結婚すること・しないこと
その日のことはよく覚えている。影をまとった瞬間の連続を、青白い日々を過ごしていた前職時代の同僚と再会したからだ。
わたしのようなワーキングママの生活は日の出より幾分早く始まる。
起床とともに今年4歳になる愚息のお弁当作り、朝食の準備が始まる。
エプロンをつけて、台所に立って、手を洗うところからそれは始まる。
朝食は食パンにベーコンエッグ、サラダとありあわせで準備はできる。
けれども愚息へのお弁当。それは戦略的で、社会的でないといけない。
戦略的というのは、言うまでもなく、まず目の前の愚息を攻略しなければいけない。
具体的には、ピーマンとにんじんをはじめとする、苦手なモノを食べてもらう工夫が必要だ。
それは食材を細かく切ったり、ほかの、かれが好む食材に苦手なモノを混ぜたりとだ。この工程で息子の苦手なモノが減っていくのは本当にうれしい。
ただ、それまでに試行錯誤がある。料理の工程はもちろんタイミングが難しい。
重要なことは、家族がそろった朝食の時間ではなく、お昼休みという、愚息の時間の中で、意思を持って食べてもらうことにある。
彼は今日もお弁当の具材を口にしていく中で苦手なモノの存在に気づくかもしれないし、あるいは明日以降口にしていく前にその予感から食べることをやめてしまうかもしれない。だからといって朝食の時間の中で、父と母が目の前に屹立する時間の中で、その存在に圧迫されながら、あるいは勧告を受けながらイヤイヤ口に運ぶのでは、より苦手意識を助長してしまうにすぎない。
その匂いや味によりネガティブな印象を覚えてしまうだろう。
あえて難しい言葉を使うのであれば、愚息の自主性を重んじる食育活動が必要だ。
気づいてからが勝負で、そこに指摘や催促なしに、彼に食べてもらうことが重要だ。
それまでは工夫の連続である。
同時にお弁当作りは、他の園児達やその背後にある親たちに配慮を向けた、政治的で社会的でなければものでなければいけない。
愚息のひとつ上の学年では、親同士のトラブルにより、キャラクター弁当通称キャラ弁が禁止されたそう。
発端はドラえもんが好きな男の子を喜ばせたい、と奔走する20代前半のヤングママさんによる親心だったそうだ。
このヤングママはほかの親達による呼称通称で、特に他意はないそうだ。
他意はないらしいから、わたしも気兼ねなくこの言葉を借りている。
話は本題へ。くだんのお弁当は、ご飯の上に海苔でドラえもんの顔を型取り、梅干しで鼻を、玉子でその目を作った、「愛のかたまり」にすぎなかった。
問題はその余波、話題性にあった。
「ドラえもんだよ~」と無邪気に、しかし自慢げにかざされた、そのドラ弁は周りの園児達を魅了した。「僕もほしい」「わたしもお母さんに作ってもらいたい」と。
ヤングママさんからすれば、その努力や工夫は完全に報われた。
だから翌日以降もピカチュウやアンパンマンと園児のスターたちが次々と舞台上に現れた。はしゃぎまわる園児達。
その声に応じて、彼ら彼女らを魅了しようとキャラ弁を作る親達とその同町圧力にも似たプレッシャーに翻弄される親達による、分断が生まれた。
そこに根を上げ、園にクレームが入るまで時間はいらなかった。
「私たちにはお弁当にだけさく時間がない。園で取りやめてほしい」と。
以来、「キャラクター弁当禁止」というルールが、園の連絡事項を通達する、「保育だより」に記載された。一度記載されたら、そのルールは鉄の起きてと化す。
これにて、愚息の縁にはキャラクター弁当の概念は持ち込まれなくなった。
話をわたしの生活に戻すと、だからこそ具材による配色の調整(見た目)や栄養バランス、もっと言えばどこのスーパーで買うか、あるいは旦那に買ってもらうかなんてことに細心の注意を払っている。
ここのどれが偏っても、園児の間で小さく、しかし確実に噂好きな、あるいは他人の言動に厳しいママ友たちへと波紋の様に広がる。
日々の小さな試行錯誤は、話題を提供する材料へと変貌を遂げるようで。
そんなわけで今日も平均的で、戦略的で、しかし政治的なお弁当作りにいそしんでいた。多分言うほど難しくない。派手にやらない。周りの園児のお弁当について、愚息に定期的に確認し、取り入れる。それ以上でもそれ以下でもない。
