朴念仁プロデューサーの平和的(?)な悩み
王都に平和が戻って数週間。
俺、アルト・フォン・レヴィナスは、自らの工房で珍しくも穏やかな時間を過ごしていた。
机の上には、半田ごてではなく、エミリアさんが淹れてくれたカモミールティーが、優しい湯気を立てている。
「最近、平和だなぁ」
思わず、そんな言葉が口をついて出る。
虚構の楽園、星喰らいの一族と、立て続けに襲来した脅威は去り、王都は復興の槌音と共に活気を取り戻していた。
プリズム・ナイツの活躍は、もはや吟遊詩人が酒場で語る英雄譚の定番だ。
街を歩けば子供たちが俺たちの似顔絵を描いてくれ、八百屋のおじさんがニンジンをおまけしてくれる。
悪くない、いや、最高の日々だ。
「正義の味方って、基本的に受け身なんだよなぁ」
悪の組織が何か事を起こして、初めてヒーローの出番が来る。
平和なのは、何より喜ばしいことだ。
だが、この平和が、別の意味での戦乱を、この俺の工房にもたらしていた。
工房の扉が、爆発するかのような勢いで開かれる。
「おっはよー、アルト!朝食、持ってきたわよ!」
太陽の笑顔と共に現れたリゼットの手には、焼きたてのパンが山盛りになったバスケット。
その香ばしい匂いが部屋に満ちるより早く、僕の真上の天井板が、すっと音もなく開いた。
「主殿!朝餉の支度は、妻たる拙者の務め!昨夜のうちに仕込んでおいた、特製の『愛情おにぎり』を、ささ、あーん…でござる!」
逆さまにぶら下がった菖蒲が、なぜかハート型に握られたおにぎりを、僕の口元へと差し出してくる。
その黒い瞳は、期待に満ちてキラキラと輝いていた。
「二人とも、朝から騒がしいわね。プロデューサーの貴重な研究時間を、あなたたちの非論理的な行動で浪費させるのは、王国にとっての損失だわ」
窓辺で腕を組み、やれやれと溜め息をつくのは、知的な紺色のワンピースに身を包んだクラウディア。
その手には、僕が昨夜まで格闘していた魔導工学の専門書が握られている。
どうやら、僕の計算ミスをいくつか見つけてくれたらしい。
「あらあら、うふふ。皆さん、朝からとってもお元気ですね」
そんな一触卽発の空間に、聖母の微笑みと共にハーブティーを運んでくるエミリアさん。
彼女の存在だけが、このカオスな戦場の唯一の癒やしだ。
そして、とどめの一撃は、吹き飛んだ扉の向こうから、優雅な足取りで放たれる。
「ふんっ、別に、あんたのために作ったわけじゃないんだからね!世界征服のための、兵站管理能力を、試していただけなんだから!」
そう言って、ルージュが僕の机に叩きつけるように置いたのは、完璧な半熟具合のオムライス。
ケチャップで、不器用なハートマークが描かれている。
天井から、扉から、窓から、そしていつの間にか背後から。
五人のヒロインたちが、それぞれの愛情表現(という名のアプローチ)を、絶え間なく俺に仕掛けてくる。
悪い気はしない。
むしろ、彼女たちの笑顔に囲まれるこの日常は、俺が何よりも守りたかった宝物だ。
はっきりと「好意」を向けられているのは、さすがの俺でもわかる。
リゼットの、幼馴染としての絶対的な信頼。
クラウディアの、好敵手として認めた上での、不器用な敬意。
エミリアさんの、全てを包み込むような、慈愛に満ちた眼差し。
菖蒲の、主君に向ける、揺るぎない忠誠心(という名の勘違い)。
そして、ルージュの、世界征服の野望すら霞ませる、一直線な恋心。
でも、その五者五様の、あまりにも純粋で、あまりにも熱い想いに、俺自身がどう応えたいのか、どうすればいいのかが、いまいちピンときていない。
「彼女たちを、全員、大切にしたい」
その気持ちだけは、確かなのだが。
(ふむ、興味深い。リゼットのパンは、炭水化物と糖分がバランス良く配合され、一日の活動エネルギーの始動ブーストとして最適だ。
菖蒲君の兵糧丸は、携帯性と栄養価に優れ、緊急時の非常食として極めて合理的。
ルージュ君のオムライスは、タンパク質、脂質、ビタミンを一度に摂取できる完全食に近い。
クラウディア君の指摘は、僕の研究の精度を飛躍的に向上させてくれるし、エミリアさんのハーブティーは、僕の精神を安定させる効果がある。
つまり、全員が、僕のプロデューサーとしてのパフォーマンスを最大化させる上で、必要不可欠な存在ということか…!まさに、完璧な布陣だ!)。
僕が、そんな科学者としての悦に浸っていると、五人の視線が、一点に集中していることに気づいた。
僕の、唇に。
「「「「「あーん」」」」」。
五つの、愛のこもった食べ物が、同時に、僕の口元へと差し出される。
この、甘く、そして、あまりにも過酷な選択を、俺はどう乗り切ればいいというのだ。
ーーーーー
「ヒロインたちの仁義なきデート協定」
王都に平和が戻り、プリズム・ナイツの工房は、戦いの喧騒とは無縁の、穏やかな時間が流れていた。
それは、ヒロインたちにとって、喜ばしくも、どこかじれったい日々だった。
「最近、事件が起きないなぁ…」
工房のソファに深く腰掛け、リゼットは本日何度目かわからないため息をついた。
一応、「冒険者ギルド」に登録し、魔獣討伐や薬草採取といった依頼をこなしてはいる。
街を歩けば人々から英雄として感謝され、その日々は充実しているはずだった。
だが、一番肝心なこと…すなわち、アルトとの関係は、完全に停滞していた。
(アプローチしても、菖蒲さんやルージュさんが邪魔してくるし…私が邪魔しちゃうこともあるし…。
アルトも、前よりは優しくなったけど、あの朴念仁っぷりは相変わらずだし…!)。
ちらり、と工房の奥にある、分厚い防音扉で閉ざされた研究室を見る。
我らが天才プロデューサーは、今もきっと、難解な数式と睨めっこしているのだろう。
その、誰にも邪魔されない聖域に、踏み込む勇気は、まだない。
その時、リゼットの脳内に、天啓が閃いた。
(…待って。事件が起きなくて、平和ってことは…アルトも、もしかして結構ヒマなんじゃない?
