ルージュ編 電撃乙女の、甘くて不器用な一日
そして、五日間にわたるデートマラソンの、最終日。
僕の前に現れたのは、悪の組織の幹部にして、恋に焦がれる乙女、ルージュ・ブリッツだった。
待ち合わせ場所の学院の門に、彼女は、まるで戦場に赴く将軍のような、悲壮な覚悟(と、隠しきれない期待)をその表情に浮かべて、立っていた。
「べ、別に、あんたのためにオシャレしてきたわけじゃないんだからね!これは、世界征服のための、王都民衆の嗜好調査と、重要娯E楽施設の構造を把握するための、情報収集の一環なんだから!」。
燃えるような真紅のワンピースが、風にふわりと揺れる。
大胆に開かれた胸元は、彼女のダイナマイトボディをこれ以上ないほどに強調し、腰できゅっと結ばれた黒いリボンが、その驚異的なくびれを際立たせていた。
腕を組み、ぷいっとそっぽを向く彼女。
その姿は、まさに、歩くツンデレの教科書だった。
(ふむ。色彩心理学において、赤色は、観測者の交感神経を刺激し、興奮状態を誘発する効果が確認されている。
また、身体のラインを強調するデザインは、対象の生物学的本能に直接訴えかけ、警戒心を解き、優位に立つための、極めて高度な心理戦術と分析できる。さすがは、悪の組織の幹部。デートという名の情報戦において、完璧な武装だ)。
僕の、どこまでも的外れな分析に、彼女は、ちらりとこちらを上目遣いに見つめ、頬を染めた。
「…な、何よ。アタシの顔に、何かついてるわけ?」。
「いや、君のその、戦いへのアプローチは、実に合理的だと感心していたところだよ」。
「た、戦い!?そ、そうよ!これは、恋という名の、戦場なんだから!」。
(ん?恋?)
僕が、その単語の論理的整合性について思考を巡らせる前に、彼女は、僕の手を、有無を言わさず掴んだ。
「さあ、行くわよ!ぐずぐずしてると、世界征服のスケジュールに、遅れが生じるわ!」。
彼女が選んだのは、王都の郊外に新しくできた、巨大な遊園地『ドリーム・ファンタジア』。
ジェットコースターに、お化け屋敷、そして観覧車。
ベタだが、王道のデートコースだ。
指南書を持たない彼女が、どこでこの情報を仕入れてきたのかは、謎である。
◇
最初に僕たちが向かったのは、遊園地の目玉アトラクション、全長二千メートルを誇る、絶叫マシン『メテオ・スライダー』だった。
天を突くような高さまで登りつめ、そこから、垂直に近い角度で、一気に滑り降りる、まさに悪魔の設計思想。
順番を待つ列で、ルージュは、まだ余裕の表情を崩していなかった。
「ふんっ、こんなもの、子供騙しよ。アタシなんて、普段、ワイバーンに乗って、成層圏まで飛んでるんだから。
この程度の速度と高度、散歩みたいなものだわ」
その、あまりにも見え透いた強がりに、僕は、微笑ましい気持ちを隠せない。
やがて、僕たちの番が来た。
二人並んで、安全バーが下ろされる。
その、密着した肩の距離に、彼女の心臓が、ドクンと大きく跳ねたのを、僕は、隣の席に伝わる振動で、確かに感知していた。
ガタン、ゴトン…。
ゆっくりと、頂上へと登っていくコースター。
高度が上がるにつれて、彼女の顔から、急速に血の気が引いていく。
「…ね、ねえ、アルト。こ、これ、本当に、安全なのよね?この国の、建築基準法とか、物理法則とかは、ちゃんと、守られているんでしょうね?」
「ああ、大丈夫だ。僕が、ざっと計算した限りでは、このレールの構造力学的な強度は、乗員にかかる遠心力とGの、許容範囲の三倍以上の安全マージンが確保されている。理論上は、絶対に問題ない」
僕の、科学者としての太鼓判は、しかし、彼女の恐怖を和らげるには、全く役に立たなかった。
そして、頂上に達したコースターが、一瞬、静止する。
眼下には、豆粒のような王都の街並み。
その、息を呑むような絶景も、今の彼女の目には、映っていない。
「ひっ…!」
隣から、小さな悲鳴が聞こえた。
次の瞬間。
僕たちの身体は、凄まじいGと共に、奈落の底へと、叩きつけられた。
「きゃあああああああああっ!」
先程までの強がりは、どこへやら。
ルージュの、乙女の、いや、この世の終わりのような絶叫が、遊園地にこだました。
彼女は、僕の腕に、これでもかというほど、力いっぱい、しがみついてきた。
それだけではない。
彼女の、あの、非論...いや、ダイナマイトボディが、遠心力によって、僕の身体に、ぐりぐりと、押し付けられている。
(なっ…!?こ、この、柔らかく、そして、圧倒的な弾力性を持つ、二つの物体は…!まずい!このままでは、僕の肋骨が、この未知の衝撃吸収材によって、圧迫骨折を…!いや、待て。これは、Gによる身体への負荷を、分散、吸収するための、極めて合理的な、防御行動なのか!?)。
