変神シャドウ・ストライダー! 闇に咲く、一輪の黒百合
あの夜、僕の工房に東の国からやってきた忍びの少女、犬神菖蒲が居座るようになってから、数日が過ぎた。
彼女は僕の説得(という名の科学的プレゼンテーション)と、リゼットたちの(半ば呆れた)承諾のもと、表向きは『東の国からの交換留学生』として、僕の護衛兼、プリズム・ナイツの見習い隊員として、僕の研究室に住み着くことになったのだ。
そして、僕の日常は、さらにカオスなものへと変貌を遂げていた。
「主殿! 朝でござる! ささ、指南書によれば、朝餉の支度は妻たる者の最も重要な務め! 拙者が丹精込めて丸めました、秘伝の兵糧丸をどうぞ!」
早朝。僕がまだ夢と現実の狭間で、新しい変身シークエンスの数式を組み立てていると、枕元に正座した菖蒲が、満面の笑みで漆塗りの重箱を差し出してきた。中には、黒々とした球体が、ぎっしりと詰められている。栄養価は高いのだろうが、朝から食すには少々、いや、かなりハードルが高い。
僕がどう断ったものかと思考を巡らせていると、工房の扉が、いつものように、ノックという文明の利器を無視して勢いよく開かれた。
「アルトー! 朝よー!って、あやめさん!?またアルトの寝室に忍び込んでる!」
お盆に乗せた焼きたてのパンとスープを手に、戦闘態勢に入るのは、もちろんこの人、リゼット・ブラウンだ。その栗色のポニーテールが、怒りでわさわさと揺れている。
「これはリゼット殿。何を言うかと思えば、主殿のお世話をするのは、妻(予定)である拙者の役目。当然のことでござる」
「つま!?誰が妻よ!アルトのお世話係は、昔から私の役目なんだから!大体、朝食はこんな怪しい玉じゃなくて、私の焼いたふわふわのパンに決まってるでしょ!」
「む…!この兵糧丸は、一粒で三日は戦えるという、我が一族の叡智の結晶!ふわふわなだけのパンとは、栄養効率が違うのでござる!」
「効率じゃないの!愛情なのよ、愛情!」
バチバチと、紅蓮の炎と漆黒の火花が、僕のベッドの上で激しく散る。そこへ、呆れ返った氷の声が、静かに割り込んだ。
「…朝から、非論
理的なことで騒がないでくださる?彼の貴重な研究時間を、あなたたちの低レベルな言い争いで浪費させるのは、王国にとっての損失だわ」
腕を組み、壁に寄りかかって立っているのは、クラウディア・フォン・ヴァレンシュタイン。その冷ややかな視線は、僕を一瞥した後、主に菖蒲へと向けられている。
「そもそも、素性の知れぬ忍者を、易々と懐に入れるあなたの判断も理解に苦しむわ、レヴィナス。危機管理という概念が欠如しているのではないかしら」
「ほう、クラウディア殿は、主殿の見る目を疑うと?主殿は、拙者の隠れたる才能と、その忠誠心(という名の恋心)を、一目で見抜かれたのでござるぞ!」
「…話が通じないわね」
三竦みの状況を、ふんわりとした聖母の微笑みが、優しく包み込んだ。
「あらあら、皆さん、朝からお元気ですね。わたくし、皆さんでいただけるように、ハーブティーを淹れてきましたです。まずは、お茶にしましょうか」
お盆に四人分のカップを乗せたエミリア・シフォンが、おっとりと現れる。彼女の存在は、さながらこのカオスな戦場の、唯一の癒やしだった。
僕の隣の席は誰のものか。僕の胃袋を満たすのは誰の料理か。僕の身を護る権利は誰にあるのか。
新たに加わった黒い台風は、プリズム・ナイツのヒロインレースを、さらに激しく、そして、複雑なものへと変えていた。
…まあ、僕の天才的頭脳をもってしても、彼女たちの乙女心という名の超常現象は、未だに解析不能な領域なのだが。
そんな、ある意味で平和な日常を切り裂くように、その報せはもたらされた。
王都の騎士団員が、血相を変えて僕の工房へと駆け込んできたのは、ちょうど昼過ぎのことだった。
「アルト・フォン・レヴィナス様!緊急事態です!」
騎士が広げた地図が示すのは、王都の南西、貴族たちの狩猟場として使われている、広大な森林地帯だった。
「数時間前より、当該エリアにて、原因不明の生命活動の低下が観測されています!偵察に向かった兵士によれば、森の木々は枯れ、動物たちは生気を失って倒れていると…!まるで、大地そのものが、死にかけているかのようです!」
