歓声はいっそう大きくなった。
そして、カナデが前に出ると、歓声が止み、カナデの声を聞き逃すまいとする。
「皆様、お集まりいただき、ありがとうございます」
カナデの美しい声が人々を魅了するかのようだった。
人々が次の言葉を待つ。通例であれば、王国の問題の解決が報告されるはずだ。
「まず、王太子アルヴィン殿下との婚約を破棄させていただきます。そもそも一度私が死んだ時点で婚約など無効になって当然でしょう?」
観衆は静まり返ったままだった。聖女の発した言葉の意味をすぐに咀嚼することができないようだった。
同様にアルヴィンも何が起きたのか理解できていないようだった。
そこでアルヴィンの取った行動は、今起こったことを「なかった」ことにすることだった。
「失礼した。聖女カナデは蘇生したばかりでまだ意識が混濁しているようだ。
まずは聖女の成果を報告しよう。東方での『魔物の群れ』の災厄だが、聖女の加護により強化された王国騎士団が一掃し、東方に平和がもたらされた!」
しばらくの沈黙の後、歓声が上がった。しかしいまだ戸惑い混じりで、無条件の賞賛と言うには勢いに乏しい歓声だった。
再びカナデが前に出て口を開いた。
「その魔物の群れに多くの民も騎士も犠牲になりました。私もその犠牲者の一人です。その人々の犠牲の上で、この王都が守られていることを決して忘れないでください」
観衆は再び静まり返る。過去の聖女復活祭とは明らかに何かが違うことを、多くの観衆が認識していた。
「再度、言わせていただきます。私、カナデ・エルフェリアは、王太子アルヴィンとの婚約を破棄させていただきます」
今度は誰もがはっきりとその言葉を理解し、観衆がざわついた。
「何を勝手なことを!」
アルヴィンが怒鳴った。
カナデは構わず続けた。
「私は、王太子と王政府に愛想を尽かしました。彼らは災厄を防ぐことより、被害のあとで成果を誇ることを選びました。そのために、私も騎士も民も、何度も犠牲にされたのです。彼らは聖女である私の命を含め、多くの人々の命を安く見積るのです。その一方で、彼ら自身は一切死ぬことはありません。安全なところで、死の苦しみと痛みを味わったこともないのです」
「いい加減にしろ!」
アルヴィンがカナデを遮るように叫んだ。
「いったい誰なんだ、おまえは? 蘇生の不具合で人格変異でも起こったか? 『蘇生屋』のバカどもがさっさと蘇生しなかったせいだな?」
カナデは呆れたようにアルヴィンを見た。
「人格変異と言えばそうかもしれませんね。あなたが私を何度も殺し、蘇生する中で、私の魂は摩耗して、古い記憶と人格も蘇ったわ。それは理不尽な権力に逆らう勇気になった。あなたが呼び覚ました人格よ」
「何をわけのわからないことを……。『蘇生屋』ども! こいつをもう一度殺して、蘇生をやり直せ!」
「その必要はございませんわ。誰の手を汚さずとも、私の身体はもう長くは保ちません。そして、もう二度と蘇生にも耐えられません。
蘇生が無限に繰り返せると考えたことも、あなたの浅慮を象徴することになるでしょう。あなたにとっての蘇生の手軽さが、あなたを勘違いさせたようですが、残念ながら、この世界に『永遠』の命は存在しません」
「バカなことを……。『蘇生屋』ども、何をしている? 何とかしろ! 金ならいくらでもくれてやる」
「そのお金も、あなたのものではなく、民衆から徴収した税であることをお忘れなきよう……。あなたは人々の血税を私の蘇生のために浪費してしまっているのですよ」
「聖女は王国に安寧をもたらすものだ。そのために税を使うのは正しい!」
アルヴィンの反論が虚しく響く。
カナデはため息をついた。
「もう何を主張しようと無駄です。
あなたの愚行により、この聖女カナデはまもなくこの世から消滅します。あなたはその奇跡と加護を無駄に浪費した愚か者です。
皆様、恨むのであれば、王太子アルヴィンを、そして王政府とそれを擁護する者たちをお恨みください。
そして、次の聖女が顕現した際には、同じ過ちを繰り返さないようにしてください」
「知ったようなことをほざきおって。俺はこの方法が王国のために最良と思ってやっているのだ」
アルヴィンは、剣を抜いた。
カナデは意に介することなく、言葉を続けた。
「最後に、『王国の安寧』のための、最後の奇跡を施しましょう」
そう言ってカナデは詠唱を始めた。
アルヴィンが剣を構え、カナデの胸に突き刺した。
鮮血が胸から流れ、口元から溢れた。
カナデは構わず、詠唱を続けると、やがて大きな光が放たれ、王国を覆った。
カナデの放った光は、王国全域を守る結界となり、同時に、その場にいた誰もが、彼女の魂に刻まれた真実を見ていた。
