変神ヒーリング・エンジェル!その愛は世界を癒す
僕がエミリアさんの心の『デバッグ』を宣言し、彼女がその震える手で僕の手を握り返した、まさにその時だった。
森の空気が、再び変質した。
今度は、生命力が失われるような、静かな『死』の気配ではない。
明確な、どす黒い『悪意』と『飢餓感』。まるで、森全体が巨大な一つの捕食者となり、僕たちに牙を剥こうとしているかのような、圧倒的なプレッシャーだった。
「…来るわ!」
クラウディアが、いち早く腰の剣を抜き放つ。リゼットも、僕を庇うように一歩前に出た。
泉の水面が、不気味に泡立ち始める。
ゴポゴポという音と共に、水底からゆっくりと、泥と枯れ葉をまとった巨大な影が姿を現した。
それは、特定の形を持たない、不定形の怪物だった。
鹿の角、熊の爪、蛇の鱗。森で命を落とした獣たちの、怨念と苦痛だけを寄せ集めて固めたような、冒涜的な姿。その身体の中心で、無数の赤い瞳が、憎悪の光を宿してぎらついている。
「な、なにあれ…っ!」
「魔獣…!だが、これほどの邪気を放つ個体は、見たことがない…!」
リゼットとクラウディアが歴戦の戦士の顔で臨戦態勢に入る。
だが僕は、目の前の脅威と、隣で再び恐怖に震え始めたエミリアさん、そして僕の頭脳に閃いた新装備の設計図を天秤にかけ、即座に結論を下した。
「二人とも、戦闘準備を解除しろ。撤退する」
「はあ!?アルト、あんた何言って…!」
「レヴィナス、正気?目の前の脅威を放置しろと?」
食って掛かる二人を、僕は冷静に制する。
「ヒーローとは、ただ勇気だけで戦う者ではない。知恵と戦略を駆使し、万全の準備をもって勝利する者のことだ。今の我々に、この敵を完全に無力化する『装備』が足りていない。違うか?」
僕の言葉に、二人はぐっと押し黙る。確かに、先程までの調査で、通常の攻撃が通用しない可能性は示唆されていた。
「エミリアさんを、彼女の教会まで送り届ける。そして、僕は学院に戻り、彼女専用の『デバッガー』…すなわち、新しいプリズム・チャームを完成させる。いいな?」
僕の目は、プロデューサーとして、ヒーローの演出家として、完璧な勝利の脚本をすでに見据えていた。反論は、認めない。
◇
数日後。王都の騎士団養成学院にある僕の工房は、戦場と化していた。
床には、計算式が殴り書きされた羊皮紙が散乱し、机の上には、用途不明の機械部品とエナジードリンクの空き瓶が林立している。
「アルト、はい、サンドイッチ!少しは寝ないと、今度はアルトが倒れちゃうわよ!」
「ふむ、ありがとうリゼット。だが、睡眠による記憶の定着よりも、今はアドレナリンによる覚醒状態の維持を優先すべき局面でな…もぐもぐ…この層状構造、完璧だ」
リゼットが甲斐甲斐しく差し入れてくれる食料だけが、僕の生命線だった。
工房の隅では、クラウディアが腕を組んで、心配そうな、しかし素直になれない表情でこちらを睨んでいる。
「…それで、例の『装備』とやらは、いつ完成するのかしら。非論理的な精神論で、本当にあの怪物をどうにかできるとは思えないのだけれど」
「ふふふ、見ていたまえ、ヴァレンシュタイン。僕の科学と、エミリアさんの優しさという名の奇跡が融合した時、どんな化学反応が起きるのかを。もうすぐだ…最後の回路を接続すれば…!」