僕が、そんな生命の危機(?)と科学的考察の狭間で葛藤していると、しがみついてきた彼女の身体から、パチパチッ!と、小さな紫電が迸った。
「…む?今、静電気が…」
「~~~っ!」
彼女は、恐怖と、羞恥と、そして、僕にしがみついているという、背徳的な喜びで、完全にキャパシティオーバーを起こしていた。
感情の高ぶりに呼応して、彼女の体内の雷の魔力が、暴走しかけているのだ。
ようやく、悪夢のような60秒が終わり、コースターが、ゆっくりとプラットフォームへと帰還する。
僕は、完全にグロッキー状態になっていたが、隣のルージュは、それ以上に、魂が抜け殻のようになっていた。
「…ふ、ふんっ!別に、怖かったわけじゃないわ!ただ、Gによる身体への影響を、身をもって体験して、今後の飛行型魔獣の開発に、役立てようとしていただけよ!」
ふらふらの足取りでコースターを降りながら、彼女は、まだ、そんな強がりを口にしている。
その、あまりにも分かりやすい虚勢に、僕は、自然と笑みがこぼれてしまうのだった。
◇
次に僕たちが向かったのは、西洋の古城を模した、お化け屋敷『ゴースト・キャッスル』だった。
ひんやりとした、カビ臭い空気。
どこからともなく聞こえてくる、不気味な呻き声。
「…子供騙し、とは言ったけれど、これは、その…悪趣味だわ」
ルージュは、僕の半歩後ろを、ぴったりとついてくる。
その手は、僕の白衣の裾を、ぎゅっと、固く握りしめていた。
暗く、狭い通路を進んでいく。
壁の肖像画の目が、ぎょろりと動く。
天井から、血の滴る生首(もちろん作り物だ)が、落ちてくる。
その度に、彼女の、小さな悲鳴と、僕の白衣を握る力が、強くなっていく。
「だ、だから、これは、恐怖を感じているわけじゃないのよ!あくまで、敵地における、心理的トラップの構造を、分析しているだけなんだから!」
その、震える声での言い訳が、あまりにも健気で、僕の庇護欲を、激しく刺激した。
そして、事件は、最後の角を曲がった、その時に起こった。
「うわあああああっ!」
目の前の暗闇から、血まみれのチェーンソーを持った、大男のゾンビ(もちろんアルバイトの役者だ)が、絶叫と共に飛び出してきたのだ。
その、あまりにも古典的で、あまりにもベタな演出に、僕は、「ふむ、なかなかの迫真の演技だな」などと感心していたが、隣の乙女は、違った。
「きゃあああああああああっ!」
ルージュは、理性が吹き飛んだ、素の絶叫を上げると、僕の背中に、猛烈な勢いで、飛びついてきた。
いや、もはや、タックルに近い。
「わっ!?」
僕は、その、ダイナマイトボディの、想定外の質量と衝撃に耐えきれず、バランスを崩した。
僕たちは、二人、もつれ合うようにして、その場に、派手に、転んでしまったのだ。
どん、という鈍い音。
そして、僕の顔面に伝わる、天国的な、柔らかい感触。
(…なんだ?この、マシュマロのようで、しかし、マシュマロ以上の、驚異的な弾力性と、包容力を持つ物体は…
僕の鼻腔をくすぐる、この、甘い香りは…まずい…このままでは、僕の意識が、この、幸せな暗黒物質の中に、飲み込まれてしまう…!)
僕の顔面は、見事に、彼女の、豊かな胸の谷間に、埋まっていた。
「~~~~~~っ!?」
数秒の、静寂。
そして、我に返ったルージュの、羞恥に染まった絶叫が、お化け屋敷中に、響き渡った。
「あ、あ、あ、あんた!い、今、どこ触ってるのよ!この、どさくさに紛れて、アタシの、アタシの神聖な領域を…!死刑よ、死刑!」
彼女は、僕を突き飛ばすと、顔を真っ赤にして、その場から逃げ去ってしまった。
後に残されたのは、甘い香りの残滓と、ゾンビ役のアルバイトの、同情するような視線、そして、僕の、完全にフリーズした頭脳だけであった。
◇
お化け屋敷での、あまりにも刺激的なハプニングの後、僕たちは、気まずい沈黙の中、園内をさまよっていた。
その、重苦しい空気を打ち破ったのは、陽気な水しぶきの音だった。
丸太のボートに乗って、激流を下る、ウォーターライド『スプラッシュ・リバー』。
「…あ、あれなら、涼しそうじゃない?ほ、ほら、頭を冷やすのにも、ちょうどいいわ!」
ルージュが、自らの赤面を誤魔化すように、そう提案した。
僕に、否やはない。
僕たちを乗せた丸太のボートは、陽気な音楽と共に、水路を滑り出していく。
そして、最後は、高さ20メートルの頂上から、水面へと、一気にダイブ。
ザッパーンッ!!!
