プロローグ 聖女降臨と、プロデューサーの違和感
カイザーとの初接触は、プリズム・ナイツの心に深い傷と、決して消えることのない疑念を残した。
英雄とは何か、正義とは何か。
守るべき民とは、一体、何なのか。
その答えを見つけられないまま、僕たちは、どこかぎこちない平穏な日常を送っていた。
あれから数週間。王都の復興は進み、街には活気が戻っている。
だが、僕たちの工房に満ちる空気は、以前とは、明らかに違っていた。
「アルト、はい、コーヒー。少し、煮詰まっているみたいだから」
リゼットが、そっと僕の机にカップを置く。
その笑顔は、太陽のようであることに変わりはない。
だが、その光の奥に、拭いきれない疲労と、僕を気遣う、痛ましいほどの優しさが滲んでいた。
「ありがとう、リゼット」
僕がそう言うと、彼女は、何か言いたげに口を開きかけて、やめた。
そして、ただ、黙って僕の隣に座り、窓の外を眺めている。
以前なら、「また徹夜したでしょ!」と、世話焼きな小言が飛んできたはずの場面だ。
工房の隅では、クラウディアが、ただ静かに、剣の手入れをしている。
その動きは、寸分の狂いもなく、美しい。
だが、その横顔は、氷の仮面のように、固く閉ざされていた。
時折、僕の視線に気づくと、気まずそうに、ふい、と顔を逸らす。
彼女の、論理的で明晰な頭脳は、あの、あまりにも非論理的な悪意を、まだ、完全には処理しきれていないのだろう。
エミリアさんは、工房の片隅で、静かに祈りを捧げている。
誰のためでもない。
この、傷ついた世界の、全てのために。
その姿は、あまりにも尊く、そして、あまりにも、儚げだった。
菖蒲は、僕の影に、文字通り、影のように寄り添っている。
口数は、以前よりも、さらに少なくなった。
だが、その黒い瞳に宿る、僕への忠誠心と、見えざる敵への警戒心は、研ぎ澄まされた刃のように、鋭さを増していた。
ルージュでさえ、いつもの高慢な態度は鳴りを潜め、ただ、黙って、窓の外を流れる雲を眺めている。
彼女の、世界征服という、ある意味で純粋だった野望は、この世界そのものが、誰かの掌の上で転がされているという事実の前で、その輝きを失いかけていた。
誰もが、口には出さない。
だが、心の奥底で、同じ問いを、抱えていた。
僕たちの戦いは、本当に、意味があるのだろうか、と。
そんな、重く、沈んだ空気を、切り裂いたのは、やはり、行動力の化身だった。
「…もうっ!暗い顔、禁止!」
リゼットが、ばんと、机を叩いて立ち上がった。
「私たちが、こんな顔してたら、アルトが、もっと心配しちゃうでしょ!それに、街のみんなだって、不安になっちゃう!私たちが、プリズム・ナイツが、下を向いてて、どうするのよ!」
その、無理やりにでも、前を向こうとする、太陽の言葉。
それに、呼応するように、他の四人も、ゆっくりと顔を上げた。
「…フン。あなたにしては、論理的な意見ね、ブラウンさん」
クラウディアが、憎まれ口を叩きながらも、その口元には、かすかな笑みが浮かんでいる。
「そうよ。アタシたちが、いつまでもメソメソしてたら、あの、神様気取りのクソ野郎の、思う壺じゃない!」
ルージュが、その瞳に、再び、不屈の炎を灯す。
そうだ。
僕たちは、まだ、負けたわけじゃない。
盤上の駒かもしれないが、駒には、駒の、意地がある。
そんな、僕たちの、小さな決意を、嘲笑うかのように。
その噂は、王都に、一条の光として、差し込んだ。
王都で最も貧しいとされるスラム街に、銀髪の「聖女」セレーネが現れたのだ。
彼女は、その奇跡の力で、病人を癒やし、飢えた子供たちのために、清らかな水を湧き出させる。
その噂は瞬く間に王都を駆け巡り、カイザーの事件で疑心-鬼に陥っていた人々の心に、新たな希望の光を灯し始めていた。
「聖女様、ですって…?」
工房に、新聞を手に飛び込んできたリゼットが、興奮気味に記事を読み上げる。
「スラム街の、救世主…。すごいわ、アルト!私たち以外にも、こんなに素敵な人がいたのね!」
その記事は、もはや、噂の域を超えていた。
セレーネの起こした奇跡の数々が、写真付きで、詳細に報じられている。
そのどれもが、信じがたい、しかし、人々の心を掴むには、十分すぎるほどの、愛に満ちた物語だった。
僕たちは、その噂の真偽を確かめるべく、スラム街へと、足を運ぶことにした。
◇
王都の、光が当たらない場所。
それが、スラム街だった。
