僕を励ませ!暴走お悩み相談選手権
降り続いた雨が嘘のように上がり、朝日が王都を照らし始めた、あの屈辱の公開演習の翌朝。
リゼット、クラウディア、エミリアの三人は、それぞれの部屋で、ほとんど眠れぬまま、重たい身体を起こしていた。心の傷は、まだ生々しく、熱を持っている。
だが、三人の胸に共通して浮かんでいたのは、自分たちのこと以上に、ある一人の人物への、深い憂慮だった。
(アルトは…大丈夫かしら…)
いつも冷静で、どんな時でも最適解を導き出す、我らが天才プロデューサー。
彼は、あの後、一言も、僕たちを責めなかった。ただ、静かに、僕たちのことを見ていただけ。
その、あまりにも静かすぎる横顔が、逆に、三人の胸を締め付けていた。
「よし…!」
最初に動いたのは、やはりリゼットだった。
彼女は、まだ少しだけ赤い目をこすると、パン屋の娘としての本領を発揮すべく、厨房へと向かった。
「アルトが落ち込んでる時こそ、私の出番なんだから!とびっきり美味しい朝食で、元気にしてあげなくっちゃ!」
その頃、クラウディアとエミリアも、示し合わせたかのように、僕の工房の前に集まっていた。
三人は顔を見合わせ、一つ頷くと、代表してリゼットが、そっと扉をノックする。
「アルトー?朝よー。入るわね?」
返事はない。まあ、いつものことだ。
だが、扉を開けた三人が目にしたのは、いつもの、研究に没頭して徹夜した、彼の姿ではなかった。
工房の主、アルト・フォン・レヴィナスは、机に突っ伏すようにして、ぐったりと椅子に座り込んでいた。
目の前には、手付かずの夕食と、冷めきった紅茶。ノートパソコンのモニターは、無機質な戦闘データを映し出しているだけ。
そして、何よりも異常だったのは、彼の顔だった。
目の下には、これまで見たこともないほど深い隈が刻まれ、その瞳からは、いつも宿っているはずの、知的な光が、完全に消え失せていた。まるで、魂が抜け落ちた、抜け殻のようだった。
「アルト…?」
リゼットが、おそるおそる彼の頬に触れる。その時、彼女は見てしまった。
彼の頬に、乾いた、一筋の涙の跡が、くっきりと残っているのを。
――アルトが、泣いた?
あの、どんな時でも冷静で、僕たちの前では決して弱さを見せなかった、アルトが?
その衝撃的な事実は、雷となって三人のヒロインの脳天を直撃した。
自分たちが落ち込んでいる場合ではなかった。
事態は、彼女たちの想像を、はるかに超えて、深刻だったのだ。
「ど、どうしよう…アルトが、私たちのせいで…!」
「わ、わたくしたちが、負けてしまったから…!」
「落ち着きなさい、二人とも!…だが、これは、緊急事態レベルAね…!」
三人は、そっと工房の扉を閉めると、廊下で緊急作戦会議を開始した。議題は、もちろん一つ。
『我らがプロデューサー、アルト・フォン・レヴィナスを、いかにして絶望の淵から救い出すか』である。
「と、とにかく、何か甘いものを食べさせれば、元気になるんじゃないかしら!?」
「短絡的ね。精神的ショックは、糖分の摂取だけでは回復しないわ。ここは、身体を動かして、強制的に気分をリフレッシュさせるべきよ!」
「お二人とも、落ち着いてくださいです…。アルトさんはきっと、お辛い気持ちを、誰かに聞いてほしいのかもしれません…」
三者三様の、善意に満ちた意見。
だが、今の彼女たちには、致命的に欠けているものがあった。
それは、『冷静さ』と、そして、『客観性』だった。
かくして、アルト・フォン・レヴィナスの、人生で最も過酷で、最も長い一日が、幕を開けた。
題して、『第一回・私こそがアルト様を救う!暴走お悩み相談選手権』の、ここに、堂々たる開幕である!
◇
【ラウンド1:リゼットプレゼンツ・糖分過剰摂取による強制元気注入療法】
「アルトー!落ち込んでる時は、甘いものに限るわ!はい、あーん!」
僕の意識が覚醒したのと、口の中に、問答無用でイチゴのショートケーキが突っ込まれたのは、ほぼ同時だった。
目の前には、エプロン姿で満面の笑みを浮かべるリゼットと、机の上に所狭しと並べられた、おびただしい数のケーキ、クッキー、パイ、マカロン、エクレア…。
ここは、お菓子の国だっただろうか。
「ど、どうしたんだ、リゼット…これは…」
「いいから、いいから!黙って食べて!私が、アルトのために、一晩中かけて作ったんだから!これを全部食べ終わる頃には、嫌なことなんて、全部忘れちゃってるはずよ!」
彼女は、有無を言わさぬ勢いで、次から次へと僕の口にスイーツを運び込んでくる。
思考能力が低下している僕の脳は、それを拒否するという選択肢を導き出せない。
ただ、家畜のように、与えられるがままに、甘い暴力(という名の愛情)を受け入れ続ける。
(甘い…頭が、クラクラする…)
(だが…彼女は、僕のために…)
朦朧とする意識の中、僕の身体は、本能的に、限界を訴え始めていた。
◇
【ラウンド2:クラウディアプレゼンツ・筋繊維破壊による精神浄化トレーニング】
「そこまでよ、ブラウン嬢!そのやり方は非効率的極まりないわ!」
僕が、致死量の生クリームによって意識を失いかける、その寸前。
救いの女神(ただし、スパルタ教官の姿をしている)が、工房の扉を蹴破って現れた。
クラウディア・フォン・ヴァレンシュタイン、その人である。
