女子高生の告白を自分で断ったくせに、俺は後悔して、それから。
「束柱さんのこと、好きです。本当に好き、大好き。……私と付き合ってくれませんか?」
その言葉が、冬の夜の冷えた空気にふわりと舞い、俺の耳に届いた。
頬を赤らめつつも恥ずかしさを隠すように下唇を噛みしめ、潤んだ瞳をして、上目遣いで俺を見つめる。
彼女はアルバイト先のスーパーのレジ部門で働く、玉紀莉緒。
高校三年生の彼女は、ミディアムロングのサラリとした茶色がかった黒髪で、二重の切れ長の瞳に、通った鼻筋、そして小さく丸い唇が印象的な清楚系の美少女。
テレビに映し出されているアイドルと並べても遜色ない具合だ。
俺と彼女はアルバイトの同期で、共にこのスーパーで1年前から働いている。
半年前くらいだったか。レジ部門から彼女が応援で俺が所属する加工食品部門に来て、一緒に働いた時だった。
品出しをしながら、彼女とのコミュニケーションを図る一環で話をした。最初はそのつもりだった。
お互い片田舎から出てきて、一人暮らしで、ホームシックになるほどの寂しがりやと、似た者同士だったことで話に花が咲いた。
この日を皮切りに以降、よく話すようになった。
休憩時間はもちろんだが、一緒に帰ったり、LINEも頻繁にやり取りした。
その積み重ねが、今の告白に繋がるとするならば、答えは一つだった。
俺ははっきりと彼女に言った。
「ごめん。俺には無理だ」
その瞬間、彼女の表情が一気に崩れた。
「え……」
声は震え、目には涙が滲んでいる。袖で涙を拭いながら、必死に笑顔を取り繕おうとする彼女。
「そうですよね……私、なんか……あの、ごめんなさい……」
「いや、俺こそ……ごめん」
自分で振っておきながら、矛盾にも心が痛む。
俺は彼女にどんな顔をすれば良いのか分からず、彼女よりも2つ年長のくせに、彼女に目を向けることができずに逸らしてしまう。
そんな俺よりも彼女は遥かに優しくて、律儀で、真っ直ぐだった。
「あ、そうだ!まだ課題残ってたんだった。…じゃあ、束柱さん…私は先に帰りますね…」
彼女は俺をこれ以上困らせないようにと、取り繕ったその場凌ぎの笑顔を残して、逃げるように外灯の灯りだけが照らされた夜道を駆け出していった。
俺はただその背中を見送ることしかできなかった。
これでいいんだ。これで。
彼女への振る舞いを情け無く思い、反省しながらも、彼女の好意を断ったことを肯定した。
そんな俺に、無情にも寒い夜風が背中に吹きつけてきた。
ーー翌日。
「おはよう」
昨日の彼女の振る舞いを無下にするまいと、俺は彼女にいつもと変わらない挨拶をした。けれども彼女の反応はまるで違っていた。
「……おはようございます」
俺の声にビクッと肩を揺らし、こちらを振り向いた彼女はすぐに目を逸らした。
声は小さく、抑揚のないトーンでそれはあまりにも冷たかった。
当然だ。
こんな何の取り柄もない俺に唯一親しくしてくれた歳下の可愛い女子高生の告白を断っておいて、今まで通りがいいなんて烏滸がまし過ぎる。
そんな甘ったれた考えの自分を酷く情け無く感じ、掻き消すようにとにかく仕事に没頭することにした。
だが彼女のことを考えないようにするほど、余計に意識して、ふとした瞬間に自分から彼女を目で追ってしまう。
結局俺は彼女を振ったことを思い返しては、女々しくも後悔していた。
「……はぁ」
無意識にため息が出る。
このままでいいのか?