僕たちが訪れたその場所は、僕の想像とは、少し違っていた。
確かに、建物は古く、道は整備されていない。
だが、そこに住む人々の顔には、貧しさから来る、絶望の色はなかった。
むしろ、その瞳は、一つの、絶対的な希望の光を見つけたことで、生き生きと輝いていた。
「ああ、セレーネ様!昨日いただいたパンのおかげで、うちの子も、すっかり元気になりました!」
「聖女様、どうか、この汚れた街にも、あなたの光をお与えください!」
人々が、祈るように、ひれ伏している。
その視線の先に、彼女はいた。
銀色の、月光をそのまま紡いだかのような、美しい長髪。
雪のように白い、清らかな肌。
そして、全てを赦すかのような、慈愛に満ちた、紫色の瞳。
その姿は、もはや、人間というよりも、神が創り出した、最高傑作の彫像のようだった。
あまりにも、完璧すぎる、美貌。
その、聖女セレーネの姿を目の当たりにして、僕の隣にいたヒロインたちの間に、微かな、しかし、確かな動揺が走った。
(な…なに、あの人…。綺麗、すぎる…。まるで、おとぎ話のお姫様みたい…)
リゼットが、無意識に、自分のそばかすを指で隠す。
(…フン。確かに、造形美としては、認めざるを得ないわね。だが、あの完璧さは、どこか、人間味に欠ける。まるで、精巧に作られた、人形のようだわ)
クラウディアが、冷静に分析しながらも、その視線は、セレーネの、寸分の狂いもない立ち姿に、釘付けになっている。
(まあ…!なんて、神々しい方なのでしょう…。あの瞳を見ていると、わたくしの心まで、洗われるようです…)
エミリアだけが、純粋な尊敬の念を、その翠の瞳に浮かべていた。
(…油断ならぬ女狐でござるな。あの美貌は、男を惑わす、くノ一の術そのもの。
主殿には、絶対に近づけてはならぬ…!)
菖蒲が、僕を庇うように、一歩前に出る。
(…へえ。アタシとは、真逆のタイプ、ね。清純派、ってやつ?まあ、面白いじゃない。どっちが、あの朴念仁の心を掴むか、勝負と行こうじゃないの)
ルージュが、不敵な笑みを浮かべ、セレーネを、値踏みするように見つめていた。
僕たちが、そんな、五者五様の想いを抱いていると、セレーネが、僕たちの存在に気づき、ゆっくりと、こちらへと歩み寄ってきた。
そして、その、神々しいまでの微笑みを、僕たちに向けた。
「あなたがたが、プリズム・ナイツの皆様ですね。お噂は、かねがね」
その声は、まるで、天上の音楽のように、心地よく響いた。
彼女は、僕たちの前で、恭しく、頭を下げる。
「わたくしは、セレーネ。ただ、神の御心に従い、人々を導く、か弱き僕しもべに過ぎません。この王都を、真に守護されているのは、あなた方のような、勇気ある戦士たちですわ」
その、あまりにも謙虚で、完璧な挨拶に、僕たちは、返す言葉を失った。
その時、どこからともなく、一匹の、痩せた子犬が、ふらふらとした足取りで、セレーネの足元へと、すり寄ってきた。
その前足は、痛々しく傷つき、血が滲んでいる。
「まあ、可哀想に…」
セレーネは、その子犬を、優しく抱き上げると、その傷口に、そっと、自らの手をかざした。
彼女の手のひらから、純白の、眩いほどの光が、溢れ出す。
光が収まった時、子犬の足は、完全に癒え、元気に尻尾を振っていた。
まさに、奇跡の光景だった。
「素敵な方なのですね…」
エミリアは、その光景に、心の底からの尊敬の念を抱く。
その瞳には、一点の曇りもなかった。
リゼットも、クラウディアも、その、あまりにも純粋な善意の前では、先程までの、ちっぽけな嫉妬心など、どこかへ消え去っていた。
だが、僕は。
僕だけは、その「奇跡」の報告を聞き、そして、目の当たりにして、胸の中に、言いようのない違和感を覚えていた。
僕の、プリズム・チャームに搭載された、超高精度のエネルギー分析機能が、警告を発していたのだ。
彼女の放つ光は、確かに、強力な治癒効果を持っている。
だが、そのエネルギーの波形は、あまりにも、無機質すぎる。
エミリアの光が、生命そのものを祝福し、内側から輝きを引き出すような、温かい『アナログ』の光だとすれば。
セレーネの光は、傷というデータを、正常なデータへと、強制的に書き換えるだけの、冷たい『デジタル』の光だった。
あまりにも、完璧すぎる英雄譚。
あまりにも、効率的すぎる、奇跡。
それはまるで、誰かが書いた、都合の良い脚本のようだった。
そして、その脚本家の、歪んだ笑みが、僕には、透けて見えているような気がした。




