鳴り響く警報と、砕かれる誇り
学園内で頻発する、謎の昏睡事件。
その得体の知れない脅威は、王立騎士団養成学院の空気に、目に見えない緊張の膜を張っていた。教官たちの表情は険しく、生徒たちの間でも、楽観的な会話は鳴りを潜めている。
そんな中、今日の午後は、学年合同の野外実戦訓練が予定されていた。
「いいか、貴様ら!昨今の不穏な情勢を鑑み、今日の訓練はより実戦を想定したものとする!相手は、我々教官陣が召喚・使役するゴーレムだ!決して気を抜くなよ!」
訓練場に響き渡る、鬼教官の檄。
生徒たちは、本物の鉄剣を手に、緊張した面持ちでそれぞれの持ち場につく。
「リゼット、大丈夫かい?少し顔がこわばっているようだが」
「だ、大丈夫よ!ちょっと、緊張してるだけ…!」
リゼットは、ぶんぶんと首を横に振る。だが、その手は、腰に下げた剣の柄を、不安げに何度も握りしめていた。
彼女の脳裏には、昏睡状態に陥ったクラスメイトの、土気色の顔が焼き付いて離れないのだ。
そんな彼女の肩を、アルトがぽんと軽く叩いた。
「心配ない。僕の計算が正しければ、君の身体能力なら、この訓練で致命傷を負う確率は0.3%未満だ。安心して戦うといい」
「そ、そういう問題じゃないんだけど…!でも、まあ、ありがとう…」
相変わらずのアルト節に、リゼットは少しだけ頬を緩める。
一方、少し離れた場所では、クラウディアが一人、精神を集中させていた。
その手には、ヴァレンシュタイン家に代々伝わる、美しい装飾が施された一振りのレイピア。
(見ていなさい、アルト・フォン・レヴィナス…)
彼女の脳裏に浮かぶのは、あの日の、黒板いっぱいに書かれた屈辱の数式。
そして、自分の剣を『非効率』だと断じ切った、あの憎らしい男の顔。
(私の剣は、あなたの言うようなただの数字の羅列じゃない。騎士の誇り、伝統、そして魂そのもの。それを、今日ここで証明してあげるわ!)
アルトの『論破』以来、彼女は自分の剣を見つめ直し、これまで以上の鍛錬を自らに課してきた。
魂を込めて振るう一撃は、どんな合理的な機械の動きをも凌駕する。彼女は、そう固く信じていた。
この訓練は、彼女にとって、その信念を証明するための、最初の舞台となるはずだった。
「――訓練、開始ッ!」
号令と共に、教官たちが召喚した土人形が生徒たちに襲いかかる。
生徒たちの悲鳴と、剣戟の音が訓練場に響き渡る。
それは、これから訪れる本当の地獄の、ほんの序曲に過ぎなかった。
訓練が始まって、数分が経過した頃。
誰もが、目の前のゴーレムとの戦闘に集中していた、まさにその時だった。
―――ウウウウウウウウウウウウウウウウウウッッッ!!!
突如、学院全体に、腹の底を抉るような、けたたましい警報が鳴り響いた。
それは、ただの訓練合図などではない。
王国最高レベルの、外部からの敵性存在の侵入を知らせる、非常警報。
「な、なんだ!?」「この警報は…!」
生徒も、教官たちも、一瞬動きを止めて困惑する。
次の瞬間。
訓練場の周囲を取り囲む森の木々が、内側から、まるで巨大な獣に薙ぎ倒されるかのように、轟音と共にへし折られていった。
そして、現れた。
ガション、ガション、ガション…。
地を揺るがす、無機質な足音。
それは、土や石塊でできた、魔法仕掛けの人形などでは断じてなかった。
陽光を鈍く反射する、鋼鉄の装甲。
関節部から、不気味な排気音を立てるシリンダー。
そして、頭部で妖しく点滅する、単眼の赤いセンサー。
その数、数十…いや、百は下らない。
意思も、感情も、魂も感じさせない、ただ『破壊』と『殲滅』のためだけに設計された、完全自律型の殺戮機械兵団。
ゴーレム。
だが、その本質は、この世界の魔法文明が生み出したものとは、明らかに異質だった。
「ひっ…!な、なんだ、あれは…!」
「敵襲!敵襲だ!総員、陣形を組め!学生は後方へ退避しろ!」
教官たちの怒号が飛ぶが、もはや遅い。
生徒たちは、目の前の光景に、完全に腰が引けてしまっていた。
鋼鉄の軍団は、一糸乱れぬ動きで前進を開始する。その動きには、一切の躊躇も、無駄もない。ただ、プログラムされた命令に従い、最短距離で、最も効率的に、目の前の『敵』を排除しようとする、冷徹な合理性だけがあった。
「うわあああああっ!」
数人の生徒がパニックに陥り、背を向けて逃げ出す。
だが、鋼鉄のゴーレムは、それを許さない。
一体のゴーレムの腕が変形し、そこから放たれたワイヤーアンカーが、逃げる生徒の足を正確に捉える。そして、そのまま地面を引きずり、無慈悲な鉄拳が振り下ろされた。
悲鳴が、途切れた。
阿鼻叫喚。
昨日まで平和だった学び舎は、一瞬にして、鉄と血の匂いが渦巻く戦場へと変貌した。
「くそっ、なんて硬さだ!」「魔法が効かん!?」
教官たちが奮戦するが、彼らの剣も、魔法も、鋼鉄の装甲の前では、ほとんど意味をなさなかった。
それどころか、ゴーレムたちは教官たちの戦い方をリアルタイムで分析し、即座に対応してくる。詠唱の隙を突き、剣の死角を正確に攻め立てる。
それは、あまりにも一方的な、蹂躙だった。
そんな絶望的な状況の中で。
ただ一人、その流れに逆らうように、前へと踏み出した生徒がいた。
「…許さない」
クラウディア・フォン・ヴァレンシュタイン。
その碧眼には、恐怖の色はなかった。
あるのは、自らの学び舎を、仲間を、無残に蹂躙する、得体の知れない侵略者への、燃え盛るような怒りだけ。
「私の誇りにかけて…ここで、貴様らを止める!」
彼女は地を蹴った。
銀色の閃光となり、一体のゴーレムの懐へと舞うように潜り込む。
――クラウディア・フォン・ヴァレンシュタインは、信じていた。
(魂を込めた一撃は、鉄塊の合理性など、凌駕できる…!)