作業をしながら、自問自答が続く。
違う。やっぱり、このままじゃだめだ。
気持ちに応えることはできないとしても、あの時、黙って傷つけたままにしたのは卑怯だと思った。
だから、仕事が終わったら俺、玉紀さんに謝ろう。
ちゃんと、本当のことを打ち明けるんだ。
後悔を晴らすため、俺は決意した。
ーー仕事終わり。
彼女の姿は既になかった。
わかっていた。
そりゃそうだろ。待ってくれてるなんてそんな都合のいい話はない。
もう彼女が俺に声を掛けてくれるなんてことはないだろう。
自業自得なのに、やっぱり寂しい。
もうあの笑顔が自分に向けられることはないのかと思うと、胸が締め付けられるようだった。
言い訳ではないが、別に彼女のことが嫌いで振ったわけではない。
年の差だからとか、正直妹のように思ってたからとか、そんな理由でもない。
告白してもらった時は正直、すごく嬉しかった。
願ってもないくらいだった。
だけど告白されたあの瞬間、俺の脳裏にはあの言葉がフラッシュバックしていた。
『重い。正直、束柱君と付き合うのしんどいよ』
高3の時、初めてできた彼女に言われた言葉。
冷たい声、冷たい視線、冷たい空気…今でも鮮明に思い出すくらい、俺の心に深く刻まれた言葉。トラウマ。
そうだ。
俺は人を好きになったらダメなんだ。
重いから。
想いが重いから。
そうやって好きになった人を想って、嫌われて、自分も相手も傷つくなら、最初から俺が好きにならなければいい。
一生、一人で生きていけばいい。
俺は今までそうやって言い聞かせ、耐えて、飲み込んで、納得してきたはずだった。
ーー1ヶ月後。
吐く息が白くなり、街がイルミネーションで彩られる頃。
「明日で最後なんですよ」
レジ前の栄養ドリンクが陳列された冷ケースに補充作業をしていると、彼女の明るい話し声と共に衝撃的なニュースが聞こえてきた。
作業を続けつつ、彼女とパートのおばさんの会話に耳を傾ける。
どうやら彼女は大学受験のためにバイトを辞めるらしい。
寝耳に水だった。
この作業をしていなければ、彼女が明日で辞めることすら知らなかっただろう。
俺は生憎にも、明日は休みだった。
だから今日が彼女に話しかけられるラストチャンスだった。
仕事終わり話しかけて、ちゃんと伝えるべきことを伝える。
それが無理だったら明日、顔だけ出して、何かプレゼントでも渡してささやかなエールを送ろうかとも考えた。
いや、いずれも火に油を注ぐようなものだ。
何もしない方が賢明かもしれない。
結局、彼女の退勤を見送ることもできず、俺はいつも通りの顔で仕事を終え、帰路に着いた。
だがやはり後悔は沸々と湧き上がるのだった。
ーー3か月後。
寒さが少しずつ和らぎはじめた3月末。バイト終わり。
夜の住宅街を歩いていると、少し先の街灯の下で、微かな灯りに照らされて、誰かわからないが身体をこちらを向けて立っているのが見えた。
俺は訝しげに目を凝らしなら近づく。
俯いて顔は最後まで見えなかったが、近づくにつれて、その正体が明らかになっていくと、俺は立ち止まり一瞬フリーズした。
しかし次の瞬間には思考よりも先に口が開いていた。
「玉紀さん?」
俺が声を掛けると、彼女はようやく俺に気づいたのかパッと顔を上げ、優しげに微笑んで手を振ってくれた。
そんな彼女を見て、俺はなんだか安心した。許されたような気がした。
一緒に帰っていたあの頃を思い出すように、気付けば、まるで俺たちの間には何もなかったかのように語りかけていた。
「久しぶり。元気してた?」
「はいっ!」
彼女は元気よく答える。なんだか、それだけで少し救われた気がした。
「てか、こんなところで何してんの?」
俺が訊くと、彼女は視線を逸らしながら少し照れたように言った。
「いやぁ……受験も終わったし……束柱さんにお別れの挨拶できてなかったので。あと、受験の結果も報告したいし……感謝の気持ちも、伝えたいなぁって……」
「あー、なるほど...ね」
可愛らしくて、優しくて、律儀で、真っ直ぐで、そういう彼女らしいところは相変わらずだった。
俺は自然と顔がほころんだ。
「それで受験はどうだった?受かった?」
「受かりましたよ!」
「おっ!やったじゃん!!おめでとう!」
「ありがとうございます!」
笑顔で話す俺と彼女。
だけど、俺の根幹には彼女を振ったことの後悔が渦巻いている。そのことに変わりはない。
ずっとずっと、それが胸の奥に閊えていて、彼女にどうしても謝りたかった。言い訳をさせてほしかった。
俺は意を決して、彼女に真剣な眼差しを向けて口火を切る。
「……あのさ、玉紀さん」
「はい?」
恍けた表情を見せながらも、その表情には陰りが見えた。
まるで彼女は俺が今から何を口に出すのか察しているかのようだった。
「その、前はごめん」
俺が言葉を吐いた瞬間、空気が止まったように感じた。
ぱちくりと瞬きをした後、彼女の目にじんわりと涙が滲んでいくのがわかった。
「なんで今さら、謝るんですか……」
声は霞んで、涙を堪えようと身体をぷるぷると震わせる彼女。
そんな姿を目の当たりにして、俺は何も言い返せずに、情け無くただ立ち尽くした。
彼女は堪えることができずに、啜り泣きながら、続けて口にした。
「もうなかったことにしようと思って……今だって……必死に忘れようと思って……敢えて触れなかったのに……」
「ごめん」