「レヴィナス!感傷に浸っている暇があるなら、身体を動かせ!肉体の限界を超えることでしか、精神の壁は打ち破れない!さあ、行くわよ!」
彼女は、砂糖でべとべとになった僕の手を掴むと、半ば引きずるようにして、学院の練兵場へと連行した。
そして、僕の手に、木剣を握らせる。
「まずは、素振り千本から!邪念を振り払うように、一振り一振りに魂を込めなさい!」
「む、無理だ…僕にそんな体力が…」
「言い訳は無用!ヒーローとは、己の限界を常に超えていくものでしょう!?」
彼女の瞳は、本気だった。
僕がヒーローを愛していることを知っているからこその、彼女なりの、最大級の叱咤激励。
その想いを、無下には、できなかった。
僕は、ふらつく足で立ち、生まれて初めて、木剣を振るう。
一振り、また一振り。
腕が、鉛のように重い。
だが、クラウディアは、容赦なく檄を飛ばし続ける。
「声が小さい!」「腰が入っていないわ!」「そんな貧弱な精神で、どうして仲間を守れるというの!」
(き、厳しい…)
(だが…彼女も、僕のために…)
限界を超えた肉体疲労と、リゼットによる糖分攻撃の副作用で、僕の視界は、星が飛んでいた。
まさに、身も心も、ボロボロだった。
◇
【ラウンド3:エミリアプレゼンツ・終わりなき懺悔と慈愛のオールナイト・ヒアリング】
僕が、練兵場の片隅で、生まれたての小鹿のように崩れ落ちていた、その時。
そっと、僕の肩に、温かいショールがかけられた。
振り返ると、そこには、心配そうに僕の顔を覗き込む、エミリアさんの姿があった。
「アルトさん…お辛そうですね…。よろしければ、教会へ参りませんか?」
彼女の、聖母のような微笑み。
それは、今の僕にとって、砂漠の中のオアシスのように見えた。
「きっと、アルトさんの中には、たくさんの、言葉にできない想いが溜まっているのだと思います。神様の前で、その全てを告白すれば、きっと、心が軽くなりますです」
僕は、その優しい誘いに、抗うことができなかった。
静かな教会で、少しだけ、休ませてもらおう。
そんな、淡い期待を抱いて。
――だが、それは、致命的な判断ミスだった。
礼拝堂の、告解室。
狭く、薄暗い、その空間で、僕とエミリアさんは、小さな仕切りを挟んで、向かい合っていた。
「さあ、アルトさん。あなたの心の罪を、全て、お話しください。わたくしが、一晩中でも、お聞きしますから」
真剣な、慈愛に満ちた瞳。
彼女は、本気だった。
僕が、何か、とてつもない『罪』を犯したと、信じて疑っていない。
(罪…僕の罪とは、一体…)
(いや、そもそも、これはそういう場ではないはずだ…)
だが、僕の疲労しきった脳は、的確な反論の言葉を紡ぎ出すことができない。
そして、僕の沈黙を、彼女は、深い苦悩と受け取ったらしかった。
「大丈夫です、アルトさん。焦らなくても。わたくし、いつまででも、待っていますから」
かくして、僕の、人生で最も長く、最も気まずい夜が、始まった。
沈黙。
ひたすらの、沈黙。
時折、エミリアさんの「神は、あなたを赦したもう…」という、優しい呟きだけが、静寂を破る。
僕は、ただ、彼女の善意という名の拷問を、夜が明けるまで、受け入れ続けるしかなかった。
◇
翌朝。
糖分と、筋肉痛と、寝不足と、そして、謎の罪悪感。
あらゆる負のステータス異常を抱え、ゾンビのような足取りで、僕は自室の工房へと帰還した。
そこには、三人のヒロインが、心配そうな顔で、僕を待っていた。
「「「アルト(様)!」」」
三人が、僕の姿を見るなり、駆け寄ってくる。
そして、その顔を見て、絶句した。
隈はさらに深くなり、顔色は土気色。その消耗しきった姿は、昨日よりも、明らかに、悪化していた。
「ご、ごめんなさい!私のせいで…!」
「いえ、私のせいですわ…!」
「わ、わたくしの…!」
僕の、やつれきった姿を見た三人は、ようやく、自分たちの暴走に、気づいたらしかった。
だが、次の瞬間。
彼女たちの頭上で、何かが、カチリと、噛み合った。
「…そうか!」とリゼットが叫ぶ。
「私たちがメソメソしてたから、アルト様を心配させて、疲れさせてしまったんだわ!」
「ええ、そうに違いないわ!」とクラウディアが頷く。
「私たちが、しっかりしなくてどうするの!」
「そうです!わたくしたちが、アルトさんを、お支えしないと!」とエミリアが目を輝かせる。
謎の結束。
そして、謎の自己完結。
僕の疲労と心労は、一切、考慮されていない。
僕が、何か言う前に、三人は力強く頷き合うと、僕に向き直り、高らかに宣言した。
「「「見ていてください、アルト(様)!私たちが、必ず、あの偽物ヒーローを倒してみせますから!」」」
(……)
僕は、もはや、ツッコミを入れる気力もなかった。
ただ、首をかしげながら、ぼんやりと、思考する。
(僕の疲労を触媒に、チームの結束が、強固になった…?)
(…興味深い、化学反応だ…)
だが、その思考の片隅で、僕は、確かに、結論を導き出していた。
偽ヒーロー、ゴールデン・ジャスティス。その戦術、その装備、そして、その行動理念の、決定的な『弱点』を。
僕の反撃は、ここからだ。
そう心に誓いながら、僕は、三人のヒロインたちの、頼もしい(?)背中を、見つめていた。
そして、意識が、ぷつりと、途切れた。
僕の長い一日は、ようやく、終わりを告げたのだった。




