絶対的ゲームマスターの嘲笑
鉱山の最深部。
玉座のような岩にふんぞり返っていたゴブリンの親分は、僕たちの連携攻撃の前に、あまりにもあっけなく散った。
その断末魔は、苦痛の叫びというよりも、プログラムが終了する電子音のようだった。
そして、その巨体が光の粒子となって消えた跡には、『ゴブリンの王冠』と、数枚の金貨が、虚しく転がっているだけ。
僕の視界の隅には、半透明のウィンドウがポップアップした。
<BOSS BATTLE CLEAR!>
<獲得経験値:100 EXP>
<獲得ゴールド:500 G>
「…茶番も、ここまで来ると芸術的ですらあるわね」
クラウディアが、剣についた、存在しないはずの血を払う仕草をしながら、心底うんざりしたように呟いた。
僕たちは、もはや何の感慨もなく、村長(の姿をしたNPC)に「クエスト完了」を報告するため、来た道を引き返し始めた。
村人たちは、相変わらず生気のない瞳で、同じセリフを繰り返している。
この、歪んだ世界から、一刻も早く、本当の世界を取り戻さなければ。
その、冷たい使命感だけが、僕たちを突き動かしていた。
僕たちが、この村が何者かによって「ゲーム化」させられているという結論に達した、その時。
村長に、ドロップアイテムである『ゴブリンの親分の首』を渡した、まさにその瞬間だった。
村の中央広場の空が、突如として、バグったモニターのように、激しく明滅した。
風景が、一瞬だけ、粗いポリゴンの集合体へと変わり、すぐに元に戻る。
強烈な既視感デジャヴュ。
いや、これは、僕が前世で、出来の悪いオンラインゲームをプレイしていた時に、サーバーが落ちる寸前によく見ていた光景だ。
「な、何…!?空間が、また…!」
リゼットが、警戒しながら僕の前に立つ。
次の瞬間。
広場の中心の空間が、ビリビリと音を立てて、黒い亀裂のように裂けた。
それは、ゲートでも、魔法陣でもない。
まるで、世界のテクスチャが、無理やり引き裂かれたかのような、冒涜的な穴。
その、データの裂け目から、一体の巨漢が、ゆっくりと、その姿を現した。
その身に纏うのは、禍々しいオーラを放つ巨大な鎧。
肩には、人の背丈ほどもある、巨大な戦斧を担いでいる。
その顔は、獰猛な笑みを浮かべ、その瞳は、獲物を見つけた肉食獣のように、爛々と輝いていた。
悪の組織『世界攻略ギルド』の幹部、狂戦士レックスだ。
「ようこそ、ヒーローごっこ御一行様!ここからは、お待ちかねのボス戦だぜ!さっきのゴブリンは、ただの前座。
俺様が、このエリアの、本当のレイドボスだ!直々に、遊んでやるよ!」
レックスは、僕たちをプレイヤー、自分をボスキャラとでも言うように、高らかに嗤う。
その頭上には、ゴブリンの親分とは比較にならぬほど、禍々しく、巨大な、竜の形をしたボスアイコンが、浮かび上がっていた。
「「「「「変神っ!――プリズム・チェンジッ!!」」」」」
戦いが始まった。
いや、それは、戦いと呼ぶには、あまりにも一方的な、蹂躙だった。
「舐めるな!」
リゼットが、誰よりも早く、セーラー・フレアへと変神する。
「あんたみたいな、ふざけた奴に、この村をめちゃくちゃにされてたまるもんですか!フレア・ナックル!」
渾身の炎の拳が、レックスの巨体に叩き込まれる。
だが、その拳は、まるで分厚い壁に阻まれたかのように、彼の鎧に届く寸前で、虚しく霧散した。
僕の視界にだけ、無機質なシステムメッセージが表示される。
<セーラー・フレアの攻撃>→<Berserker Rex>
<ダメージ:0>
<SYSTEM: 対象は【火属性耐性:MAX】を保有しています>
「なっ…!?私の炎が…効かない!?」
愕然とするリゼット。
「無駄だ無駄だ!俺様の鎧は、火属性完全無効!そんなこたぁ、攻略サイトの1ページ目に書いてあんだろうがよぉ!」
レックスが、腹を抱えて大笑する。
「小賢しい!」
続けて、ナイト・ブリザードへと変神したクラウディアが、氷の刃となって舞う。
「あなたのその巨体、絶対零度の氷で、永遠に動きを止めてあげますわ!ブリザード・ブレード!」
だが、彼女の放った冷気もまた、レックスの身体に触れることなく、虚空へと消えていく。
<ナイト・ブリザードの攻撃>→<Berserker Rex>
<効果:なし>
<SYSTEM: 対象は【状態異常無効】のパッシブスキルを保有しています>
「だから、無駄だって言ってんだろ!状態異常系のデバフは、ボスには効かねえのが、この世の常識なんだよなぁ!」
僕たちの新必使技すら、彼の圧倒的なHPゲージの前では、微々たるダメージしか与えられなかった。
リゼットとクラウディアの『フレイザード・ストリーム』が直撃しても、レックスの頭上に表示された、幾重にも重なる長大なHPバーは、ほんの数ピクセル、削れただけだった。
「うおお、今のコンボはちょっと痛かったぜ!だが、俺様のHPは、あと99%も残ってるけどな!」
「どうしたどうした!コンボが繋がってねえぞ!
