幻影を破る、愛の叫び
深紅の幕が王都の空を覆い尽くした。
それは物理的な布ではない。
世界という概念そのものを覆い隠す絶望の結界だ。
王都の目抜き通り。
普段ならば復興の槌音と活気ある商人の声が響くその場所は、今異様な静寂と狂気じみた喧騒に支配されていた。
「おお、なんてことだ!今日のパンが焦げてしまった!これは神の啓示だ、もうこの世に希望などない!」
パン屋の親父がたかが黒焦げになったクロワッサン一つで店の看板を叩き割りその場に泣き崩れる。
「あなた!どうして私の目を見てくれないの!ああ、きっと他に好きな人ができたのね!もう死ぬしかないわ!」
「違うんだ!君の瞳があまりに悲しげで、直視できなかっただけなんだ!ああ、すれ違いこそ恋の常!僕たちは永遠に結ばれない運命なんだ!」
仲睦まじかったはずの恋人たちが、何の脈絡もなく絶望的な別れの言葉を叫び合い、互いに背を向けて走り出す。
転んだ子供がただの擦り傷を見て「もう歩けない、一生の別れだ」と絶叫する。
老人が落としたハンカチを見て「過去の栄光は失われた」と嘆き悲しむ。
狂っている。
街全体が三流の悲劇作家が書いた悪趣味な脚本通りに動かされている。
人々の瞳からは正気が失われただ「悲劇の演者」としての役割を強制されていた。
その様子を舞台裏のモニターで見つめるアルトはギリリと奥歯を噛み締めた。
「……くだらない」
アルトの手がスパークする制御盤の上を走る。
指先が焦げる匂いがするがそんなものは気にならない。
「悲劇だと?運命だと?笑わせるな。こんなものはただの『嫌がらせ』だ。理不尽な不幸を押し付ければ人が感動するとでも思っているのか」
アルトの瞳に冷徹な怒りの炎が宿る。
「僕のヒロインたちはこんな安っぽい脚本には屈しない。彼女たちの魅力は、困難を乗り越え、笑顔を掴み取る強さにあるんだ。それを……泣かせたままで終わらせてたまるか!」
バヂヂヂッ!
制御盤から青白い火花が散る。
アルトが組み込んだ即興のハッキングプログラムが脚本家オーサーの魔力回路に侵食を開始した。
「繋がれ……! 僕の声を、彼女たちに届けろ!」
アルトはマイク代わりの通信機を鷲掴みにし腹の底から叫んだ。
『聞こえるか!プリズム・ナイツ!こんな悪夢に騙されるな!』
その声は次元の壁を超え、それぞれの「悲劇」の中に囚われた五人の少女たちの心へ一直線に突き刺さった。
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【幻影の牢獄1:リゼット・ブラウンの場合】
燃え盛る炎の中。
リゼットは瓦礫の山に立ち尽くしていた。
目の前には見慣れた背中が倒れている。
白衣を着た愛しい幼馴染。
「アルト……?ねえ、嘘でしょ……?」
彼女が駆け寄りその身体を抱き起こす。
アルトは目を開けない。
その身体は冷たく、そしてひどく他人のような顔をしていた。
『リゼット……君のせいだ……』
幻影のアルトがうわ言のように呟く。
『君が、僕を振り回したから……。君が、僕の世話を焼いたりしなければ、僕はもっと自由に研究できていたのに……。君のパンなんてもう食べたくない……』
「いや……いやぁぁぁっ!」
リゼットの悲鳴が炎の中に木霊する。
私がアルトを追い詰めたの?
私の想いは、ただの重荷だったの?
幼馴染という立場に甘えて彼の自由を奪っていたの?