だったら…二人きりで、デートに誘えちゃうんじゃ!?)。
その瞬間、まるで雷に打たれたかのように、工房にいた他の四人の少女たちの思考も、奇跡のシンクロを果たしていた。
クラウディアは、読んでいた『古代魔導文明におけるエーテル力学概論・第七版』のページをめくる手が止まる。
(この停滞した状況は、非効率的極まりないわね。
プロデューサーのコンディションを最適に保つためにも、外部からの適度な刺激…すなわち、私との知的な交流が必要不可欠なのでは?
二人きりでの、戦術的視察という名目の…外出…悪くないわ。
むしろ、論理的に考えて、今、最も優先されるべき事項よ)。
エミリアは、編んでいたマフラーの編み目を一つ間違え、はにかみながら解いている。
(アルトさん、最近、少しお疲れのご様子…。
研究に集中されるのも素敵ですけれど、たまには、心を休ませて差し上げたいです。
二人きりで、静かな教会や神殿を巡って、神様の優しい光の中で、穏やかな時間を過ごせたら…。
きっと、アルトさんの心も、癒やされるはずです…)。
菖蒲は、手入れしていた小太刀の刃に、自分の真剣な顔を映す。
(任務なき日々…。
主殿の護衛としては物足りないでござる。
指南書によれば、『恋の停滞期には、二人きりの密会こそが特効薬』と…。
主殿と、二人きりで遊びに行く…!なんと甘美な響きでござるか!
二人きりになれば、あの邪魔な女たちもおらぬ!
拙者の、本当の魅力を、主殿に存分にアピールできる絶好の機会でござる!)。
ルージュは、塗っていた深紅のマニキュアを、ふぅ、と気だるげに吹き消しながら、不敵な笑みを浮かべた。
(はぁ、退屈だわ。
王都の見どころは色々あるけど、一人で見たって面白くないし…。
あの朴念仁、最近、ア-タシのこと、ちゃんと見てるわけ!?見てないわけ!?どっちなのよ!
こうなったら、こっちから仕掛けるしかないわね!
王都の視察にかこつけて、二人きりで観光…?きゃっ!
…そ、そうよ、これも世界征服のための、敵地視察なんだからね!決して、個人的な感情なんかじゃ、ないんだから!)。
五人分の、熱く、切実な『想い』が、工房の空気を見えざる恋の圧力で満たしていく。
その、張り詰めた沈黙を破ったのは、やはり行動力の化身、リゼットだった。
「ねえ、みんな、ちょっと相談なんだけど…!」。
おずおずと切り出すリゼットに、四人の視線が突き刺さる。
「いつも、こうしてアルトの取り合いになって、結局、何も先に進んでないじゃない?」。
その、的確すぎる指摘に、全員がぐうの音も出ない。
クラウディアは咳払いをし、ルージュはそっぽを向き、菖蒲は天井を見上げ、エミリアはあらあらと微笑む。
「だから…せっかくこうして平和で、時間があるんだし…」。
リゼットは、意を決して、禁断の提案を口にした。
「一人ずつ、順番に、アルトとデートするっていうのは、どうかな?」。
………しーん。
工房に、一瞬の静寂が落ちる。
お互いの顔を見合わせる、五人のヒロインたち。
その瞳には、「抜け駆けは許さない」という牽制と、「でも、その手があったか!」という賛同の色が、複雑に混じり合っていた。
最初に、その提案に論理的(?)な裏付けを与えたのは、クラウディアだった。
「…フン。非合理的ではないわね。
各個人がプロデューサーに与える心理的影響を、個別にデータとして収集する…という意味では、有益な試みかもしれないわ」。
(グッジョブよ、パン娘!あなたにしては、上出来な提案だわ!)という心の声は、もちろん誰にも聞こえない。
その言葉を皮切りに、事態は一気に動き出す。
「なるほど!『恋の戦場では、時に休戦協定も必要』と指南書にも!名案でござる!」
菖蒲が、ぱっと顔を輝かせる。
「まあ、あなたたち下々の提案にしては、悪くないんじゃない?アタシが一番に、あの男を骨抜きにしてきてあげるわ!」
ルージュが、高慢に、しかし、その口元は嬉しそうに歪んでいる。
「はい!とっても素敵な考えだと思いますです!みんなで、順番に、アルトさんと素敵な時間を過ごせるのですね!」
エミリアが、心から嬉しそうに、手を合わせた。
全会一致。
プリズム・ナイツ史上、最も迅速かつ平和的に、『デート協定』は採択された。