巨大な水しぶきが、僕たちを包み込んだ。
そして、その結果。
「…きゃっ!」
隣から、ルージュの、悲鳴とも言えぬ、小さな声が漏れた。
見ると、彼女の、真っ赤なワンピースが、水を吸って、肌にぴったりと張り付き、その、完璧すぎる身体のラインを、寸分の狂いもなく、浮かび上がらせていたのだ。
それは、もはや、芸術の域に達する、奇跡の造形美だった。
「な、なによ!見るんじゃないわよ、このエッチ!これは、その、水の表面張力と、繊維の毛管現象によって引き起こされる、不可抗力なんだから!」
顔を真っ赤にして、胸元を隠そうとする彼女に、僕は、冷静に、自分の着ていた白衣を、そっと、その肩にかけた。
「風邪を引く。君の身体の熱が、気化熱によって奪われる前に、保温することが、最も合理的な判断だ」
僕の、どこまでも紳士的で、どこまでも朴念仁な対応に、彼女は、一瞬、きょとんとした後、うつむいて、小さな声で、「…ありがと」と、呟いたのだった。
◇
そして、夕暮れ。
二人きりの観覧車の中。
今日一日、ジェットコースターのように、乱高下し続けた彼女の感情も、ようやく、静けさを取り戻していた。
眼下に広がる、オレンジ色に染まる王都の街並みを見下ろしながら、彼女は、ぽつりと、呟いた。
「…アタシ、ずっと、退屈だった」
それは、悪の組織の幹部としてではなく、一人の、ルージュ・ブリッツという少女の、偽らざる本心だった。
「悪の組織の幹部なんて、聞こえはいいけど、やってることは、毎日同じ。間抜けな部下の尻拭いと、昼ドラ見てるだけの上司のご機嫌取り。世界征服なんて、本当にできるのかも、わからなかった」
彼女の瞳は、どこか遠くを見つめている。
「でも、あんたに出会って、毎日が、どきどきして、キラキラして…なんだか、馬鹿みたいに、楽しいのよ」
彼女は、僕の方を、真っ直ぐに見つめてきた。
その瞳には、もう、ツンデレの仮面はない。
ただ、一人の男に、恋をしてしまった、乙女の、潤んだ瞳があるだけだった。
「ねえ、アルト。もし、もしもよ?アタシが、世界征服を諦めたら、あんた…アタシのこと、どうする?」
その、あまりにも不器用で、あまりにも切実な問い。
それは、彼女の、これまでの人生の全てを、僕に委ねるという、覚悟の言葉だった。
僕の脳内に、今日一日の、彼女の姿が、フラッシュバックする。
強がって、でも、本当は怖がりで。
高飛車で、でも、本当は優しくて。
そして、何よりも、誰よりも、情熱的で。
僕は、彼女の、震える手を、優しく握った。
「君が、君でいる限り、僕は、君のプロデューサーだよ。君が、どんなステージに立ちたいと願っても、僕は、そのための、最高の舞台を用意するさ」
それは、愛の告白ではないかもしれない。
だが、それは、彼女の、ありのままの全てを、肯定するという、僕なりの、最大限の、答えだった。
そして、僕は、付け加える。
「君の、その、感情と直結した、制御不能な雷の力。それも、君の、魅力的な個性の一つだ。例えば、エミリアさんの、全てを優しく包み込む、癒やしのフィールド。あの中でなら、君の雷は、暴走することなく、その輝きを、最大限に増すことができるかもしれない。聖なる雷の結界、『サンクチュアリ・ボルト』君と彼女でしか作れない、最高のステージだ」
僕の言葉に、彼女の瞳から、一筋の、熱い涙がこぼれ落ちた。
「…あんたって、本当に、ずるいわね」
そう言って、彼女は、僕の肩に、その頭を、そっと、預けてきたのだった。
僕の、そして、僕たちの、甘く、そして、少しだけ電撃的な一日は、王都の夜景の中に、静かに、溶けていった。




