第一章 7
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1994年。
教会からアパートにもどったときには、美樹の姿はなかった。さがすことも考えたが、教会でみつかった恐怖で、冷静な思考が麻痺していた。
いや、みつかったといっても、顔見知りの神父さんだ。なにも問題はないはずだ……。
それなのに、安心できない。あの会話の内容は、尋常ではなかった。あれではまるで、反社会勢力のようではないか。
このことは忘れよう。
なにも見なかったことにする……。
聖児は、そう考えることで冷静さをとりもどそうとした。
平常心にもどったときには、すでに明け方となっていた。美樹は帰ってこない。さがしに行くべきだろうか……。
結局、そのまま待つことにした。
いつのまにか眠ってしまって、起きたのはお昼近くになっていた。
部屋を見回してみても、彼女が帰ってきた様子はない。こんなとき携帯電話があれば便利だが、二人とも持っていない。こんなことなら、買っておけばよかった。
ポケベルならあるから、鳴らしてみた。
しかし一時間経っても、電話はかかってこない。
不安が膨らんでいく。あてもなくさがしに出かけた。が、どこをさまよっても、彼女はみつけられなかった。大学へも足を運び、彼女の実家にも連絡を入れた。
ついに、その日も帰ってこなかった。さすがに警察へ届けようかと思ったが、すぐに考えをあらためた。
警察はダメだ……。
彼女は、まちがいなく「クスリ」をやっている。
解決策もなく、ただ時間だけが過ぎていった。
二日が経ち、三日が経った……。
たとえ、もうここに帰ってこないのだとしても、とにかく生きていてほしい。それを願うしかなかった。
さがそうにも、もう思いつくような場所はない。
「……」
いや、一ヵ所だけ残っていた。
だが、彼女とその場所には、本来なら接点はないはずだ。
もう、そこにすがるしかない……。
* * *
ひさしぶりの陽光は、まぶしさよりも痛さを際立たせていた。
目的の場所までは、みな散り散りに移動することになった。
問題の強制収容所は、アジトから10キロほど離れた場所になるようだ。『東京管理区一号』と呼ばれているそうだ。むかしの地名でいうところの『池袋』らしい。
それならば、わかる。
「本当に、いいんか?」
いっしょにいるのは、シゲだった。
「はい。おれだけ、なにもしないわけにはいきませんし」
この作戦に、ほぼすべての仲間が加わることになった。足腰の弱い高齢者や持病のある者だけが、アジトで待機している。
雅人の知っている時代なら池袋へ行くことなど簡単だが、この2094年の世の中では、どれほど街並みが変わっているのか想像すらできない。一人で移動するのは困難だ。だから、シゲと行くことになったのだ。
未来の街並みは、1994年とまったく同じようであり、しかしまったくちがうものだった。
「もうすぐだ」
「ここが池袋ですか?」
「そうだ」
面影はなかった。
「池袋の駅は、どっちですか?」
「あっちだけど」
「サンシャインは?」
「?」
通じないようだ。
「サンシャイン60です」
「……ああ、そんなのがあったな」
どうやら、いまは存在しないようだ。
「っていうか、その跡地なんじゃねえか? 目的の場所はよ」
シゲの視線の先に、高い塀に囲まれた建造物があった。あれが強制収容所になるのだろう。
「管理区には、ああいった施設が集中してるんだ」
東京は、管理区と行政区と居住区に分かれているそうだ。
行政区には、国家運営のための役所が集中している。雅人の知る東京でいえば、霞が関になるだろう。管理区は、住民を管理・監督するための施設や、国営化された企業がある区画で、一号から六号まであるという。
残りの居住区は、その名のとおりのもので、いまではほとんどなくなっているという民間企業もあるエリアで、一号から十二号まであるということだった。
「会社の近くなら疑われねえけど、収容所にはこの格好でも眼をつけられるかもしんねえ。保警には気をつけるんだ」
シゲと出会ったときの警察官を思い出していた。
「とりあえず、あやしまれないように、ここらへんをぶらぶらするぞ」
強制収容所から少し距離をとりながら、周囲を歩いていた。
こんなところに、ものものしい施設が存在しているなんて……。
そういえば、かつてサンシャインは巣鴨拘置所の跡地につくられたのではなかっただろうか。なんという皮肉だろう。
ほかの仲間たちも同じように待機しているはずだった。とにかく待っていれば、教授が突破口を用意してくれるということだ。
通行する人々が警察官でないか、ハラハラドキドキする時間が流れた。
しばらくしたころ、重いエンジン音が響いてきた。
大型のトレーラーだ。
収容所の壁めがけて一直線に向かっている。
ぶつかる!