絶望が彼女の心を黒く塗りつぶそうとしたその時。
『――そんな脚本みたいなセリフ、僕が言うわけないだろう!』
頭の中に、懐かしい、そして少し呆れたような声が響いた。
「え……アルト?」
『リゼット!思い出せ! 僕が君のパンを食べたくないなんて言うはずがない!君の焼くパンの糖分とバターの配合比率は僕の脳内活動における最適解なんだぞ!』
そのあまりにも色気のない、しかしどこまでも「アルトらしい」言葉にリゼットの瞳から涙が溢れた。
「……そうよ」
リゼットは腕の中の幻影を見下ろした。
冷たい顔。
整いすぎたセリフ。
「アルトはこんなこと言わない。あいつは……もっと朴念仁でデリカシーがなくて……。でも!」
リゼットの身体から紅蓮の炎が噴き上がる。
「私が徹夜明けにパンを持っていくと、文句を言いながらも一番幸せそうな顔で食べてくれるのよ!『美味しい』って一言だけ、でも心を込めて言ってくれるのよ!」
彼女は幻影を力いっぱい突き飛ばした。
「あんたなんか、アルトじゃない!私の愛するアルトは、もっと手がかかって世話が焼けて……だからこそ、私が一生かけて守ってあげるって決めた世界一の幼馴染なんだからぁぁぁっ!」
ゴオオオッ!
彼女の愛の炎が悲劇の舞台セットを焼き尽くしていく。
幻影のアルトが苦悶の表情で霧散する。
「待ってて、アルト!今行くわ!朝ごはんの残りのフレンチトースト、まだ食べさせてないんだから!」
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【幻影の牢獄2:クラウディア・フォン・ヴァレンシュタインの場合】
冷たい雨が降る泥濘の中。
クラウディアは折れた剣を前に膝をついていた。
周囲を取り囲むのは彼女を軽蔑する貴族たち、そして失望した顔の両親。
『恥さらしめ』
『ヴァレンシュタイン家の面汚しだ』
『お前の剣には、何も守れない』
そして彼らの背後から冷ややかな目をしたアルトが現れる。
『君には失望したよクラウディア君。君の理論は破綻している。君の強さは見せかけだ。僕のパートナーにふさわしいのはもっと完璧な存在だよ』
「……」
クラウディアは唇を噛み切りそうなほど強く食いしばった。
これが私の末路?
誇りも、家名も、そして愛する人の信頼も失うのが私の運命?
『――馬鹿にするな!そんな非論理的な結論、僕が認めるものか!』
雷鳴のように本物のアルトの声が轟いた。
「レヴィナス……?」
『クラウディア君!君の剣が折れたくらいで僕が失望するとでも?君の価値はそんな物理的な強度や、家柄なんていう外部パラメータで決まるものじゃない!君自身の、その不器用で、高潔で、誰よりも努力家な魂こそが僕の興味を惹きつけてやまないんだ!』
クラウディアは泥の中から立ち上がった。
濡れた銀髪をかき上げ幻影のアルトを睨みつける。
「……そうね。その通りだわ」
彼女は折れた剣の柄を投げ捨てた。
そして何もない虚空から、自らの魔力で新たな氷の剣を生成する。
「本物のレヴィナスなら、私が失敗しても失望なんてしない。『興味深いデータが取れた』なんて言いながら次はどうすれば勝てるか徹夜で一緒に計算してくれるはずよ!」
彼女の碧眼に絶対零度の闘志が宿る。
「私の愛する人は完璧な人形なんて求めていない!悩み、傷つき、それでも前に進もうとする非効率で人間臭い私を……『可愛い』と言ってくれた人なのよ!」
パキィィィン!
