君のアナログと、僕のデジタル
時間が、止まったように感じた。
砕け散った愛剣の、無残な残骸。
仲間たちの、遠い悲鳴。
そして、目の前で振りかぶられる、無慈悲な鋼鉄の拳。
クラウディア・フォン・ヴァレンシュタインの碧眼が、迫りくる自らの『終わり』を、ただ静かに映していた。
(ああ、そうか…これが、私の限界…)
誇りも、伝統も、魂も。
絶対的な『合理性』の前には、かくも無力だったのか。
あの男…アルト・フォン・レヴィナスが言った通り、私の剣は、ただの『非効率』な、時代遅れの遺物だったというのか。
(…悔しい…)
諦めと、ほんのわずかな後悔が、心を塗りつぶした、その刹那。
キィィィィンッ!
鼓膜を突き破るような、甲高い金属音。
彼女の顔面を砕くはずだった鉄拳は、寸でのところで、不可視の『何か』に阻まれて停止していた。
火花が散り、衝撃波が周囲の土をえぐる。
「――なっ!?」
クラウディアの、虚ろだった瞳が、信じられないものを見て大きく見開かれた。
いつの間にか、自分の前に、一人の少年が立ちはだかっていた。
片腕を前に突き出し、その腕に装着された機械仕掛けの腕輪から、淡い光の障壁を展開させて、巨大なゴーレムの一撃を、真正面から受け止めている。
その背中は、見間違えようもなかった。
理知的で、少しだけ猫背で、そして、世界で一番、気に食わない男の背中。
「アルト・フォン・レヴィナス…!」
「遅くなってすまない、ヴァレンシュタイン君。どうやら、君の『魂』とやらは、鉄塊一つ満足に止められないらしいな」
アルトは、クラウディアを振り返ることなく、皮肉とも事実ともつかぬ言葉を口にした。だが、その声には、いつものような呑気さはない。研ぎ澄まされた刃のような、冷徹な響きがあった。
彼は、光の障壁の出力を最大化させ、ゴーレムを数メートル後方へと弾き飛ばす。
そして、絶望のあまりその場に座り込んでいるクラウディアの前に、ゆっくりと膝をついた。
「…なぜ、助けたの。あなたには、関係ないでしょう」
クラウディアは、絞り出すように言った。
プライドがズタズタに引き裂かれた今、一番見られたくない相手に、最も無様な姿を晒してしまった。屈辱で、死んでしまいそうだった。
だが、アルトの反応は、彼女の予想とは全く違っていた。
彼は、嘲笑うでもなく、慰めるでもなく、ただ、科学者が貴重なサンプルを観察するかのように、彼女の砕け散った剣の残骸を一瞥し、そして、静かに告げた。
「君の剣は、『アナログ』だ」
「…アナログ…?」
「ああ。職人の技と魂が注ぎ込まれた、唯一無二の傑作。だが、その性能は、作り上げられた時点で固定されている。それ以上の進化も、変化も、適応も望めない、美しいだけの工芸品だ」
アルトは、ゆっくりと立ち上がり、周囲で暴れ回る鋼鉄の軍団を指差した。
「対して、奴らは『デジタル』だ。一体一体は、ただの鉄塊に過ぎない。だが、奴らはネットワークで繋がり、リアルタイムで情報を共有し、戦闘データを分析し、瞬時に最適解を導き出す。君の美しい一撃は、一瞬で解析され、次の瞬間には、完全に対応されてしまった。…アナログの単一個体が、デジタルの集合知に敗れるのは、必然の理屈だ」
その言葉は、あまりにも的確に、先程の彼女の敗北の真理を突いていた。
クラウディアは、ぐっと唇を噛みしめる。反論の言葉が、何一つ出てこない。
「じゃあ…どうしろと言うのよ。私の全ては、この剣と共に砕け散ったわ。もう、戦う術なんて…」
その、か細い声に、アルトは静かに首を横に振った。
「いいや。君は、まだ最強の武器を失っていない」
「え…?」
「君のその剣技…君が『魂』と呼ぶ、その洗練された戦闘技術は、僕が今まで見た中で、最も美しく、そして最も高次元なオペレーティングシステム(OS)だ。問題なのは、OSじゃない。時代遅れのハードウェア(剣)を使っていたことだ」
そう言って、アルトは、彼女の前に、そっと一つのものを差し出した。
それは、リゼットが着けていたものとは形状が異なる、青銀色の流線形をした、美しいブレスレット。
中央には、まるで氷の結晶を封じ込めたかのような、蒼い魔法石が埋め込まれている。
「これを、使いなさい」
「これは…まさか、あの時の…!」
リゼットが、炎の戦士へと『変神』した時に着けていたものと同質の輝き。
クラウディアは、息を呑んだ。
アルトは、続ける。その瞳には、狂気にも似た、天才科学者だけが宿す、絶対的な確信の光があった。
「これは、僕の理論の最新型だ。君の美しい剣技という『アナログ』と、僕の演算能力という『デジタル』を融合させるための、全く新しいデバイス。名付けて、『プリズム・チャーム・バージョン2.0』」
彼は、クラウディアの瞳を、まっすぐに見つめて言った。
「君一人では、奴らには勝てない。僕一人でも、この状況は覆せない。だが、君のアナログ(魂)と、僕のデジタル(理論)が融合した時…きっと、そこには、どんな鉄塊の合理性をも凌駕する、完璧な軌跡を描き出せるはずだ!」
差し伸べられた、手。
その上に乗せられた、青銀色のブレスレット。
クラウディアは、ただ呆然と、それを見つめることしかできなかった。
――クラウディア・フォン・ヴァレンシュタインは、葛藤していた。
(この男の手を、取る…?)