その報告を聞いた瞬間、僕の脳裏に、数週間前の夜に観測した、あの赤黒い流星群のデータがフラッシュバックした。
星の断末魔。そして、生命エネルギーの枯渇。二つの事象が、僕の頭の中で、一本の線で結ばれる。
「…案内を頼む。すぐに現場へ向かおう」
僕が立ち上がると、すぐさま四人の少女たちの視線が僕に突き刺さった。
「アルト!私も行くわ!」
「待ちなさい。危険よ」
「わたくしも、お力になれるかもしれませんです…!」
「当然、拙者も同行するでござる!主殿の護衛は、妻たる拙者の(以下略)」
僕は、その四者四様の決意の瞳を見渡し、静かに告げた。
「リゼット、クラウディアさん、エミリアさんは、ここで待機していてくれ。敵の正体も、規模も、まだ何もわかっていない。プリズム・ナイツの戦力を、一度に全て投入するのは得策ではない」
「そんな!」「しかし!」「でも!」
「これは、プロデューサーとしての命令だ」
僕が有無を言わさぬ口調で言うと、三人は悔しそうに唇を噛みながらも、引き下がるしかなかった。
そして、僕は、ただ一人、まだ納得していない顔で僕を睨みつけている、黒装束の少女へと向き直る。
「菖蒲君。君には、僕の護衛として同行を頼む。君の隠密行動能力と、索敵能力が、この調査には必要不可決だと判断した」
「…!は、はい!主殿!この犬神菖蒲、身命を賭して、主殿をお守りいたしまする!」
ぱあっと、顔を輝かせる菖蒲。その単純さに、リゼットとクラウディアから、嫉妬と呆れの入り混じった、鋭い視線が突き刺さった気がしたが、今は気にしてる場合ではない。
僕の新たなプロデュース計画が、そして、この世界の運命が、静かに動き出す予感がした。
◇
馬を走らせ、問題の森林地帯に到着した僕と菖蒲は、その入り口で息を呑んだ。
騎士の報告通りだった。
数時間前までは、緑豊かだったはずの森が、まるで色を失ったかのように、灰色にくすんでいる。生命の息吹が、完全に消え失せていた。
「…これは、嘆きの森の時と似ている。だが、あの時よりも、進行速度が遥かに速い…」
僕が携帯型のエーテルスキャナーを取り出して分析を始めると、菖蒲は印を結び、すっと目を閉じた。
「…主殿。この森、邪悪な『気』に満ちております。まるで、巨大な何かが、森ごと喰らい、消化しているかのようでござる…」
「喰らう、か…」
その言葉は、僕の立てた仮説と、奇妙に一致していた。
僕たちは、馬を降り、息を殺して森の奥深くへと足を踏み入れる。
枯れ葉を踏む音すら響かない、死の静寂。僕の科学的分析と、菖蒲の忍びとしての直感が、互いを補い合いながら、慎重に、脅威の中心へと近づいていく。
そして、森の中心にある開けた場所で、僕たちは、それと遭遇した。
「な…なんだ、あれは…」
菖蒲が、戦慄に声を震わせる。
そこにいたのは、特定の形を持たない、不定形の怪物だった。
黒い靄のような身体は、常に蠢き、時折、苦悶に歪む獣の顔や、助けを求める人の腕のような形を、一瞬だけ作り出しては、また靄の中へと消えていく。それは、この森から吸い上げた、ありとあらゆる生命エネルギーを、無差別に混ぜ合わせて固めた、混沌の塊。
悪の組織『星喰らいの一族』の尖兵、捕食者。僕のデータベースには存在しない、全く未知の脅威だった。
プレデターは、僕たちの存在に気づくと、その靄の身体の中心に、巨大な、赤黒い一つ目を開いた。
その瞳には、知性も、感情もない。
ただ、目の前の『餌』に対する、純粋で、根源的な、飢餓の色だけがあった。
「主殿!お下がりくだされ!」
菖蒲が、僕を庇うように前に出る。
「ここは、拙者が!」
彼女は、黒い疾風となって地を蹴り、プレデターへと肉薄した。
「忍法・影縫いの術!」
投げ放たれた数本の手裏剣が、プレデターの影を地面に縫い付ける。だが、不定形の敵には、物理的な束縛など意味をなさない。
手裏剣は、靄の身体を、虚しくすり抜けていくだけだった。
「ならば!忍法・火遁の術!」
印を結んだ菖蒲の口から、灼熱の炎が放たれる。
だが、その炎すらも、プレデターの身体に届く寸前で、まるで吸い込まれるかのように、掻き消えてしまった。
物理攻撃も、魔法攻撃も、吸収しているのか…!
