悪の組織も意外とヒマなのである
世界のどこか。
およそ善良な市民が地図の上に見つけることも、その存在を想像することすらもない、悪意と瘴気が渦巻くはずの空間。
悪の組織「どきどき☆世界征服同盟」の本拠地たる、魔王城の玉座の間。
そこは今、およそ世界征服を目論む組織の中枢とは思えぬほど、平和で、堕落しきった空気に満たされていた。
原因は、玉座そのものにある。
かつては血と怨嗟で磨き上げられたであろう黒曜石の玉座には、数千年ぶりに復活した伝説の大魔王ゼノビアが、豪華なドレスの胸元をはだけさせ、だらしなく寝そべっていた 。その手には食べかけのポテトチップスの袋があり、口元からは香ばしいコンソメの香りが漂っている。
「もうっ、なんなのよこのドラマ! ミカとタカシは、どうしてこうもすれ違うわけ!? じれったいわね、さっさとくっついちゃえばいいのよ!」
彼女の視線の先、空間に浮かぶ巨大な魔力水晶に映し出されているのは、勇者一行の動向でも、王国の軍事情報でもない。王都で絶賛再放送中の、昼ドラ『愛と憎しみのラビリンス』第38話「涙のウエディングベル」だった。
(数千年ぶりに復活した伝説の大魔王は、現代文化の粋、すなわち、ドロドロの人間関係が織りなすメロドラマに、その魂を完全に掌握されていたのである)
その、あまりにも威厳のない主君の姿に、やれやれと深いため息をつく者が一人。
「魔王様。またそのような俗なものに現を抜かして。先月提出した世界征服計画書、第13稿…『世界主要都市・水道インフラ掌握による渇水パニック作戦』の件ですが、まだ決済印をいただけておりませんわよ」
声の主は、その腹心にして妖艶なる女幹部、ルージュ・ブリッツ 。
身体のラインがくっきりと浮かび上がる、燃えるような深紅のドレス 。挑発的に大きく開かれた胸元は、ダイナマイトボディと称するにふさわしい豊満さを誇示し、全てを見透かすかのような気だるげな瞳は、見る者を虜にする魔性を秘めている 。
彼女の存在だけが、この気の抜けたアジトに、かろうじて悪の組織としての威厳と、そして、むせ返るような色香を繋ぎとめていた。
「あー、はいはい、後で見るわよ、後で! それよりルージュ、あんた、ちょっとこれ見てよ! タカシの奴、記憶喪失になったフリして、ミカの妹に手を出そうとしてるのよ! 最低じゃない!?」
「左様でございますか。ですが魔王様、その計画書が承認されなければ、我が軍の誇る怪力将軍ブロッケンが、痺れを切らして王都のダムを素手で破壊しかねません」
「それはそれで、結果オーライじゃない?」
「彼の破壊活動は、あまりに非効率的かつ計画性に欠けております。第一、インフラを破壊してしまっては、我々が征服した後の復興費用がかさむだけですわ」
(その『後で』が、永遠に来ないことを、ルージュは三千年の付き合いで嫌というほど知っていた。世界征服よりも、昼ドラの再放送スケジュールを優先する上司を持つ。それが、若き天才魔術師にして悪の組織のNo.2、ルージュ・ブリッツが抱える、最大の悩みであった)
そんな二人のやり取りを遮るように、玉座の間の巨大な扉が、轟音と共に内側へ向かって吹き飛んだ。
「ルージュ様ッ! 本日のトレーニング、完了いたしました! ご覧ください! 私の、世界を征服するために鍛え上げられた、この大胸筋をッ!」
土煙の中から現れたのは、身の丈2メートルはあろうかという、筋肉の塊。怪力将軍ブロッケンだ 。その名の通り、知性よりも筋肉を優先して進化させたかのような巨漢で、その思考回路もまた、極めてシンプルである。彼は、絶対の忠誠を誓うルージュ様の前で、自慢の上腕二頭筋に力を込め、これ見よがしにポージングを決めてみせる。
「…ブロッケン。扉は、押して開けるものだと、何度言えば理解できるのかしら」
「ハッ! 申し訳ありません! ルージュ様にお会いできる喜びで、つい力が入りすぎてしまいました!」
「その有り余る力は、次の作戦まで取っておきなさい。あなたのその熱気だけで、この部屋の室温が2度は上がっているわ」
ルージュが冷たくあしらっていると、今度は吹き飛んだ扉の影から、ひょろりとした、道化師のような男が、芝居がかった仕草で現れた。
「おやめなさい、ブロッケン。その筋肉の塊から発せられる野蛮なフェロモンで、私の繊細でインテリジェンスな思考回路がショートしてしまいますから」
百面相のインテリ・ピエロ 。変装と幻術を得意とする、組織の頭脳(自称)である。
「あぁ? 何だと、このモヤシ野郎! 俺の筋肉を侮辱するってことは、ルージュ様への忠誠心を侮辱するのと同じことだぞ!」
