ようこそ、バグ塗れのクエストへ
王家の飛竜に乗り、問題のノイマン鉱山村に到着した僕たちは、その異常な光景に息を呑んだ。
眼下に広がる村は、確かにそこにあった。
煙突からは生活感のある煙が立ち上り、家々の庭先には洗濯物がはためいている。
だが、その周囲の空間だけが、まるでゲームのロードが完了していないエリアのように、僅かに、しかし、明らかに歪んで見えた。
陽光が、その境界線で不自然に屈折し、風景が陽炎のように揺らめいている。
それは、僕の知る、いかなる物理法則をも無視した、冒涜的な光景だった。
「…ひどい…。まるで、世界から無理やり切り取られて、別の紙に貼り付けられたみたい…」
リゼットが、飛竜の背中の上で、か細い声を震わせる。
「空間そのものを、湾曲させているというのか…?これほどの規模の魔法、聞いたことがないわ。
宮廷魔術師長ですら、不可能でしょう」
クラウディアもまた、その碧眼に、戦慄の色を浮かべていた。
僕たちは、村からおよそ100メートルほど離れた平原に降り立つ。
目の前には、見えない「壁」が、絶対的な存在感を持って、僕たちの行く手を阻んでいた。
僕は、プリズム・チャームの解析機能を使って、その「壁」に、そっと手を触れてみる。
指先に、微弱な静電気のような抵抗を感じる。
だが、それだけだ。
物理的な衝撃は、全くない。
まるで、ホログラムに触れているかのようだ。
だが、次の瞬間。
僕の脳内に、直接、無機質な文字列が、暴力的に流れ込んできた。
『ERROR: 対象エリアへのアクセス権限がありません』
『ERROR: プレイヤーレベルが、エリアの推奨レベルに達していません』
『WARNING: 不正なアクセスを検知しました。
システムへのハッキング行為は、規約違反となります』
「ぐっ…!」
僕は、頭を抱えて、その場に膝をついた。
情報量が、あまりにも膨大すぎる。
この世界の言語ではない。
僕の前世…地球で使われていた、プログラミング言語に酷似した、膨大なデータの羅列が、僕の脳を直接焼き付けようとする。
「アルト!」「主殿!」「アルトさん!」
ヒロインたちが、僕の元へと駆け寄ってくる。
「大丈夫か、レヴィナス!顔色が悪いわ!」
クラウディアが、僕の肩を支えてくれる。
その、氷のように冷たい手が、今は心地よかった。
「…ああ、問題ない。少し、この世界の『真実』に、触れすぎただけだ」
僕は、自嘲気味に笑いながら、立ち上がった。
そして、確信を持って、皆に告げる。
「…なるほどな。そういうことか」
僕が何かを理解しかけた時、菖蒲が、はっとしたように叫んだ。
「主殿!壁が…消え申した!」
見ると、先ほどまで空間を歪めていた不可視の障壁が、まるで最初から何もなかったかのように、きれいに消え去っている。
村への道が、開けていた。
まるで、僕たちが、この異常な空間に入るための「資格」を得たとでも言うように。
あるいは、僕たちが、この狂った舞台の上の「プレイヤー」として、正式に認識されたかのように。
◇
村に足を踏み入れた僕たちを待っていたのは、さらなる混沌だった。
外から見た限りでは、平和そのものに見えた村。
だが、その内側は、どこまでも歪で、不気味な空気に満ちていた。
「あら、旅の方かい?お困りごとかい?実は、うちの亭主が腰を痛めちまってねぇ。鉱山の奥に生えてるっていう、『万能薬草』があれば、一発で治るんだがねぇ」
村の入り口で、井戸端会議をしていた、三人の主婦。
そのうちの一人が、僕たちの姿を見るなり、一歩前に出て、そう話しかけてきた。
その瞳には、生気がない。
まるで、プログラムされたセリフを、ただ再生しているだけの人形のようだった。
そして、驚くべきことに、他の二人のおばさんも、全く同じタイミングで、全く同じセリフを、寸分の狂いもなく、口にしたのだ。
「「「お困りごとかい?実は、うちの亭主が腰を痛めちまってねぇ…」」」
「ひっ…!」
リゼットが、小さな悲鳴を上げて、僕の後ろに隠れる。
僕もまた、その、あまりにも不気味な光景に、背筋が凍るのを感じていた。
「なんだ、これは…。まるで、操り人形じゃないか…」
ルージュが、警戒心も露わに、呟く。
僕たちは、その、不気味な主婦たちをやり過ごし、村の中央広場へと向かった。
そこでは、子供たちが、元気に走り回っている。
だが、その遊びもまた、異常だった。
鬼ごっこをしている子供たちは、全く同じルートを、全く同じ速度で、何度も、何度も、繰り返し走り続けている。
その顔には、笑顔も、楽しげな声も、一切ない。
ただ、プログラムされた動きを、忠実に、延々と、繰り返しているだけ。
「…まるで、ゲームのNPCだ」
僕が、そう呟いた時だった。
「おお、冒険者の方々!お待ちしておりましたぞ!」
僕たちの前に、大げさな身振りで現れたのは、この村の村長を名乗る、恰幅のいい老人だった。
だが、彼の頭上には、なぜか、緑色の、巨大な「!」マークが、ぽっかりと浮かんでいた。
「な、なんですの、あれは…!頭の上に、記号が…!」
クラウディアが、信じられない、という顔で、それを指差す。
村長は、そんな僕たちの動揺などお構いなしに、芝居がかった口調で、捲し立てた。
