転生したら科学と魔法がマリアージュしていた件
レヴィナス領は、王都から馬車で数日揺られた先にある、のどかな田舎領地だ。どこまでも広がる麦畑が風に揺れ、穏やかな領民たちの笑い声が響く。そんな平和な領地を治めるレヴィナス男爵の嫡男、アルト・フォン・レヴィナス（15歳）は、領民たちの自慢の若様だった 。
さらりとした黒髪に、穏やかな黒い瞳 。貴族らしい品行方正な立ち居振る舞いと、誰にでも分け隔てなく接する丁寧な物腰。将来は父の跡を継ぎ、立派な領主になるだろうと誰もが信じて疑わなかった。
――昼間の彼を知る人間は、だが。
「うーん、やはりマナ粒子の定着率が低いな…。コンデンサの容量を増やすべきか、それとも魔法陣の幾何学構造から見直すべきか…」
領主の館の裏手、今は使われていない古い天文台。そこが、アルトの本当の城であり、秘密の実験室だった。
床には、複雑怪奇な魔法陣がチョークで描かれ、そのすぐ隣には前世（地球）から持ち込んだ知識の塊であるノートパソコンが鎮座している。壁際には、錬金術師が使うような怪しげな薬瓶と、電子部品が詰め込まれた半田ごてのツールボックスが仲良く並ぶ。
そう、この工房は、剣と魔法のファンタジーと、科学技術のリアリズムが、鍋の中でごちゃ混ぜになったようなカオスな空間なのだ 。
「やっぱりここにいた！アルトったら！」
そんな神聖な研究空間に、ガタンと音を立てて遠慮なく踏み込んできた少女が一人。元気な栗色のポニーテールを揺らし、少し呆れたような、でも心配そうな顔で腕を組んでいる 。
アルトの幼馴染にして、お世話焼き担当。パン屋の看板娘、リゼット・ブラウンだ 。
「リゼット。来てくれたのかい」
「来てくれたのかい、じゃないわよ！また徹夜したでしょ、目の下にクマさん飼ってるわよ！」
ぷんすかと頬を膨らませるリゼットを前に、アルトは自分の目の下をこする。
「ああ、いや。昨夜、新しい理論を思いついてね。どうしても数式に起こしておきたかったんだ」
「もう！アルトの『新しい理論』は、いつだって徹夜とセットなんだから！はい、これ夜食！お母さんが特製サンドイッチ作ってくれたの」
バスケットから取り出されたサンドイッチの香ばしい匂いに、アルトの腹がぐぅ、と素直な音を立てる。その顔は、貴族の好青年ではなく、ただの腹ペコの少年だった。
「ありがとう、リゼット。君はいつも僕を救ってくれるな」
「べ、別に！アルトが研究に夢中になって倒れられたら、私が困るだけなんだからね！」
顔を赤らめてそっぽを向くリゼット。その好意の正体に全く気づかないアルトは、サンドイッチを頬張りながら、キラキラした瞳で目の前の試作品を指差した。
「見てくれ、リゼット！ついに試作品3号機が完成したんだ！名付けて『プリズム・チャーム』！」
彼が自信満々に掲げたのは、銀色のブレスレットに、魔法石がはめ込まれただけの、なんとも評価に困る代物だった。
「今度こそ、僕の理論が正しければ、所有者の魔力に感応して奇跡の光を――さあ、起動！」
アルトがスイッチを入れる。ブレスレットにはめ込まれた魔法石が、期待通りにまばゆい光を放ち始めた。
「おおっ！」
「わっ、すごい…！」
感動する二人。しかし、光はそれ以上強くもならず、弱くもならず、ただチカチカと点滅を繰り返すだけ。まるで壊れかけの電飾だ。
そして数秒後。
ポンッ！
ブレスレットの中心から、なぜか香ばしい匂いをまとった白い物体が弾け飛んだ。ふわりと宙を舞い、リゼットの開いた手のひらに着地する。
「…………これ、ポップコーン？」
「…………興味深い。どうやら魔力エネルギーを熱量に変換する過程で、予期せぬ相転移が発生したらしい。この副産物は、今後の研究のブレイクスルーになるかもしれないぞ！」
大真面目にポップコーンを分析し始めるアルトに、リゼットは盛大なため息をついた。
（私のヒーローは、昔も今もアルトだけだけど…ちょっと、いや、かなり心配だわ）
世話の焼ける天才の未来を案じながらも、その楽しそうな横顔を見て、リゼットはつられて笑ってしまうのだった。
この時の二人はまだ知らない。
こんな穏やかでコミカルな日常が、すぐそこまで忍び寄っている不穏な影によって、打ち破られることになるということを。
村の近くで、魔獣の目撃情報が、日増しに増えているという噂が、大人たちの間で囁かれ始めていることに 。