お弁当作りが終われば、旦那を起こしに行く。
これを聞くと、妻であり、母親であるわたしが負担をしすぎなのかもしれない。
親にも、友達にも、ママ友達にも言われることだ。
それでもスマホのアラームで起きない、旦那は、私の手でたたき起こすのが一番早い。どんなに文明が進んでも、ひとの手でしか始まらない起床もある。
「もう朝だよ。さっさと起きて」
不機嫌そうに体を起こす旦那、いちいち気にしていられない。
次は愚息。
「はい。起きなさい。○○くんはもうきっと準備しているよ」
やはり同様に不機嫌そうに起き上がる愚息。
わたしに似て負けず嫌いな彼にはちくりと「○○くん」の話で刺激するのが効果的だ。同じく、彼の態度も気にしていられない。
朝食に化粧、愚息の身支度を済ませ、園まで送る。
園に着いたら着いたで、出迎えをしている担任や同じように激しい朝を過ごしている、親達に心地よいあいさつの言葉を向ける。
ここで大事なのは、一秒でも早く園を去り、立ち話は絶対にしないこと。
その距離感とルールが、それぞれの日常を安定・安心させる。
さて育児午前の部は終了。夕飯の支度までの、一日で日が一番高い時分までの、役割を担うまでの、わたしの小さく、しかし大きな自由がはじまる。
前職の同僚と久しぶりのごはん。場所は新宿の西口。
ラッシュアワーを超えたおかげか、ひとの渋滞に呑まれることなく、駅に到着。
改札を抜けた先のキオスクにはサラリーマンやOLで3,4人の列をなしていて、それ以外は駅を抜けようと前から、後ろから、あるいは左右からと流れてくる。
ランチタイム前の、この時間に待ち合わせができるのは幸せなことかもしれない。
「ついたよー。改札でたところで待っているね」
ニコニコとほほえむスタンプと併せて、ラインで一言。
最初に会う、りなとは半年ぶりだ。
思えば、繊細な人の多くがそうであるようにりなは人酔いするタイプの子だった。
カフェやレストランで待ち合わせの方がよかったかもしれない。
この点気が回らない自分に辟易する。
前職時代、ふたりとも山手線ユーザーで、お互い人混みが嫌いだったから、巣鴨や代々木でよく会っていた。慌ただしく過ぎる、その生活の中で、りなと過ごしていた当時の感覚は少しずつ失われてしまったのかもしれない。
「ついた!わたしも今かいさつー」
彼女からの返信。あたりを見回すと、すぐにりなを見つけた。
きょろきょろと周囲を見渡す彼女。わたしに気づいていないみたい。手を振り、彼女の方へ歩き出す。こちらに気づき、ほほえむりな。
こちらを認識した彼女からは、一瞬で安心感が伝わってくる。
その屈託のなさは、あまたある、彼女の好きなところのひとつだ。
ここはどうやら変わっていないみたいようで、こちらも安心。
「久しぶりー!元気してた?」
黒目がちで、上目遣いがベースのりな。前職では30人同機がいて、彼女は圧倒的に童顔だった。
20代も後半に入り、いよいよ30代に突入する年を迎えたけど、彼女は圧倒的に童顔だった。今でも年齢よりは若く見える。
ただ、以前より少し猫背気味で、あどけなさが残る顔立ちゆえにどこか疲れのようなものを彼女から感じた。
「久しぶりー!元気だよ!りなちゃんは変わらないね!相変わらずかわいくて、一瞬で気づいたよ。」
「またまたうまいこというなあ。さゆりちゃんこそ変わっていないし、かわいいよ」
福岡出身で、関西の大学に通っていた、りなから発せられる、訛りを含んだ標準語。
普段は平たんな標準語を意識している彼女だけど、褒められると声色やイントネーションに感情が乗っかるのも特徴的だ。
そうだ。早く駅をでないと。
「とりあえず駅を出よう。いくつかピックアップしていたお店があるから、そこでランチしよ~。」
スマホにメモしていたお店のURLをタップ。特に食べたい料理の系統がないことも、待ち時間にイライラしがちなことも彼女が居心地の良さを覚える、あるいは悪さを感じない程度に、席の感覚が必要なことも理解している。
優柔不断な人と接するときの多くがそうであるように、こちらがすべて決めてあげた方が全員が楽なのだ。
[ごめんごめん。わたしも調べるね!]