「実は、この村は、今、深刻な問題を抱えておりましてな!鉱山の奥に、凶暴なゴブリンどもが巣食い、村人たちを脅かしておるのです!どうか、あなた様方のお力で、ゴブリンどもを討伐し、この村に平和を取り戻してはいただけませんかな!?」
そして、僕の目の前に、半透明のウィンドウが、ふわりと浮かび上がった。
<クエストを受注しますか?>
・はい
・いいえ
「…なんだ、これは…」
僕以外の四人には、このウィンドウは見えていないようだった。
だが、この村が、カイザーと名乗る転生者によって、「ゲーム」の世界へと作り変えられてしまったことだけは、誰の目にも明らかだった。
僕が、逡巡の末に、「はい」の選択肢を、念じるように選択すると、村長の頭上の「!」マークは、灰色の「?」マークへと変化した。
「おお、引き受けてくださいますか!さすがは、噂に名高いプリズム・ナイツの皆様!では、討伐の証として、『ゴブリンの親分の首』を、持ち帰ってくだされ!成功の暁には、はずむような報酬を、お約束いたしますぞ!」
そう言うと、村長は、満足げに頷き、また、広場の入り口の定位置へと、ゆっくりと戻っていった。
僕たちは、顔を見合わせた。
その表情には、困惑と、怒りと、そして、得体の知れない恐怖が、入り混じっていた。
「どうするのよ、アルト…。本当に、ゴブリン退治なんて、付き合ってあげるわけ?」
ルージュが、不満そうに、僕に問いかける。
「…やるしかないだろう。この、ふざけたゲームのルールに乗っかるのは癪だが、この村を元に戻すためには、この『クエスト』とやらを、クリアするしか、道はないのかもしれない」
その時、広場の隅で、一人の老婆が、腰を曲げ、苦しそうに咳き込んでいるのが、目に入った。
その姿を見たリゼットが、駆け寄っていく。
「おばあちゃん、大丈夫!?薬草なら、私、持ってるわ!」
彼女は、自分のポーチから、回復効果のある薬草を取り出し、老婆に手渡した。
老婆は、無表情にそれを受け取ると、懐から、数枚の銅貨を取り出した。
「ありがとう。お礼に、『銅貨3枚』をあげよう」
「…え?」
リゼットが、固まる。
その光景は、どこまでも滑稽で、どこまでも不気味だった。
人の善意すらも、この世界では、決められた報酬へと、無機質に変換されてしまうのだ。
◇
僕たちは、村長の言う通り、鉱山の奥へと向かった。
薄暗く、湿った坑道。
壁には、魔鉱石が、不気味な光を放って、点在している。
「…本当に、ゴブリンなんているのかしら」
リゼットが、不安そうに、松明の明かりを頼りに、周囲を見回す。
その時だった。
坑道の奥から、複数の、緑色の小さな影が、姿を現した。
ゴブリンだ。
その数は、十数匹。
だが、その様子もまた、異常だった。
僕たちの姿を見るなり、全てのゴブリンの頭上に、一斉に、赤い「!」マークが、浮かび上がったのだ。
そして、次の瞬間。
ゴブリンたちは、何の戦略も、連携もなく、ただ、一直線に、僕たちへと、突進してきた。
その動きは、あまりにも単調で、予測可能。
まるで、古いゲームの、思考ルーチンのない、ザコ敵のようだった。
「…非論-理的すぎるわ!」
クラウディアの絶叫が、鉱山に虚しく響き渡った。
彼女は、もはや、その馬鹿馬鹿しさに、怒りを通り越して、一種の呆れを感じているようだった。
「ええい、ままよ!こんな、茶番に付き合ってられるもんですか!」
彼女は、ナイト・ブリザードへと変神するまでもなく、その腰の剣を抜き放つと、ゴブリンの群れへと、舞うように切り込んでいった。
ザシュッ!
一閃のもとに、一体のゴブリンが、斬り伏せられる。
だが、ゴブリンは、血を流して倒れるのではなかった。
その身体は、一瞬、カクカクとした、粗いポリゴンのようなブロックへと分解され、次の瞬間には、キラキラとした光の粒子となって、虚空へと消えていったのだ。
そして、その跡には、二つのアイテムが、ぽつんと、残されていた。
一本の、粗末な『ゴブリンの棍棒』。
そして、赤い液体が満たされた、小さな瓶…『ポーション(小)』。
「…………」
クラウディアは、言葉を失い、その場に立ち尽くしていた。
騎士としての、彼女の誇り、剣技、そして、命のやり取りに対する、真摯な覚悟。
その全てが、この、あまりにも軽々しい「ゲーム」の法則の前では、無意味なものと化していた。
僕たちは、その後も、次々と現れるゴブリンたちを、淡々と、「処理」していった。
それは、もはや、戦いではなかった。
ただの、作業だった。
頭上に「!」を浮かべて突進してくる敵を、一撃で倒し、ドロップするアイテムを、機械的に回収する。
その、虚しい作業を、僕たちは、鉱山の最深部にたどり着くまで、延々と繰り返すしかなかった。
そして、最深部の、開けた空間。
そこに、ひときわ巨大な、一体のゴブリンが、玉座のような岩に、ふんぞり返って座っていた。
その頭上には、禍々しいオーラを放つ、王冠のマークが、浮かんでいる。
ゴブリンの親分。
この、茶番劇の、ボスキャラクターだ。
「グルルルル…!ヨクキタナ、ニンゲンドモ!コノ先ヘ行キタケレバ、コノ俺様ヲ、倒シテイケ!」
その、あまりにも陳腐で、使い古されたセリフに、僕たちは、もはや、怒りすら感じなくなっていた。
ただ、深い、深いため息が、漏れるだけだった。
この、ふざけたゲームを、一刻も早く終わらせる。
その、冷たい決意だけが、僕たちの心を支配していた。




