第一章 8
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1994年。
聖児は、教会へ近づいた。
美樹の行方に、もう心当たりがない以上、どうしてもここへ足を運んでしまった。
それこそ、神頼みをしたい心境だったのかもしれない。
夕刻。この時間ならば、まだお祈りにおとずれる信者がいてもおかしくはない。
なかに入ると、年配の女性が二人いた。神父はいない。
すぐに出ていこうとしたが、女性たちの会話が足を止めさせた。
「ねえ、知ってる? 斉藤さんが警察に事情をきかれたって……」
「ええ……恐ろしいわ」
なんの話をしているのだろう……。
「わたしも誘われたんだけど……ことわってよかったわ」
「そうね……」
「あの!」
聖児は、思わず声をかけてしまった。
「い、いまの話は……」
「な、なんでもないわ!」
二人の年配女性は、ごまかすように出ていこうとした。
「ぼくの彼女が行方不明なんです! お願いします! いまの話を詳しくお願いします!」
とにかく聖児は、頭をさげた。
二人は困ったように、おたがいの顔を見合っていた。
「た、たいした話じゃないのよ……斎藤さんという方から、誘われたことがあったのよ」
「なにをですか!?」
「教会が主催しているチャリティーよ」
「チャリティー?」
「ね、あなたの彼女とは、たぶん関係ないと思うわ」
それでも気になった。
「警察って言ってましたよね?」
「あ、それね……秘密を口にするようなものだから、言いたくないんだけど……」
「お願いします!」
あらためて頭をさげた。
「そのチャリティーで、いろいろあったのよ……」
「なにがあったんですか?」
「わたしたちは参加したわけじゃないから、はっきりとは言えないんだけど……」
そこで声をひそめた。
「突然、錯乱したようになっちゃってね……」
「錯乱?」
「違法薬物なんじゃないかって、警察に疑われたのよ」
「……その人は結局、どうなったんですか?」
「そのまま入院してるわ」
「ちがうでしょ、刑務所にいるって」
二人で話が異なっているが、病院にいるか、警察署、もしくは拘置所にいるかのちがいだ。刑務所というのは、この女性の勘違いだろう。それがどれぐらいまえの出来事かわからないが、裁判を経なければ刑務所に収監されることはない。
教会の主催するチャリティーに参加していた女性が、違法薬物をやっていたことだけは確かなようだ。
聖児は教会を出た。
違法薬物……。
美樹も、まちがいなくやっている。
彼女がいま行方不明になっていることも、それと関係しているかもしれない。
* * *
自身におこった異常を、いまになって実感していた。
アジトの地下世界へもどっていた。
収容所を襲撃した人員と、いっしょに逃げた囚人たちが合わさっているから、だいぶ目立つ逃避行だった。それでも教授たちの段取りがすぐれていたので、うまくアジトにたどりついたのだ。
何人かの犠牲者を出したが、新しい仲間が増えた。これまでもにぎやかだったが、さらに騒がしくなったようだ。一つの街が、ここにできあがっている。
「おう、来た来た」
広い空間に、みんなが密集していた。その輪に入ろうとしたら、歓喜の声が降りかかった。
「すげえな、おめえ!」
ガンさんが興奮している。
「ありゃ、どうなってたんだ!?」
シゲが、雅人の身体をまさぐった。肩を撃ち抜かれているはずだが、弾丸は貫通していたらしく、少しの治療で元気になっている。
「防弾チョッキでも着てたんか?」
歓喜している仲間たちのなかで、何人かはおびえている表情をしていた。
「あれは、そんなんじゃなかった……弾が当たっても、どうして死なないんだ!?」
「なに言ってんだ? それじゃあ、不死身じゃねえか」
ガンさんやシゲは、信じたふうもない。
当の雅人は困惑していた。たしかに弾丸は当たったのだ。自分のことだから、それがよくわかっている。
「ははは。まさに、神のご加護があったのでしょう」
場違いな声を上げたのは、あの助け出した神父だった。
「彼が不死身だとしたら、それは神がつかいたもうた使徒なのでしょうな」
「あなたは?」
その雅人の問いに反応したのは、教授だった。
「そうだったな、まだみんなには紹介してなかったな」
仲間たちの顔を見ると、神父のことを知っている者もいるようだった。
「古くからの仲間は会ったことがあるな。新しい者には初めてだろう。神父だ」
「名前は?」
雅人はたずねた。この小太りの神父のことを知っているような気がするのだ。失われた記憶のヒントになるかもしれない。
