彼女の答え
「落ち着いた?」
「うん、もう大丈夫」
僕は伊那へジュースを渡す。僕らはあのやり取りの後、すぐに学校近くの自動販売機前に移動した。事情はどうであれ、さすがに部室で女の子が泣いているのを他の人に見られたら、あらぬ誤解を生んでしまう。僕は何とか伊那を宥めて此処まで来た次第だ。
「お金は?」
「いいよ、これくらい。奢るよ」
「ありがとう…優しいねボンちゃんは」
泣き止むと伊那はジュースを開けて一口飲んだ。良かった、ようやく落ち着いて話ができそうだ。すると伊那が僕の方へ体を向けた。そしていつものような上目遣いで僕を見つめる。だが、その表情は甘えるようなものではなく、真剣味を帯びたものだった。
「ボンちゃん、私の嘘に気づいてたの?」
「うん。ま、本当に偶然だけどね」
「………最低だよね。いくらボンちゃんとやり直したいからといって記憶喪失を偽るなんて………幻滅したかな?」
「うん、けっこう」
「だよね」
伊那が自嘲気味に笑う。半分自己嫌悪、半分諦めにも似た乾いた笑いだ。ジュースをもう一口飲むと伊那は続けた。
「もう、もう今更な話だけどね。実は中学校の学園祭の時に告白してくれたのは、とても嬉しかったんだ。でもあの時はどうしていいのか分からなくなってパニックになって逃げちゃった。皆が見ていたから余計にそうなっちゃったのかも。もう引っ込みが効かなくなって、それからボンちゃんを普通に見ることが出来なくなって…」
「で、高校は僕と別の所にしたと」
「うん、自分勝手だよね。ただ私の心の中にシコリが残ってた。このままでいいのかっていうシコリが。想いを伝えないでモヤモヤしたままずっと生きていくのかって…」
伊那が遠い目をした。僕らは異なるようでどこか似ている。ほんの少しの勇気が不足していたこととボタンの掛け違いで、相思相愛だったのに僕らは絶縁状態になっていた。
「でも転校して偶然ボンちゃんと一緒のクラスになった時、思ったの。今度こそ自分に正直であろう。例え拒絶されても自分の想いは伝えようと」
「で、記憶喪失を装ったと」
「………それは本当にゴメン。私が余りにも臆病過ぎた。ボンちゃんの顔を見るとあの時の後悔が蘇るんだもの。…アンちゃんにも散々怒られたし」
「まあ、杏奈には足を向けて寝られないな。ある意味一番の功労者だし」
「う、うん…思い出すだけで恥ずかしい」
僕が被せると伊那は顔を真っ赤にして伏せた。若干意地悪だったかなと思うが、反応が新鮮だからこれはこれでいいかな。僕はプッと笑う。でもまだ伊那から肝心なことを聞いてない。
「で、伊那。改めて答えを聞きたいんだけど」
「答え?答えって…」
「ほら僕の告白に対する答えだよ」
僕が促すと伊那はハッとして背筋を伸ばした。ここまで喜怒哀楽が激しい彼女を見るのは初めかもしれない。体を少し震わせているのは緊張からだろうか。伊那はまた上目遣いで僕を見つめてきた。今度は優しく甘えた感じの表情だ。
「ボンちゃん、私も貴方が好きです。ずっとずっと前から好きでした。だから私からもお願いです。私と付き合ってください。ボンちゃんの彼女にしてください」
伊那はハッキリとした口調で僕に告白する。次の瞬間、我に返ったのか一気に顔を真っ赤にさせると僕に背中を向けた。恥ずかしさの余り、緊張の糸が切れたらしい。時折僕の方を振り返るが、すぐに背中を向ける。
一方で僕はというと、告白が実ったことに対して信じられない思いなのか思考が停止していた。頭の中が完全にお花畑状態なのか、既に夜を回っているのに田舎道と畑だらけの風景がさながらネオンの如く光り輝いて眩しく見える。道行く人に「やあ!」と声を掛けたくなるような変な高揚感が湧いてきている。落ち着け落ち着け。
「うん、もちろん。じゃ、じゃあ…これからよろしく。その…彼氏彼女としてかな?」
「………うん。よろしくねボンちゃん」
僕は何とか声を絞り出し、伊那へ右手を差し出した。伊那は僕の右手を取ると握手…ではなく、僕の右腕に自分の左腕を絡ませてきた。これには僕も思わず「えっ?」と声を上げる。
「ダメ?」
「い、いや…違うのよ?慣れてないというか、ちょっとびっくりというか…」
「ボンちゃん、もう遅いから一緒に帰ろう。うちまで送ってってくれないかな…?」
伊那が上目遣いで僕の顔を覗き込む。伊那の頰は紅潮し、いかにも恋する乙女の表情みたいだ。眩しい、今までは忌々しいと感じていた伊那のあの表情がここまで眩しいとは。さすがにこれ以上直視できない。直視したら目が潰れてしまう。
「はい、喜んで!」
どこぞ居酒屋のような掛け声を僕は上げると、伊那を家へ送ることにした。なるべく時間を掛けてゆっくりと。僕らは失ってしまった時間の分を取り戻すかように色々なことを話した。恐らく僕の人生の中で最も忘れがたい、そして濃密なひとときとなった。
次回で完結です。