あわててスマホを取り出すりな。これがポーズであることも、彼女がリサーチするお店っと待ち時間を要することも織り込み済みだった。ここも変わらないね。
「全然だよ!いいよいいよ。都庁の方向かうけど、調べてみてもし行きたい場所があったら教えてね」
「ごめんね~!ありがとう」
申し訳なさそうに何度か頭を下げるりな。あたふたする彼女を笑った。
目的地に着くまでは、ありきたりな時事の話題で時間をつぶした。都知事はだれが選ばれそうとか、芸能人の結婚の話とか最近流行のファッションだとか。
駅から少し離れたところにある、イタリアンレストラン。
待ち時間も不必要だったし、テーブル同士の感覚がりなにとっては適切で、メニューの配置や数も水が出てくるタイミングもおそらく多くの人が安心できるものだった。
ボックス席ではなかったら、もちろんりなには奥側のソファー席を譲った。
このお店におすすめメニューなんてものはないけど、このお店はペペロンチーノがおすすめであると伝えてみた。彼女は安堵と照れを表情に浮かべながら、少し考えたようなそぶりを見せ、ペペロンチーノを頼んだ。
ここのお店はペペロンチーノとナポリタンだけがとりわけ早いそう。
「近況聞かせてよ。りなは最近どうなの?」
「えー。さゆりちゃんから聞かせてよ。」
「わたしは変わらないよ。強いて言うなら、子供が春から年少組に上がって、育児と仕事をやっているだけ。前の会社で一緒にやっていた営業みたいに、難しいお客さんもいないしさ。
同じエンジニアの先輩は優しい人も多いから、なんとかやっているよ。楽しいといったらうそになるけど。」
口角を上げて笑って見せる。保育園のママ達との話題ではタブーな仕事の話も、前職の同僚ともなれば最適解になる。むしろ子育ての話こそタブーになる。
なにより、りなはきっとまだ独身なのだろう。仮に独身じゃなくても、伝えることもその伝え方も決まっていた。
同棲を始めたときは、彼氏の欠点をたくさんあげたし、結婚したばかりの時は相手の両親との関係に対して悩みを伝えたし、育児が始まれば、それ以外のことを口にするのが手っ取り早かった。彼女は彼女の利益でわたしを誘っている。
「えー。仕事の勉強するのもすごいし、当たり前の様にしゃべっているさゆりが何よりすごいけど、両立大変そうだね。体調とかくずしていないかな。」
「うん。ありがとう。徐々に慣れてきたよ。りなの方は、仕事とか、恋愛とかどうかな。この前話した彼氏さん?とは順調?」
店内を見渡すりな。神妙な面持ちになる。安心して。料理が運ばれてくるのはもう少しあと。
「仕事はね、順調なんだ。なんとか今の会社を続けているんだ。恋愛の方はというとね、別れそうなの。
前同棲するかもなんて、はしゃいだ手前少し恥ずかしいんだけど。」
「ええええ。どうして。」
目の前に置いてある取り皿やカトラリーケースにあるスプーン、フォークに視線を落とすりな。
「それがね、彼の浮気なの。職場の派遣の女の子で、『彼女から誘われて魔が差した』んだって。何度か彼女の家まで行ったみたいだし、この前も二人で職場に向かってくる所、同僚が見たみたいで、喧嘩になった・・・」
「喧嘩なんだ・・・。彼氏さんの平謝りとかならわかるけど。なんでそんな開き直れるのかな」
「わかんない。とにかく別れたいなら別れればいいんだって・・・。事務の子は気立てがよくて、顔も私よりかわいいし、24で若いし・・・。わたしとは2年付き合っていたけど、いらなくなったみたい・・・」
引き続き食器を見ている。まるでそこになにか、難しい言葉が書いてあるかのように、顔をしかめながら。