「おやおや、筋肉と忠誠心が直結するとは、実に興味深い、単細胞生物の思考ルーチンですねぇ。あなたに私の立てる、芸術的な作戦の1ミリでも理解できるとは思えませんがね」
「なんだとぉ!」
「はいはい、そこまでよ、二人とも」
いつものように始まる脳筋とインテリの犬猿の仲の口論を、ルージュが一喝で黙らせる。日常業務。世界征服など、夢のまた夢である。
そんな、カオスな部下たちのやり取りにも、魔王ゼノビアは我関せず。彼女は、食べ終えたポテチの袋を無造作に放り投げると、代わりに、その辺に転がっていた新聞を掴み取った。
「ん? なによこれ。『王都を救った三色の閃光』? ふーん、最近の勇者パーティは、女の子ばっかりなのねぇ。しかも、四人目は忍者ですって? 流行りでも追ってるのかしら」
ゼノビアが目を通しているのは、先日、『星喰らいの一族』を撃退した僕たちプリズム・ナイツの活躍を、尾ひれどころか巨大な翼まで付けて報じた、王都日報の特別号だった。そこには、僕、アルト・フォン・レヴィナスと、四人のヒロインたちの、あまり似ていない似顔絵が、でかでかと掲載されている。
「へぇ、『虚構の楽園』と『星喰らいの一族』を退けた、ねぇ。あのイカれた芸術家集団と、銀河のゴキブリどもを相手に、なかなかやるじゃないの」
珍しく、ゼノビアが感心したような声を上げる。だが、次の瞬間、彼女はアルトの似顔絵を、その長く鋭い爪で、とん、と指し示した。
「あら、この男。見てよ、この、朴念仁そうな顔! 女の子に囲まれて、どうせ何もわかってないんでしょ、こういうの! ふふん、アタシの、好みのタイプだわ」
けらけらと、大魔王とは思えぬ、下品な笑い声を上げるゼノビア。
(魔王ゼノビアの男性の好みは、数千年前に自分を封印した、朴念仁で女心のカケラも分からなかった伝説の勇者に、いまだに、そして、かなり面倒な形で引きずられているのだった)
ルージュは、その新聞を一瞥すると、心底退屈そうに言った。
「…まあ、少しは暇つぶしにはなるかもしれませんわね。最近の勇者一行は、根性も色気もないガキばかりでしたから」
その言葉が、魔王の、気まぐれな好奇心に火をつけた。
「決めたわ!」
ゼノビアは、ガバッと玉座から起き上がると、高らかに宣言した。
「ルージュ! あんた、こいつらを潰してきなさい! 世界征服の、ちょうどいい前哨戦じゃない!」
「お待ちください、魔王様!」
たまらず、ピエロが口を挟む。
「我々の計画によれば、まずは辺境の小国の経済を、偽札の流通によって内側から崩壊させ、その混乱に乗じて…」
「却下! そんな地味な作戦、面白くもなんともないわ!」
魔王の一言で、ピエロが数週間かけて練り上げた作戦案は、紙くずと化した。
「あ、そうだわ!」
ゼノビアは、ポンと手を打つ。その顔は、世界征服を企む魔王ではなく、週末の旅行プランを思いついた女子高生のように、キラキラと輝いていた。
「最近できた温泉、いいらしいじゃない! 『王都 湯楽城』とか言ったかしら! あそこを乗っ取って、アタシたちの別荘にしちゃいなさいよ! プリズム・ナイツも、ついでにやっちゃえばいいじゃない!」
「おお! 温泉でござるか!」
その言葉に、唯一反応したのはブロッケンだった。
「筋肉の超回復に最適ですな! さすがは魔王様!」
「だから、計画性が…!」
頭を抱えるピエロ。その横で、ルージュは、本日何度目かわからない、深いため息をついた。
(…まあ、いいわ)
彼女は、新聞に描かれた、アルトの理知的な横顔を、改めて見つめる。
(この退屈な日常よりは、少しはマシかもしれない。それに…この男、確かに、少しだけ…面白そうじゃない)
どこか憎めない部下たちと、全く頼りにならない上司。そんな、ぬるま湯のような日常に、彼女は飽き飽きしていたのだ。
「…はぁ。仕方がありませんわね」
ルージュは、やれやれと肩をすくめると、その深紅の唇に、残酷で、そして、どこまでも蠱惑的な笑みを浮かべた。
「よろしいでしょう、魔王様。このわたくしが、ちょっくら世界征服のついでに、その生意気なプロデューサーとやらを、身も心も、わたくしのモノにしてきて差し上げますわ。せいぜい、わたくしを楽しませてもらわないと、割に合いませんもの。おほほほほ…」
コミカルで、しかし、新たな波乱を確かに予感させる高慢な笑い声が、気の抜けた玉座の間に、響き渡った。
プリズム・ナイツに迫る、新たな恋と戦いの嵐。
その竜巻の中心に立つことになる、一人の乙女の、壮大な勘違いが始まろうとしていることを、この時の僕たちは、まだ、知る由もなかった。