運転席にだれも乗っていないことを知ったのは、激突する寸前のことだった。
当たった瞬間、もの凄い爆発がおこった。
風圧におされ、雅人は後退した。
危なかった。もう少しトレーラーに近かったら、巻き込まれていたところだ。
どうやらトレーラーの荷台には、爆薬が仕掛けられていたようだ。収容所の壁の一部が崩れていた。
「よし、行くぞ!」
血気盛んに叫ぶと、シゲが隠し持っていた拳銃を取り出しながら突撃を開始した。
まだ炎があたりを包んでいたが、かわまずに崩れた壁を乗り越えて、収容所に侵入していった。
雅人も、あとに続いた。武器は所持していなかったが、ここまで来て逃げるわけにはいかない。
トレーラーは、恐ろしいほど燃えている。近づくだけで灼熱に焦がされたように痛い。悲鳴をあげたいのをこらえて、壁に迫った。
壁の向こうでは、銃撃戦がおこなわれていた。
仲間たちが襲撃し、警備兵が応戦している。
「うわ!」
だが、火力がちがった。
胸を撃ちぬかれた仲間の一人が、崩れ折れた。
「くそ!」
仲間はどんどん壁を越えてやってくるが、そのぶん射殺されていく。
シゲが肩を射抜かれた。
「くっ!」
膝をついて、うめき声を放った。
銃器で武装した警備の一人が、笑ったような気がした。とどめをさそうと、引き金にかかる指に力がこもった。
雅人は、眼前の殺戮に頭のなかが真っ白になっていた。冷静な判断もできず、自分がどんな行動をとったのか、理解もできなかった。
「やめろ──!」
気づいたときにはシゲの前に、かばうように立ちはだかっていた。
銃弾の雨が襲いかかった。
衝撃が身体を貫く。
熱い感触。
痛みはない……。
そして、雅人が倒れることはなかった。
「な、なんだ……!?」
銃声がやんでいた。
その場が、明け方のように静まりかえっていた。
みな、何事もなくたたずんでいる雅人に驚愕しているのだ。
血も流れていない。
瞬間的に、雅人はシゲの落とした拳銃を拾い上げていた。
呆然と銃をかまえている敵警備に向かって引き金を絞った。
「うおおおおお!」
それが自身の声だとは信じられなかった。
獣の咆哮!
全弾をあっというまに撃ち尽くした。
シゲを撃った警備兵は絶命していた。
「バ、バケモノだ……」
どこかで、そんな声があがった。
雅人は一気に距離をつめて、警備兵が持っていた自動小銃を手に取った。
「いまだ!」
そう叫んだのは、ガンさんだった。いつのまにか、教授たちも敷地のなかに入っていた。
雅人が先頭になって、奥へ進んでいく。
収容所では運動の時間だったのか、囚人だと思われる人たちが広場の片隅でおびえたように事態を眺めていた。
その集団のなかから、一人の老人が歩み出てきた。
教会の神父が着るような黒い祭服──たしか、キャソックという名称のものをまとっている。
首から下げた十字架のロザリオが胸で輝いていた。
どこかで見たことがある、と思った。
「おう、神頼み屋、まだくたばってなかったか」
「それはこちらのセリフだよ、教授」
神頼み屋と呼ばれた老人は、雅人の知る常識にてらしあわせると70歳ぐらいに見える。
現在では平均寿命が倍になっているから、140歳だろうか? いや、そのわりには肥満気味だから、もう少し若いのかもしれない。130なのか、120なのか……。
「とにかく、いまは逃げるぞ」
教授の言葉に従い、みなが撤退をはじめた。
囚われていた人たちも、いっせいに崩れた壁を越えて逃走をはじめる。
収容所の建物内から、警備の応援部隊が続々と出てきた。
装填されているすべての弾丸を、それらに向けて放った。
次々に倒れる警備兵たち。しかし雅人も、何発かもらった。
それでも平然としていた。
痛みはなく、血も出ない。
それどころか、たとえようもない高揚感が内部を支配していた。
「うおおおお!」
再び吠えていた。
歓喜の情が体内からほとばしり、空間を高らかに震動させる。
なにかが目覚めるのを予感した。
「いくら不死身でも、あれだけの人間を相手にはできんだろう」
もう弾の出なくなった銃を、それでも引き金を絞り続けていたが、その声でわれに返った。一番先に逃げたと思っていた神父姿の老人だった。
敵は何人倒れても、うじゃうじゃと湧き出てくる。
高揚感が抜け、虚脱ぎみに呆然と立っていた雅人の身体を、抱き上げる人物がいた。
顔を頭巾で隠した大男だ。
「いまは、逃げるが勝ちだ」
神父の声に呼応するかのように、大男は無言で雅人を抱えながら、収容所から逃げていった。