「神父だよ」
神父の答えは、それだけだった。教授が感慨深げにうなずいていた。
「ここでは、本名など意味をなさない。過去の詮索はルール違反だよ」
教授が言った。
まわりの仲間たちも、同意するようにうなずいていた。そんな空気のなかでは、これ以上の追及はできなかった。
そのとき、人だかりが割れた。
頭巾姿の大男が輪のなかに入ってきたのだ。
「そうそう、こやつも紹介しとこうか」
言ったのは、神父だった。
「このデカいのも、仲間なんで?」
ガンさんがそう口にするところをみると、神父のことは知っていても、大男とは初見らしい。
「キミオだ」
そう呼ばれた大男は、軽く頭をさげた。どのような表情なのかは、むろん頭巾のためにわからない。
「さ、挨拶はこれでいいだろ。これからのことを考えようか」
自然と、教授と神父を中心に仲間たちが扇状に座り込んだ。
「さて、われら『にせ』は、この国では人権もなく、ネズミのようなあつかいをうけつづけている。もう、それを変えるときだ」
みなが、真剣に教授の話に耳を向けていた。
「いまこそ、われらは人間にもどるのだ。偽じゃない、本当の日本人に!」
一同が、歓声のような言葉を口ずさんだ。
地下世界が興奮に支配された。
「だが──」
教授は自らの声で、その興奮をおさえこんだ。
「そのためには、大統領を打倒せねばならん。しかしそれは、簡単なことではない」
「ど、どうすりゃいいんだ……」
その声は、だれが放ったものだろうか。
「われわれだけでは不可能だったが、今回助け出した神父とキミオがいれば、なんとかなるかもしれん……」
それでも難しいことにかわりはないようだ。教授の顔から厳しさは消えない。
「神父は、あるものを隠しているのだ」
教授はそう口にすると、神父に眼をやった。
「あれは、まだ健在なんだろう?」
「ああ」
二人のあいだの空気に緊張がはしった。
仲間たちから、それはなんなのか?、という問いは出なかった。あくまでも、二人からの言葉を待つしかない状況だ。
「新型の爆弾だ……いいや、当時は新型だった」
神父は慎重に言葉を選んでいる。
「わずかの量でも、この街を壊滅させるほどの威力だ……」
「そ、それはどこにあるんだ?」
ようやく、ガンさんが口を開いた。
「それが問題なんだ」
話が見えない。
「隠してはあるんだが、みつからないような場所にある。それを取りに行きたいんだが、簡単ではない」
「それがないと前には進めんな」
と、教授。
「どうにかして取りにいかなければ」
それは、どこにあるのか?──みなが聞きたいことだが、なぜだか、だれもが質問を躊躇していた。不吉な予感があったのだ。
「五十年前までは、都庁舎と呼ばれていた。その地下だ」
「都庁舎?」
仲間のなかでも、まだ若いと思われる者はピンときていないようだ。世代的に知っている人たちも、遠すぎる記憶のためによく思い出せないようだった。
長生きすればするほど、記憶は曖昧になっていくものだ。それは、むかし──雅人の知っている世界でも同じだった。
「なんだっけ、それ?」
「あれじゃねえか……たしか」
何人かが思い出しかけて、それが全体に広がっていった。
「いまでいうところの、神の塔……」
そのことを知って、みなが絶望したように表情を凍らせた。
「神の塔?」
事情を知らない雅人がつぶやく。
「神の塔──大統領公邸のことだよ」
神父の声がむしろ淡々としていることに、深刻さがうかがえた。
「公邸という名の、要塞だがな」
そう続けたのは、教授だった。
「近づくことすら困難な場所だ」
どうするんだ?──みなが、そのような面持ちで顔を見合った。
「それでも、行かねばならんだろう……」
ため息まじりに、教授が結論を出した。
雅人のことを神父が、じっとみつめていた。
「きみが、先頭に立つのだ」
「おれが?」
「そう。これは、常人につとまることではない」
それはつまり、きみは常人ではない──そう言われているのと同じだった。
「神父さん……あなたは、おれのことを知ってるんですか?」
やはり、彼とは会ったことがあるのだ。
失われた記憶。身体におこっている変調の原因。その鍵を、この神父が握っているのではないか──そんな予感がある。
「いまそれは、重要ではない。塔の攻略に集中すべきだろう」
そう語った神父の瞳は、純真な色をしていた。神を信じる、心根の優しい青年の面影を見たような気がした。
その姿は、いったいだれなのだ……。
よく知っているような……。




