第一章 6
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1994年。
もやもやとした気持ちのまま、聖児は美樹との同棲生活を続けていた。
これまで彼女を観察した結果でいえば、違法薬物をやっていることは、ほぼまちがいなかった。
異常な発汗。突然、テンションが上がる。喉の渇き。会話が成立しないときがある──等々、あげればきりがない。いっしょに暮していればこそ、おかしなところが浮き彫りになっていた。
「話があるんだけど……」
聖児は、勇気をもって切り出した。
「どうしたの?」
彼女の眼は見開かれていて、悪い意味で瞳が輝いている。
素人でもわかる。トリップ状態なのだ。
「最近、おかしいよね?」
「おかしぃい? ぬわにが?」
うまく、ろれつが回っていない。
「隠し事はやめて……正直に言って!」
「なんの、こと?」
「やってるよね……クスリ」
「クスリ? はーはははっ!」
美樹は、豪快に笑った。
「そんなのやってるわけないじゃーん!」
その言葉を真に受けるわけにはいかない。彼女は、こんな下品な笑い方も、軽いしゃべり方もしない。
「それとも……わたしのこと、信用してないの!?」
それまでの陽気な様子から一転して、眼がつりあがった怒りの形相になっていた。
「信用できないなら、出ていって! 出てけ!」
ついには、部屋を追い出された。
聖児は、しばらく途方に暮れた。ただ目的もなく、街をさまよった。
気づいたときには、あの教会の近くにいた。
なにか、吸い寄せられるような錯覚があった。
聖児は、教会のなかへ足を向けた。
あの夜のように、教会内には人の気配があった。
恐る恐る奥へと歩を進める。
祭壇の前にいたのは、神父だった。
気づかれていないから、聖児はそのまま身を隠した。
どうやら、携帯で話しているようだ。
神父が携帯電話をもっているのは意外だった。最近では、ビジネスマン以外でも所持している人はだいぶ増えた。大学でも、半分ぐらいはもっているだろうか。それでも、だれもが使っているものではない。神父というお堅い職業では、なおさらだ。
「そうか……わかった。教授はなんと? 金はいくらでも払うと伝えてくれ。え? 金ではなく、名声だと?」
舌打ちが、教会内に響いた。
神父の行動だとは信じられない。
「私がそれなりの地位になれば、博士の名もあがる──博士には、そう言っておけ」
そして、通話を終えた。
神父が、聖児のいる方向を向いた。
それまでよりも、長椅子の後ろで小さくなった。
べつの足音がした。
入り口から、男がやって来た。あの夜にいた危険そうな雰囲気の男だ。角度的に発見されてもおかしくなかったが、どうにか気づかずに男は神父のもとまで進んだ。
「もう少し金が必要になった」
「これ以上は難しい」
「とにかく売りさばけ。ブツは、いくらでも用意する」
「……わかった」
このさきは、聞かないほうがいい話だ。そのことを予感した聖児は、神父たちが祭壇のほうを向いている隙に出ていこうとした。
足が、長椅子に引っかかってしまった。
「!」
二人の視線が、聖児を射抜いた。
「だれだ!?」
もう身を隠している場合ではない。一刻もはやく逃げるんだ!
聖児は、全速力で走った。
* * *
教授やガンさん、シゲやほかの仲間たちから、いまの時代についていろいろと教えてもらった。
この百年の大まかな歴史。
現在の社会の仕組み。
常識。
一般人の生活形態。
この地下に住む《偽邦人》と呼ばれる人々のこと……。
「どうだ? もうここでの生活にも慣れただろ?」
ガンさんに、雅人はうなずいた。
食事はどこから調達しているのかわからないが、ちゃんと三食出してくれる。とてもではないが、上等な食事ではない。が、味はなかなかのものだった。
ここに来てから、三日が経っていた。その間、陽の光を眼にしていない。このまま地下暮らしを続けていくことになるのだろうか?
