東の国から来たニンジャガール!? 主殿、恋の術で拙者を口説き落とすでござる!
王都が偽りの英雄の絶望から解放され、プリズム・ナイツの三色の輝きが本物の希望として人々に認知されてから、数週間が過ぎた。
復興の槌音は日に日に力強さを増し、街には以前にも増して活気のある日常が戻りつつあった。僕、アルト・フォン・レヴィナスと、僕の愛すべきヒロインたちの周りにもまた、騒がしくも温かい、平和な日々が流れていた。
そう、誰もが、このハッピーエンドの続きが、これからもずっと続いていくのだと、信じていたのだ。
空が、その不吉な予兆を告げるまでは。
その夜、僕は一人、王立騎士団養成学院にある工房の屋上で、天体望遠鏡を覗いていた。
カミヤが残した『悪の組織は、一つだけではない』という言葉。そして、王都の方角へと落下してきた、謎の飛翔体。僕の科学者としての本能が、まだ物語は終わっていないと、警鐘を鳴らし続けていたからだ。
「…妙だな」
レンズの向こう、満天の星々が広がる漆黒のキャンバスに、明らかに異質な光が混じり始めていた。
それは、流れ星ではなかった。
赤黒く、まるで血に濡れた涙のように不吉な光を放つ流星群が、断続的に、しかし確実に、この世界へと降り注いでいる。
「未知のエネルギー反応を観測。通常の大気圏突入による熱摩擦とは異なる、固有のスペクトルパターンだ。まるで…星そのものが、断末魔を上げているようだ」
僕が手元のノートパソコンにデータを打ち込みながら呟いた、まさにその時だった。
―――ヴヴヴヴヴッ! ヴヴヴヴヴッ!
工房の階下から、けたたましい警告音が鳴り響いた。
それは、僕が趣味と実益を兼ねて工房の周囲に張り巡らせた、自作の最高レベル警備システムが作動した音。マナ感知センサー、動体探知、熱源探知、エーテル波形分析…その全てを、完璧に欺瞞、あるいは突破した侵入者がいることを示している。
「何者だ…!?」
先のゴーレム襲撃事件以来、セキュリティレベルは最大に引き上げていたはずだ。それをこうも容易く破るなど、常人の仕業ではない。
僕は即座に屋上から飛び降り、壁面に設置したワイヤーアンカーを使って、音もなく工房の窓へと着地した。
息を殺し、工房の内部を窺う。
月明かりが差し込む薄暗い室内の中心に、一つの影があった。
僕の作業机の前に立ち、そこに置かれた『プリズム・チャーム』の設計図を、食い入るように見つめている。
小柄な人影。その全身は、闇に溶け込むような黒装束に包まれている。背中には、一本の小太刀。その佇まいは、訓練された兵士や騎士とは明らかに異質。まるで、影そのものが意思を持って動いているかのような、絶対的な隠密性と、研ぎ澄まされた殺気を放っていた。
「そこまでだ、侵入者」
僕が静かに声をかけると、黒装束の影は、びくりと肩を震わせ、電光石火の速さでこちらを振り向いた。
月明かりに照らされたその素顔を見て、僕はわずかに目を見開く。
そこにいたのは、まだあどけなさの残る、一人の少女だったからだ。
おそらく、僕よりも年下だろう。十四、五歳といったところか。きりりとした眉に、強い意志を宿した大きな黒い瞳。腰まで届く長い黒髪が、一本の太い三つ編みに結われている。
「…何奴!?」
少女は、警戒心も露わに、低い姿勢で小太刀を構えた。その声は、鈴が鳴るように可憐でありながら、鋼のような鋭さも併せ持っている。
「その問いは、そっくりそのまま君に返そう。僕の研究室に無断で侵入し、機密資料を漁るとは、感心しないな」
「…貴様が、この術の創造主、アルト・フォン・レヴィナスか」
「いかにも。それで、東の国から来た忍者さん。僕に何か用かな?」
僕の言葉に、少女――犬神菖蒲は、目に見えて動揺した。
「なっ…なぜ、拙者が東の国の者だと…!?」
「簡単なことだ。君のその小太刀の拵え、足袋の結び方、そして、その口調。それら全てが、この国のものではないことを示している。そして、君の身体能力と隠密技術から導き出される最も合理的な結論は、東の国にのみ存在するとされる、諜報と暗殺の専門家…『忍者』。違うかな?」
僕の冷静な分析に、菖蒲はぐっと唇を噛みしめる。
「…慧眼、お見事。いかにも、拙者は犬神一族の忍、菖蒲。主命により参上した」
「主命?」
「そうだ。貴様の持つその力、【創造変神】…それは、人の世の理を歪める、あまりに危険な術。我が主は、その力を天下を揺るがす災いと断じた。よって、この場でその術の全てを破壊、あるいは…」
菖蒲の瞳が、ギラリと狩人の光を宿す。
「――貴様ごと、強奪させてもらう!」
宣言と同時、菖蒲の身体が、ふっと掻き消えた。
否、消えたのではない。常人には目で追えぬほどの速度で、床を蹴ったのだ。
まさに、縮地の術。
だが、僕の動体予測アルゴリズムは、既に見切っていた。
「甘いな」
僕は、壁際にあるスイッチを、足で軽く蹴る。
刹那、工房の床を、目に見えないほどの速度で、円盤型のドローンが数台、滑走した。
