ハートマーク
「これは効いてるんじゃない?!ハートよ、ハート?!」
精神錯乱一歩手前の麻里奈は文字通り狂喜乱舞で部屋中を躍り回るが、悪友達はこの、どうせただのシーソーゲームになる話題に興味を失いかけている。
「ねえ聞いてる?!見て?!ハートよ、ハート!!!」
「あーハイハイ」
「ハートハート」
「麻里奈ちゃんも懲りないねえ~・・・」
雨季は今日も愛猫のブラッシングにいそしみ、純子は雨季の購入したペット見守りカメラの取り付けで忙しく、梓は猫のモンテーニュで猫ミーム動画を撮るのに夢中だ。
「ちょっと聞いてよ!せっかくアタシの努力が実ったってのにアンタ達なんでスルーなのよ!!」
麻里奈が吠えても誰も関心を示さない。
「いやだってハートじゃん」
「付き合ってくださいの一言ならまだしもねえ」
「似たようなモンでしょ?!」
「麻里奈ちゃんそろそろ病院行った方がいいんじゃな~い?」
「はあ?!なんでよ?!」
猛り狂う麻里奈の様子に、それまで黙ってパソコン作業をしていた響花が遂にキレた。
「うるさいわね!!こっちゃ今仕事してんのよ!!!」
「なんで休みの日に雨季の家で仕事してんのよ!!ここは憩いの場でしょうが!!!」
「アンタが絶対来いって言うから来てやったんでしょうが!!なのにくっだらない与太話披露しやがって!!!」
普段冷静で品のある響花のストッパーが外れたようだ。
「てかよくそんなTeamsのハート一つでバカ騒ぎできるわね恥ずかしくないの?!」
「恥ずかしくないわよ!嬉しいことに嬉しいって言って何がおかしいのよ!」
「アタシらみたいなイイ歳こいたババアが喜ぶレベルのことじゃないでしょうが!」
「だってハートよ?!好きじゃなきゃ送んないでしょハートなんて!」
「黙らっしゃい!Teamsのハートなんてイイネの二乗くらいの価値しかねえよ諦めろ!!」
「そんなあああ!!奏士くううううううん!!!」
響花にぶっ飛ばされ床でのたうち回る麻里奈を、遠目から眺める人間と猫達。
(吉本新喜劇のコントか・・・?)
ヤレヤレ、と皆、思い思いの休日に戻っていった。
しかし麻里奈は諦めない。
Teamsのチャット画面を鬼の如くスクロールし他の男性社員達との会話を見返すが、誰一人としてハートマークなど付けたりしていないのだ。
(みんなイイネとか顔ばっかじゃん!フツーはハートなんて選ばないって!ましてアタシは上司なんだから!!)
自宅のベッドの上でスキンケアをしながら、麻里奈は心を強く保つ。
(これは絶対脈アリよ!諦めなくていいわ麻里奈!!)
入念にストレッチもしてお肌のために早めに就寝。
翌朝は女子社員の希望で取り入れた朝活の第一回開催日であるため、一時間早く家を出る。
「みんなおはよう、偉いわねーちゃんと集合してて」
さわやかな笑顔で、好感の持てるデキる上司像を作って会議室のテーブルの上でパソコンを開く。
隅で奏士がニコニコしながら座ってスタンバイしているのが目に入り朝からテンションうなぎ昇りの麻里奈。
今日は若手に、人気の資産運用方法である新NISAとiDeCoの活用方法と注意点について丁寧に解説していく。
「花房さ~ん、日経平均連動ETFと個別の株だとどっちがいいと思いますかあ?」
「そうねえ・・・今の株価の局面次第な部分はあるけど、個別の株を買いたいならその株価が安いのか高いのか、自分の中で明確なジャッジができないうちは手を出すべきではないわね」
女子社員からの質問にもエレガントに答える。
「でも株価が高いか安いかなんてどうやって判断できるんですか?」
「何年も追い続ければその株の値動きのクセが理解できるようになってくるわよ。とりあえず勉強のために投資したいなら、まずはETFを最小単元買ってみて市場の動きに敏感になる方がいいかも」
月曜の朝にふさわしいフレッシュな朝活を提供でき、麻里奈はご満悦。
プロジェクターの片付けをする奏士の姿を横目で追っていると、机の上の拭き掃除をしていた新入社員・UCLA出身の梨穂子がおもむろに口を開く。
「奏士いいなあ~花房さんがリーダーなんて」
コードをまとめていた奏士の手が止まる。
「花房さん、私と奏士とっかえてくださいよ~」
冗談めかして言う梨穂子につられて、あらあら~と言いかけた時、奏士は笑顔ながらも
「ダメだよ梨穂子!僕、全力で拒否するよ!」
と言って、会議室に残っていたメンバーを笑わせた。
(全力で拒否だなんて・・・)
麻里奈の胸が、じわ~っと何か、温かくピンク色なもので満たされる。
(ああ、もうこれ、確定じゃない・・・)
ふわふわと夢心地になりながら荷物をまとめていると、梨穂子が
「あ、花房さんすみません、ちょっと見てほしい企業の決算短信があるんですけど・・・」
と、声を掛けてきた。
「いいわよ、どこの?」
「近急電鉄なんですけど・・・」
梨穂子が開いたままのパソコンを片手に近寄り、麻里奈に画面を見せ左手でショートカットキーを操作しながら決算短信が表示されているウインドウを開こうとするが、ウインドウが多すぎてなかなか辿り着かない。
「あれ?えっと・・・」
タタタタ・・・とTABキーを押す音とともに現れた画面はTeams。
「あ、これじゃない・・・」
梨穂子がまたウインドウを変えようとした、わずか一秒の間に表示された梨穂子のTeams。
それは、奏士とのチャット画面。
昨日 22:45
進撃と呪術だったら私は呪術派かなー。
片山奏士 昨日 22:45
そうなの?進撃の巨人も面白いのに!
昨日 22:45
じゃあ両方貸してよ
片山奏士 昨日 22:45
OK!三巻ずつ持ってくね
昨日 22:46
てんきゅー!塩豆大福オゴる!
いかにも若者らしいやり取りだが、最後の梨穂子のメッセージには、ハートマークが付いていた。
麻里奈を狂喜乱舞させた、あの、ハートマークである。
(そんなああああああああ!!!!!)
他の女子にもハートマークを送っていることを目撃してしまい、図らずも響花の言うイイネの二乗程度の価値を思い知らされる。
麻里奈の胸が、ヒヤ~っと何か、無味乾燥で灰色のもので急速冷凍されていく。
(・・・もう立ち直れない・・・)
自慢のFカップが垂れるほど背を丸めてトボトボ廊下を歩いていると、スマホにLINEメッセージが入った。
『麻里奈~お久~!今日の夜空いてない?新しいCM超評判いいから、お礼にイイトコ連れてってあげる』
「アリスじゃん」
そのままメッセージを返す。
『イイトコってどこ』
すぐに来た返事にはこう書かれていた。
『オーランドがこっそり開いた紹介制のバーだよん』
「・・・でえっ?!オーランドってあのホストの?!」