僕はピンセットを手に、極小の魔法回路を慎重に組み上げていく。そして、最後の接続を終えた、その瞬間。
僕の手の中にあった銀色の塊が、まばゆい光を放った。
光が収まった後、そこに現れたのは、白を基調とし、エミリアさんの瞳と同じ、優しい翠色の魔法石がはめ込まれた、美しいブレスレットだった。
「完成だ…!『プリズム・チャーム・エンジェリックモデル』!被験者の精神エネルギー…特に『慈愛』の感情に特化して魔力変換効率を最大化させ、トラウマによる出力の不安定化を抑制する、新型スタビライザーを搭載した、僕の自信作だ!」
寝不足のテンションで高らかに叫ぶ僕に、リゼットとクラウディアは、呆れたような、でもどこか安堵したような、複雑な表情を浮かべるのだった。
◇
そして、決戦の朝。
僕たちは再び、『嘆きの森』へと足を踏み入れた。
エミリアさんは、僕が差し出した新しいプリズム・チャームを、祈るように両手で握りしめている。
「わたくしに…本当に、できるでしょうか…」
「大丈夫。君は、君の優しさを信じればいい。そして何より、この僕の計算を信じろ」
僕が不敵に笑いかけると、彼女は不安げながらも、こくりと頷いた。
森の奥、あの泉へとたどり着くと、待ち構えていたかのように、泥の巨人が再びその姿を現す。数日前よりも、さらにその憎悪と邪気を増しているように見えた。僕たちの再訪を、飢えた獣のように待ち望んでいたのだろう。
「解説はいいから、どうにかしなさいよ、プロデューサー!」
「ええい、話は後だ!リゼット、行くわよ!」
クラウディアの号令を待たず、リゼットはすでに駆け出していた。
「エミリアさんとアルトには、指一本触れさせないんだから!――変神っ!プリズム・チェンジッ!!」
紅蓮の光がリゼットの身体を包み込み、炎の魔法戦士『セーラー・フレア』へと姿を変える 。
「ヴァレンシュタインも続け!フォーメーションB-2!短期決戦で決めるぞ!」
「言われずとも!――変神っ!プリズム・チェンジッ!!」
蒼い光が迸り、誇り高き氷の騎士『ナイト・ブリザード』が顕現する 。
炎と氷、二人の魔法戦士が、絶望の化身へと同時に切りかかった。
「フレア・ナックル!」
「ブリザード・ブレード!」
炎の拳が怪物の右腕を焼き、氷の剣がその左腕を凍てつかせる。
だが、怪物は怯まない。赤い瞳が、二人を嘲笑うかのように細められる。
次の瞬間、砕かれたはずの両腕は、周囲の泥や枯れ木を吸収し、瞬時に再生してしまった。
「なっ…やっぱり、物理攻撃じゃ…!」
「まずい、私たちの闘争心そのものが、奴の餌になっている…!」
クラウディアの分析通り、戦いは悪循環に陥っていた。攻撃すればするほど、彼女たちの闘志が、敵をさらに強くしてしまうのだ。
そしてついに、再生を繰り返して巨大化した怪物の爪が、セーラー・フレアとナイト・ブリザードを薙ぎ払い、二人の変神を強制的に解除させてしまった 。
「リゼット!」「クラウディアさん!」
地面に倒れ伏す二人の姿を見て、エミリアの顔が絶望に染まる。
(いや…いやです…!また、わたくしのせいで…わたくしが来たから、この人たちが傷つくんだ…!)