問題は、その順番である。
「当然、言い出しっぺの私が一番よ!」
リゼットが、胸を張る。
「待ちなさい。最も冷静かつ知的なデートプランを提示できる、私が最初であるべきだわ」
クラウディアが、メガネを押し上げる仕草で(メガネはかけていない)、反論する。
「主殿との初でーとは、妻たる拙者が!」
菖蒲が、腰の小太刀に手をかける。
「アタシに決まってるでしょ!一番、色気があるんだから!」
ルージュが、その豊満な胸を揺らす。
「あらあら、うふふ…」
エミリアが、困ったように微笑む。
またしても勃発しかけた戦乱を収めたのは、菖蒲が懐から取り出した、五本の、寸分違わぬ長さの籤だった。
「忍法・神速籤作りでござる。これで、文句はないでござるな!」
五人は固唾を飲んで、一斉に籤を引く。
歓喜の声、絶望の呻き、そして、運命を受け入れる静かな微笑み。
こうして、五日間にわたる、アルト・フォン・レヴィナスの、甘く、そして過酷なデートマラソンの順番が、ここに決定したのだった。
ーーーーー
「朴念仁プロデューサー、デートを受諾す」
さて、一方、俺、アルト・フォン・レヴィナスは。
工房の奥、完全防音仕様の研究室で、新たな合体必殺技の理論構築に没頭していた。
ヒロインがついに五人となった今、その組み合わせは膨大だ。
リゼットの炎とクラウディアの氷による、熱膨張からの急速冷却を利用した、物質の内部構造を破壊する『フレイザード・クラック』。
エミリアの治癒エネルギーと菖蒲の幻術を組み合わせ、敵に幸福な幻を見せながら、その闘争心を完全に浄化する『幻夢セラフィック・フィールド』。
そして、ルージュの雷撃を、他の四人のエネルギーで増幅・収束させ、一点に叩き込む、超々距離からの狙撃技…。
アイデアは、無限に湧き出てくる。
だが、問題があった。
何よりも、「変神」の力の源泉は、彼女たちの『想い』の強さだ。
技の威力は、彼女たちの精神状態、感情の波形に、大きく左右される。
今の、互いを牽制し合う、バラバラの精神状態では、完璧なシンクロは望めない。
もっと、深く、彼女たちの心を知る必要がある。
一人一人と、じっくり向き合い、その魂の輝きの根源を、この目で見極めなくては。
そんな俺の思考を、見透かしたかのように、研究室の扉が、おそるおそるノックされた。
「ねえ、アルト…。今、ちょっといいかな…?」
扉を開けると、そこに立っていたのは、頬を染め、もじもじと指を絡ませるリゼットだった。
その後ろから、他の四人が、固唾を飲んで様子を窺っている。
「相談があるんだけど…」
彼女は、先程、自分たちの間で交わされた『デート協定』について、しどろもどろになりながらも、一生懸命に説明してくれた。
皆で話し合って、一人ずつ、順番に、僕と二人きりで、一日を過ごしたい、と。
その、あまりにもいじらしい申し出と、潤んだ瞳で見上げてくる表情に、僕の心臓が、ドクンと、計算外の挙動を示した。
だが、それと同時に、僕のプロデューサーとしての頭脳が、閃光のような速度で、ある結論を弾き出していた。
(…これだ)。
(これこそが、僕が求めていた、最高の解決策じゃないか)。
(一人一人と、一対一で、長時間、行動を共にする…。
それは、彼女たちの精神状態、感情の機微、そして、僕に対する『想い』の質と量を、最も正確に観測できる、最高の実験環境だ!)。
(デート…いや、これは、『個別特殊環境下における、変神適格者の心理動態データ収集ミッション』だ!)。
僕は、キラリと、科学者としての探究心に満ちた目で、リゼットを見返した。
そして、プロデューサーとしての、完璧な笑みを浮かべて、高らかに宣言した。
「なるほど!実に合理的で、効率的な提案だ!素晴らしい!ぜひ、そのミッション、受けさせてもらおうじゃないか!」
「へ…?みっしょん…?」。
僕の、予想の斜め上を行く快諾に、きょとんとするリゼット。
そして、その背後で、喜びと、一抹の不安が入り混じった、複雑な表情でガッツポーズをする、四人のヒロインたち。
こうして、僕の、そして僕たちの、新たな物語の、そして、俺の人生で最も長く、甘く、そして過酷な五日間の、幕が上がったのだった。