ここにいれば、とりあえず危険はないようだ。偽邦人という種に分類された者は、追われることを宿命づけられている。絶対的な身分制度のようなものだ。永遠に、上にはあがれない……。
「みなさんは、ずっとここにいるんですか?」
「そんなことはねえけど……そうだな、ここから出ることのない者もいるかな」
外に出るのは食料の確保や情報を得るためで、体力があり、俊敏な人間が選抜されているという。つまり、それに当てはまらない者はここでジッとしている──ガンさんは、そう語った。
「おい! 大変だぞ!」
大声が、地下世界に広がった。
シゲだった。そういえば、このところ見かけていなかった。地上を偵察していたのかもしれない。
「どうした、シゲ」
「ガンさん、聞いてくれ! 収容所があるだろ!?」
「おう、それがどうした?」
「そこに入れられてる仲間が、みんな処刑されるってよ!」
「なに!?」
物騒な内容だった。
「やつら、ついに強硬策に出てきたな」
近づいてきた教授が、そう言った。教授だけでなく、ほかのみんなも、何事かと空間の中央に集まってきた。
「でも、まさか全員処刑だなんて……」
ガンさんが、絶望したように声をもらした。たしかに、凄惨極まる話だ。
「教授! どうすんだよ!?」
全員の視線が、ひょろ長い痩身にそそがれた。
「……見殺しにもできんだろ」
「でも、罠かもしれない……」
「そのときは、そのときだ」
教授のその返答で、これからの方向性が決したようだ。
「それに襲撃が成功すれば、仲間が増えることになる」
雅人は、うがった見方をしてしまった。仲間が増えれば、食料が多く必要になる。そのかわり人手が増えるという見解もあるだろうが、いまのような地下生活を続けるのならば、そこが問題になるのではないだろうか。
「その顔では、われわれが、ただコソコソ逃げ回ってるだけだと思ってるようだ」
教授が、そう言った。
「《にせ》と蔑まれても、われわれだって日本人だ。いつまでも、こんな生活を続けるつもりはないのだよ」
仲間たちも、その言葉にうなずいていた。
「で、どうすんだ、教授? 作戦は」
「そうだな、とりあえず人手がいる。志願する者を集めなければ」
「それなら心配いらねえよ。ここいる仲間なら、全員参加するさ!」
ガンさんが言った。
「こら、強制はいかん。失敗すれば、殺されるかもしれんのだ。志願する者だけしか参加はさせん」
教授が、水を差した。
「能力的に無理な者もいるだろう」
「……わかった。とにかく、集めてみる」
ガンさんとシゲが、まかせてくれと、その役目を買って出た。
「それと、あれの出番だな。このときのために確保してたものだ」
きっと武器なのだろう。雅人は、単純に考えた。
「すまんが、手伝ってくれんか?」
教授に頼まれたら、断れない。ここを追い出されたら、どこにも行くところがないのだ。
べつの仲間一人と地下世界の奥へ向かった。ウサギと呼ばれている若い男だった。まだ少年に見える。とはいえ年齢を聞けば、雅人の常識では若くないのかもしれないが。
どういうふうに開拓したものだろうか。もとからあった地下施設を利用しているはずだが、あきらかに増築されている。
奥へ奥へ向かっても、果ては見えない。
巨大な地下迷宮の一角に、ダンボール箱が積まれている場所がった。
「これは?」
「とっておきのものさ」
ボソッとそれだけを、ウサギは答えた。口数の少ない男だ。
中身が気になったので、ダンボールを開けてみた。咎めらなかったので、見てはいけないものではないようだ。
「これ……」
なかに入っていたのは、なんの変哲もないものだった。
「これが、とっておき?」
ダンボールのなかには、衣料品がぎっしり詰められていた。ワイシャツ、スラックス、ジャケット。色も、一般的なサラリーマンが着るような普通のものだ。
「説明は、教授がしてくれる」
やはり短く、ウサギは言った。
台車を使って、みんなのいるエリアに衣類を移した。
「まずはみんな、これを着るんだ」
いかにもホームレスのような格好の者たちが、しっかりとしたスーツ姿になった。まだ髪型は洗練されていないが、それでもこれだけでかなり見違える。
「こういうときのための、とっておきだ」
教授たちはそう言うが、意味がよくわからない。
「われわれがそのまま地上に出たら、それこそすぐに捕まってしまう」
シゲが襲われていた場面を思い出した。
だから身なりをキチッとするのだ。
「だが、油断はできないぞ。われわれには登録ICはないのだからな」
現在の一般人は、身体にICチップが埋め込まれているらしい。読み取り機で検索をかければ、すぐに個人のデータが出てくるのだという。
「いいか、怪しい行動はいかん。普通にしておるのだ。普通に」
ガンさんが、それが一番むずかしいんだ、と愚痴をつぶやいていた。
「武器は、どうすんだ?」
その素朴な疑問は、シゲのものだった。
「あるにはあるが……」
すると、べつの人間が運んできたダンボール箱のなかから、物騒なものを教授は取り出した。
「すげえじゃねえか!」
ガンさんが歓声にも似た声をあげた。
「だが数は少ないし、弾もかぎられる。いいか、相手を殺すことが目的ではない。仲間を救出することが目的なのだ。武器のことは考えるな。使わないに越したことはない」
諭すように教授は語った。
「それと、これだけは言っておく。大事なのは、みんなぞれぞれの命だ。けっして粗末にするなよ」