彼女の一閃が降りしきる雨ごと悲劇の幻影を凍らせ粉砕した。
「待っていなさい、プロデューサー!この私が、論理的かつ迅速にあなたの元へ帰還してみせますわ!」
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【幻影の牢獄3:エミリア・シフォンの場合】
暗い石牢。
エミリアは、鎖に繋がれうずくまっていた。
鉄格子の向こうから罵声が飛んでくる。
『偽聖女め!』
『お前の癒やしなど、偽善だ!』
『誰も救えないくせに、聖女気取りか!』
そして冷たい目をしたアルトが鉄格子の前に立つ。
『君の優しさはただの自己満足だ。君は誰も救えない。 君の存在そのものが間違いだったんだ』
「うぅ……ごめんなさい……ごめんなさい……」
エミリアは涙を流して謝り続ける。
わたくしは無力です。
わたくしのせいでみんなが不幸に……。
『――ふざけるな!君の優しさが間違いだなんて僕が言うはずがない!』
温かい光のような声が牢獄に満ちた。
「アルトさん……?」
『エミリアさん!顔を上げて! 君は言ったじゃないか!「わたくしの力で、みんなを癒やしたい」って!その想いに嘘や偽善なんて1ミリグラムも混じっていないことをこの僕が科学的に証明済みだ!』
エミリアは顔を上げた。
涙で濡れた瞳に光が戻る。
『君が誰も救えない?笑わせるな!君はこの僕を救ってくれたじゃないか!君の淹れてくれたお茶が、君のその微笑みが、どれだけ僕の支えになっているか!君は僕にとっての最高のヒーリング・エンジェルなんだ!』
「……はい」
エミリアは鎖を引きちぎるようにして立ち上がった。
その身体から眩いばかりの翠色の光が溢れ出す。
「わたくしはもう迷いません。アルトさんが信じてくださったから。わたくしの優しさは、弱さじゃありません……誰かを守るための最強の力なんです!」
彼女は幻影のアルトに向かって、聖母のような、しかし毅然とした微笑みを向けた。
「偽物のアルトさん。あなたには癒やしが必要ですわ。でも、わたくしの愛する人はそんな冷たい言葉は吐きません。いつだって不器用だけど、誰よりも温かい手でわたくしの頭を撫でてくださる方なのです!」
カッ!
慈愛の閃光が石牢を、罵声を、そして幻影を、優しく、しかし跡形もなく消滅させた。
「行きますわよ、皆さん!アルトさんが待っています!」
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【幻影の牢獄4:犬神菖蒲の場合】
血の海。
無数の敵の死体の中で菖蒲は冷たくなったアルトの亡骸を抱いていた。
『……守れなかったな、菖蒲』
死体のはずのアルトが、虚ろな目で口を開く。
『お前は忍びだ。道具だ。主を守れぬ道具に、価値などない。お前が弱かったから私は死んだのだ』
「主殿……申し訳……申し訳ござらぬ……」
菖蒲は小太刀を自らの喉元に突き立てようとしていた。
主を守れなかった。
忍び失格だ。
生きて償うことなどできない。
『――馬鹿者ッ!早まるな菖蒲君!』
虚空から叱責の声が降ってきた。
「あ、主殿……?」
『僕は道具なんて欲しかったことは一度もない!僕が欲しかったのは仲間だ!家族だ!そして何より……君という、一人の女の子だ!』
菖蒲の手が止まる。
小太刀がカランと音を立てて落ちた。
『僕が死んだら自分のせい? 自惚れるな!僕はしぶといぞ!君の作る、あの岩のように硬い兵糧丸を食べて生き延びてきた僕がそう簡単にくたばるものか!君が生きていてくれなきゃ誰が僕の背中を守ってくれるんだ!』
「……ふ、ふふ」
菖蒲は涙を拭いながら笑い出した。
岩のように硬い兵糧丸。
確かにあれを完食できるのは、世界でただ一人主殿だけだ。
「そうでござるな……。主殿はこんな弱音を吐くような御仁ではない。いつだって、訳のわからない理屈をこねて、絶望すらも煙に巻いてしまう……最高に奇妙で最高に愛おしいお方でござる!」
彼女は再び小太刀を拾い上げた。
その瞳に闇を切り裂く鋭い光が宿る。
「偽物め、主殿を語るなど万死に値する!拙者の愛する主殿は道具としてではなく、妻として……一人の女として拙者を抱きしめてくださったのだ!」
ザシュッ!