彼女の心に、あの忌まわしいトラウマが、過去の『バグ』が、再び鎌首をもたげた。
その絶望に呼応するように、怪物の身体が、さらに一回り膨れ上がる。
(ああ、やっぱり、わたくしは、呪われているんだ…)
諦めが、彼女の心を支配しかけた、その時。
「下を向くな、エミリアさん!」
僕の檄が、森に響き渡った。
「これは、過去の繰り返しじゃない!君の優しさは、呪いじゃない!君のトラウマは、バグなんかじゃない!それすらも乗り越えて、君がヒーローになるための、最後の試練だ!」
僕は叫ぶ。
「君の力を信じろ!僕の計算を信じろ!そして、君を守るために戦ってくれた、仲間たちの想いを信じろ!」
僕の言葉に、エミリアの肩が、びくりと震えた。
彼女は、ゆっくりと、僕から託されたプリズム・チャームを見つめる 。
目の前には、勝ち誇ったように咆哮を上げる、絶望の化身。
背後には、自分を信じてくれる、温かい声。
そして、傷つきながらも、自分を案ずるように見つめてくれる、優しい仲間たち。
「――もう、誰も傷つけさせませんっ!!」
恐怖を振り絞って上げた、魂の叫び。
それが、奇跡のトリガーだった。
「変神っ!――プリズム・チェンジッ!!」
刹那、世界が、優しい光に満たされた。
エミリアの腕にはめられたプリズム・チャームから、翠色の光の奔流が溢れ出し、天を突く光の柱となる。それは、リゼットの炎のように激しくなく、クラウディアの氷のように鋭くもない。ただ、どこまでも温かく、すべてを包み込むような、慈愛の光だった。
光の繭の中で、エミリアの身体がふわりと宙に浮く。
修道服が光の粒子へと分解され、純白の光が彼女の身体を優しく包み込む。
まず、光の糸が織り上げられていくのは、天使の羽衣を思わせる、純白のドレス。胸元には、新緑の若葉のような、翠色の大きなリボンが結ばれる。背中からは、光で編まれた六枚の翼が、荘厳に広げられた。
その瞳に宿るのは、もはや恐怖の色ではない。すべてを赦し、受け入れる、聖母の慈愛そのものだった。
やがて光が収束し、変神を終えた少女が、翠色の光の粒子を振りまきながら、静かに大地に降り立つ。
「――癒やしの魔法戦士。ヒーリング・エンジェル!」
凛とした、しかしどこまでも優しい声で、彼女は自らの名を告げた。
その姿は、悪と戦う戦士というよりは、迷える子羊を導く、天からの御使いだった。
怪物は、その神聖な存在に本能的な恐怖を感じたのか、憎悪をむき出しにして襲いかかる。
しかし、ヒーリング・エンジェル――エミリアは、もう何も恐れなかった。
彼女は、静かに胸の前で手を組み、祈りを捧げるように、目を閉じた。
「あなたを傷つけはしません」
彼女の唇から、歌うような声が紡がれる。
「ただ、どうか、その苦しみから解放されますように。あなたの魂に、安らぎの光が満ちますように――」
彼女の身体から、温かい翠色の光が、津波のように溢れ出した。
それは、攻撃的なエネルギーではない。純度100%の、慈愛と癒やしの波動。
キィィィィィ――!?
光を浴びた怪物は、断末魔の叫びを上げる。
だが、それは苦痛の叫びではなかった。
憎悪に染まっていた無数の赤い瞳から、黒い涙のようなものが流れ落ち、その色が、少しずつ、穏やかなものへと変わっていく。
寄せ集めだった獣たちの怨念が、一つ、また一つと浄化され、天へと還っていくのが見えた 。
負の感情を餌とする怪物にとって、この純粋すぎる正のエネルギーは、猛毒以外の何物でもなかったのだ。
やがて、怪物の巨大な身体は、その輪郭を保てなくなり、キラキラと輝く光の粒子となって、風に溶けていく。
後には、一匹の傷ついた子鹿が、安らかな寝息を立てて眠っているだけだった。
戦いは、終わった。
敵を滅ぼすのではなく、その邪悪な心を、愛で浄化する 。
まさに、僕が夢見た、ヒーローの戦い方だった。
森に、朝日が差し込む。
呪いが解けた木々は、再び生命力を取り戻し、若葉色の輝きを放ち始めていた。
ヒーリング・エンジェルの変神が解け、元の姿に戻ったエミリアが、膝から崩れ落ちる。その身体を、僕は咄嗟に抱きとめていた。
「アルト…さん…わたくし…できました…」
「ああ、見事だった。君は、最高のヒーローだよ」
僕の腕の中で、安堵したように微笑むエミリア。
その光景を、傷だらけのリゼットとクラウディアが、なんとも言えない表情で見つめている。
…どうやら、次の研究テーマは、「戦い終わった後のヒロインたちの心理的葛藤と、プロデューサーとの物理的距離の相関関係」になりそうだ。
僕の、そして僕たちの戦いは、まだ始まったばかりである。