「つらかったね。電話かけてくれてたよね。その時は出られなかったけど、大丈夫だっていうから心配はしていたけど。
話してくれたらよかったのに。りなちゃんはどうしたい?というか、どうする予定なの。」
瞳に涙を浮かべる。やがて頬を伝い、泣き始める。わたしはハンカチを渡す。
わたしがおもっていたより事態は深刻そうだ。
「わかんない。ロクな男ではないけど、相手が見つかる自信がなくて、付き合い続けながら相手を探すのはダメかな、、、」
充血した目で尋ねる、決められないりな。仮にも浮気男とはいえ、誰かと付き合いながら、また別の誰かを求めることに抵抗があるようだ。だから今も独身なんだよ。
わたしが思う最適解は別れてすぐにでも新しい男性を探すこと。その出会いの入り口として、マッチングアプリや結婚相談所を使ってもいいし、趣味のコミュニティを見つけるのもいいかもしれない。ただそれだともちろん予定調和で退屈だ。わたしに決めてもらうことを求めている。だからこそこれからの経過、とその顛末はわたしの掌中にある。わたしにはわたしの利益で、彼女と会っている。
「うーん。2年付き合っているんだよね。もう少し様子見て待ってみるのはどうかな。結局まだ好きなんだよね・・・それにわたしも同じような過程を経て、結婚して、今楽しいからさ」
ごめんウソ。わたしの誘導に目を輝かせるりな。雨が上がって陽の光にきらめく水たまりのように、彼女の瞳にきらめきが走っていた。
「うん。実はまだまだ好きで、今別れてしまったら、後悔しそうだし、今年で30だし、年齢考えると本当は取捨選択しないといけないのもわかっているけど・・・」
「大丈夫だよ。」
わたしの気休めにやわらかく微笑むりな。
ペペロンチーノが届いた。りなの様子を見て見計らっていたのであろう。美しいほど良いタイミング。この店員さんもまた予定調和の中で行動してくれている。
「ありがとうございます。わあ、おいしそう。ここのおすすめなんですもんね。」
店員さんに尋ねるりな。
「ええ。ペペロンチーノもまた当店自慢のメニューのひとつです。」
「りな、先に食べてていいよ。話したらおなかすいたでしょ。」
彼女がパスタを食べる様子を見るのが好きだった。だからわたしはバーニャカウダとアヒージョのセットなんていう、いかにも時間がかかりそうなメニューを頼んだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
ペペロンチーノの写真を二枚ほど撮って、自分の方に寄せていくりな。フォークとスプーンをその手にもって、嬉々としながら。
りなはパスタが巻けない。すくう量が多いのもそうだが、それ以前にフォークに巻き付けるのが、その不器用さゆえにうまくいかなかった。だからいつもスプーンでフォークからこぼれた麺を乗せ、そのまま口に運ぶ。量の調節がおかしくて、あまりに多くなったときは、フォークからはみだす量が多くてどうしてもみっともない。こういう所作を男性はどう思っているのだろうか。
私立の中高大エスカレーター式の小学校でテーブルマナーを叩き込まれてきたわたしには、彼女の不器用さとマナーを知らないところは、私の経験に絶対的な肯定をもたらしてくれる。彼女の言動で、唯一ともいえるほど好きなものだった。
自分は常に選ぶ側で、なにかトラブルがあっても相手のせいにするように周囲に仕向ける。日常の所作から人生単位で培ってきた思考や行動は絶対に省みない。心を巣食うから。その進歩のない、愚鈍さを眺めるながら思っていた。だから独身なんだよ。
それでも今日は少し責めてみたかった。
「りなちゃんってさ、パスタの食べ方独特だよね」
「え」