神速の居合が血の海と幻影を一刀両断にする。
「首を洗って待っておれ、脚本家!主殿の元へ、この菖蒲、推して参る!」
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【幻影の牢獄5:ルージュ・ブリッツの場合】
鏡の間。
無数の鏡に映るのは醜い怪物の姿をした自分。
そして、その鏡の向こうでアルトが冷たく言い放つ。
『近寄るな、化け物』
『君のような悪党が僕の隣に立てるわけがない』
『君の愛は重い。迷惑だ。気持ち悪いんだよ』
「……そうよね」
ルージュは膝を抱えてうずくまっていた。
知っていた。
アタシは悪の組織の女。
汚れた手。
こんなアタシがあんな真っ直ぐな瞳をした彼に愛されるわけがない。
『――ふざけたこと言ってんじゃないよ!ルージュ君!』
鏡が割れるような大声が空間を震わせた。
「ア、アルト……?」
『誰が化け物だ!君は最高にイイ女だろうが!ダイナマイトボディで、料理が上手くて、一途で、ちょっとおっちょこちょいで……。そんな魅力的な女性に迫られて迷惑がる男がどこにいる!』
ルージュが呆気に取られて顔を上げる。
『僕が君から逃げていたのは、君が嫌いだからじゃない!君の魅力が凄すぎて、理性が吹き飛びそうだったからだ! 男としての余裕がなかっただけだ!つまり……全部、僕がヘタレだったせいだ!』
なんという、情けない、しかし、これ以上ないほど誠実な告白。
「……ぷッ、あはははは!」
ルージュは腹を抱えて笑い出した。
涙が出るほど笑った。
「なによそれ!そこまで言う!? あんたってホント……最高のバカね!」
彼女は立ち上がり、鏡の中の幻影をハイヒールで蹴り砕いた。
「聞いた!?偽物!本物のアルトはね、アタシのことを『気持ち悪い』なんて言わないのよ!顔を真っ赤にして『理性が持たない』って逃げ回るのがあの可愛らしい朴念仁なのよ!」
彼女の全身から紫電がバチバチと迸る。
「アタシの愛が重い?当たり前でしょ!アタシは世界征服よりもあの男を征服することを選んだ女よ!この愛の重さに耐えられるのは世界でたった一人……アルト・フォン・レヴィナスだけなんだからぁっ!」
バリバリバリィィィッ!
極大の雷撃が鏡の間を粉砕する。
「待ってなさい、アルト!今すぐ行って、その減らず口、アタシのキスで塞いであげるわ!」
――――――――――――――――――――
【中央舞台:悲劇の化身】
「……計算通りだ」
舞台裏の制御室でアルトは汗だくになりながらニヤリと笑った。
五つのモニター全てで悲劇の幻影が打ち砕かれた。
ヒロインたちがそれぞれの「愛」を叫びながらこちらへ向かってくる。
「さて、と。 ここからが本当のプロデュースだ」
アルトは最後のスイッチを押し込むと、制御室を飛び出した。
目指すは大劇場の中央舞台。
そこには、脚本家オーサーが召喚した巨大な怪物が待ち受けていた。
「悲劇の化身」。
幾多の悲劇の物語を継ぎ接ぎして作られた醜悪な巨人。
その身体からは絶望の黒い霧が溢れ出し、世界を侵食しようとしている。
「よくもまあ、僕の可愛いヒロインたちを泣かせてくれたな」
アルトはたった一人で、その巨人の前に立ちはだかった。
手にはいつものツールボックス。
そしてその瞳には、決して折れない不敵な光。
『愚かな……一人で何ができる』
巨人の体内からオーサーの声が響く。
「一人じゃないさ」
アルトが指を鳴らす。
その瞬間。
ドォォォォォォンッ!
舞台の東西南北、そして天空から五色の閃光が着弾した。
「お待たせ、アルト!」
「遅くなりましたわ、プロデューサー」
「お待たせしましたです、アルトさん」
「主殿!推参!」
「待たせたわね、ダーリン!」
爆煙の中から現れたのは、変神を完了した五人のプリズム・ナイツ。
その姿は以前よりもさらに輝きを増し、圧倒的なオーラを放っていた。
「……役者は揃ったな」
アルトは満足げに頷きヒロインたちの真ん中に立った。
そして巨大な悲劇の化身を見上げ、高らかに宣言した。
「さあ、脚本の書き換えリライトの時間だ!悲劇なんて僕たちが全部笑い飛ばしてやる!最高にハッピーで、最高にカオスな、僕たちだけの物語を見せてやろうじゃないか!」
「「「「「応っ!!!!!」」」」」
五人の少女たちの声が一つに重なる。
その響きは、絶望の幕を引き裂き、王都の空に希望のファンファーレとして響き渡った。
決戦の幕が、今、上がる。