「くっ…厄介な敵でござる…!」
菖蒲が舌打ちした、その時。
僕たちの、すぐ近くの茂みから、か細い声が聞こえた。
「う…うわぁぁぁん…!」
見ると、狩猟に来ていたのであろう、貴族の幼い男の子が、恐怖で腰を抜かし、その場にへたり込んでいた。逃げ遅れたのだ。
プレデターの、赤黒い一つ目が、その、か弱く、新鮮な生命エネルギーへと、ゆっくりと向けられた。
靄の身体から、無数の触手が伸び、子供へと襲いかかる。
「しまった!」
僕が、懐の閃光弾に手をかけた、その瞬間。
僕よりも速く、一つの黒い影が、動いていた。
「―――させるかぁっ!」
菖蒲だった。
彼女は、自らの危険も顧みず、子供の前に立ちはだかり、その小さな身体を、覆いかぶさるようにして、庇ったのだ。
伸びてきたプレデターの触手が、容赦なく、菖蒲の背中に突き刺さる。
「ぐ…ぅ…っ!」
苦悶の声を上げる菖蒲。
彼女の身体から、目に見える形で、生命エネルギーが、きらきらとした光の粒子となって、プレデターへと吸い上げられていく。
みるみるうちに、彼女の顔から血の気が引き、その黒髪が、白髪へと変わっていく。
「あ…あやめ、君…!」
「…へへ…主殿…ご心配、なく…。忍びとは、主と…守るべき民のために、命を懸けるもの…これで、本望で、ござる…」
薄れゆく意識の中、彼女は、僕に向かって、力なく微笑んでみせた。
その、絶体絶命の状況でさえ、誰かを守ろうとする、強い意志。
その、ボロボロになりながらも、決して折れることのない、不屈の魂。
――僕は、見てしまった。
彼女の中に眠る、最高の『ヒーロー』の、原石の輝きを。
(…素晴らしい)
僕の心の中で、何かが、カチリと音を立てて噛み合った。
恐怖も、焦りも、全てが、プロデューサーとしての、冷徹な計算式へと昇華されていく。
(菖蒲君の勇気という名の、最高のパラメータ…!そして、この、僕がこの日のために開発しておいた、彼女専用の、新しいデバイス…!)
(この二つが合わされば、奇跡の方程式は、完成する…!)