そんなんじゃ、Sランククリアは夢のまた夢だぜ!」。
レックスの嘲笑が、少女たちの心を、じりじりと折っていく。
希望が、絶望へと塗り替えられていく。
その時、僕の脳内に、この世界の法則を支配する、もう一人の声が、直接響いた。
『…どうだい、アルト・フォン・レヴィナス。俺の創ったゲームは、楽しめているかい?』
その声は、どこまでも傲慢で、どこまでも冷徹だった。
カイザー・フォン・ヴォルフガング。
彼が、遠隔でこの戦いを観戦し、僕たちのステータスや、この場の法則そのものを、リアルタイムで書き換えているのだ。
『お前がどれだけ優れた理論を構築しようと、無駄なことだ。なぜなら、この世界の物理法則も、魔法法則も、その全ては、俺が設定した『パラメータ』に過ぎないからだ。俺が、火を無効だと言えば、火は燃えない。俺が、氷を無意味だと言えば、氷は凍らない。この世界で、俺は神だ』
「くっ…!」
絶体絶命。
僕の科学も、彼女たちの勇気も、絶対的なるゲームマスターの前では、あまりにも無力。
だが、僕は、まだ諦めていなかった。
どんな完璧なゲームにも、必ず「バグ」や「仕様の穴」は存在する!
僕は、レックスの単調な攻撃パターンと、この世界の歪んだ法則の、僅かな矛盾点を、超高速で分析し、逆転のための一手を導き出す。
レックスの攻撃は、確かに強力だ。
だが、その動きは、あまりにも単調で、予測可能。
大振りな斧による、三連撃。
地面を叩きつけ、衝撃波を発生させる、範囲攻撃。
そして、一直線に突進してくる、チャージ攻撃。
その、三つのパターンの、繰り返し。
まるで、AIの思考ルーチンが、それしか組まれていないかのように。
そして、僕は、見つけてしまった。
その、完璧に見えるシステムの、僅かな綻びを。
レックスが、最も強力な範囲攻撃…『ギガント・クラッシュ』を発動させる、その予備動作の瞬間。
ほんの一瞬だけ、このエリア全体の風景が、僅かに、本当に僅かに、カクつくのを。
処理落ち…ラグだ。
彼の、巨大な身体のポリゴンデータと、地面が砕け散る派手なエフェクト。
その、二つの膨大なデータを、この歪んだシステムが、同時に処理しきれず、悲鳴を上げているのだ。
(これだ…!)
僕の脳内に、逆転の数式が、閃光のように迸る。
(この、システムが最も無防備になる、コンマ数秒の瞬間に、さらに、許容量を超える、第三の巨大なデータ…すなわち、最大出力の魔法を、同じ座標に叩き込むことができれば…!システムは、強制的に、処理の優先順位を見失い、致命的なエラー…フリーズを引き起こすはずだ!)
僕は、最後の希望を、一人の、恋する乙女に託した。
「ルージュ君!彼の頭上、座標X34、Y72に、最大出力の雷を!ただし、狙うのは彼自身じゃない、何もない空間だ!」
僕の、あまりにも不可解な指示に、誰もが戸惑う。
「はあ!?アルト、あんた、正気!?あんなところに、何もないじゃない!」
ルージュが、信じられない、という顔で、僕に叫び返した。
「いいから、やるんだ!君の、その恋する乙女の情熱の、全てを、そこにぶつけろ!僕を信じろ!」
僕の、魂の叫び。
その言葉に、ルージュは、一瞬、ためらった。
だが、僕の、真っ直ぐな瞳を見て、彼女は、覚悟を決めたように、不敵に笑った。
「…面白いじゃない!あんたが、そこまで言うなら、乗ってあげるわ!アタシの、このどきどきする想い、全部、あの空にぶつけて、世界征服の、花火にしてやるんだから!」
彼女は、そのしなやかな腕を、天に掲げた。
その瞳には、僕への、絶対的な信頼の光が宿っていた。
彼女は、最後の魔力を振り絞り、僕が指示した、何もない空間に向かって、その雷を、放った。




