呪いの森と、祈りの天然ドジっ子
王都騎士団養成学院に、かのゴーレム襲撃事件以来の、奇妙な平穏が訪れて数週間。
俺、もとい僕、アルト・フォン・レヴィナスは、新たなる研究テーマ――すなわち、二人の変神ヒロイン、セーラー・フレアことリゼットと、ナイト・ブリザードことクラウディアの戦闘後におけるアドレナリン分泌量と精神高揚の相関関係――についてのレポート作成に追われていた。
「アルト、はい、お紅茶。少し煮詰まっているみたいだから、気分転換しましょ」
「ふむ、ありがとうリゼット。確かに、カフェインによる脳神経伝達物質の活性化は、思考のブレイクスルーを促す可能性があるな」
僕の秘密の工房と化した学院の一室で、リゼットが淹れてくれた紅茶の香りがふわりと広がる。まったく、彼女の世話焼きスキルは日に日に向上している。高性能なパーソナルアシスタントどころか、もはや僕の生命維持装置と言っても過言ではない。
そこへ、部屋の扉がノックもなしに勢いよく開かれた。
「レヴィナス!あなたに頼みたいことがあるわ。例の事件の報告書、論理的な矛盾点が散見されるのだけれど、あなたの見解を聞かせなさい」
氷のように透き通る銀髪を揺らし、腕を組んで入室してきたのは、クラウディア・フォン・ヴァレンシュタインその人だ。変神して以来、彼女は何かと理由をつけては僕の研究室に入り浸るようになっていた。
「クラウディアさん。ノックという文化をご存知ですか?それと、僕のレポートは完璧なはずだが」
「あら、アルトは私が来るのがわかってたから、鍵を開けてたんでしょ?ねぇ?」
「いいえ、あなたのその非論理的な行動パターンを私が予測できるはずがないわ。そもそも、なぜあなたが当然のように彼のお茶を淹れているのかしら、ブラウン嬢」
「それは私がアルトの幼馴染で、一番の理解者だからに決まってるじゃない!ねぇ、アルト!」
始まった。アルト(僕)の隣の席は誰のものか、という議題から派生した、日常的な小競り合いである。炎の独占欲と氷のプライドが、僕という触媒を介して激しい化学反応を起こしている。実に興味深い現象だ。
コンコンッ、と今度は丁寧なノックが響き、一人の教官が顔を覗かせた。
「おお、レヴィナス君。それにブラウン君とヴァレンシュタイン嬢もいるか。ちょうどよかった。君たちに特務指令だ」
教官が広げた地図が示すのは、王都の南方に広がる広大な森林地帯だった。
「『嘆きの森』…ですか?」
「うむ。古くから、森に入った者の生命力が吸い取られるという言い伝えがある場所でな。ここ数ヶ月、その現象が活発化しており、森の動植物が急速に枯死しているという報告があった。先のゴーレム事件を起こした組織…『虚構の楽園』の関与も疑われていてな。君たち『プリズム・ナイツ』に、その調査を依頼したい」
プリズム・ナイツ。いつの間にか、僕たちがそう呼ばれているらしい。僕が考えたチーム名ではないが、まあ悪くない響きだ。
「生命エネルギーの吸引…か。未知のエネルギー吸収特性を持つ魔力場、あるいは生態系の可能性もあるな。ふむ、俄然、興味が湧いてきた」
僕の科学者としての探究心に、火が点く音がした。
◇
翌日、僕たち三人は、その『嘆きの森』の入り口に立っていた。
馬車を降りた瞬間から、空気が違う。物理的に温度が低いというわけではない。生命活動そのものが希薄なのだ。鳥のさえずりも、虫の羽音も聞こえない。風が木々を揺らす音すら、まるで骸骨が軋むような不気味な響きを伴っていた。
「な、なんだか…気持ち悪いわね…」
リゼットが不安げに僕の腕にぎゅっとしがみつく。その柔らかい感触にドキリとする…暇もなく、僕は携帯型の魔力測定器の数値を読み取っていた。
「マナ濃度は正常値だ。だが、生命活動に由来する微弱なエーテル波がほとんど観測できない。まるで、この一帯だけ時間が止まっているようだ」
「非科学的な物言いをすれば、『死んでいる』ということかしらね」
クラウディアが、警戒しながら腰の剣の柄に手をかける。
森に一歩足を踏み入れると、その異常さはさらに際立った。木々は生気を失って灰色にくすみ、地面に茂るはずの下草は枯れて土が剥き出しになっている。まるで色を失った水墨画の世界に迷い込んだかのようだ。
