日記について
元々、これは自分の脳みそを外に出してスマホに保存しないでおこうとする試みから始まった。恥ずかしいが、自分の文など誰も読まないだろうという打算と、あけっぴろげにしても良いではないかという欲求もあった。ただ、自分が感じた確からしい感情を未来の自分に読ませるという試みはずっと一貫するつもりであった。
自分でも意外だったのは、読書感想の日記である。この時は自分がすごく調子に乗っていたと思う。もう、無敵なんじゃないか、どんどん自分から傷つきに行っても耐えられるのではないか、と思っていたほどだ。
このように自分を客観的に見る試みは、恥を感じること、第三者の言葉を借りると激しい怒りを持っていること、借りなければ、致命的に傷を負うことで他者を見ずに自分のみに集中することが何かしらの習慣、嗜癖になっているのではと漠然と思う。
今日の日記を書いても、苦しいままだった。これは、無敵ではなくなったのだと思う。変に高揚するとこのような揺り返しが来るのか。それを知識として実感したことがこの作業の意味だったと思う。