やがて光が収まった後に、聖女カナデの姿はなかった。
※
「これで、王国は聖女カナデを永遠に失ったわ」
カナデの想念が言った。
カナデが「蘇生屋」を去る前に、僕の手を握り、聖女の証である指輪を渡した。その遺品を通して、僕はカナデの想念と対話をしていた。
カナデはもうこの世にはいない。その遺骸ももうない。最後の奇跡により、カナデは身体を崩壊させ、すべてを魔力に還元し、王国全域に至る守護結界を張ったのだった。
「代わりに、数年は何の災厄も起きないでしょう。その間に、王政府は彼らなりに反省して必要な対策を取るのか、また次の使い捨ての聖女を探すのか、召喚を試みるのか……。見ものね」
カナデはいたずらっぽく笑った。
「聖女を完全に亡き者にしてしまったアルヴィンは、民衆からも王政府からもひどく責められて、王位継承権を失いました。もう表舞台に出てくることはないでしょう」
僕はそのことだけは伝えておきたかった。
「自業自得ね」
カナデは興味なさそうに言った。
「最後の生もすぐに終えられてしまいましたね。目的は達せられなかったでしょう?」
僕はそれだけが気がかりだった。
カナデは首を振る。
「騙したみたいで申し訳ないけれど、私は一度だけ生き返って、言いたいことを言いたかっただけなの。ずーっと我慢して言えなかったことを、最後の生だと思えば言えるような気がして……。だから目的は果たせたの」
「それで……ご満足されましたか?」
「そうね、この世の人々に『愚かだ』って言えたのは気持ちよかったわ」
カナデの笑みはどこか寂しそうだった。
「でもね、やっぱりどこか、この世を悪く言うより、この世が良いところだと信じたかったかもしれないわね。だから最後に守護結界を残したのだけれど……」
カナデはため息をついた。
「カナタの手に触れられて、その瞬間だけは、この世にも温かいところがあるのかもしれないと思えたわ。あなたにもっと早く出会えていたら、私は幸せになれたのかもしれない。前世でも、この異世界でも、あなたは少し遅かったのよ」
カナデは責めるように僕を見た。
僕はこの期に及んでまだ、カナデを、カナデの魂を救いたかった。
そう強く願うと、僕の意識は静かな白い岸辺へ沈んだ。
その岸辺に、僕と、カナデが二人で立っていた。
「こちらに、来てくれたのね」
そのカナデは、聖女でも何でもない、ただの一人の女としてのカナデだった。
苦しみも音もないその場所で、僕は「このままカナデと向こう側へ行けたら」と思ってしまう。
その意図を感じ取ったのか、カナデが僕の手を取った。
「やっぱりあなたの手は温かいわね」
カナデがそのまま手を引き、岸辺の向こうへと連れて行こうとする。
「来てはだめ!」
懐かしい声が僕の意識を強く捕らえた。
それは忘れようもない、母の声だった。彼岸から、僕を叱責したのだ。
「ごめんなさい。私ったら……。つい……。あなたはまだ、生きているべきだわ。私の代わりに、王国の人々が進む道を見届けて。また私たちは必ず出会えるから」
カナデは寂しさを押し殺すようにそう言った。
「『永遠』なんてないと今でも思う。でも、『想い』はたぶん、誰かに渡していけるのかもしれない」
カナデは僕に向かって微笑んだ。いろいろな想いがこもった微笑みだった。
「さようなら」
※
「カナタ、戻ってこい!」
マティアスの声に、僕は生者の世界へと呼び戻された。
僕がいた白い岸辺は、生者と死者の境界上だったのだろう。
意識を戻した僕を確認し、マティアスは安堵したようだった。
「死者に入れ込み過ぎたら危険だ」
マティアスの言葉に、僕は力なく頷いた。
「すみません……」
それでも、カナデの手の感触だけは、いつまでも失いたくなかった。それは、彼女が生きたときに触れた手よりも、より確かな感触だった。
「でも、僕はそれでも死者のためにできることをしたいと思います」
そう言う僕に、マティアスが嗜めるように言った。
「おまえは生きているからこそ、死者を救えるんだ。『蘇生屋』が死の世界に引き込まれてどうするんだ」
母と、カナデの言葉が想起されてくる。僕に想いをつないだ母、僕を通してその想いがまた誰かに繋がれていくのであれば、カナデもこの世が少しでも良い世界だと思えるのかもしれない。
「……マティアスさんの言うとおりですね。生きて、死者の想いを伝えていくことが、僕のすべきことですね」
僕はその想いを強く胸に刻もう、と心に決めた。
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