「アルト、本当に大丈夫なの…?なんだか、身体が重いような…」
「プラシーボ効果の可能性が高いが、油断は禁物だ。各自、バイタルデータは常に共有するように」
僕が開発した通信機能付きのイヤリングに指示を出す。リゼットとクラウディアの心拍数や魔力残量が、僕の視界の隅に投影されたグラス型デバイスに表示される。うん、二人とも正常値だ。
調査を進めること、およそ一時間。
森の深部へと進むにつれて、枯れた景色の中に、ほんのわずかな『違和感』が混じり始めていることに、僕は気づいた。
「…妙だな」
「何がよ、レヴィナス」
「見てみろ。あのキノコ。周囲の植物は枯死しているのに、あれだけが不自然なほど鮮やかな色を保っている」
僕が指差した先には、毒々しい紫色の斑点を持つキノコが群生していた。
僕は迷わずその一つを採取し、携帯顕微鏡で胞子を観察し始める。
「アルトったら!毒があったらどうするのよ!」
「大丈夫だ、リゼット。僕の知識によれば、このタイプの色彩を持つ菌類は、強力な幻覚作用を持つ代わりに、直接的な毒性は低いはずだ。それよりも興味深いのは…この胞子の構造だ。通常の菌類には見られない、極めて規則的な幾何学構造を持っている。まるで、人工的に設計されたかのように…」
「きゃっ!」
僕が分析に没頭していると、リゼ...ではなく、クラウディアの短い悲鳴が上がった。
見れば、彼女の足元の地面が陥没し、腰までが枯れ葉の吹き溜まりに埋まってしまっている。
「くっ…油断したわ…!ただの沼…じゃない!?」
クラウディアが脱出しようともがくが、底なし沼のように身体が沈んでいく。
「クラウディアさん!」
リゼットが慌てて手を差し伸べようとするが、それより早く、僕は近くに生えていた丈夫そうな蔦を切り取り、即席のロープを作って投げ渡した。
「掴まれ、ヴァレンシュタイン!ここは地盤そのもののマナ構造が不安定になっている!下手に動けば、さらに崩落を誘発するぞ!」
「わ、わかっているわよ!あなたに言われなくても…!」
憎まれ口を叩きながらも、クラウディアは素直に蔦を掴む。僕とリゼットの二人で力を込めて引き上げると、彼女の身体はずるりと沼から引き抜かれた。騎士服は泥だらけだ。
「…助かったわ。礼を言う」
「どういたしまして。だが、君ほどの騎士が、これほど単純な罠にかかるとはな。この森は、人間の五感や危機察知能力そのものを鈍らせる効果があるのかもしれない」
僕の冷静な分析に、クラウディアは顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「…うるさいわね!少し考え事をしていただけよ!」
ふん、と鼻を鳴らす彼女の頬が、ほんのり赤く染まっているのを、この時の僕はまだ、単なる血行促進による生理現象としか認識していなかった。
そんな、一触即発(?)の空気を切り裂いたのは、森のさらに奥から微かに聞こえてきた、澄んだ声だった。
『――おお、慈悲深き光の神よ。どうか、この傷つきし小さき命に、御身の癒しを…』
それは、か細く、しかし凛とした、祈りの声だった。
僕たちは顔を見合わせ、音のする方へと、息を潜めて歩を進める。
やがて視界が開け、森の中とは思えない、小さな泉のある空間に出た。
泉のほとり。そこに、一人の少女が跪いていた。
神殿に仕えるシスターが着るような、簡素だが清潔な修道服。蜂蜜色のふわふわした髪が、木漏れ日を浴びてキラキラと輝いている。彼女は、その腕に傷ついた一羽の小鳥を抱き、目を閉じて敬虔な祈りを捧げていた。
その姿は、まるで一枚の聖画のようだ。
俗世の汚れを知らぬ、無垢な聖女。そんな言葉が、自然と頭に浮かんだ。
彼女の身体から、温かく、そして優しい翠色の魔力が、柔らかな光となって溢れ出し、腕の中の小鳥を包み込んでいく。すると、翼の傷がみるみるうちに塞がっていくではないか。
「治癒魔法…?いや、神聖術の類か。あれほどの純度の魔力を、詠唱もなしに行使するとは…」
僕が感嘆の声を漏らした、その時だった。
癒やし終えた小鳥を、彼女は優しく空へと放してやる。
元気に飛び立っていくその姿を、聖母のような微笑みで見送った彼女は、満足げに立ち上がり、くるりとこちらへ向き直…ろうとして。
すてんっ!