彼女のレイピアが、流麗な弧を描く。ヴァレンシュタイン流剣術、奥義の一つ『氷針』。
剣先に凝縮された魔力が、鋼鉄の装甲の、わずかな隙間――関節部を、正確に貫いた。
ギャリリリッ!と甲高い音を立て、ゴーレムの片腕が機能を停止し、だらりと垂れ下がる。
「…やったわ!」
確かな手応えに、クラウディアは一瞬、勝利を確信した。
だが、それは、あまりにも甘い希望だった。
機能を停止したのは、あくまで片腕だけ。
ゴーレムの本体は、何事もなかったかのように、残った左腕の鉄拳を、クラウディアの横腹へと叩き込んできた。
「がっ…!?」
予測していなかった反撃。
人の騎士であれば、腕を貫かれれば、痛みと衝撃で必ず動きが止まる。
だが、この鉄の人形には、『痛み』という非合理的な概念が存在しない。
ただ、残された戦力で、敵を排除するという命令を、遂行するだけ。
吹き飛ばされ、地面を転がるクラウディア。
すぐに体勢を立て直すが、その時、彼女は気づいてしまった。
自分の周囲を、既に五体のゴーレムが、完璧な包囲網を敷いて取り囲んでいることに。
(分析…された…!?)
そうだ。最初の一体は、わざと攻撃を受けさせたのだ。
彼女の剣技、速さ、魔力の特性。その全てを分析するための、ただの『捨て駒』。
そして、得られたデータを、周囲の個体全てが瞬時に共有し、彼女を完全に無力化するための、最適な包囲陣形を構築した。
(非効率な剣…)
脳裏に、あの男の声が蘇る。
(――連続攻撃を想定した場合、それは致命的な隙となる)
ぞっと、背筋に冷たい汗が流れた。
あの男が指摘した通りのことが、今、現実となっている。
私の、美しく、誇り高い一撃。それは、一撃で敵を仕留めきれなかった場合、あまりにも無防備な隙を晒す。
「くっ…!」
それでも、クラウディアは諦めなかった。
プライドが、それを許さない。
彼女は、再び剣を構え、舞う。
だが、その剣は、もはや敵に届かない。
前後左右から、寸分の狂いもなく繰り出される、鋼鉄の拳。
一撃を防げば、死角から次の一撃が襲う。
華麗だったはずの舞は、いつしか、ただ必死に攻撃を捌き、生き延びるためだけの、泥臭い抵抗に変わっていた。
ガキン!
甲高い音と共に、レイピアがゴーレムの腕に弾かれる。
その衝撃で、手が痺れ、全身が軋む。
(ああ、これが…『合理的』な戦い…)
感情も、誇りも、伝統も、魂も、一切を介在させない。
ただ、データに基づき、最も効率的に、敵を追い詰めていく。
それは、クラウディアが最も軽蔑し、否定してきた戦い方。
そして、その戦い方の前に、今、自分はなす術もなく、蹂躙されようとしている。
「まだよ…!まだ…終われない…!」
最後の力を振り絞り、クラウディアは、残された全ての魔力を、愛剣に注ぎ込んだ。
ヴァレンシュタイン流、最大奥義。
その一撃に、彼女は、自らの誇り、意地、そして、魂の全てを乗せた。
「喰らいなさいッ!『白薔薇の一閃』!!」
白薔薇の幻影をまとった、渾身の突き。
それは、分厚い城壁すら貫くと謳われる、まさしく必殺の一撃。
狙うは、正面のゴーレムの、胸部中枢。
だが。
ゴーレムは、それを避けなかった。
ただ、自らの胸部に、左腕の装甲をクロスさせて、盾としただけ。
最も硬い部分で、最も強い攻撃を、正面から受け止める。
それが、この状況における、最も『合理的』な防御。
そして。
キイイイイイイイイイイインッッッ!!!
金属が、限界を超えて軋む、耳障りな絶叫。
レイピアの切っ先が、分厚い装甲に深々と食い込む。
だが、貫通には、至らない。
次の瞬間。
―――パリンッ。
あまりにも、軽く、乾いた音だった。
クラウディアの耳にだけ、それは、世界の終わりのように、大きく響いた。
彼女の手に残っていたのは、根元から無残に折れた、ただの柄。
宙を舞い、地面に落ちて虚しく転がる、剣の残骸。
ヴァレンシュタイン家の誇り。
彼女の魂そのものであったはずの剣が、いとも容易く、砕け散った。
「…………あ」
クラウディアの世界から、音が消えた。
鳴り響いていたはずの警報も、仲間たちの悲鳴も、何も聞こえない。
ただ、目の前で、自分の剣を砕いたゴーレムの、巨大な鉄拳が、スローモーションのように、振りかぶられるのが見えただけ。
(ああ…そうか…)
砕かれたのは、剣だけではない。
私の、誇りも、信念も、全て。
(これが…私の『非効率』な剣の…結末…)
絶望が、彼女の心を完全に塗りつぶす。
迫りくる鉄の塊を前に、彼女は、ただ呆然と立ち尽くすことしか、できなかった。