冗談じゃない。
この男は、私の誇りを『非効率』だと笑った。私の魂を『時代遅れ』だと断じた。
そんな男の、得体の知れない機械に、身を委ねろと?
ヴァレンシュタイン家の騎士として、そんな屈辱、断じて受け入れられるはずが…!
だが。
『――ガアアアアッ!』
遠くで、リゼット…いや、炎の戦士セーラー・フレアが戦っているのが見えた。
彼女は、数人の生徒を庇いながら、五体以上のゴーレムを相手に、孤軍奮闘している。その動きは、かつて村を救った時のような圧倒的なものではなく、明らかに消耗し、追い詰められているのがわかった。
(このままでは…彼女も、みんなも…!)
自分の、ちっぽけなプライド。
それを守り通した結果、仲間たちが、この学び舎が、全て蹂躙される。
それで、本当にいいのか?
砕け散ったのは、剣だけではない。私の、独りよがりな誇りもまた、あの瞬間に砕け散ったのではないのか?
(…悔しい)
涙が、頬を伝った。
自分の無力さが、不甲斐なさが、悔しくて、たまらない。
だが、それ以上に。
(…負けたくない)
こんな、魂のない鉄塊に。
仲間を傷つける、理不尽な暴力に。
そして、何より、絶望に打ちひしがれている、弱い自分自身に。
「…ええい、うるさい!」
クラウディアは、吠えるように叫ぶと、アルトの手を、乱暴に叩いた。
だが、それは拒絶ではなかった。
彼の手に乗っていたブレスレットを、ひったくるように奪い取る。
そして、睨みつけるような目で、アルトに言い放った。
「勘違いしないでよね!」
その声は、涙で震えていた。だが、その瞳には、先程までの絶望の色はない。
不屈の闘志の炎が、再び宿り始めていた。
「あなたの非論理的な理論を、受け入れたわけじゃないわ!ただ、この状況を覆すために、あなたのそのガラクタを、一時的に利用してあげるだけ!私の魂が、あなたの機械より、遥かに優れていることを、この場で証明するためにね!」
これぞ、ツンデレの極み。
絶体絶命の状況でさえ、素直になれない。だが、その言葉には、彼女なりの、最大限の覚悟と、アルトへの信頼が込められていた。
その、あまりにも不器用な決意表明に、アルトは。
「…ああ、それでこそ君だ」
初めて、穏やかに、そして心から嬉しそうに、微笑んだ。
「話が早くて助かるよ。さあ、時間がない。システムは既にオンラインだ。後は、君という最高のOSが、起動コマンドを入力するだけだ」
再起動。
それは、砕かれた誇りの、再起動。
クラウディアは、青銀色のブレスレットを、自らの腕に、強く装着した。
ひやりとした金属の感触。そこから、まるで生きているかのように、温かい魔力が、彼女の心へと流れ込んでくる。
目の前には、体勢を立て直し、再び殺到してくる鋼鉄の軍団。
もう、迷いはない。
彼女は、大きく息を吸い込んだ。
蒼き騎士の誕生を告げる、魂の産声を、上げるために。