僕は、懐から、黒銀色の流線形をした、美しいブレスレットを取り出した。
『プリズム・チャーム・シノビモデル』。
菖蒲の、忍者としての特性を、最大限に引き出すために、僕が極秘に開発していた、最新型だ。
「菖蒲君!君の勇気、僕の理論の最後のピースとして、使わせてもらうぞ!」
僕が叫ぶと、プレデターの触手に捕らわれたまま、菖蒲が、か細い声で問い返してきた。
「…あるじ…どの…?なにを…」
「いいから、叫べ!君の魂を!その胸に宿る、守りたいという願いの全てを、声にするんだ!」
僕は、起動させたブレスレットを、彼女に向かって投げ放つ。
ブレスレットは、美しい放物線を描き、まるで意思を持つかのように、彼女の腕に、吸い付くように装着された。
「変神の、コマンドを!」
僕の、魂の檄が、彼女の心に、最後の火を灯した。
彼女は、残された最後の力を振り絞って、その唇を、開いた。
「―――変神っ!プリズム・チェンジッ!!」
刹那、世界が、闇に染まった。
菖蒲の身体から、漆黒の光の奔流が溢れ出し、プレデターの触手を、内側から弾き飛ばす。
光は、天を突く竜巻となり、死にかけていた森に、絶対的な夜の帳を下ろした。
光の竜巻の中、菖蒲の身体が、ふわりと宙に浮く。
黒装束が光の粒子へと分解され、代わりに、無数の影の糸が、彼女の身体に、新たな戦闘服を編み上げていく。
闇夜に紛れる、漆黒のボディスーツ。関節部には、動きを阻害しない、柔軟な装甲。口元は、黒いマフラーで覆われ、その瞳だけが、暗闇の中で、鋭い決意の光を宿して、爛々と輝いている。
光が収束し、変身を終えた少女が、音もなく、大地に着地する。
そこに、もはや、傷つき、倒れていた忍びの姿はない。
闇を統べ、影を従える、孤高の暗殺者。
「――闇を駆ける刃。シャドウ・ストライダー!」
凛とした声で、彼女は自らの名を告げた。
プレデターが、本能的な恐怖を感じ、後ずさる。
だが、シャドウ・ストライダー――菖蒲は、それを見逃さない。
「…お前の好きにはさせない」
呟きと共に、彼女の身体が、地を蹴る。
それは、もはや人間の俊敏性ではなかった。
闇に溶け込むように、その姿が、完全に消える。
プレデターが、困惑して周囲を見回した、その時。
「―――奥義・分身殺法!」
一体、二体、三体…。
十人以上のシャドウ・ストライダーが、プレデターを取り囲むように、同時に、闇の中から姿を現した。
そして、その全てが、寸分の狂いもなく、同じ軌道で、敵の中心に存在するであろう、『核』へと、小太刀を振り下ろす。
「これで、終わりでござる!」
無数の、黒い斬撃の閃光。
プレデターは、断末魔の叫びを上げる間もなく、その靄の身体を、内側から切り刻まれ、塵となって、風に消えていった。
戦いの、終わり。
分身が、影の中へと消え、残された一体――菖蒲の変身が、ふっと解けた。
力が抜けた彼女の身体が、ぐらりと傾ぐ。
その、か細い身体を、僕は、背後から、そっと、しかし力強く、抱きとめていた。
「…主殿…」
「ああ。見事だったよ、菖蒲君。君は、最高のヒーローだ」
僕の腕の中で、彼女は、安心したように、その身体を預けてくる。
そして、潤んだ瞳で、僕を、見上げてきた。
「主殿…今の、この…胸のドキドキも、あなたの計算のうちで…ござるか…?」
「…ああ、もちろんだとも」
僕は、少しだけ意地悪く、微笑んでみせた。
「戦闘後の急激なアドレナリン分泌による、心拍数の上昇。君の想い人の前で、最高の活躍を見せたことによる、ドーパミンの放出。全て、僕の計算通りだよ」
僕の、科学者としての100点の回答。
それを聞いた菖蒲は、一瞬、きょとんとした後、ぷくーっと、可愛らしく頬を膨らませた。
そして、次の瞬間。
僕の胸に、その顔を、ぎゅっと、うずめてくる。
「…主殿の、いじわる…」
その、か細い声は、僕にしか聞こえなかった。
そして、彼女は、決意を固めたように、顔を上げた。
「主殿! やはり、決めたでござる!」
「何をだい?」
「主殿の護衛は、妻となる、拙者の役目でござる! これから四六時中、主殿の傍を離れず、お仕えいたしまする!」
こうして、プリズム・ナイツに、四人目の、少しだけ勘違いの激しい、だが、誰よりも一途な、黒き刃が加わった。
この新たな出会いが、僕たちの物語を、どんな未来へと導いていくのか。
そして、この猪突猛進な恋する忍者の加入を、リゼットとクラウディアが知った時の、阿鼻叫喚の未来を、この時の僕は、まだ、予想できていなかった。