手を止めるりな。一度フォークとスプーンを置く。予想通り、その音は大きかった。
「だってわたしの周りにパスタ巻けない子いないんだもん。昔から思っていたよ。
彼氏さんとかに言われたことないかな。」
表情が固まるりな。パスタが喉につかえたかのかな、何度かせき込む。コップに水を入れ、差し出す。
「飲んで飲んで。どう?いわれたことない?別に気が回らないのは、パスタだけじゃないけど一番気になるかな。りなちゃんに関しては」
また泣きそうに、その双眸に潤いができる。少し上を向く。
「いわれないよ・・・」
やっぱりそうだよね。それが気になるようなレベルの人とは付き合っていないだろうし、そんな人はもう結婚してるもんね。自分の中で立てていた問いに、少しずつ解が与えられていく。彼女の逡巡した回答はわたしの、これまでの結婚、今の夫婦生活に丸を与えてくれる。この世界線に生きていなくてよかった、と。
「彼氏さんはどんな食べ方をするの?パスタ。巻ける人だったら、教えてくれないのか~って。
毎回付き合う人の良いところをたくさん伝えてくれるから、今回はどうなんだろうっていつも気になっていて。もちろんパスタなんて象徴的な欠点のひとつだけどさ。
でどうなの?」
再び頬を伝う涙。ようやくバーニャカウダとアヒージョが運ばれていく。
バーニャカウダに使われる野菜は無農薬・産地直送で、その日の朝にお店に送られてくるそうで、当店一押しの人気メニューだそうだ。素直に感心した。
そしてこうも思った。愚息のお弁当にこんな彩ある野菜を与えたら、他の園児やその親どもはどんな反応をするのか。またキャラ弁に通ずる、プレッシャーを感じるのかもしれない。でもまあ、わざわざ一つ上の学年のトラブルに保育園の口コミ使って、クレームを入れた私がやる資格なんてないか。
入園式からそれ以降キャラ弁などどいう概念が息子の保育園にもたされないだけ、幸せだよね。
りなが悄然としているので無視して、それぞれ料理の写真を撮って、バーニャカウダ、アヒージョの順に口に運んだ。
無農薬の野菜は当然新鮮だし、アヒージョに含まれていた、オリーブオイルも油を感じず、胃に負担をかけることなく堪能できた。
「さゆりちゃん、、、どうしたの。いままでそんなこと言う人じゃなかったよね。」
わたしが完食して、食器を置くと彼女はそう尋ねた。ペペロンチーノは依然として、お皿に残っている。
「うん。言わなかったよ。」
思っていたけどね。これ以上は言葉はいらなかった。聞きたいことも言いたいことも全部机の上にあげることができたからだ。
彼女はこれを機に心を入れるかもしれないし、ただ落ち込んで落ちていくかもしれない。その経過と顛末は今後も知りたいけど、それは単なる欲望のひとつにすぎなかった。お疲れ様、りなちゃん。
14時。家に着くと、鍵は開いていた。
寝室に入ると、いつも通り旦那は寝ていた。朝と違う点は横に日本酒の瓶が置いてあることくらいだろうか。
営業の仕事でクビを言い渡されてから1年以上ずっとこの状態が続いている。
彼に課していることといえば、愚息と同じタイミングで起床し、朝食をとること。晩御飯とお風呂だけはともにすること。それだけだ。
この時間帯に無理に起こして、正論を言えば悪態をつくし、時にそれは暴力へと悪化する。ただ、今日はいつもと違う。確認しなければならない。
それは文字通り、あるいはいつも通り寝ているのか、それともほかの状態を示しているのか。
身体をゆすっても起きない。改めて強くゆすってみる。起きない。
除草剤を大量に投じた日本酒を飲んでしまったのかもしれない。
彼は失業以来いつも生きづらそうだったから。青白い影をまとっていたのだから。