ただその一言しか掛けてあげれなかった。
自分の不甲斐なさから、俺は遂に何も喋れなくなってしまった。
そんな俺に彼女は怒りも悲しみも滲んだ声を震わせ、懸命に本心をぶつけてきた。
「束柱さんが、私を振ったのは間違いじゃないって思ってたし、そうあるべきだって思ってました。でも、ふと思ったんです。『なんで私はあんなに好きになったんだろう』って」
涙を拭うと、彼女は俺に視線を合わせる。
俺を真っ直ぐ見つめるそんな彼女の涙で潤んだ瞳の奥には、強い光が宿されているように見えた。
「私、誰かに愛される資格なんてないって思ってたんです。重いって、ずっと言われてきて……『誰かに必要とされたい』って気持ちが、逆に相手を苦しめるって、何度も思い知らされたし、自分に言い聞かせてきたから……」
彼女は一呼吸入れると、目尻に涙を残しつつも満面の笑みを浮かべた。
「でもね……束柱さんは、彼氏でもないのに、親身になって私のことを気にかけてくれたり、元気がない時は笑わせてくれた。……束柱さんのそういうとこって、社交辞令のコミュニケーションとか下心とかじゃなくて……『人柄』なんだなって思ったんです。そんな人、他にいなかったから……だから、ずっと、側に居られたらいいのにって思ってた」
彼女が口を閉ざす頃、俺の目には涙が溢れていた。
内に留めていた後悔を全て解放するように、そして彼女の気持ちに応えるために、俺は全てを打ち明けた。
「高3の時、俺もさ。初めてできた彼女に……1か月でフラれたんだ。重いし、それがしんどいって言われてさ。それからずっと……好きになるのが怖くなった。だから、玉紀さんに告白された時も……本当は、めちゃくちゃ嬉しかった。けど、怖かった。もしまた、同じこと繰り返したらって思って……」
涙が頬を伝う。
そんな俺の姿を見て、彼女は一瞬呆気に取られたように目を見開いた。
一、二度、ぱちくりと瞬きすると、彼女は悪戯気にクスッと笑い、ぷくっと頬を膨らませた。
「なんであの日、言ってくれなかったんですか?」
「……ほんとに、ごめん」
言葉にならない思いが胸を締めつける。
俺は声を震わせながら、土下座でもする勢いで頭を下げた。
「俺、自分のことばっか考えてた。玉紀さんの気持ちに向き合おうともせず、勝手に決めつけて……玉紀さんはちゃんと俺を見てくれてたのに……。なのに、自分勝手に振る舞って、辛い思いさせてほんとにごめん」
涙で視界がぼやける。俺の情けなさが、すべて言葉に出た。
その時、彼女の細くてあたたかい手が、俺の頭をそっと撫でた。
そして彼女はぽつりと呟いた。
「じゃあ、訊きますけど……振ったこと、今でも後悔してます?」
「してる…めっちゃしてる」
かすれた声で即答した俺に、彼女はふふっと微笑む。
「またいっぱいお話ししたい?」
「うん…したい、させてほしい」
俺は、彼女の目を見て、何度もうなずいた。
「ふーん……まぁ束柱さんが…そこまで言うなら…まぁ条件?聞いてくれたら、お願い聞いてあげても良いですけど…どうします?」
そう言って、彼女は口元に笑みを浮かべ、肩をすくめる。わざとらしい声色に、少しだけ安心した。
俺も涙を拭い、ゆっくりと、口元を引き上げる。
引きつった、ぎこちない笑顔。でも、それでも俺なりに、精一杯の“強がり”を込めた笑顔だった。
「もちろん……なんでもする」
その言葉は、まるで反射のように口からこぼれた。彼女のためなら何でもしたい、そう思ってた。
「へぇ、『なんでも』ですか?」
ニヤリと笑う彼女の顔に、背筋がぞくりとする。あ、これ、言い過ぎたやつだ。そう悟ったときにはもう遅い。彼女はすでに、次の言葉を用意していた。
「束柱さん、『できる範囲で』、って言い直したほうがいいんじゃないですか?」
その揶揄うような口ぶりに、俺は苦笑を浮かべるしかなかった。
「『できる範囲で』、でお願いします」
彼女はくすくすと笑う。
「うーん……そうですね……」
さっきまでの悪戯な笑みは引っ込み、頬を赤らめて、少し目を逸らした彼女。
まるであの日の、告白する直前の表情のようだ。
そして彼女は口を小さく開く。
「じゃあ、仲直りと、私の合格祝いを兼ねて……その……デートとか……?」
その言葉は、あの日の後悔を塗り替えるチャンスのように思えた。
彼女になら、自分の気持ちを偽る必要なんてないからだ。
しかし実際、本心を口にするとなると緊張するものだ。
そんな俺の気も知らず、頬を赤らめつつも恥ずかしさを隠すように下唇を噛みしめ、潤んだ瞳をして、上目遣いで俺を見つめる彼女。
照れてないと言い訳をするが如く、俺は右手を無意識に頭へ伸ばして、わしゃわしゃと髪をかき乱した。だけど、顔は隠せない。自然と頬が緩んで、気づけば満面の笑みを浮かべていた。
「最高だな」
「はい!」
先程までの恥ずかしさを隠すような彼女の表情も崩れ、同じく満面の笑みを浮かべる。
そんな俺たちに温かく、心地よい春の匂いを乗せた夜風が吹き込んできた。
俺たちは実感した。
ようやく、長い長い冬が終わったことを。
まだまだ未熟者で勉強中ですので、おかしい点や不明な点、また誤植、誤字、脱字があればぜひ教えてください!
あ、友達のように気軽に教えてくださいね!
もし仮に、上記に当てはまらず、純粋に良かったと思っていただいた場合はお星様★★★★★をお願いします。
めっちゃ喜びます(๑˃̵ᴗ˂̵)