「なっ!?」
天井へと一直線に跳躍した菖蒲の眼前に、ドローンが回り込み、強烈な閃光を放つ。
「ぐっ…!目が…!」
目くらましの術か、と菖蒲が体勢を立て直そうとするが、遅い。
閃光と同時に、ドローンから放たれたのは、指向性の高周波。人間には聞こえないが、内耳を直接揺さぶり、三半規管を狂わせる、僕特製の音響兵器だ。
空中で平衡感覚を失った菖蒲は、為す術もなく、床へと落下する。
だが、そこには既に、僕が起動させた別のトラップが待ち構えていた。
床に仕込まれていたパネルが開き、特殊な粘着ゲルを塗布したネットが、菖蒲の身体を完璧に捕縛する。
「くっ…離せ!これは…蜘蛛の糸の術か!?」
「残念だが、それはただの、高分子化学の応用だよ」
完全に無力化された菖蒲に、僕はゆっくりと歩み寄る。
彼女は、悔しさに顔を歪めながらも、その瞳から闘志を消そうとはしなかった。
「…殺せ」
「断る」
「なぜだ!?拙者は、貴様の術を奪いに来た敵ぞ!ここで拙者を見逃せば、必ずや貴様の災いとなる!それがわからぬほど、愚かではあるまい!」
必死に叫ぶ菖蒲に対し、僕は、心底不思議そうな顔で、首を傾げた。
「殺す?なぜ?君は、僕の研究にとって、何物にも代えがたい、貴重なサンプルだというのに?」
「…さ、さんぷる…?」
僕は、彼女の、常人離れした身体能力に、科学者として、そして、ヒーロープロデューサーとして、最大級の賛辞を送っていた。
「ああ、そうだ!君のその無駄のない身体能力、卓越した隠密技術、そして何より、敵である僕に捕らわれてなお、決して折れることのない、その強い意志!素晴らしい!実に素晴らしい!」
僕は、キラキラした目で、菖蒲に手を差し伸べる。
「ぜひ、僕のヒーロープロデュース計画の、新たな研究サンプルに…いや、仲間になってくれないか!君のその力があれば、僕の『変神』理論は、また新たなステージへと進化できる!共に、世界を救うヒーローを、創ろうじゃないか!」
僕の、純度100%の、科学者としてのスカウト。
だが、その言葉は、犬神菖蒲という、特殊なフィルターを通して、世にも奇妙な形で誤変換されてしまった。
――犬神菖蒲は、混乱していた。
(な、何を言っているのだ、この男は…?)
(けんきゅうさんぷる…?なかま…?)
彼女の頭脳は、この異常事態を理解すべく、必死に回転を始める。
そして、彼女が唯一、頼れる知識の源泉…それは、東の国で任務の合間にこっそりと読みふけっていた、一冊の『恋愛指南書』だった。
その、古びた指南書の、確か、第七章に、こう書かれていたのを、彼女は思い出す。
『――敵対せし男を、あえて甘い言葉で誘い、その心を己がものとする…これぞ、上級者向けの恋の駆け引き、『吊り橋効果』なり』
(そ、そうか…!)
菖蒲の脳内に、稲妻が閃いた。
(この男…アルト・フォン・レヴィナスは、拙者を、ただの敵としてではなく、一人の『女』として見ている…!)
(わざと拙者を捕らえ、絶体絶命の状況に追い込むことで、恐怖とドキドキを混同させ、恋に落とそうという、高等戦術…!)
(そして、この、キラキラした目…!指南書にあった、『男が本気の女に向ける、狩人の眼差し』に、相違ないでござる!)
一人で納得し、一人で顔を真っ赤にする菖蒲。
アルトの、科学者としての純粋な探究心は、彼女の中で、熱烈な恋のアプローチへと、完璧にコンバートされてしまったのだ。
僕が、不思議そうに彼女の顔を覗き込んでいると、菖蒲は、観念したように、ふぅ、と長い息を吐いた。
そして、潤んだ瞳で、僕を、上目遣いに見つめてくる。
「…主殿」
「…あるじどの?」
「お見事でござる。まさか、拙者が、このような高度な『恋の術』にかかってしまうとは…」
「こ、恋の術…?」
僕の困惑をよそに、菖蒲は、もはや敵意など微塵も感じさせない、蕩けるような表情で、こう続けた。
「…完敗でござる。もはや、拙者の心は、完全に、あなたのもの」
彼女は、捕らえられたネットの中で、恭しく、頭を下げた。
「ならば主殿!拙者のこの身、この心、そして、この命!その全てを、あなた様に捧げましょう!今日この時から、拙者は、あなたの刃となり、あなたの盾となり…そして、あなたの…」
そこまで言って、彼女は、もじもじと、頬を染める。
「…あなたの、妻となるべく、誠心誠意、お仕えするでござる!にん!」
「…………はい?」
僕の、間の抜けた声が、静かな工房に、虚しく響いた。
こうして、東の国から来た凄腕の忍者は、僕の科学と、彼女の壮大な勘違いによって、プリズム・ナイツの、四人目の仲間(ただし、本人は嫁のつもり)として、迎え入れられることになった。
僕の、そして、僕の愛するヒロインたちの、ただでさえ騒がしい日常が、さらにカオスなものになることを、この時の僕は、まだ、知る由もなかったのである。
リゼットたちの、新たな恋のライバルに対する、熾烈な迎撃戦の火蓋が切って落とされるまで、あと、ほんの数時間。