何もないはずの、苔むした地面に、見事に足を取られた。
「あ、あらら…!?」
蜂蜜色の髪が、ふわりと宙を舞う。
僕たちの目の前で、彼女は信じられないほど綺麗な放物線を描いて一回転し、まるで計算され尽くしたかのように、泉のほとりの泥濘へと、顔面からダイブしたのである。
………。
………しーん。
僕も、リゼットも、クラウディアも、言葉を失ってその光景を見つめていた。
数秒の静寂の後、泥の中から、もぞもぞと少女が顔を上げる。その顔は、聖女の面影など微塵もない、完全な泥パック状態だった。
「あぅ…またやってしまいましたです…」
か細く、情けない声が森に響く。
――これが、僕と、三人目のヒロイン『エミリア・シフォン』との、運命の出会いであった。
◇
「だ、大丈夫ですか!?」
我に返ったリゼットが、慌てて彼女に駆け寄ってハンカチを差し出す。
「は、はい…ありがとうございますです…。わたくし、これには慣れておりますので…」
エミリアと名乗ったそのシスター見習いは、申し訳なさそうに泥を拭いながら、おっとりとした口調で自己紹介を始めた。
この森の近くの教会に所属しており、森の動植物たちが苦しんでいるのを見かねて、一人で癒しの祈りを捧げに来ているのだという。
「一人でこんな危険な森に…!?無茶よ!」
「そうですよ!何かあってからでは遅いんですから!」
リゼットとクラウディアが揃って彼女の無謀さを咎める。その言葉には、純粋な心配の色が滲んでいた。
「ご、ごめんなさいです…。でも、放っておけなくて…。わたくしにできるのは、こうして祈ることくらいですから…」
しゅん、と項垂れるエミリア。その姿は、庇護欲を猛烈に掻き立てる、小動物のそれだった。
だが、僕の視点は、全く別の角度からこの現象を捉えていた。
(興味深い…)
僕の頭脳は、今、目の前で起こった一連の事象を、超高速で分析・再構築していた。
(先程の転倒シークエンス…一見すると、ただのドジに見える。だが、そのプロセスは驚異的だ。躓いてから着地するまで、およそ1.7秒。その間に彼女は空中で一回転し、身体の捻りを加えることで衝撃エネルギーを回転運動に変換、さらに着地地点を最も衝撃吸収率の高い泥濘に設定することで、身体へのダメージをほぼゼロに抑えている…!)
これは、ただの偶然ではありえない。
無意識下で行われる、極めて高度な受動的防御行動だ。
(そして、あの動き!予測不能な三次元的機動!通常の戦闘アルゴリズムは、敵の次の行動を予測し、最適解を導き出す。だが、彼女の動きには、その前提となる『論理』が存在しない!あれは、敵の未来予測AIや、熟練した戦士の直感すらも欺瞞できる、最高の撹乱パラメータになりうる!)
間違いない。
彼女のその『ドジっ子』という特性は、戦闘において、とんでもないアドバンテージとなりうる、天賦の才能なのだ!
僕の脳内に、新たな数式が閃光のように迸る。
【エミリアのドジ(物理法則を無視した予測不能な機動)】+【僕の創造変神システム(彼女の聖なる力を増幅・安定化)】=【???】
導き出される答えは、未知数。
だが、それがとてつもなくエキサイティングなものであることだけは、確信できた。
「……様?アルト様?」
「アルトったら、また変な顔して固まってるわよ…」
気づけば、リゼットとクラウディアが、呆れたような顔で僕の顔を覗き込んでいた。
僕は、そんな二人には目もくれず、泥だらけのシスター見習い――エミリアへと向き直る。
そして、科学者が未知の鉱石を発見した時のような、最高に輝かしい笑顔で、彼女に手を差し伸べた。
「エミリアさん、と言ったかな」
「は、はいです…?」
「君は、素晴らしい才能の持ち主だ。いや、君自身が、奇跡の結晶と言ってもいい!ぜひ、僕の研究に協力してほしい!」
僕の突拍子もない申し出に、エミリアは「へ?」と間の抜けた声を漏らし、ただ目をぱちくりさせるだけだった。
その背後で、リゼットの「アルトの悪い癖が始まったわ…」という深いため息と、クラウディアの「また非論理的なことを…」という冷ややかな呟きが聞こえた気がしたが、今の僕の耳には届いていなかった。
僕の新たなプロデュース計画が、今、ここに始動したのだ。
だが、この時の僕はまだ知らなかった。
彼女のそのドジっ子属性が、彼女自身の心にかけられた、深い『呪い』の副作用であるということを。
そして、森の奥深く。
僕たちのそんな出会いを、嘲笑うかのような邪悪な気配が、その濃度をさらに増していることにも、まだ、誰も気づいてはいなかった。




